季節は冬になった。
ヴァンツァー宅の別棟が古風な石造りの城といっても、むろん近代的な設備もある。
電気もきちんと通っているし、断熱材も入っている。
台所だとてガスコンロからオーヴンから何からあり、自動調理機能も、かなり優秀なものを取り付けている。
これが本当にあちらの世界であれば、夜間の城内に光が欲しくなったら蝋燭やランプに灯りをともさなければならない。
その代わりに、ヴァンツァーの家には蝋燭風の電球をつけたシャンデリアが天井から下がっている。
硝子と水晶を連ねたシャンデリアは、きらきらと光を反射してとても美しい。
華やかだが、蛍光灯の灯りとは違い、淡橙色の光は煩くない。
暖炉の炎と相まって、室内を朱色に染めている。
ふたりが現在こちらの住まいを選んでいるのは、その美しさが大きな理由だった。
近代的な建物は、機能的ではあるが如何せん無機質な印象を与えてくる。
音楽を聴いたり美しいものを目にしたりすることが胎教に良いかどうかは、学者の間でも意見が割れている。
それでも、少なくとも母体がリラックスできればお腹のこどもにも良い影響を与えるだろう、というのが、大筋の見解だ。
そんなわけで、妊娠が分かってからはこちらで生活をしているのだ。
臨月に入ったシェラは、食後のひと時を居間で過ごしている。
早産になることが少なくない多胎妊娠において、しっかり臨月までこどもをお腹に宿している母体──便宜上──は比較的珍しい。
その『母親』は赤々と炎の燃える暖炉の前でその銀髪も紅く染め、ロッキングチェアに腰掛けて編み物をしている。
その鮮やかな手つきから紡ぎだされるのは、赤ん坊のための靴下だ。
双子は男女の二卵性であることも──どこに『卵』があったのかは不明だが──確認済みだ。
靴下はピンクと水色というのも月並みなので、どちらも白で作っている。
産着の類もだ。
二卵性の男女であれば間違えることもない。
色つきは、生まれてくるこどもたちを見て似合うものを作ってやればいい。
裁縫は得意だ。
ヴァンツァーがデザインをすることもあるだろう。
こどもたちの名前も、もう決めてある。
女の子はソナタ。
男の子はカノン。
音楽鑑賞が趣味のヴァンツァーが考えた、とても綺麗な名前だ。
片方はシェラに、と言ったヴァンツァーだったが、銀髪の天使は首を振った。
その代わりに、ミドルネームを決めさせてもらったのだ。
ソナタのミドルネームはラヴィエンヌ、カノンはヴィクトール。
言うまでもなく、シェラが敬愛してやまないふたりの主人からもらったものだ。
「もっとちゃんとしたのあげるのに」
とルウは言っていたが、少々怖かったのできっぱり辞退した。
何だか、「仲間にしてあげる」と言ってきたルウを思い出したのだ。
ふたりの名前をもらうと言った時ヴァンツァーはほんの僅かに眉を顰めたが、それ以上に何かを言うことはなかった。
ヴァンツァーは、あまりシェラのすることに反対しない。
こどもができたのだと分かった時も、どうしようか悩んでいたシェラに「産まないのか?」と言ったくらいだ。
あの男がどういう意図でそう言ったのかは分からない。
しかし、もし突き放されたら、と一瞬でも考えた自分を、シェラは恥じた。
そんなことをするような男でないことは、知っていたはずなのに。
ただ、自分が「産まない」と言ったら、ヴァンツァーはそれも受け入れるのだろうとも思う。
興味がないのかな、と馬鹿なことを考えたりする。
どうでもいいなら、あの男が仕事をする時間を割いてまで家事を手伝ったり、病院に行くのに付き合ったりするわけがないのに。
それでも時々、不安になる。
自分はおかしいのだろうか。
それとも、みんなこのように考えるのだろうか。
「……」
暗くなりかけた時、トン、と身体が内側から蹴られる感触。
次いで、ドン、ともっと強くなった。
編み掛けの靴下とかぎ針をテーブルに置き、まん丸な腹部に触れる。
すると、ドンドン、と叱咤するように手が叩かれた。
これが結構な力強さで、ふたり分だから余計なのかも知れない、と思う。
ひとりひとりは単胎の赤ん坊よりもちいさいが、その生命力はしっかり一人前なのだ。
シェラには子宮などないわけだが、だとしたらこの子たちはどこにいるのだろうか。
人体とは不思議なものである。
「あまり根を詰めるなよ」
いつものように物音も、気配すらもなく、室内にヴァンツァーが入ってくる。
手には湯気のたったカップがふたつ。
それをテーブルに置く。
シェラの向かい側に腰掛けるヴァンツァー。
「またホットミルク飲むのか?」
ふたつ並んだカップの中身を見て、クスクスとちいさく笑うシェラ。
「もうコーヒーの匂いも平気だぞ?」
シェラはつわりの最中にコーヒーの匂いで気分が悪くなったことがあり、それからヴァンツァーはコーヒーを控えていた。
シェラはヴァンツァーとは違い紅茶党だ。
だが、カフェインを摂り過ぎるのは良くないので、シェラもあまりたくさん紅茶を飲まないようにはしていた。
それでも我慢のしすぎは良くないし、紅茶にはリラックス効果や利尿作用もあるので、一日二、三杯は飲む。
その紅茶もミルクティーにして刺激をやわらげてはいる。
他に、水や刺激の少ないお茶や、今みたいにホットミルクで水分を摂る。
そんなシェラとは打って変わって、ヴァンツァーは徹底してコーヒーを飲まなくなった。
「何となく」
「じゃあ今度からコーヒーを飲むといい」
これに対し、ヴァンツァーは首を傾げた。
「それが、あまり飲みたいと思わないんだ」
「そうなのか?」
コクリ、と黒い頭が頷く。
「俺も味覚が変わったのかな」
妊娠すると、それまで口にできなかったものを好むようになったり、逆に好物を食べられなくなったりすることがある。
それと同じだと言いたいらしい。
吹き出したシェラだ。
その反動か、またお腹を蹴られる。
「ほら。この子たちもおかしくて暴れているぞ」
「俺が原因か?」
軽く目を瞠ったヴァンツァーは、席を立ってシェラの足元に膝をついた。
そっと、今にも破裂しそうな腹部に触れる。
特に何の反応もない。
「この辺」
シェラがヴァンツァーの手を取って位置を動かしてやると、その瞬間ドン、と蹴られる。
「──っ!」
思わず手を引いたヴァンツァーだ。
それを見て大笑いするシェラ。
「お前、もしかして馬鹿にされてるんじゃないか?」
「……」
軽く渋面になる美貌に、シェラは更に肩を震わせた。
いじけたこどもみたいだな、と思ったのだ。
「──まあいいさ」
諦観したような吐息と微笑みに、シェラは首を傾げた。
「ヴァンツァー?」
問い掛けには答えず、ヴァンツァーはこどもたちをあやすようにシェラの腹部を指先でポンポンと叩く。
そして、歌うように話し掛けた。
「お前たちの『母親』は特別なんだ。男なのに、こどもが産めるんだからな」
「……」
「不安で仕方ないだろうに、今みたいに笑えるんだぞ?」
「……」
ヴァンツァーは笑みを深めた。
藍色の瞳がやさしい。
低い声もやわらかい。
「……何もできない俺とは違う。────本当に、尊敬するよ」
沈黙が横たわる。
暖炉の薪がはぜる音。
それだけが、室内を支配する。
ふ、とヴァンツァーが顔を上げた。
「──また、蹴られそうだな」
すっ、と手を伸ばし、指の背でシェラの目元を拭う。
そっと頬に手を添わせると、シェラは瞳を閉じた。
その反動で、大粒の涙がまたひと雫こぼれた。
「俺が苛めていると思われると困る」
「……仕方ないから、今回ばかりは弁護してやる」
「どうかな。お前はこどもに甘そうだからな」
クスッと笑うヴァンツァーを、シェラは鼻で笑った。
「一番でっかいこどものクセに……」
思い切り馬鹿にしてやったのに、ヴァンツァーは楽しそうに笑うばかりだった。
「……何だ」
ふくれっ面になったシェラに向かい、床に膝をついた状態のまま、ヴァンツァーは背筋を伸ばした。
シェラが身を屈めなくてもいいように、自分から顔を近づける。
「こどもはこどもらしく、思い切り甘やかしてもらおうか」
唇が触れる寸前のささやきに、シェラは呆れて目を丸くした。
END.