──……だるい……。
起き上がるのがこんなに億劫だと思ったことはない。
今日も休日なのは分かっているが、とりあえず時間だけは確認しよう、と枕元に手を伸ばそうとした。
「──まだ、早い」
「……シェラ」
「もう少し、寝ていろ」
「……」
完璧に、いつもの自分たちと立場も台詞も逆転してしまっている。
その証拠に、シェラの腕枕で眠ってしまっていたようだ。
これがまた、安心するのだ。
腕の中に抱いているのでも、抱かれているのでも、大した違いはない、ということか。
「……」
しかし、一度寝て、目が覚めれば男に戻っているかと思ったが、そうもいかないらしい。
さしあたって困りはしないのだが、仕事に行くときに面倒だ。
まぁ、シェラが妊娠したときでさえ、
「あら、そうなの?! きゃ~、きっと可愛らしい、天使みたいな赤ちゃんが生まれるんでしょうね!!」
「あらやだ、それってシェラに似たら、の話でしょう?」
「やぁね、もちろんじゃないの!」
と言う女性社員を筆頭に、「おめでとう」、「良かったね」といった言葉しか返ってこなかったから、心配するだけ損なのかも知れないが。
本人たちには言わないけれど、本当に、周囲の人間に恵まれていると思う。
別に自分は構わないのだが、この銀色がつらい思いをしたり、後ろめたさを感じたりするのだけは避けたい。
「こら」
くっ、と顎を持ち上げられ、「何だ」と問う前に唇を重ねられた。
本格的に意味が分からず、今度こそ「何だ?」と訊ねたヴァンツァーに、シェラは顔を顰めた。
「……お前……人の腕の中で余計なことを考えるな」
きょとんとしてしまい、その表情もいけなかったらしい、と直後に知る。
「──……いい度胸だな……」
「シェラ?」
「人のことを天然だ何だと……お前だって相当なものだ」
「……何のことだ?」
分からないから訊ねたのに、シェラの顔はどんどん険しくなるばかり。
怒らせたいわけではないから、そんな顔をされるのは困る。
「シェラ?」
「……お前にとっては、一晩過ごした男も、その程度か……」
激情を押し殺すような声音に瞬きを返すと、覆いかぶさるようにしてきつく手首を戒められる。
我慢できない痛みではないが、反射的に顔を顰めてしまった。
「生憎、私はお前と違って経験豊富じゃないんでね……」
悪かった、と全然謝罪などする気のない声で言ったシェラは、啄ばむ、というよりは噛み付くといった表現の方がしっくりくるくらいの強さでヴァンツァーに口づけた。
当然、その乱暴なキスに妖艶な美貌が歪む。
「……何なんだ」
腹を立てられることなどした覚えがなく、なぜ自分がこんな扱いを受けなければならないのか、と考え、はた、と気づく。
「シェラ」
「何だ」
「おはよう」
言って、シェラの唇に吸い上げるようなキスをする。
「……分かればよろしい」
どうやら、そういうことらしい。
確かに、自分にも覚えのある感覚だ。
一夜をともにした相手──というよりもシェラが、翌朝目覚めて一番に自分以外のことを考えていたら腹が立つ。
朝っぱらからでも、もう一度自分を刻み込んでやりたくなる。
──どうやら自分たちは、案外似たものどうしらしい。
言ったら怒られそうだから、これは内心に留めておこう。
「何時だ?」
「二時過ぎ」
「──午前?」
「だから、まだ早いと言ったろう?」
「……」
確かに、起きるにはまだだいぶ早い。
夜の七時過ぎから寝室にこもっていたのだから、ひと眠りして起きたとしてもこんなものか。
「子どもたちは?」
「さすがに寝ているんじゃないか?」
言われて、そういえば遠ざけたのは自分だ、と思い直す。
「もうひと眠りするか? それとも、シャワー?」
言いながらヴァンツァーを引き寄せ、長い黒髪を梳くシェラ。
髪の生え際に唇を落とすと、怪訝そうな顔が見上げてきた。
だから、にっこりと微笑んでやる。
「何だか、すごくお前が可愛いんだ」
「──……それはどうも」
「ずっとこうして、抱きしめていたい気分」
「……」
もう、このまま女の身体でもいいかな、と思うヴァンツァーだった。
酔っ払っていたって、こんなことは言ってくれない。
ためしに腰に抱きつけば、黙って身体が引き寄せられた。
「──……」
いっそ感動的だった。
いつも、最終的には大人しくなるとはいえ、必ず「離せ」だの、「暑苦しい」だの、「邪魔」だのといった二言、三言が入ってくるのだから。
もっと力を込めると、「苦しいよ」と苦笑はされたものの、文句は返らない。
本当に、今までの自分たちと立場も考えることも逆転してしまったかのよう。
「……」
何だか、やけに鼓動が速い。
それはそうだ。
こんなことは、もうないかも知れないのだ。
明日になったら、『やっぱり夢でした』となってしまうかも知れないし、男に戻っているかも知れない。
「……シェラ」
「ん?」
シャワーにするか? と言いつつ、自分はもう寝そうになっている。
こういうところは、いつもと変わらない。
「……」
けれど、本当に何もかもがいつもと同じになってしまう前に。
「ヴァンツァー?」
まどろみの中から訊ねてくるシェラの身体に乗り上げるようにして、上から覗き込む。
「……ヴァンツァー?」
素肌の脚に脚を絡め、押し付けるようにして胸を合わせる。
ぴくり、とシェラが反応するのを見逃すようなヴァンツァーではない。
真剣味を増す菫の瞳。
頬にかかる銀髪を、さらり、とかき上げる。
白磁の頬を包み込むようにして、そっと微笑みかける。
女になったからといって、経験と勘が失われるものではない
──そして、ヴァンツァーは『専門家』だった。
「──……もう一度……」
吐息で紡がれた言葉としっとりと重ねた唇に、誰も抵抗などできないことを、彼女は知っていた。
気づけば月日は流れ、三ヶ月も経つ頃には彼女は妊娠していた。
毎日をどう過ごしていたのかよく覚えていないのだが、とにかく気づいたら三ヶ月経っていたのだ。
「ねぇ、ねぇ、どっちなの?」
男の腹から生まれたことにも、父親が女性になってしまったことにも驚かなければ、その父親が妊娠したことにだって驚かない双子だった。
どうやら本当は弟や妹が欲しかったらしいのだが、男のシェラにそれを言えば傷つくだろう、と遠慮していたらしい。
だから、ヴァンツァーが女性になり、妊娠したということでむしろ大喜びしていた。
「ん~、まだ分からないよ。六ヶ月くらいになったら分かるかな」
シェラが苦笑する。
実際に子どもを産んだことのある彼は、良きアドバイザーであった。
「じゃあ、名前とかって、まだ決めないの?」
興味津々といった感じで、ソナタだけでなくカノンもシェラを質問攻めにする。
「──あ、名前はもう決まってるよ」
「え? 男の子か女の子か分からないのに?」
「うん。どっちにでも合うように考えたから大丈夫」
「へぇ。ね、何て名前?」
きらきらと色違いの瞳を輝かせて顔を覗き込んでくる双子に、シェラは満面の笑みで答えてやった。
「────『アリア』」
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