受胎告知

シェラは、いくら可愛くとも、美しくとも、長い銀髪が人目を引こうとも、格段に男性から懸想される確率が高かろうとも、男性である。
言うまでもないことだ。
付け加えるなら、ほんのふた月ほど前に双子の子どもを産んでいるのだが、それでも、シェラの性別は男なのだ。
ファロット家の内訳として、シェラもヴァンツァーも、長男カノンも男だが、たったひとり、女の子がいる。
長女ソナタである。
そして、世の中には──洋の東西を問わなければ──女子にのみ関係する祭事がある。
──それは、雛祭りだ。
女の子が生まれて初めての桃の節句──初節句を祝おうと言い出したのは、ルウだった。

「遠い辺境の惑星に伝わる風習でね、災厄を祓うための行事があるんだ」

そう、にこにこと微笑みながらルウがシェラとヴァンツァーの家に運び込んだのは、豪華七段の雛飾りだった。
玄関を開けると巨大なダンボールを担いだリィがいたのだから、シェラたちの驚きようは推して知るべし、である。

「……お節句、ですか?」

どの世界でも、子どもの無病息災を望むのが親というもので、その土地により様々な風習で災厄を祓う。
博識は自他共に認めるところであるヴァンツァーだったし、桃の節句の存在は知っていたが、雛飾りを購入しようとは思っていなかった。
それは自分たちの風習でないということもあったし、実際のところ、雛飾りを手に入れるのは、並大抵の苦労では不可能なのだ。
職人もいないし、費用もばかにならない。
むろん、シェラの産んだ子どもたちのために金銭を惜しむような真似をするつもりはらさらなかったが、物理的につてがないのだから仕方ない。
人形に着せる着物ならばいくらでも自分たちで作れるが、人形そのものや雛壇はそうはいかない。
ルウが運び込んだ雛壇は、赤い毛氈の敷かれているものである。
一目で、かなり高額なものであることがわかる。
リィとルウは我が物顔でファロット家の居間にいくつかの大きな包みを運び込み、飾り付けを始めた。
こういう細かい仕事を滅法苦手としているリィは力仕事専門で飾っているのはルウだけだが、シェラにも飾り方を覚えてもらおうという考えなのかも知れない。

「あ、あの……ルウ」
「なぁに?」

子どもたちは寝室で寝ているが、さすがにリィとルウの仕事は静かなもので、泣き出す様子はない。
現在はルウが細々とした人形や飾りを取り出しては並べていっている。
どうやら、雛壇の飾り方はすっかり頭に入っているらしい。
ヴァンツァーでも遠く及ばない博学ぶりなので、それに関して今更驚きはしないのだが、さすがにシェラは慌てた。

「こ……こんな高価なものを、一体……?」
「買ったんだよ、もちろん。ぼくとエディからのお祝い」
「──いただけません!!」

目玉が飛び出るような贈り物はヴァンツァーで慣れているシェラだったが、それがルウたちからとなるとそうもいかない。
下手をすると、家一軒くらい建つような値段だろう。

「可愛い双子ちゃんのお祝いだもの。仲間に入れてよ」
「生まれたときにも、たくさんいただきました……」
「ルーファはな、あの子たちのおじいちゃんになったつもりでいるんだ」

リィが肩をすくめる。
言い出したら聞かない相棒の性格は、嫌というほどよく知っているのだ。

「エディ、おじいちゃんはひどいよ……」

唇を尖らせる姿は美しくも可愛らしく、二十代半ばの青年の姿を保っているルウはとても『おじいちゃん』とは呼べない。
それ以上に、ヴァンツァーがひどく嫌そうな顔をしている。
確かにヴァンツァーはルウに身体を作ってもらったので『父』と言えないことはないのだが、一応自分たちは『人間』なのだ、と言いたいのかも知れない──むろん、口に出したりはしないのだが。

「たまたま知り合いの店がこういうの扱っててさ。着物もそうだけど、この子たちの表情がすごく素敵だったんだもの」
「……」

ルウの言う『この子たち』とは、言わずもがな、人形のことである。
確かに、目利きには自信のあるシェラが見ても、着物も人形の造りも素晴らしいものだ。
だからこそ、ほとんど幻の逸品と言って差し支えないものをもらうことに対する申し訳なさが先に立つ。

「せっかく女の子がいるんだ。たまにはこういうのも華やかでいいじゃないか」

にっこりと笑ったリィである。
自分で飾るならきっぱり辞退するに違いないリィだが、綺麗なものを眺めるのは大好きなのである。

「いくらなんでも、シェラに買ってあげるわけにもいかないし。良かったよ、女の子が生まれてくれて」

男女の双子ということで、ルウの中で様々な行事や成長に関する楽しみが倍に膨れ上がっているらしい。

「それとも、シェラは気に入らないかな?」
「──そんな、とんでもない!!」

仰天してしまったシェラだ。 人形も、雛壇も、飾りひとつ取っても申し分のない品だ。
けちをつけるなど、少しでもものを見る目のある人間ならできるはずがない。

「素晴らしいものだということはよく分かります。ですが、こんな高価なものを……」
「大事な友達の子どもに健康に育ってもらいたいって思うことは、そんなにおかしなことか?」
「リィ……」

口ごもるシェラに、リィが不思議そうな顔で言った。
怒っているわけでも、責めているわけでもない、本当に疑問でいっぱいの顔。

「たとえば、アマロックやルーファは俺に、生きるための走り方、闘い方を教えてくれた」
「……」
「シェラと黒いのの子だから潜在能力はすごいだろうけど、それでも俺が教わったことを今から教えるわけにもいかないだろう?」

それはそうである。 ヴァンツァーは軽く眉を上げて、「とんでもない」と暗に示している。
リィも肩をすくめて同意する。

「だからさ、ちょっとでも子どもたちが健康で、いい子に育ってくれるなら、それに越したことはないと思うんだ」

にっこりと微笑むと、シェラは苦笑した。

「……本当に、あなたは昔から人を口説くのがお上手でいらっしゃる……」

あちらの世界で口説いていたのは主に歴戦の猛者たちだったわけだが、リィには不思議と話をしっかり聞かせる力があるのだ。
そして、言い方は悪いが相手を丸め込むのが非常に上手い。
彼がその能力を発揮するのは、何も剣を手にしたときだけではないのだ。
シェラはルウに深々と頭を下げた。

「ご厚意、ありがたく頂戴いたします」

思わず苦笑したルウだ。

「随分堅苦しいなぁ……」

顔を上げたシェラは、にっこりと笑みを深めた。

「では、お返しといっては何ですが、お夕食を召し上がっていって下さい」
「おぉ、いいな、それ! シェラの料理は久々だ!!」

舌なめずりせんばかりのリィをくすくすと笑うと、シェラはヴァンツァーに目を向けた。

「お前も、礼を言うんだ」
「……」

仕方なさそうに、ヴァンツァーは軽く頭を下げた。
柳眉を吊り上げかけたシェラの肩を、ルウはぽんぽん叩いて手伝いを申し出た。

「それではお礼になりません」
「だって、君は授乳もしなきゃだし。料理中に赤ちゃん泣き出したら、火を離れるでしょう?」

その間だけでも、自分が手伝うということらしい。
シェラは眉を下げた。

「……本当に、何から何まで……」
「いいの、いいの。子どもを育てる大変さは、ぼくにも少し分かるから。手伝えることがあったら、何でも言ってよ」
「ありがとうございます」

いい年をした成人男性が『母親』である自分について語っているわけだが、このふたりだと不思議と奇妙な感じがしない。
しっくりくる。
それもどうかと思うのだが、楽しそうに夕食のメニューの話をしながらキッチンへ向かったシェラとルウを見送ったリィが、ヴァンツァーを振り返った。

「黒いの」
「何だ」
「まぁ、そう悔しがるな」
「……」

何の話だ、と言いたげな顔になったヴァンツァーだが、リィの眼を侮ってはいけない。

「相手がルーファじゃ仕方ない」
「……あれに対抗しようとは元から思っていない」

そんな無駄なことはしない、という心づもりのようである。
賢明な判断だった。
ふとキッチンのあるべき方向へ藍色の視線を投げたヴァンツァーは、軽くため息を吐いた。

「王妃」
「お前も、いい加減頑固だな」

自分を呼ぶ名が変わらないことに、リィはすっかり呆れてしまった。
それでも、「何だ」と返してやる。

「……怒鳴られることは承知で訊くんだが……」

彼にしては珍しく口ごもる様子に、リィは首を傾げた。

「何だ?」
「……銀色には、黙っていてもらいたい」
「約束しよう」

間髪入れずに頷いたリィだが、彼が守ると言った約束は完璧に守られる。
口外しないと口にしたからには、決してこれからヴァンツァーが言うことはシェラの耳に入らない。
それでも、ヴァンツァーは躊躇ったように瞳を揺らし、なかなか口を開かない。
リィも、無理に聞き出したりはしない。
何も急かす必要はないので、話すまで待つことは一向に差し支えない。
どれだけの沈黙があっただろうか。
しばらくして、ヴァンツァーはようやく重い口を開けた。

「──あの子たちは、俺の子か?」

これには緑の目を真ん丸にしたリィである。
何を馬鹿なことを、と思っているのかも知れない。
しかし、ヴァンツァーの表情が真剣だから、ふざけたりはしないで真面目に答えた。

「あぁ。間違いなく、お前とシェラの子だ。──同じ匂いがする」

DNA鑑定をすれば一発だが、リィはそんなことをせずとも分かる。

「……なんだって、そんなことを?」

控えめな態度で訊ねたリィに、ヴァンツァーは軽く首を振った。

「本質はどうあれ、あの仕立て屋を黒い天使と呼ぶ人間がいる」
「あぁ、いるな」
「ある宗教では、処女であるはずの娘が神の子である救世主を身ごもり、出産し、聖母と呼ばれることになった。その聖母に懐妊を告げに来たのは、神の使いである天使だった」

受胎告知のことを言っているのだろう。
リィは、納得したような、できないような、複雑な顔になった。

「……確かにシェラが妊娠していることを教えたのはルーファだけど……でも、その聖母と違って、お前たち、子作りに相当することはしていたんだろう?」

果たして、そんな聖母が存在したのかすら怪しい、とリィは思っている。
宗教とは、そんなものである。
それを聞いたヴァンツァーは口端だけに温度の低い笑みを浮かべた。

「……受胎告知のために訪れた天使が、父親かも知れん。幸か不幸か、あの仕立て屋と俺は、似た特徴を持っている」
「おい」

大きくはないが、鋭い声だった。
緑の眼も、燃えるようだ。
ヴァンツァーは肩をすくめた。

「だから、怒鳴られることは承知で訊く、と言った。別に、あの仕立て屋と銀色の仲を疑うわけではない」
「だったら」
「──俺はどうせ、自分の子どもだろうと、道具としか思えない」
「……」
「シェラを繋ぎ止めるための、道具だ」

ちらり、とリィの顔を盗み見る。
驚きと、困惑と、僅かな怒りが見える。
どうして自分にそんなことを話したのか、と思っている顔でもある。

「そんな人間より、慈しんでくれる人間が父親である方が、救われるかも知れないだろう?」

何も、後悔はしていない。
シェラと闘った日々も、命を賭したあの夜も、生き返ったことも、今こうして共に暮らしていることも。
子どもを産めばいい、と言ったことだとて、一片の悔いもない。
──自分は、だ。
あの銀色の考えていることは知らない。
何を求めているのか、自分をどう思っているのか、知らないし、訊かない──否、訊けない。
突きつけられるのが怖いから、訊けない。
シェラは、自分などいなくとも生きていられる。
それは、自分が死んだことで証明済みだ。
──けれど、自分はどうだろう?
わざわざ生き返ってまで、シェラと再会した。 自然の理に反してまで、もう一度まみえることを選んだ。
いつになるかは分からなかったが、それは意外なほどあっけない訪れだった。
しかも、シェラから来訪してきたのだから、その驚きは口では言い表せない。
理由はこの金色の獣のことだったが、それでも、シェラから自分を求めて来た。

「──……どうして、あれはここにいるんだろうな……」

キッチンの方を見つめたまま独り言のように呟いて、ヴァンツァーは寝室へと向かった。
シェラが傍にいられない料理中は、自分が子どもたちを見ているのが当然なのだから。
音もせず寝室の扉が閉まると、リィは深く、大きなため息を吐いた。

「……約束、だからな」

破るわけにはいかない。
誰にも、絶対に話さない。
それでも、ヴァンツァーが自分にそれを話したということは、もしかしたら、いつかシェラに話すつもりではあるのかも知れない。
いつになるかは分からないが、自分自身に枷をつけたのかも。

「……あいつ、遺言に書きそうだよなぁ……」

──もし自分が伝える前に死んだら、シェラに打ち明けて欲しい。

「──ま、乗りかかった船だな」

切り替えの早さは天下一品のリィだ。
そんな役回りはできるだけ来ないことを祈りつつ、ちらりと、綺麗に飾られた雛人形を見遣ると、いい匂いをさせ始めたキッチンへと向かったのである──。  




END.

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