クリスマスプレゼント

高いアーチ状の天井に、パイプオルガンの音が響く。
演奏者はルウ。
本当に、彼は何でも器用にこなす──否、この腕前はプロの中でも一握りの『巨匠』と並んでも何ら遜色ない。
それでも、本気で弾いたら結婚式どころではないので、『普通』に演奏している。
この『普通』の演奏を音大生が聴いたら、妬ましいのを通り越して賞賛するしかなくなるだろうが。
教会の扉が開き、ありきたりな結婚行進曲ではなく、喜びを歌うクラシック曲で花嫁が入場してくる。
あるはずの盛大な拍手はなかった。
そんな行動に神経を割くことを、列席者が良しとしなかったのだ。
セントラルホテル専属の神父の前に立つ新郎にも目を奪われていた列席者たちだが、新婦がまた素晴らしかった。
金髪のリィに腕を絡め、俯き加減で歩いてくるシェラは、頭のてっぺんから爪先まで純白の女神さながらの美しさだった。
その後ろからついてくる双子がまた大層可愛らしい。
シェラのヴェールを片手で持ち、もう片方の手で薔薇の花弁をまく。
色とりどりの花びらが空中で純白の衣装を彩り、真紅の絨毯の上に散らばる。
美しい花嫁を飾る手伝いができる誇らしさに、カノンとソナタは満面の笑みを浮かべてお互いの顔を覗きこんでいる。
ゆっくりゆっくりと歩き、ヴァンツァーの前に到着した。

「じゃ、あとはよろしく」

簡潔なリィの言葉に、ヴァンツァーは目礼を返した。
ここで双子の役目も終わりなのだが、彼らの言葉で挙式が決まったようなものだから、最後まで一番近くで両親を見る権利がある。
神父のいる場所まで、三段階段がある。
その一番下まで花嫁を迎えに行く花婿。
このとき初めて間近で父を見た双子だったが、思わずポカンと口を開けてしまった。

「「……きれぇい……」」

ささやくような声で、シェラに言ったのと同じ賞賛の言葉を送った。
いつ、どんなときでも彼らの父は美しいが、この日は三割増のような気がした。
世界中の誰よりも美しい両親と同じ衣装に身を包んでいることを、心底嬉しく思った双子だ。
しかも、この衣装はシェラのお手製である。
背中の羽根で、本当に飛んでいけそうなほど心が軽やかだった。
いつも暗い色の服しか身につけないヴァンツァーは、白い衣装も違和感なく着こなしている。
ソナタの場合と同様、それと黒髪とのコントラストが目を引く。

「ご苦労さま」

双子に労いの言葉をかけ、ヴァンツァーはシェラにそっと手を差し出した。
まるでダンスでも踊るかのように、ふわりと手を乗せるシェラ。
それだけの動作が、列席者全員のため息を誘う。
カノンもソナタも蕩けそうな表情になっている。
そして、シェラとヴァンツァーは階段を登り、神父の前に立った。
誓いの言葉を述べ、指輪を交換する。
まじまじと、色違いの瞳を輝かせて見つめる双子。
交換するのは揃いの結婚指輪ではなく、いつも両親がしているアンティーク・リングだ。
ピカピカ光っているわけではなかったが、子どもたちはこの指輪がとても好きだった。
──この世にふたつとない、特別なものだと聞いたから。

「では、誓いの口づけを」

神父の言葉で、ヴァンツァーはシェラのヴェールを持ち上げた。
薄化粧を施した絶世の美貌。
見慣れているとはいえ、やはり今まで見たどんな女よりも美しいと思う。
他者を圧倒する王妃の美貌とは種類が違い、気付けば捕らわれている美しさ。
清楚で儚げながら、一族で最高の技量を誇る行者でもあった。
最初の邂逅で自分を惹きつけた煌く瞳を覗く。
普段はすぐに逸らされるけれど、ごくたまに、こちらを挑発するようにきっちりと瞳が合わされる。
今日もそう。
伏目がちだったのに、ヴェールを上げたらゆっくりと瞼が持ち上げられた。
極上の紫水晶にも優る、深い菫の瞳。
この目だけで、人ひとり魅了することなど造作もないに違いない。
仕事としての経験値は高いことを自認するヴァンツァーであり、正直自分と目が合って落ちない人間はまずいない──そんな自分が、初めて高揚感を覚えた瞳。
じっとシェラの瞳を見つめ、ふっと目元を笑ませた。
これだけで大抵の女は落ちるが、シェラは負けじとその美貌に笑みを浮かべた。
その目が「さっさとしろ」と言っているようで、ヴァンツァーは内心苦笑し、列席者に見せつけるように唇を重ねた。
ほとんど同時に、階段の下にいる子どもたちも両親の真似をして軽くキスを交わした。
会場から拍手と歓声、ところどころ野次が飛び、花嫁と花婿を式場から送り出すために皆が立ち上がり外へ向かう。
式が始まったときは花びらをまいた双子だったが、退場のときはライスシャワーを降らせる役目を仰せつかった。
式の間中静かにしていた鬱憤を晴らすかのように、きゃっきゃと笑い声を上げている。
子どもたちが大満足のようなので、シェラも満足だった。
会場に入ったとき一瞬ヴァンツァーに見惚れたことは悔しいから言わないけれど、会場から出るときに耳元で「綺麗だよ」とささやかれたので、「見劣りしない男が相手で良かったよ」と言ってやった。

──そして、子どもたちを抱いたシェラとヴァンツァーを中心に、集まった全員で記念撮影をした。


有言実行の人であるルウは、宣言通り双子を連れて行った。
ぐずるかと思ったソナタたちだったが、「今度はシェラたちにクリスマスプレゼントあげないとね」とルウが言うと「「はぁい!」」と上機嫌で返事をした。

「じゃあ、あとは夫婦水入らずで一晩楽しく過ごしてね」

ぼくらからのクリスマスプレゼント、と邪気などまったくない微笑で手を振るルウに、シェラは引き攣った笑みを浮かべた。
それでも子ども好きなルウから子どもたちを取り上げることなどシェラにできるわけもなく、現在シェラは婚礼衣装を着たまま、『夫』とふたりきりでもはや常連となったプラチナスイートへと足を踏み入れていた。
最上階へは専用のエレベーターを使う。
連邦官僚クラスが泊まる部屋だ。
当然セキュリティーは万全である。
さすがにワンフロアすべてを贅沢に使っているだけあり、キングサイズのベッドのあるメインベッドルーム、ゲストルームが三部屋、リビング、ダイニング、カウンターバー、キッチンを備え、バスルームは部屋毎にあり、更に宮殿の湯殿かと思うような風呂場にサウナやプールまでついている。
もちろん、すべての部屋がゆったりとした間取りであり、自宅がかなり広いファロット一家が四人で宿泊しても快適に過ごせる。
一応留保しておくと、一般人ならば足がすくむ部屋で『快適』だとか『落ち着く』とかいう感想が出ること自体が並みではない。
部屋に入りベルボーイを下がらせると、ヴァンツァーはリビングルームの中央でぼぅっとしているシェラの肩に手を置いた。
そのまま顎を取り、赤い唇を求める。

「ヴァ……ダメだ」

すっと顔が背けられる。

「なぜ?」
「今日は……」
「だから、なぜだ」
「……また……」

そっと腹部を摩る。
また子どもができるかも知れない。
何となくそんな予感がする。
子どもたちがいなくて寂しいからか、何かに寄りかかりたくて仕方ない。
いやに神経が過敏になっていて、ほんの少しヴァンツァーに触られただけなのに、心臓が跳ね上がった。

──あのときもこんな感じだった。

酒が入っていたのは間違いないが、それでもおかしいくらい人肌が恋しかった――否、そんな生易しいものではない。
無性に、『男』が欲しかったのだ。
女性の排卵期とは、このような感覚なのだろうか。
消え入りそうなシェラの声にも、ヴァンツァーは涼しいものである。

「産めばいい」
「……」

双子を妊娠したときも、何でもないことのように「産まないのか?」と訊ねてきた。

「妊娠したら、産めばいい」
「……本気で言ってるのか?」

ヴァンツァーは首を傾げた。

「いけないか?」
「いけないか、って……」
「もちろんまた一年負担がかかるのはお前だから、決めるのもお前だ」
「……」
「妊娠したくないなら避妊すればいい。薬一錠飲むだけで、一〇〇パーセント避妊できる」
「……」

それは女性の場合だが、別の方法を取ってもいい。

「――それでも、俺はお前を抱きたいよ」

そっと、シェラを刺激しないように頬を撫でる。

「ヴァンツァー……」

大きく目を瞠り吐息で呟くシェラに、ヴァンツァーは苦笑を浮かべて銀髪を梳いた。

「――……泣くほど嫌か……?」
「え?」
「……お前が嫌なら、無理強いはしたくない」

零れる涙を指で拭う。

「いつでも、つらいのは全部お前だからな」

出逢ってから今まで、自分はどれだけのことをこの銀色に強いてきたのだろう。
決してシェラは望んでいないのだと分かっていることでも。
おそらく、手放せないのは自分の我が儘でしかなくて……子どもたちを可愛いとは思うが、それもシェラを繋ぎとめるための道具として見てしまう自分がいることも間違いない。

「……お前の、いいように」

贖罪の代わりか、切れ長の目元を和ませる。
それだけで、作りものめいた美貌に血が通う。

「――つらくなんか!」

シェラは思わず声を荒げた。

「シェラ?」
「何も、つらいことなんてない!」
「……シェラ」

宥めようと細い肩に手を置く。

「そうやって! お前が全部ひとりで背負いこんでるのを聞かされる方がずっとつらい!」
「――……」

シェラの美貌が、痛々しく歪む。
それは、何に対する胸の痛みか。

「……お前に抱かれてつらかったことなんて、ない……」

ヴァンツァーの胸を殴りつけるように、身を預けた。
抱きしめていいものか。
ヴァンツァーの手が彷徨う。

「……いつだって私ばかりで……」

抱きしめてもらえないことに抗議するように、シェラはヴァンツァーの背に腕を回した。

「お前は……全然求めてくれなくて……」

ぎゅっと、ぬくもりを分けてもらおうと力を込めた。
それでも、ヴァンツァーは動かない。
シェラはゆっくり顔を上げた。
涙に揺れる、宝石のような瞳。

「……どうして、こういう時に抱きしめてくれないんだ……?」

いつもは、やめろと言ってもからかうように触れてくるのに。

「……」
「……必要だと言ってくれれば、何でもするのに……」

だから、先程「抱きたい」と言われたときは嬉しかった。
初めて、自分を欲しがってくれたから。
ヴァンツァーは、ごく薄く、儚いまでに微かな微笑みを浮かべた。

「――……それは、同情か?」

思いがけない言葉に、シェラは声を失った。

「それとも罪滅ぼし?」
「……ヴァンツァー?」
「殺す前と何も変わらず人形のままの男に、憐れみでも覚えたか?」
「な――?! ちが――」

シェラは唇を噛んだ。

「……どうして、わざとそんな言い方をする……?」

相手の表情を探りながら話すが、この男は内心をほとんど表に出したりしない。

「思ってもいないことを口にするな」

ヴァンツァーは温度の低い微笑を浮かべた。

「……なぜ、そう言い切れる……?」
「え?」
「俺は、お前に好かれているとは思っていない」
「ヴァン――」
「嫌われているとも、思っていないがな」
「……」
「分からないんだ。お前だけ……」

そう。
本当に、この銀色だけ分からない。
今の関係も、シェラが望んでいることなのか、なし崩し的にこうなったのか、まるで分からない。

「……正直、同情でも贖罪でも何でもいい」

そっと、逃げる隙を与えながら抱きしめる。

「傍にいてくれるなら」
「……」
「何でもいいんだ」

広い室内が沈黙に支配されて、どれくらい経っただろう。

「――……嘘吐き」

ヴァンツァーの胸に手をつき、僅かに身体を離す。
それを阻みはしないヴァンツァー。

「本音を言え」
「……これが、本心だ」

シェラは鼻を鳴らした。

「そうか」

完全に、ヴァンツァーから離れる。
ドレスが乾いた音を立てて擦れる。

「本音で話さない奴に付き合う気はない」
「……」

踵を返すと、シェラは玄関へと歩き出した。
ドレスが重いのか、かなりゆっくりとした足取りだ。
ヴァンツァーは追わない。
そのまま、シェラは出入り口のドアに手を掛けた。

「――……行くな」

それだけ。
いつの間にか背後からシェラを抱きしめて、口にしたのはそれだけ。
数多の男女関係を経て、観客のいない命のかかった即興劇の舞台に立ち続けた男が口にし たのは、その一言だった。

「……」

それでも抱きしめてくる腕は先程よりずっと強かったから、シェラは肩から力を抜いた。
僅かに緩んだ腕の中で身を捻り、優しく微笑んだ。

「それだけ?」
「……」
「新婚初夜に口にするにしては、随分素っ気ないんだな」

それでも、それがヴァンツァーに言える精一杯だったのかと思うと、いっそ微笑ましい。

「……」

何も言えないヴァンツァーの髪を撫で、シェラは悪戯っぽく笑った。

「――シャワー浴びてくるから。その間にゆっくり口説き文句を考えておいてくれ」

軽くヴァンツァーの唇を啄む。
そして、メインのバスルームへと向かった。


新婚仕様なのか、薔薇の花弁の浮いた乳白色の湯に浸かりながら、シェラは我知らず微笑んでいた。

――あの男が「行くな」と言った。

行って欲しくないのだ、と。
自分から離れるな、と言ってくれた。

「――……嬉しい」

望んでくれている間は、理由がある。
傍にいられる理由が。
どんな関係でも良かった。
ヴァンツァーと同じものを、同じ高さから見られるならば。
まだ同じ位置から見ることはできないけれど、一緒にいられるのならいつかは叶うかも知れない──否、叶えたい。
それがどういう形で叶うのか、いつ実現できるのかはまるで分からない。
いつか、長い年月を経ていつか、『そういうことだったんだ』と気付けばいい。
子どもたちがいて、あの男がいて、少し離れているけれどリィやルウもいる。
何かに替えることのできない、かけがえのない存在がこれほどまでに多くいることを誇りに思う。
奪うことしかできなかった自分が誰かから必要とされ、また必要としている。
リィが教えてくれ、ヴァンツァーが実感させてくれたこと。
子どもたちが確かなものにしてくれたこと。
そっと指輪に唇を押し当てた。
湯であたためられたそれは、無機質な金属ではなくなっていた。

「どんな言葉を、くれるんだ……?」

指輪に話しかける。
不安で不安でたまらなくて、またいつか消えてしまうのではないかと思っている自分に。
どんな確かな証をくれるのだろう。
態度でも、ぬくもりだけでもなく、耳と心に残る言葉として。
言葉にすることを苦手としているあの男が、どんな口説き文句を捻り出してくるのだろう。
思わず笑いが零れ、シェラはもう一度指輪に口づけた。

「……今年の誕生日プレゼントは、ちょっとしたプレミアものかな……」

高価な宝石より。
百万本の薔薇より。
たった一言、必要とされていると分かる言葉を。
そのために、あの男に必要とされる人間になろう。
何もしないで傍にいられるとは思っていないし、そんな厄介者になりたくはない。
たとえあの男が許しても、自分で自分を許せなくなるから。
だから。

「──まだ、傍にいさせて……?」

本人には言ってやらない。
けれど────これが、ヴァンツァーへの、クリスマスプレゼント。
残念ながら、返品不可──。




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