ソナタとカノンの通うサヴィーナ校は彼らの家から最も近くにある小学校だ。
心配性の『母 』が、
「レベルなんかどうでもいいから、うちから近いところにして?」
と双子を誑し込んだのだ。
基本的に──どころでなく、いかに応用してもシェラ至上主義のこの家族において、彼の一言というのは核弾頭並みの威力を発揮するのだ。
瞳を潤ませたシェラを前に、双子がコクコクとちいさな頭を上下させたことは言うまでもない。
「連邦大学は寮があるだろうが」
言うまでもなく、ヴァンツァーの台詞だ。
自分たちも寮生活だったのだから子どもたちだって、ということらしい。
「寮で生活した方が友人もできるはずだ」
こう聞くと、何て子ども想いの父なのだろう、と思うかも知れない。
しかし本心がそうでないことをシェラは知っている。
「今度私の可愛い子どもたちを邪魔者扱いしたら、即刻離婚だからな」
満面の笑みでそう言ったのだ。
「……俺の子でもあるが?」
シェラは、今度は意味深な笑みを浮かべた。
「――さぁ? どうだろうな」
「……」
あの双子の顔形を見れば、自分たちの子であることは間違いない。
だから、シェ ラの台詞は陽動にもならないはずなのに。
男は自分が産んだわけではないから――シェラは例外中の例外だ――そう言われると返す言葉もない。
そんなこんなで双子は自宅から通学することになり、『シェラとの新婚生活再び 』というヴァンツァーのささやかな願いは打ち砕かれたのだ。
そして、双子の小学校入学からふた月ほど経ったある日。
「──授業参観?」
クラスは違えど一緒に学校から帰ってきた双子は、自宅に入るなりシェラに飛びついた。
「うん! 金曜日にね、一年生は授業参観なんだって!」
「シェラ来てくれる?」
「もちろん」
と笑顔で答えたシェラだったが、困ってしまった。
「……でも、授業見るの半分ずつでもいいかな?」
「何で?」
双子は同時に首を傾げた。
「ほら、クラス違うでしょう? だから、全部見てたら、カノンかソナタのどっちかしか見られなくなる」
眉を下げるシェラを前に、いつもは聞き分けのいいソナタがぐずった。
「いやぁ! ずっとソナタの授業見てくれなきゃ!」
「でもね、ソナタ……」
「――いいよ」
にっこり笑ったカノンだ。
「シェラはソナタの授業見に行ってあげて」
「でもカノン……」
「ぼくシェラがいたらドキドキしちゃうもん。答えられなかったら恥ずかしいし 」
「……」
聡明なカノンだから、そんなことはまずないのだ。
きっと大好きなシェラが見に来てくれたら嬉しい。
それでも、妹のために譲ろうとしている。
シェラはカノンを抱きしめて頭を撫でてやった。
「……じゃあ、次の参観日はカノンを見に行くからね」
「うん、約束」
銀髪に菫の瞳の少年天使はにこっと笑った。
その夜、双子が寝た頃帰宅したヴァンツァーに、シェラは食事の用意をしながら今日の出来事を語って聞かせた。
「もう、何だか泣きそうになった」
「カノンは頭がいいからな。聞き分けが良すぎるところがある」
「そうなんだ。ソナタに甘いし……」
「あれで一応男だからな」
ちいさく笑うヴァンツァー。
「お前とソナタは守らなければいけない、と思っているようだな」
「――私も男だぞ?」
「いいんじゃないか、別に。男とか女とか関係なく、大切だから守りたいんだろう」
「ちいさな戦士だな」
シェラは息子の成長が嬉しくて、満面の笑みを浮かべた。
ヴァンツァーの食事の後片付けをしたシェラは、ダメ元で訊ねた。
「仕事、休めないよな……?」
ヴァンツァーは苦い顔になった。
「休んでやりたいんだがな」
ここ数日、帰りは深夜に近い。
今日は早い方だったのだ。
「参観は何限だ?」
「五限。それで授業が終わりなんだ。──せめて二時間分あれば、両方見てあげられるのにな……」
がっくりと肩を落とすシェラ。
せっかくの双子の晴れ姿だ。
じっくり見てやりたい。
どんな学校生活を送っているのか、どれくらい友達がいるのかなど、気になることはたくさんある。
「できる限り時間を作ってはみるが、期待させて行けないと可哀想だから、言わないでいてやってくれ」
シェラは頷いた。
この男が忙しいことも、できない約束をしないことも分かっている。
「平日に参観日を設定するなんて、来るなと言っているようなものだと思うんだがな」
そのヴァンツァーの言葉には、シェラも全面的に賛成だった。
──そして、参観日当日。
ざわつく校内。
昼休みの時間帯だということもあるが、雑誌かスクリーンから抜け出したかのような美人モデル顔負けの美女が歩いているのだから仕方ない。
生徒のみならず、参観に来た保護者までポカンとなっている。
その美女が歩く道だけ、人々が避けて通るのである。
「シェラ!」
「ソナタ」
廊下で娘と出会ったシェラ。
双子の妹は多くの友達に囲まれていた。
その友達もやはりポカンとしてシェラを見ている。
「……ソナタちゃんのお姉ちゃん?」
「ううん。ソナタを産んでくれた人」
シェラが女性でないことをきちんと理解している双子は、シェラのことを『母』と紹介したりしない。
この言い回し、実はリィに教えてもらったものである。
「え?! ソナタちゃんのママなの?!」
「うわぁ、すごい美人! そういえば、顔そっくりだね!!」
「モデルさん? 背高くてスタイルいい!」
「服もキマってる!」
口々に賞賛されるシェラが自慢のソナタは鼻が高そうだ。
こうなることが分かっているから、授業参観に来てもらいたかったのだ。
「服はパパが作ったのよ」
別にスカートでも良かったのだが、いらぬ誤解を与えたり、男性の目を引きすぎるのもどうかと思って今日はパンツスーツだ。
落ち着いた色調のアイボリーのスーツだが、シャツは襟も袖もレースをふんだんにあしらった華やかなもので、ネクタイ代わりに細いリボンを結んである。
ジャケットにボタンはついておらず、一箇所をホックで留める形になっている。
ほとんどシェラのために仕事をしていると言っても差し支えないヴァンツァーのデザインした服は、これ以上ないくらいにシェラを美しく見せる。
──それでなくとも、本日シェラはかなり気合を入れているのだ。
銀髪はいつも以上に煌いているし、爪の先まで手入れをしている。
目立つことは好まなくとも、可愛い子どもたちのためには綺麗でいてやりたいではないか。
「ソナタちゃんのパパって何してるの?」
「デザイナーよ」
「えぇ~、すご~い! かっこいい!」
「パパすっごいかっこいいの! 背も高いし! ソナタと同じ髪と目の色なのよ」
にこにこと機嫌良さそうな娘。
家でも活発な子だが、学校でも多弁らしい、とシェラはソナタが学校でも上手くやっていけているようで安心した。
「こんにちは」
シェラが笑顔で挨拶すると、ソナタのクラスメイトたちは頬を赤らめて会釈した。
「声も綺麗……」
うっとりと、女の子のひとりが呟いた。
「シェラ」
後ろから声をかけられ、振り返る。
「あぁ、カノン」
パタパタと駆けてくる息子を迎えると、どこからともなくため息が零れた。
まるで一幅の宗教画。
受胎告知の場面のよう。
聖母がふたりの天使に挟まれているようだ。
「ごめんね、カノン。今度は見に行くから」
「気にしないで。ぼくは平気だから」
やはりにっこり微笑む天使。
そのふわふわの銀髪を撫でたところで予鈴が鳴った。
「じゃあね、シェラ、ソナタ」
手を振り、カノンは教室へ入った。
「ほら、ソナタも」
「はぁい」
上機嫌の娘は、てってけ自分の席へ着いたのである。
──その頃カノンのクラス。
ちらりと教室の後ろを見ると、着飾ったクラスメイトの母たち。
カノンはため息を吐いた。
何のことはない。やはりシェラが一番綺麗だと思ったのだ。
参観日とは、授業を見てもらうことではなく、どんな両親が来るのかが生徒たちの関心事なのである。
クラスの中での人気は、勉強や運動のできと、親の見た目で決まると言っても過言ではない。
その点では、シェラは完璧だった。
カノンとしても、美しくやさしい自慢のシェラが賞賛されるのを見れば気分が良いのである。
しかし、大事な妹の願いだ。
叶えないわけにはいかない。
──今日は得意な算数の授業だったから、見てもらいたかったのだけれど。
四十五分の授業は、もう十分ほど過ぎた。
――と、急に教室の後ろが騒がしくなった。
カノンは他の生徒同様振り返り、目を瞠った。
「――パパ」
思わずカタリ、と席を立った。
その呟きに、教室は更に騒然となった。
クラスメイトの、特に女子生徒の反応が凄まじかった。
参観している母親たちは言うに及ばず、である。
ヴァンツァーは慣れたもので、涼しい顔のまま息子を見て軽く手を振った。
「パパ、お仕事は?」
「抜けてきた。――ほら、授業に集中しろ」
「あ、ごめんなさい」
ヴァンツァーの美声にもうっとりとなる女性陣。
カノンとヴァンツァー以外の教室中が、授業どころではなかった。
担任が女性であったこともいけない。
俳優やモデルより余程美しく、背も高い生徒の父にぽーっとなってしまった。
そして、 色を覗けばそっくりな父子だから、カノンの将来が非常に楽しみだと、今から目をつける少女もいたのである。
ただでさえ、カノンは女生徒の間で『天使』と噂されている人気っぷりなのだ。
こういった場合、男子生徒からの評価が芳しくないことが多い。
しかし、愛想が良く、立ち回り方を心得ているカノンは、クラスの大半の男子生徒とも仲が良いのである。
勉強や運動ができることも、クラスメイトの尊敬の目を集めることに繋がっている。
授業後、双子の帰りを待つためにシェラとヴァンツァーは廊下で待っていた。
「仕事、平気なのか?」
「あぁ。三時半までに戻ればいい。──本当は初めから見られるはずだったんだが、商談が少し長引いた」
悪いことをしたな、と反省するヴァンツァーに、シェラは笑顔を向けた。
「よく頑張りました」
どうやら褒められたらしいことは分かったのだが、ほとんどそんなことを言われた経験のないヴァンツァーは眉を上げた。
「お前が長引かせるくらいだから、大きな商談だったんだろう?」
「まぁ……」
「カノンのために、よく頑張った」
さすがに保護者たちが「何かの撮影会か?!」とジロジロ見てくる中で頭を撫でてやるわけにもいかず、シェラはポンポンとヴァンツァーの肩を叩いてやった。
褒められたヴァンツァーは、居並んだ母親たちが一発で虜になるような美しい微笑みを浮かべ、シェラに耳打ちした。
「家に帰ったら、もっとちゃんと褒めてくれ」
いつもならば怒鳴られるところだが、今日のシェラはとても機嫌が良い。
にっこりと笑って頷いた。
その後帰りのホームルームを終えた双子を交えて、ファロット一家は廊下に集合したわけだが、そこは
『なぜ連邦大学惑星は撮影機器を持ち込めないのか!』
と地団太を踏む人間でいっぱいになったとか──。
END...?
「でね、担任のミズ・シンプソンがずっとパパを見てて、授業進まなかったんだよ」
上機嫌なカノン。
何だかんだ参観はしてもらいたかったのだし、あの後美貌の父を絶賛されて嬉しいのだ。
授業中あてられた問題に正解できたことも、嬉しかった。
ヴァンツァーは帰りに廊下で会ったとき、きちんと褒めてくれたのだから。
「カノンのクラスも? うちのミスタ・ハワードもだよ。シェラ見たまんま動かないの」
シェラ男の人なのにね~、と無邪気に笑う少女。
ソナタの言葉にヴァンツァーが目を光らせた。
「――これから参観があったら、シェラがカノンのクラスだな」
「おい」
「俺がソナタのクラスに行こう」
名案だとでもいう風に、にっこり微笑むヴァンツァー。
「せめて交互だ。両方見たい」
「ダメだ」
「ヴァンツァー。心が狭いぞ」
「何とでも言え。俺のいないところで色目を使われるのは気分が悪い」
「ミズ・シンプソンは女性だぞ。そっちの心配はしないのか?」
「向こうも女だと思っているんじゃないのか?」
「……」
否定できない、と思い、シェラは黙り込んでしまった。
「お前は違うのか?」
「え?!」
振られたシェラはあたふたした。
「――べ、別に……お前がその顔のおかげで無駄にモテるのは昔からだし……」
「パパはモテモテだったの?」
ソナタが興味津々という感じで身を乗り出した。
「さぁ? まったく興味がなかったからな。――シェラ以外」
微笑みを浮かべたまま、さらりと恐ろしいことを言う男だ。
「パパはずっとシェラが好きだったの?」
更なるソナタの素朴な疑問に、ヴァンツァーはちらりとシェラを一瞥した。
「いや」
「違うの?」
カノンの言葉に首を振るヴァンツァー。
「最初は、シェラが俺に一目惚れしたんだ」
「な――?!」
耳まで赤くなるシェラ。
「勝手なことを言うな!」
「俺の顔は好きなくせに」
「――っ! か、顔だけ――」
言いかけて、はっとする。
不思議そうな顔をする双子の前で「お前たちの父親の顔だけが好きです」なんて言うわけにはいかない。
ぐっと詰まったシェラを、ヴァンツァーは実に楽しそうな目で見ている。
「シェラはずっとパパが好きだったのね」
ソナタが屈託のない笑顔を向けてくる。
「……あはは」
シェラは曖昧な、乾いた笑みを返すことしかできなかった。
今度こそ、END.