「──何だ。普通に綺麗じゃないか……」
非常に不満そうな──否、実際不満なのだ──顔で、シェラは二件目の店で着替えたヴァンツァーを見た。
ヴァンツァーはまたもや、シェラの「これ、着てくれないの……?」というおねだり光線に惨敗し、胸元の大きく開いたドレスに身を包んでいた。
マーメイドラインで美しい身体の線を強調し、動きやすさも追求して膝から下は広がりを持たせてある。
漆黒のドレスは色白の肌によく映え、散りばめられたビーズやスパンコールが華やかさをも演出する。
当然のことながら化粧っ気などまったくないというのに、そのままでも十分パーティー会場へ赴くことができるほどの美しさである。
長い髪が邪魔だからと、頭の上で簡単に纏めてあるだけなのに、それにもどこか品がある。
店内にいる客や店員はことごとくため息を零して見惚れているというのに、シェラだけが不服そうだ。
双子たちは、といえば、現在他の店を散策している。
それは、ヴァンツァー用の服を見繕うという名目もあったのだろうが、単にウィンドウショッピングをしたがるソナタにカノンが付き合っているのかも知れない。
どちらにせよ、目ぼしいものが見つかったら飛んで帰ってくるだろう。
「つまらん」
「……自分で選んでおいて、よく言う」
「次これ」
「……」
シェラが両腕に抱えているのは、レースやらフリルやらのふんだんに使われたピンクのドレスだった。
さすがに、それは遠慮したいヴァンツァーだった。
この黒いドレスだとて、自分がどれだけ鳥肌を立てながら着ていると思っているのか。
「……シェラ」
「これ」
「……」
ぐいっ、と押し付けるようにしてピンクのドレスを渡してくる。
思わず受け取ってしまい、ヴァンツァーは途方に暮れた。
「これは、お前の方が似合う……」
「知ってる」
あっさりと頷くシェラに、ヴァンツァーは僅かに顔を顰めた。
「お前、俺と街を歩く気なんかないだろう……」
「そんなことないぞ」
「だったら、ドレスでなく、せめて着て歩ける服を選んでくれ」
その言葉に、シェラは唇を尖らせた。
「……だって、負ける……」
「負ける?」
「普通の格好していたら、服がお前に負ける」
「──……」
これは喜ぶべきところだろうか、とヴァンツァーは一瞬思案した。
そうして、ぐずった子どものような顔で俯いているシェラの髪を撫でてやった。
「だったら余計、似合うものを選んでくれないと意味がないだろう?」
「……」
「これが、本当に俺に似合うと思っている?」
「……いや」
「お前は、俺を悪目立ちさせたいのか?」
「まさか」
「だろう? お前が、本当に俺に似合うと思った服なら、何でも着るよ」
店員たちから見れば、姉が妹を慰めているように見えたことだろう。
もしくは、仲の良い女友達といったところか。
何でもいいが、見ていると妙にドキドキするのはなぜだろう? と皆首を傾げている。
雰囲気が、どこか濃密なのだ。
シェラは、ちらり、とヴァンツァーの顔を窺い見た。
「……本当に?」
「うん?」
「何でも着る……?」
「あぁ……──────いや、ま」
『待て』と言いたかったのに、最後まで言わせてもらえなかった。
「よ~しっ! そうと決まれば、片っ端から試してもらおう!」
「……」
己の軽率な言動を呪いたくなる反面、頬を紅潮させてにこにこと笑っているシェラを見るのは何だか気分が良かった。
心中は非常に複雑なのだが、自分の精神衛生と、シェラの上機嫌と、秤にかけたときの比重など今更確認するまでもない。
それに、今日は自分が及び腰だからか、自然とシェラが手を引く形になっている。
気づけば手を繋がれていて、シェラが一歩前を歩いている。
いつもとは違う視線の高さと位置が、妙に新鮮でもあった。
正直、試着するだけでも結構な体力を消耗するのだが、それも手を叩いて喜んでいるシェラを見れば軽減された。
子どもたちも、あちこちの店を覗いては両親を呼びに連絡を寄越す。
そうして、三人揃ってヴァンツァーを着せ替えて楽しんでいるのだ。
エマやレイチェルなどいなくても、十分着せ替え人形にされている。
入る店入る店で何かしら買い物をしているので、自然と荷物の数が増えていく。
輸送を頼むこともできるのだが、今日はカノンとシェラが分担して荷物持ちをしている。
有名ブランド店のロゴが入った大きな袋を提げているというのは、シェラに言わせれば気分の良いものらしい。
自分の服なのだし──中にはソナタのコートなども入っていたが──持つ、と言ったヴァンツァーに、銀髪の男ふたりは冗談交じりに口を揃えた。
「「──黙って三歩下がってついて来い!!」」
実際、現在シェラとカノンが大荷物を抱えて歩いている後ろに、ヴァンツァーとソナタが並んで歩いている。
周囲から見れば、銀髪の兄弟と黒髪の姉妹、といったところか。
くすくすと笑うソナタに、ヴァンツァーは「どうした?」と訊ねた。
「ん~? シェラって、やっぱり男の人なんだなぁ、って」
「……」
「何か、今日のシェラ、すごくかっこいい」
確かに、カノンと談笑しながら歩いているシェラは、いつもと顔つきが違う。
何が違うのか、はっきりとは言えないが、ふとこちらに流してくる視線にどきり、とすることもあった。
「シェラはかっこ可愛いし、パパは迫力美人だし、ソナタさんは大満足じゃ──胸大きいのはちょっと腹立つけど」
あとで触らせてね、と笑って腕を絡めてくる娘に、ヴァンツァーは呆れた視線を向けた。
「……お前たち親子は、本当によく似てるよ」
「私とシェラ?」
「あぁ。──大きければいいというものでもないと思うんだがな」
ぽつり、と呟いた父に、ソナタは頷きを返した。
「うん。パパはそう言うと思った。あれでしょ? 形とか、色とか味とか」
「──……」
思わず閉口してしまったヴァンツァーだ。
前半はともかく、後半に関してこだわりを持っているのでは、ただの変態ではないか。
どこでそんな考え方を身に着けてくるのか──想像には難くないのだが──年頃の娘として、それは問題なのではないだろうか。
父としては、娘の発言そのものも、自分に対する評価も心配なところである。
「大丈夫よ。シェラには内緒にしておいてあげるから」
「……何を」
「え? パパの胸見たり触ったりした感想とか?──あ、まだだけど」
「……」
深く、それは深くため息を吐いたヴァンツァーだった。
「……いつも思うんだが、お前たちは戸惑ったりしないのか?」
男から産まれたことや、両親の過去、双子の兄と父の身体は入れ替わるわ、今回は父が女性になってしまった。
どれを取っても、頭痛の種どころか心を病んでしまう可能性すらあるようなものばかり。
もちろん、責任を取る覚悟があるからこそ何も隠すことなく話すわけだが、いつのときも不安がないと言えば嘘になる。
順応力や適応力の高さというだけで納得しても良いものだろうか。
あまり、子どもたちとこういった話をする機会はないが、ある意味良い機会なのかも知れない。
そう思ったヴァンツァーに、ソナタはきょとんとした表情を返した。
「パパは、ソナタとカノンのこと、好きでしょう?」
「あぁ」
「大事でしょう?」
「大事だよ」
「ソナタとカノンも、一番好きなのはシェラだけど、パパのこと二番目に好きよ」
思わず微笑んでしまったヴァンツァーだ。
「ありがとう」
「うん。──だからね、それでいいんじゃないかな?」
「……」
「大好きで、大切な人とは、ずっと一緒にいたいでしょう? 別に、『お母さん』なシェラとか、『お父さん』なパパと一緒にいたいわけじゃないもの」
「……」
「シェラもパパも、私たちのことすごく大事にしてくれてるの分かるし、自分のこと大事にしてくれる人のことは、大事にしたいな、って思うから」
また、ソナタはにこぉ、っと笑った。
「ソナタ、ちゃんとパパのことパパだって、分かったよ?」
たとえどんな姿をしていても。 どんな過去があったとしても。
「……」
すべてを赦して、受け入れてもらえるという喜び。
自分たちの過去を話したとき、いつもにこにこしている子どもたちの顔が、真剣なのを通り越して険しくなったことがあった。
それは、たったひとつだけ、約束をさせられたとき。
──『もう、シェラを傷つけないで』
どんな理由があっても、それだけは赦さない。
それ以外は、どんなことでも受け止めて、受け入れるから。
だから、たとえばシェラが泣いているのだとて、それが演技だったり、嬉し涙だったりするのであれば子どもたちは何も言わない──冗談でからかうように責めることはあっても、だ。
けれど、もし、本当にシェラが傷ついて泣くようなことがあったら、双子の天使はたちまちその微笑を消してしまうだろう。
そして、報復の刃を研ぐのだ。
きっと自分は抵抗しないだろうが、できることならそれは避けたい──他の誰でもない、シェラのために。
子どもが親を手にかけるところは、シェラにだけは見せたくなかった。
本人が、どう思っていても。
「──それにね」
ソナタが、声を落としてヴァンツァーに耳打ちする。
「私が知ってる女の人の中で、今のパパが一番美人よ」
ちょっと照れたように微笑む娘に、ヴァンツァーは仕方ない、といった感じで笑った。
「ありがとう」
──と、ある店の前でシェラが脚を止めた。
「……可愛い……」
ほとんど吐息で紡がれた言葉。
ガラスにへばりつくようにしてショーウィンドウの中を覗いている。
周囲には、すさまじい美貌の家族が勢ぞろいするのを遠巻きに見つめる人の群れ。
そんな視線など、気づいていてもこれっぽっちも気にしないファロット家の面々。
その中でも、現在のシェラは自分の見ている服以外、どうでもよくなっていた。
「──これ、これこれ!」
興奮した面持ちでシェラが指差す服を見て、
「──……」
ヴァンツァーは顔色を変えた。
「シェラ、いくら何でも──」
「決めた! これ着て街を歩くんだ!!」
言い出したら聞かないシェラは、嫌がるヴァンツァーの抵抗など無視して、店内へ引きずり込んだ。
そして。
「──これ下さい!!」
そう言って、飾ってある服をビシッ、と指差したのだった──。
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