育児期~おそろい~

双子が生まれてひと月経つ頃。
ヴァンツァーは、欲求不満で死にそうになっていた。


「──っ……ぁ……」

密やかな吐息が夜の寝室に漏らされる。
シェラは頬が熱くなるのをどうすることもできず、自分の胸に顔を埋める存在に目をやった。
黒い髪に藍色の瞳の、なかなかお目に掛かれない綺麗な顔だ。
肌は抜けるように白い。

「……っ……」

シェラは思わず目を閉じた。

「──いい加減に慣れろ」

低い声が耳に入る。
むろん声の主はヴァンツァーだ。
その声音は、どこか不機嫌だった。

「……そんなこと言われても」

菫の瞳に薄っすらと涙を浮かべ、シェラはどうにか言葉を紡いだ。
そんなシェラに向かい、ヴァンツァーは深くため息を吐いた。

「授乳の度にそんな声を聞かされる俺の身にもなれ」

長女ソナタに母乳をやっているシェラの背後で、長男カノンをあやしながらヴァンツァーは言った。

「そんな怒らなくても……私だって別に好きで──っ……ん……」

またもや甘い声がシェラの赤い唇から零れる。
器用に片眉を跳ね上げるヴァンツァー。
双子を出産したその日、病室で初乳をやった時からこの調子なのだ。
その際はヴァンツァーだけでなく、双子を病室に連れてきたルウとレティシアもいた。
ルウは慌てて男ふたり──ヴァンツァーとレティシアだ──を病室の外に追い出した。
廊下では、「個室だからって、妙なことしようとか考えるなよ」とレティシアに釘を刺された。
だが、さすがのヴァンツァーも「これは不可抗力だろう」と言いたかった。
赤ん坊とはいえ命を繋ぐ糧である母乳を得ようと吸い付く力はかなり強いらしく、ひと月経った今でもシェラはその感覚に慣れることができない。
昼間は仕事に出ているためヴァンツァーはシェラの漏らす吐息を耳にしないで済むが、夜中に双子がお腹を空かせば毎度この調子なのだ。
かといって、『いい雰囲気』に持っていこうとするとまた何らかの理由で双子が泣き出したり、シェラ自身が育児で疲れていたりしてままならないのだ。
これ以上の拷問があるだろうか。
ヴァンツァーは心の底から「ない」と思っている。
ソナタの次はカノンの番だが、正直赤ん坊なのは分かっていても、『男』であることが気に入らない。
それを言うとシェラに「馬鹿じゃないのか?」と怒られるので言わないが。

そんなわけで、『夜の夫婦生活』に支障を来しまくりの現状に、ヴァンツァーはそろそろ我慢の限界を迎えそうになっているのだ。
むしろ、ひと月ももっている自分の理性はすごいのではないか、と心中ひっそり思っているくらいだ。
妊娠期間も含め、一体どれだけ我慢しているのか。
かといってそこらの女を相手にするのは嫌なので、どうすることもできない日々が続いているわけだ。

そんなヴァンツァーに救いの手らしきものが伸ばされたのは、数日後のことだった。


ある日、すべてを悟っているに違いないルウが、双子を一日預かると言い出した。
シェラは驚いて目を瞠り、ヴァンツァーは表情には出さないものの、どこか瞳が輝いていた。
最初は申し訳ないからそんなことはできない、と言っていたシェラだが、たまには羽を伸ばすことも必要だ、というルウの言葉に最終的には頷いた。

──実際羽を伸ばせるかどうかはヴァンツァー次第なので、ルウには何とも言えなかったのだが。

ともかく次の休日、ルウは双子を自分の家へと連れて行った。
それを名残惜しそうな目で見送ったシェラだが、背後から結構な力強さで抱きしめられて意識を移した。

「──……おいこら一番でっかいこども」
「何だ」
「返事をして、物悲しくはならないのか……?」

思わず嘆くようにため息を吐いたシェラだった。

「特に」

簡潔な言葉が返され、訊いた自分の方が物悲しい気分に陥った。

「──で。どこに連れて行ってくれるんだ?」

ヴァンツァーの腕の中で身体を捻り、向き合う形になる。

「……」

シェラの言葉に、大きく目を瞠ったヴァンツァーだった。
それを見たシェラは僅かに顔を引き攣らせた。

「……お前、まさかこんな真っ昼間から家に引きこもる気じゃないだろうな」
「……」

そのまさからしい。

「──っ馬鹿!」

真っ赤な顔で噛み付くように叫ぶシェラ。
ヴァンツァーが顔を顰める。
馬鹿と言われることはさして気にならないのだが、自分がそんな思考回路を辿る原因──あの声だ──を作った人間にそこまで言われるのは心外だ。

「買い物に行く! 車を出せ!!」

とりあえず提案しないと何をされるか分からないと悟ったシェラは、慌ててそう厳命した。

「……分かった」

呟くヴァンツァーが珍しく『不承不承』と顔に貼り付けていたのは、言うまでもない。


「どこに行く?」

運転しているヴァンツァーにそう訊かれたシェラだったが、特になんの計画も立てていない。
そういうことは、いつもヴァンツァーが決めているのだ。
だから、軽く首を捻った。

「お前はどこがいいんだ?」

運転席の男の横顔を見て問う。
特に何の表情も浮かべず、ヴァンツァーはこう言った。

「ひと気のないところ」

きっとそれはヴァンツァーの本心だったのだろうが、シェラは頭を抱えたくなった。

「……本当にそれしか考えていないのか」
「その言い方では、まるで俺がそれだけの男みたいだぞ」
「少なくとも今はそうじゃないか」
「たかが授乳に妙な声を出すお前にも原因の一端はある」
「人のせいにするな! そもそもお前が──」

食って掛かろうとしたシェラだったが、自分が言わんとしている内容に気付いて口をつぐんだ。

「俺が何だ」

不自然に途切れた言葉の続きが気になったらしい。
前方に目を向けたまま訊ねる。

「……いい。とりあえず、ウインドウショピングだ」
「見たいものはあるのか?」
「子供服」
「……」

ヴァンツァーは内心ため息を吐いた。
何となく、シェラがそう言う予感がしていたのだ。

「……仕事が減るな」

どうせなら自分が作るのに、と言いたいようだ。
いや、もしかしたら「自分が作るから、家に帰ろう」と言いたいのかも知れない。
それに対してシェラはひとつ大きく頷いた。

「いいことじゃないか」

そしてはた、と手を打った。

「お前、仕事を減らすと私と過ごす時間が増えるぞ」
「──……」

一瞬シェラの方を向いてしまったヴァンツァーだ。
そして、前方に目を戻すと目的地まで無言でいた。
葛藤しているのかも知れない。
シェラはシェラで車外に目をやり、口許に笑みを浮かべた。

少し、ヴァンツァーの扱い方が分かった気がした。


「これ可愛い!」

子供服の専門店へとシェラを案内したヴァンツァーは、思いの外目を輝かせるシェラを見て「王妃だけでなく、仕立て屋にも似ている」とこっそり思った。

「これ、ソナタに似合うと思わないか?」

コーラルピンクのワンピースとボレロのスーツだ。
裾のレース遣いが華やかな雰囲気を醸し出している。
ボレロの胸には大きめのコサージュがついていて、確かにとても可愛らしい。

「似合うだろうが、あと五年は無理だぞ?」

ヴァンツァーの言う通り、非常に可愛い服なのだがサイズが合わない。
新生児がどんな成長を遂げるかも分からないのに「似合う」と言い張る両親だったが、彼らに似た子ならばかなりの美少年、美少女になるのは間違いない。
何だかんだいって、ヴァンツァーも我が子は可愛いのだ。

「……これ、新生児用ないのかな」
「さすがに無理だろう。息苦しいし、身体は冷えるし、世話しづらいぞ」

スーツを受け取り検分する。

「せめて歩けるようになるまでは──」

そこまで言って、ヴァンツァーはシェラに視線を移した。

「何だ?」

じっと見られているのが分かり、気になったのだ。

「作ってくれ」
「……」
「これ可愛い。これ作ってくれ」

スーツを指差し、『お願いオーラ』を出している。
非常に珍しい現象だが、こどものためならば『お願い』できるらしい。

「……買えばいいだろうが」
「だって、五年も待てない」

軽く首を捻ったヴァンツァーだ。

「新生児用にデザインし直せ、ということか?」

コクリ、と頷くシェラ。
菫の瞳は期待にキラキラ輝いている。

「あ、それから、カノンにも同じ意匠で作ってくれ」

おそろいの男の子用を、ということだ。

「……」
「ああ、絶対可愛い! 男女の双子だから、新郎新婦みたいになるだろうなぁ」

うっとりと呟くシェラ自身が大層可愛らしく、上目遣いで小首を傾げて頼まれては、ヴァンツァーに抗う術はなかった。
普段は頼んでもこんな『お願い』はしてこないので、免疫がないのだ。

「分かった」

つい請け負ってしまったら、シェラは一層目を輝かせた。

「じゃあこれも!」
「……」
「あ、これも可愛い!」

次々と別の服を取り、同じようなお願いがこの後しばらく繰り返された。
十数着を超えた時点で、ヴァンツァーは物色を続けているシェラを止めた。

「何だ?」

双子に似合う良い服はないかと懸命に探し物をしていたシェラは、少々不機嫌そうに顔を上げた。

「全部買え」

ヴァンツァーはそれだけ言った。

「は?」

目をまん丸にするシェラ。

「覚えるのが面倒だ。全部買え」
「ぜ、全部……?」
「目についたものは全部買えばいい」

何とも剛毅な言葉だが、それが本気であることをシェラはよく知っている。

「……結構するぞ?」

こども服とはいえこの店はそれなりの高級店だった。
それでも自分の時とは違い、「いらない」とは言わなかった。
こどもにはいくら使ってもいいらしい。

「何なら店ごと買うか?」

実際にできるに違いないが、シェラはとりあえず今までに選んだものを会計した。
車に戻り、ヴァンツァーはシェラに訊ねた。

「満足したか?」

それにシェラはホクホク顔で頷いた。
可愛いこどもたちに可愛い格好をさせることができそうで、とても上機嫌だ。

「それは良かった」

ヴァンツァーも満足そうに微笑した。

「お前が子煩悩っていうのは、何か意外な感じがするな」
「子煩悩?」

運転しながらヴァンツァーは首を傾げた。

「だって、全部買っていいって言うし、こども服作ってくれるんだろう?」

妊娠している時も、出産してからも、いろいろと気遣ってくれる。
仕事で疲れているだろうに、こどもの世話もしっかりしてくれるのだ。
赤ん坊を風呂に入れるのはヴァンツァーの仕事と化している。
これがまた上手いものなのだ。
ただでさえ双子の世話は大変なので、ふたりで一緒にすることができると非常に楽になる。
ヴァンツァーはその意味で『良い父親』であり、『良い夫』であった。
そんなシェラの評価に対し、ヴァンツァーは曖昧に微笑んだ。
はっきりとものを言わないとは珍しいこともあるものだ、と思ったシェラだったが、可愛い服をたくさん買って気分が良かったので何も言わなかった。

そして、真っ直ぐ家に帰ってきてから、ヴァンツァーの思惑に気付かされたのであった──。  




END.

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