シェラはその日、双子を幼稚園に送り出すとケーキを焼き始めた。
いつも可愛いカノンとソナタのためにおやつを作るシェラだったが、それにしてはキッチンに用意された砂糖やら卵やらの分量が多い。
菫の瞳をきらきらさせながら、鼻歌混じりで作業をする。
普段は双子の分しかお菓子を作ることがない。
今日のように、三台も四台もケーキを焼くことは滅多にないのだ。
腕が鳴る、というものである。
手際の良さは折り紙つきのシェラだ。
工程の違うケーキを四台、ほぼ同時に焼き上げたのである。
四人家族にはちょっとおかしいくらいに大きなオーヴンから、幸せな甘い香りが漂ってくる。
「──さすが、私だな」
うんうん、と満面の笑みで納得すると、取り出したケーキを冷ます。
あとは多少デコレーションして、包むだけである。
「早く帰ってこないかなぁ……」
もうお昼になっていたが、双子が帰ってくるまでにはまだある。
後片付けをし、デコレーションの用意をしながら、シェラはまだか、まだかと子どもたちの帰りを待ったのだった。
「「ただいま~~~~~~!!」」
バスから飛び降りた双子は、そのままの勢いでシェラに抱きついた。
毎度のことながら、シェラはくすくす笑って「先生にご挨拶は?」と諭した。
「「せんせい、さようなら!!」」
ぺこり、と頭を下げる。
バスが行ってしまうと、思う存分シェラに抱きつけると思ったのか、双子は左右からぎゅっと抱きしめた。
「シェラ、いいにおいする」
「シェラ、あま~い」
「おさとうと、たまごと……」
「チョコのにおい!」
鼻をこすりつけるようにして抱きついている双子に、「あたり」と言って頭を撫でる。
「さっき、たくさんケーキを焼いたからね」
「たくさん?!」
「たくさん、たべていいの?!」
色違いの瞳をきらきらさせて見上げてくる。
──何て幸せな日。
そう書いてある可愛らしい顔。
「今日はね、ソナタとカノンだけじゃないんだよ」
「「???」」
首を傾げた双子である。
リィとルウでも、遊びに来るのだろうか。
そう思っていた子どもたちに、シェラはにっこりと笑って言った。
「これから、パパの会社に行こうね」
シェラは常々思っていることなのだが、どうしてヴァンツァーは自宅内にアトリエを作らなかったのだろうか。
土地は余っているし、立地条件は最高、職業柄積極的な営業活動をする必要もない。
シェラ曰く『仕事馬鹿』のヴァンツァーはともかく、他のスタッフたちはアトリエを出ることもあまりないのだから、それでもいいはずなのに。
──それはともかくとして、シェラの運転するエア・カーは、目的地へと辿り着いたのである。
「「こんにちは~~!!」」
元気の良い双子の声に、アトリエ内の人間が振り返る。
そして、ぎょっとした様子で目を瞠る。
「お邪魔します」
にっこりと微笑むシェラに、瞬きすら忘れている。
むろん、皆シェラのことは知っている。
男性だということも、それなのに双子の子どもを産んだことも、──恐ろしいことに、結婚相手はあのヴァンツァー・ファロットだということも。
しかし、今日のシェラはいつもと一味違ったのである。
「──あら、まあ!」
駆け寄ってきたのは、エマだった。
大きく目を瞠り、頬を紅潮させている。
「何て素敵なの!!」
シェラに抱きつかんばかりの勢いである。
「……子どもたちにせがまれて」
困ったように笑うシェラはそっちのけ、エマはしゃがみ込むと双子をベタ褒めしたのである。
「でかしたわ! ソナタちゃん、カノンちゃん!!」
何て良い子たちなの、と思っていることは間違いない。
唖然としているスタッフの奥で、歓喜の悲鳴がもうひとつ聞こえた。
「シェラ、あなた!!」
レイチェルだった。
こちらも来客三人に駆け寄り、瞳を輝かせている。
「ケーキ、持ってきたんだ。ホワイトデーだから」
箱の入った袋を持ち上げる。
けれど、女性ふたりの意識はどちらかと言えばケーキよりもシェラ自身に向いている。
「……レイチェル、執務室に鍵掛けてきて」
「でも、そんなことしたら、後で何されるか分からないわ」
「それもそうね……」
生真面目にそんなやり取りをしている女性陣を尻目に、もうひとりシェラに声をかける人物が現れた。
「わぁ、シェラ可愛いね」
レオンだ。
品の良い、しかし少々気弱な青年は、カノンとソナタにもきちんと頭を下げて挨拶をした。
「いい匂いだ。ケーキを焼いたの?」
「何だか分かる? 優秀な調香師さん」
「ん~、何だろう。チーズとチョコと、紅茶の香りだね」
卵、バター、砂糖、と延々呟いているが、材料は分かっても、それらの材料で作られるケーキはあまりにも種類が豊富すぎる。
「シェラね、ケーキやさんなの!」
そこで、興奮した面持ちのソナタの声。
「かわいいケーキやさんなの!」
ことシェラに関することには、普段大人しいカノンも積極的に参加する。
「うん、可愛いね。良かったねぇ。ふたりとも、シェラが大好きだもんね」
「「うん!!」」
実に和やかな風景である。
「さぁさぁ、休憩しましょう!」
エマが手を叩く。
「え、いいの?」
「いいのよ。天使を三人も囲んでのティータイムなんて、そうそう味わえるものじゃないわ」
「そうよ。誰かさん、独り占めしちゃうんだから」
ね~、と意気投合する女傑たちに抵抗できる人間は、このアトリエに存在しない。
「ソナタ、パパ呼んでくる」
「カノンも」
たたた、と駆けて行く双子。
危ないから走らない、と言ったところで、子どもの勢いは止められない。
エマが、双子の監督役を引き受け後をついていく。
大人たちは──というよりもシェラは、お茶の用意をしに給湯室へ向かった。
「「パパ!!」」
ノックとほぼ同時に扉が開かれた。
端末から顔を上げ、我が子を迎える。
「ケーキやさんなの!」
「もってきたの!」
父の膝に飛び乗り、我先にとおしゃべりを始める。
いつもならばカノンはソナタが喋り終わるのを待って話すから、今日は余程興奮していると見える。
それでも、ふたり分の会話ならば同時に展開されても聞き取れる。
苦笑しながらも、ヴァンツァーは子どもたちの話に耳を傾けていた。
「はぁい、双子ちゃん。ご報告が終わったら、ケーキを食べに行きましょう」
部屋に入り、エマはにっこり微笑んだ。
ほぼ常に仏頂面で仕事をしている男が、子ども相手に困惑しているのが楽しいらしい。
双子は、『ケーキ』の言葉ではっとして顔を見合わせる。
「じゃあパパ、あとでね!」
「ケーキがさびしいっていうから、さきいくね!」
早口に言い訳すると、風のように去って行った。
見送るヴァンツァーが「走るな」という間すら与えない。
彼は、双子が行ってしまってもまだ室内にいるエマに視線を移した。
笑いを必死で堪えている様子に、美貌を顰めた。
「さすがのあなたも、双子ちゃんには形無しね」
肩をすくめるだけで済ませた男に、エマは更にこう言った。
「まぁ、シェラもあの子たちの『お願い』には弱いものね」
「お願い?」
「今日のシェラ、特別可愛いわよ~?」
怪訝な顔をするヴァンツァーに、エマはせっせとシェラの可愛さを説明してやった。
大きなため息を吐いて頭を抱える男。
追い討ちをかける女。
「あの格好でみんなにケーキとお茶を振舞ってるのね。──メイド喫茶みたい」
「……」
「大変。私も目の保養に行かなくちゃ」
ヴァンツァーは、仕方ない、といった感じで立ち上がった。
「あら、あなたも行くの?」
甘いもの苦手なのに、とチクチク言ってやる。
無視して横を通り過ぎようとするヴァンツァー。
「あぁ、そうよね。双子ちゃんのおかげで可愛くなったシェラを拝みたいものね」
ピタリ、と足が止まる。
頭ひとつ分高い位置から、藍色の視線が見下ろしてくる。
「別に。見慣れている」
呟くと、今度こそお茶会の開かれている場所へと向かったのである。
取り残されたエマは、目を丸くしてその姿を見送った。
そして、しばらくしてポツリと漏らした。
「──……あの人たち、いつもどんなプレイをしているの……?」
そのとき、シェラは給湯室でレイチェルにスカートめくりをされていたとか、いなかったとか──。
END.