「……くもってるね……」
「くもってる……」
大きな窓にべったりとくっつき、双子は歳に似合わぬため息を零した。
その背後で、軽いノックの音。
「「……はぁい」」
返事をすると、扉を開けたシェラが不思議そうに首を傾げた。
「お昼ご飯できたけど……どうしたの?」
元気ないね、と心配気に子どもたちに歩み寄る。
窓辺にいるふたりの前にひざまずき、悲しそうな顔をしている子どもたちの手を取った。
「くもってるの……」
「曇ってるから、悲しくなっちゃったの?」
「くもってると、おりひめさまとひこぼしさまが、あえないの……」
なるほど、と納得したシェラだ。
「そうか。今日は七夕だもんね」
こくりと頷く双子。
「……あまのがわ、みえないの」
「あえないの……」
ともすれば泣き出しそうな双子を見て、シェラは弱ってしまった。
目に入れても痛くない可愛い双子の子どもたちが悲しそうな顔をしていると、自分まで泣きたくなってくる。
自分のせいというわけでもないのに、シェラは「ごめんね」と神妙な様子で謝った。
「シェラはわるくないよ」
「くもってるのは、シェラのせいじゃないよ」
やはり子どもたちは慌てた様子で首を振った。
「でもね、まえもおてんきわるかったから……」
「……やっぱり、すきなひとにあえないのは、かなしいとおもうの」
きゅっと抱きついてくる双子をそっと抱き返し、シェラは「そうだ」と提案した。
「ソナタとカノンが、織姫と彦星になっちゃおうか」
にっこりと微笑む綺麗な人を前に、カノンとソナタは顔を見合わせて首を傾げた。
「わ~~~~~~いっ」
「きゃ~~~~~~っ」
広い空間に、大きく元気な声が響く。
ファロット家の内部にある、室内プールだ。
ここにあるのは、五十メートル、八レーンの競技仕様プール。
ただし、温水だ。
子どもたち用に浅いものもあるが、この双子は五歳にしてすでにクロール、平泳ぎ、背泳ぎまできっちりマスターしている。
子ども用を使っていたのは、ほんの二、三歳くらいまでのことである。
目下、鋭意バタフライを練習中である。
「はぁ……」
元気に泳ぎ回る子どもたちを見て、シェラはプールサイドで思わせぶりなため息を吐いた。
キュロットにタンクトップ、その上に少し大きめのパーカーを羽織っている。
デッキチェアに腰掛け、立てた膝の上で手を組んで顎を乗せる。
「──幸せが逃げるぞ」
子どもたちの姿を隠すように、目の前にグラスが差し出される。
声が、笑っている。
「……ぬかせ」
汗をかいたグラスには、香りの良いアイスティ。
甘い香りのする、フレーバーティだ。
受け取って、ひと口喉に流し込む。
香りは甘いが、砂糖は入っていない。
片眉を上げて、目の前にグラスを掲げる。
カラリ、と氷が涼しげな音を立てる。
「──逃げた分は、戻ってきた」
ちいさく呟くと、一瞬驚いた顔をしたヴァンツァーが、ゆったりと笑みを浮べた。
「で。今日は何のお遊びだ?」
隣の椅子に腰を下ろすヴァンツァーは、相変わらずの黒尽くめだが、タンクトップにタオル地のトレーニングウェアを上下身につけている。
「……織姫と彦星ごっこ」
呟かれた言葉に、ヴァンツァーはじっとシェラの顔を見つめた。
その視線が痛くて、シェラはふいっと顔を背けた。
「言ったときはいい案だと思ったんだ」
ぶっきらぼうな口調だが、耳まで赤くなっている。
「いい案じゃないか」
だから、静かな口調で同意されたときには、思わずヴァンツァーを振り仰いでしまった。
シェラの驚きように、ヴァンツァーの方がきょとんとしてしまっている。
「何だ?」
「いや……そうか?」
自分で言い出したことなのに、シェラは首を捻ってしまった。
「いいじゃないか」
自分たちの身体の数倍は深いプールで、休みもせずガンガン泳いでいる子どもたちを見るヴァンツァーの瞳は穏やかだ。
「──逢いたいなら、泳いで行けばいいんだ」
天の川が見えずとも、たとえ、雨で水かさの増した川が氾濫していようとも。
「自分の力で、逢いに行けばいい」
瞬きも忘れたシェラに、ヴァンツァーは「違うか?」と切れ長の目元を笑ませた。
「……お前、久々にまともなことを言ったな」
「俺は久々にお前に褒められたよ」
肩をすくめる男に、シェラはくすりと微笑んだ。
「「シェラ~~~~~~!! パパ~~~~~~!!」」
ようやく、プールサイドにへばりついて休みを取ることにしたらしい双子が、梅雨空を吹き飛ばすような元気な声で呼んでくる。
「どうしたの?」
サイドテーブルにグラスを置き、シェラは双子の元へ歩いていった。
「うん。あのね、カノンとおはなししてたの」
「お話?」
ほとんど休みなく泳ぎ回っていたと思っていたのだが、この双子はいつ話をしていたのだろう──まぁ、この双子ならば心の中でも会話が成立しそうなのだけれど。
「うん。あのね、シェラとパパと、どっちがじょうずにおよげるのかな、って」
にっこりと微笑むカノン。
その紫の瞳は、期待にきらきらと輝いている。
「上手に……」
泳ぎは得意なシェラだ。
何時間でも泳いでいられる。
速さも、中央銀河の最高競技会に出たとしても上位に入賞できるかも知れない。
──しかし。
「『上手に』というのは、『綺麗に』ということか?」
こちらもプールサイドに来たヴァンツァーに、双子は「「ん~?」」と首を傾げた。
「綺麗に泳げることか、たくさん泳げることか、速く泳げることか。どれだ?」
しゃがみ込んで訊ねる父に、双子は顔を見合わせた。
「みんなちがうの?」
不思議そうな顔をするソナタに、シェラは不機嫌な声で「違わない」と返した。
「どれもこれも、全部ヴァンツァーだ」
憎々しげな口調に、ヴァンツァーは首を傾げた。
「短距離なら、お前の方が速いだろう?」
これには思わずかっとなったシェラだ。
「──馬鹿にしてるのか?! 短距離って、本当に最初の五十メートルまでじゃないか! それも、ギリギリ指一本分!!」
長距離になればなるほど、ヴァンツァーの体力についていけなくなる。
それは体格的に仕方のないことなのだけれど、それでも悔しくて仕方ない。
学生時代に水泳の授業があったときは観衆のため息を誘った人魚のような美しい泳ぎも、飛び込むときですら水音ひとつ立てない男と比べられては劣って見える。
力強いのに優雅で、水の抵抗などまるで感じさせない無駄のない動き。
うっかり見惚れてしまいそうになる自分を、幾度叱咤したことだろう。
「よし!」
すっくと立ったシェラは、失礼にもビシッとヴァンツァーに指を突きつけた。
「──勝負だ」
双子は、下からポカン、とした表情で両親を見つめている。
ヴァンツァーは呆れながらも、言い出したら聞かないシェラのことをよく知っているので、軽く肩をすくめた。
「距離と泳法は?」
「百メートル、自由形」
「分かった」
ウェアを脱ごうとしていたヴァンツァーは、その手を止められた。
「話は最後まで聞け。──お前は、そのまま泳ぐんだ」
「このまま?」
「私は上着を脱ぐ」
「……」
絶句したヴァンツァーだった。
「……俺は構わんが……」
「ハンデだ」
分かっているが、それこそを嫌うシェラがそんなことを言い出すとは。
「この格好で、私はお前に五メートルの差をつけて勝つ」
「……」
よく分からなくて、首を捻ったヴァンツァーだ。
「……それは、ハンデか?」
水をよく吸う服を着たまま泳いだとしても、五メートルの差をつけて勝つと宣言するのではハンデの意味がない気がする──やったことがないのではっきりとしたことは言えないのだが。
シェラは、にっと口端を吊り上げた。
「読めないだろう?」
その方が面白い、と準備運動を始める。
「シェラとパパ、きょうそうするの?」
「するよ」
「どっちがはやいの?」
「どっちかな。こういう勝負はしたことがないから、分からない」
双子は、ほわぁっと瞳を輝かせた。
「ソナタね、シェラがかつとおもう!」
「カノンも!」
声を大にして断言する双子に、ヴァンツァーは「なぜ?」と訊ねた。
「だって、ね~?」
双子は顔を見合わせ、両親を見るとにっこりと笑った。
「「──しょうぶはね、さきにほれたほうがまけなんだって!!」」
誰に吹き込まれたのか、想像に難くない言葉を口にする双子を見て、シェラとヴァンツァーは目を丸くした。
言っていることの意味を理解しているらしいことが、まず驚きだ。
そうして、シェラは隣にいる男に視線を流した。
「──だ、そうだ」
ま、せいぜい頑張れ、と上着を脱ぎながら飛び込み台へ向かう。
置いていかれたヴァンツァーは、水の中から双子を引き上げた。
抱き上げたままの格好で、双子を諭すようにこう言った。
「──じゃあ、これで俺が勝ったら、シェラが先ということだな」
一度目を合わせた双子は、ポンッ、と手を叩いた。
そうして、勢いよく、首を縦に振ったのである。
END.