──クリスマス。
この時期はファロット一家にとって、最も重要な意味を持つ。
なぜなら、二十三日がシェラの、二十四日が双子の誕生日だからだ。
二十三日と二十四日、ファロット一家はシェラと双子のために盛大な誕生日会を催す。
この日は日頃半ば以上趣味である家事からシェラを遠ざけ、セントラルホテルに宿泊することになっている。
クリスマスシーズンに三ツ星ホテルを予約することは大変だが、ヴァンツァーは大株主であるし、なかなか宿泊者のいないプラチナ・スイートに泊まるため部屋が取れるのだ。
そして翌日のクリスマスには、友人や仕事仲間を自宅呼んでパーティーを開くのである。
今年四歳になる双子は、まだまだサンタクロースの存在を信じている──実際、ファロット一家が冬場を過ごす敷地内の洋館には煙突が備え付けてあり、ヴァンツァーでもシェラでも、そこから入り込んで子どもたちの枕元にプレゼントを置いてくることは朝飯前である。
蛇足ながら、サンタクロースの役目は、リィでもルウでも、シェラが許せばレティシアでも可能だ──ジャスミンとケリーも、やろうと思えばできるだろう。
このサンタクロース、かなり競争率の高いお役目なのだが、親の特権としてシェラが誕生日とクリスマスのプレゼントに何が欲しいのかを訊くと、双子はこんなことを言い出した。
「「けっこんしき!!」」
先日、結婚式を挙げていない、という話を聞いたときにふたりで決めたらしい。
他には何もいらないから、シェラとパパの結婚式を見たいのだと言う。
「……ヴァンツァーに、訊いた?」
「うん! パパ、いいよって」
「パパ、カノンとソナタにも、ドレスつくってくれるって」
「……」
はは、と乾いた笑いを漏らしたシェラである。
本日十二月一日。
双子の望む結婚式の日取りは、シェラの誕生日である二十三日。
あの男が今までに作った衣装で済ませるわけがないので、これから四人分の衣装を作ることになる、ということだ。
「お前、どうしてそう無理な約束をするんだ」
双子を寝かしつけたあと、シェラはコーヒーと紅茶を淹れるヴァンツァーに詰め寄った。
「無理?」
何のことだ、と言いたいのだろう。
ネルドリップでコーヒーを淹れながら、紅茶の抽出時間を計っているタイマーに目を走らせる。
「仕事があるのに、クリスマス前に結婚式なんか挙げられるわけがないだろうが」
たとえ挙式自体には問題がないとしても、だ。
可愛い双子には喜んでもらいたいし、おそらくリィやルウも喜ぶイヴェントには、反対する理由がない。
ヴァンツァーは二十三日から二十五日までは絶対に仕事を入れないため、時間が空いているといえば空いている。
しかし、衣装を手がけ、式場を予約している時間はないのである。
ヴァンツァーはケトルを置くと、じっとシェラの瞳を見つめた。
思わずたじろぐシェラ。
「……な、何だ」
「可愛いだろうな」
「……は?」
「カノンとソナタが婚礼衣装姿でヴァージンロードをついてくる。可愛いと思わないか?」
「────……」
途端に、ほわぁ、っとシェラの目が輝きだす。
「──可愛い!! 作る!! 私たちとおそろいの衣装、私が作る!!」
「頼んだよ、優秀なパターンナー」
たったこれだけのやりとりで、ヴァンツァーはシェラに結婚式を挙げる決心をつけさせた。
コーヒーを淹れ終わった頃、丁度紅茶も良い具合に抽出されたようだった。
お盆に載せ、リビングへと運び、ふたりの団欒の時間となった。
──この日はいつもと違い、絶え間なくデザインの話がシェラの口から飛び出ていたのである。
結婚式はシェラの誕生日に、丁度宿泊するセントラルホテルで行うこととなった。
運良くというか、気の毒にというか、一組キャンセルが出たのだそうだ。
「良かったね。そのまま豪華なお部屋で初夜を迎えられて」
ソナタとカノンと同じようにきゃっきゃとはしゃぐのはルウである。
「新婚旅行に行けないのは残念だけど、当日は、ちゃんとぼくが責任もって双子ちゃんを預かるからね」
「……いえ、そこまでしていただかなくても……」
これにルウは目くじらを立てた。
「何言ってるの! 結婚式したら、新婚旅行に行って、初夜を迎えないといけないんだよ?!」
「……義務ですか」
「ちょっと順番違うけど、幸せな初夜を迎えて、子どもができるんだから」
シェラは思わず苦笑した。
「……ですが、またできても……」
「ヴァンツァーなら、産めば、って言うと思うよ?」
「……」
それは分かっている。
あの男は、きっとそう言ってくれる。
ソナタとカノンを妊娠したときだって、酔った勢いがあったとはいえ、抑え切れないほどあの男を欲しがったのは自分だ。
いくら果てても、もっと、と強請った。
──妊娠でも何でも、すればいい、と思って。
そうすれば、あの男はずっと傍にいてくれるかも知れない。
冗談めかして「責任を取れ」と言ったが、きっとあれは紛れもない本心だった。
そうしたら本当に妊娠して、──恐ろしくなった。
この状態であの男が離れていったら、どうやって生きていこう、と。
罪もない子どもを、殺したくはなかった。
だから、言おうかどうしようか迷った。
けれど、あの男は傍にいてくれた。
不安なときに抱きしめてくれた。
当たり前のように、そこにいてくれた。
あの男は、子どもたちに「シェラすき?」と訊かれると「好きだ」とか「俺のものだ」とか言ってくれるけれど、きっと、それよりもずっと自分の方があの男を必要としている。
相手がいなくなって崩れるのは、たぶん自分ひとり。
今度は先に──できるなら、ともに死にたいと思う。
もう、ひとりでは生きていけない。
子どもたちがいても、自分は生きる気力を失ってしまうかも知れない。
それが……怖い。
あの男は子どもたちを可愛がってくれている。
仕事人間だったあの男が、子どもができた途端休みを取るようになった。
疲れているだろうに、抱きついてくる子どもたちを邪険に扱ったことなどない。
そもそも、子どもが近付いてくるということ自体、その人間の人柄の良さを表しているのである。
しかし、更に子どもができたら、その子も可愛がってくれるのだろうか。
さすがに、面倒だと思うのではないだろうか。
世の中の母親の中には、双子のできやすい『双子腹』というのがあるらしい。
もしもまた奇跡が起こって子どもができて、それが双子だった場合子どもは四人になるわけだ。
助けてくれる人はたくさんいると言っても、正直かなり大変だと思う。
だが、やはり可愛がってくれるかも知れない──ああ見えて責任感の強い男だから、妊娠の一端を担っている自分の義務を放棄することは許せないとも考えられる。
──子どもであの男を縛れるのなら、と考えて自己嫌悪に陥った。
可愛い子どもたちを、まるで道具か何かのように扱う自分。
どちらの自分が本当の自分なのか、まるで分からない。
そんな自分の心境が、不安を更に煽る。
──こんな汚い自分を、あの男はまだ抱いてくれるのだろうか……?
知られてしまったら、触れてくれなくなるのではないか。
訊きたくても訊けないから、胸の中に黒い靄が立ち込める。
「……あなたでも、読めないんですよね……」
ポツリ、と呟かれた言葉に、ルウは聖母のような笑みをたたえた。
「必要ないよ」
「……」
「君はね、もう少し我が儘になった方がいい」
「……」
「大丈夫。彼は、君を丸ごと受け入れてくれるから」
「……」
しばらくじっとルウの青い瞳を見つめたあと、シェラはふっと微笑んだ。
「──はい」
そうして、十二月二十三日、結婚式当日。
双子は、両親とよく似たデザインの衣装に身を包んでいた。
もちろん、双子が着る服はすべて『エンジェル』がモチーフだから、背中には天使の羽。
どちらも純白の衣装である。
カノンはタキシード。
中のベストは淡い藤色で、彼の髪と瞳の色によく合っていた。
アスコットタイをきちんと真珠のピンで留めている。
ふわふわとした銀髪の天使は、一生懸命きりりとした顔を作っていて、それがまた可愛らしい。
ソナタは裾がふわりとしたウェディングドレスだ。
ドレスそのものは肩と二の腕がむき出しのデザインで、胸元にファーが取り付けられており、それにボレロを羽織っている。
肩で切り揃えられた黒髪には、生花で作られた薔薇のティアラ。
ふたりは花びらの入った籠を持っており、これはヴァージンロードを進むときに絨毯にまくのである。
ルウに着替えさせてもらった双子は、シェラのいる待合室へと向かった。
──そして、石膏像のように固まってしまった。
「──あぁ、着替えてきたの? やっぱり可愛い」
ふわり、と微笑むシェラ。
「「──……きれぇい……」」
随分と長いことシェラを見つめていた双子だったが、同時に呟くとシェラに駆け寄った。
「シェラ、きれい!」
「やっぱりシェラがいちばん!! いちばんきれい!!」
飛びつく直前、シェラの着替えとメイクを手伝っていたエマとレイチェルに止められる。
少々不満げな顔になった双子だったが、「ドレスが崩れちゃうからね」と言われると、こくこく頷いておとなしくなった。
やはり、一番綺麗なシェラで結婚式をして欲しかったのだ。
「シェラ、パパは?」
藍色の瞳をきらきらさせたソナタの言葉に、シェラは首を傾げた。
「たぶん、もう用意は終わってると思うけど」
「パパにも、はやくシェラみてもらわなくちゃ!」
興奮して頬を染めるソナタ。
レイチェルは言ってやった。
「あら。花嫁さんと花婿さんが会えるのは、お式が始まってからよ」
「……どうして?」
「シェラきれいなのに……」
悲しげな顔になる双子に、今度はエマが言った。
「お式のときに花嫁さんを見て、花婿さんにびっくりしてもらうの」
「パパに、びっくりしてもらうの?」
「そうよ。こんなに綺麗なシェラを見たら、びっくりすると思わない?」
「「うん!!」」
元気よく頷く双子に、その場にいたすべての人間が微笑みを零した。
「──さ、シェラ。そろそろ時間だよ」
「はい」
ルウの声で、シェラはしずしずと歩き出した。
ソナタのドレスと違いボレロのないシェラの衣装では、肩も二の腕も露わなのに、男性とはとても思えない骨格をしている。
むろん胸は平らなわけだが、リィでも連れてこないことには男だと思われることはないと断言できる。
そのリィが、今回シェラとヴァージンロードを歩く役目を務めてくれる。
「──こりゃあまた……。ため息ものの美人だな」
緑の目を丸くするリィに、シェラはくすっと笑みを返した。
「あなたには負けます」
リィは苦笑して肩をすくめた。
「シェラ、もうヴェールもっていいの?」
「あぁ、ちょっと待って」
双子は長いヴェールを持ちながらシェラの後ろを歩き、花びらをまくという大役を仰せつかったのである。
まるで天使に祝福されているようで、シェラは心の底から嬉しく思った。
「私の可愛い天使さんたち。──ありがとう」
双子の頬に軽くキスをする。
レイチェルご自慢の口紅は擦っても落ちない優れもので、双子の頬は自然な薔薇色のままである。
こんな夢のように綺麗な花嫁さんが自分たちを産んだ人なのかと思うと、世界中の人に自慢したい気分になる双子だった。
今日のシェラはレオンが調香した新作の香水をつけており、とても良い匂いがする。
興奮冷めやらぬ面持ちで、双子は顔を見合わせて頷くと、長いヴェールを持ち上げた。
それを見計らったかのように、式場の扉の奥から、パイプオルガンの音色が響いてきた。
──子どもが生まれて四年。
ヴァンツァーと暮らし始めて十年。
惰性でも成り行きでもなく、自分は自分の意思でここにいるのだ、とシェラは不敵な笑みをその美貌に浮かべた。
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