1周年記念小説・ファロット一家物語

双子の通うサヴィーナ校では、毎年クラス替えがある。
クラス数自体が七クラスと多いので、頻繁にクラス替えをして生徒間の親睦を図ろうというのである。
入学当初からその天使のような愛らしさで注目の的だった双子だが、高学年になる頃にはほとんど学校中の生徒から、 『一度は話かけたい子』 という裏アンケートで一位を獲得していた。
同じクラスになった子は、ホクホク顔である。
それは、ソナタは男子生徒、カノンは女子生徒、という枠にとらわれず、男女ともに、という意味だ。
背中の真ん中で切り揃え艶やかな漆黒の髪と深い藍色の瞳が白い肌によく映えるソナタは、シェラ譲りの美貌でもって羨望のまなざしで見られている。
運動神経が良く、スポーツならば何でも来いのソナタは、男子生徒とも話が合う。
ふわふわの短い銀髪に宝石のような紫の瞳、これまた色白のカノンは、綺麗なボーイソプラノが特徴的な天使として女子生徒に絶大な人気がある。
父譲りの美貌はまだ幼いが、物腰穏やかで頭脳明晰、おっとりしているが実は運動もできる、という非の打ち所のない少年だった。
こういう場合男子生徒からは煙たがられる。
彼の父であるヴァンツァーがそうだった。
教師からの覚えめでたく、女子生徒からは陰で『貴公子』とまで呼ばれた男だ。
そのくせ女の子には見向きもしないのだから、モテたい男子としては面白くない。
だが、カノンは違った。
誰に対してもにこやかな対応を崩さないし、頭は良いのに少々天然っぽいところがある。
人に、怒る気を起こさせない言動をするのだ。

──そんなわけで、双子のどちらかと同じクラスになれた生徒は、学年中の生徒から羨ましがられるのだ。

しかし、そこは小学生。 常に仲良くできるわけではないのだ──。


学年が変わった新学期、放課後ソナタはクラスメイトの女子に囲まれていた。

「ソナタちゃんって、いつもすごく可愛い服着てるよねぇ!」
「あ、あたしもそう思ってた!」
「ねぇねぇ、そういうのって、どこで買うの?」

高学年ともなれば、女子はファッションの流行に敏感だ。
サヴィーナ校は制服がないので、生徒はみな私服である。
入学当初からソナタやカノンの着ている服というのは、一部の生徒の間で噂の的だった。
運良く同じクラスになれた生徒は、こぞって同じことを訊くのである。
ソナタは、ちょっと誇らしげに答えた。

「買ったんじゃないの。ソナタとカノンの服は、パパがデザインしてシェラが作ってくれるのよ」

今までに何度も同じ台詞を繰り返しているわけだが、飽きることなくいつもと同じ言い方をしている。
その言葉に、クラスメイトは怪訝そうな顔になった。

「シェラ?」
「ソナタちゃんとカノン君を産んだ人よね?」

事情通の別の女子が、『えっへん』といった感じで言った。
ソナタは満面の笑みで頷いた。

──と、そこで教室に残っていた男子生徒のひとりが声を上げた。

「変なの!」

ソナタは声のした方に身体を向けた。

「変?」

可愛らしく首を傾げる。
さらり、と黒髪が揺れ、男子生徒たちはドキリとした。
学校中捜してもいないほどの美少女だ。
他の女子など霞んでしまうくらい、表でも裏でも、ソナタはモテた。
──本人は、両親と双子の兄を始め、リィやルウやレティシアなど周囲にイイ男がいすぎるため、美形に対して耐性がつきすぎていて見向きもしないのだけれど。
ともかく、そんな美少女に見つめられてドギマギしている男子だったが、裏返りそうな声を必死で抑えてこう言った。

「変だよ! 自分を産んでくれた人のことは、『お母さん』とか『ママ』って言うんだぞ!」

虚勢を張りたいらしく、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、その男子マイケルは腰に手を当てた。
そんなマイケルを見て、ソナタはきょとんとなった。

「シェラはママじゃないわ」

シェラは男なのだから、世間一般で言うところの『ママ』ではない。
しかし、勿論クラスメイトはそんなことを知らない──どうかすると、担任ですらその事実を知らない。

「お前のママじゃないのにお前を産んだわけないだろう? お前拾われたんじゃないのか!」
「ひろ……?」

相変わらず意味が分からないソナタだ。
自分たち双子は両親そっくりである。
拾われたわけがない。
しかし、小学生というのは子どもで、実に残酷なことを平気で口にしてしまう。

「お前、いらない子なんだよ! どっかからもらってきた子どもなんだ!」

この台詞には、さすがにソナタもバンッと机を叩いた。

「そんなことない! シェラもパパも、ソナタのこと好きだもの!」

可愛い顔が、怒りに歪む。
こうなると、男子も引くに引けない。

「な、何でパパがいるのにママじゃなくてシェラなんだよ!」
「シェラはシェラだもの! ソナタとカノンを産んだ人よ!」

ソナタと一緒になって男子を睨んでいた女子は、ソナタに目を移してぎょっとした。
男子も息を呑んだ。

「──……シェラもパパも……カノンだって、ソナタのこと、好きだもの……!」

サファイアよりも深い色の瞳から、大粒の涙がぽろぽろ零れている。
気丈なソナタが泣くところなど、そうそうお目にかかれるものではない。
特に学年が変わって初めて同じクラスになった生徒たちは、そんなソナタは知らないのだ。
女子生徒たちは口々に「謝りなさいよ!」と叫んでいる。
男子生徒は狼狽しながらも、プライドがあるのかそっぽを向いている。

「──ソナタ?」

と、教室の入り口から声が聞こえてきて、みなそちらに目をやった。

「……カノン……」

ソナタは溢れてくる涙を拭いながら呟いた。
視界は滲んでいてよく見えないが、双子の兄の声ときらきらした髪を間違えるわけがない。

「ソナタ、どうしたの?」

天使の顔を真っ青にして、カノンはソナタに駆け寄った。
この年頃は女子の方が男子よりも成長が早い。
双子とはいえ、ソナタの方が僅かに身長が高い。
妹をきゅっと抱きしめたカノンは、嗚咽をこらえながら泣くのを何とか宥めようと背中を撫でてやった。
それでもしゃくり上げて泣くソナタを、カノンは心配そうな目で見つめた。

「どうしたの? 何で泣いているの?」

おっとりした性格からか、普段からあまり物事に動じないカノンだが、ソナタに関してはそうもいかない。
両親やその友人たちから武術の手ほどきも受け、そこら辺の大人には負けないだけの実力を備えている双子だったが、ソナタを守るのは自分の使命だとカノンは思っているのだ。

「……ソナタ……?」

カノンは弱りきってしまった。
いつもは元気いっぱいで、ひまわりのような笑顔が似合うソナタが、こんなにも泣くことは珍しい。

「あのね、カノン君。マイケルが……」

女子のひとりがカノンに耳打ちする。

「マイケル?」

女子の指差した方に目を向ける。
ビクッ、と一瞬怯んだ男子が、マイケルに違いない。

「……マ、マイケルが、変って……」

ひっく、としゃくり上げ、断続的に言葉を紡ぐソナタ。

「──……変?」

カノンの顔つきが変わる。
すっと、穏やかな笑みを絶やさない菫の瞳が冷たくなる。
そんな目で睨まれたのでは、ひとたまりもない。
如何に気配に鈍感な近頃の子どもであろうとも、この明らかな変化に気付かないわけがない。
背中に氷を入れられたかのような錯覚。

「ソナタ、が……シェラをシェラってよ、呼ぶのは……変、なんだって……」

その言葉の内容を、カノンは正確に理解した。

「だからね、ソナタは、拾われた子か、もらわれた子なんだって……」

ポンポンと妹の背中を叩いてやりながら、カノンはまなざしをきつくしたまま、マイケルに顔を向けた。
一歩身を引く少年たち。

「君の親に、名前はないの?」

声音までがいつもと違った。
口調は同じでも、そこにいつものような温和さはかけらとてなかった。
綺麗なボーイソプラノが、低い。

「……は?」

マイケルは気圧されそうになりながら、何とか返した。

「ぼくたちを産んだ人は、シェラという名前を持っている。君を産んだ人に、名前はないの?」

マイケルはかっとなった。

「あ、あるに決まってるだろう?!」
「じゃあ、『お母さん』や『ママ』というのが役職名でしかないことは分かってる?」
「や──?」

途端に首を傾げてしまったマイケルだ。
気の長いカノンにしては珍しくも、苛立たしげな顔になった。
それがまた、ソナタのクラスメイトたちの驚愕を煽った。
彼らは、カノンが怒ったところなど見たことがないのだ。

「君を産んだ人は『お母さん』とか『ママ』っていう名前じゃないでしょう?」
「そ、それが何だっていうんだよ!」

マイケルはカノンの怒気に怯みながらも、虚勢を張り続ける。

「ソナタとぼくは自分たちを産んでくれた人を名前で呼んでいる。君は役職名で呼んでいる。それだけの違いだよ」
「──普通は『お母さん』とか『ママ』って呼ぶんだ!」
「君の言う普通の基準って、何?」
「は?」

また訳がわからなくなるマイケル。

「ぼくたちは、シェラがそう呼んで欲しいというから名前で呼んでいる。何か問題があるの?」

マイケルは黙ってしまった。
カノンの言うことが的を射ていたからではない。
言っていることが理解できなかったからだ。
カノンは大きくため息を吐いた。

「君は君を産んでくれた人から、『お母さん』とか『ママ』って呼ぶように言われたか、そう呼んでも拒否されなかったんでしょう? ぼくたちはシェラにそう呼ぶな、と言われたから名前で呼ぶことにした。それのどこがおかしいの?」
「……」

マイケルは、もう一言も喋れなかった。
この年頃の少年に、理詰めで語って聞かせても難しすぎるのだ。

「……カノン?」

いつになく怒っている様子の兄が気にかかったのか、ソナタはカノンの袖を引いた。
それに気付いたカノンは、視線をソナタに向けると微笑みかけた。

「帰ろう?」

そっと妹の涙を指で拭ってやる。

「……」

ソナタは無言で頷いた。

「《HERMES》でケーキ買って行こうか」
「……でも、シェラがおやつ作って待っててくれてるもの……」

大好きなシェラの作る美味しいおやつと、迎えてくれるやさしい笑顔を思い出してソナタはまた涙ぐんだ。

「じゃあ両方食べればいいよ」

ね? とにっこり微笑むカノン。
先程までの冷たい空気は霧散している。

「……夕飯、シェラが一生懸命作ってくれてるもの……残したら、悲しい顔する……」

そんなのは嫌だった。
じゃあねぇ、とカノンはもうひとつ提案した。

「おやつ食べたら、ふたりで遊ぼう? 外で運動すれば、きっと夕飯までにお腹空くよ」
「……」

じっとカノンの笑顔を見ていたソナタだが、こっくりとひとつ頷いた。
彼らの運動量たるや、もう小学生のものではないのだが、双子はふたりで運動することが大好きだった。
ロッドでもいいし、かけっこでもいい。
広い森の中でかくれんぼをしても楽しい。

「決まりだね。さ、帰ろう?」

ソナタの鞄を持ってやり、空いた手を妹と繋ぐ。
ソナタは空いている手でまだ濡れている頬を拭った。
そして、にっこりと兄に笑顔を向けた。

「ソナタ、プリンとチョコケーキが食べたい」
「今日、シェラは何作ってくれるんだっけ?」
「お手製ヨーグルトパフェ!」
「あぁ……じゃあたくさん運動しないと大変だね」

お腹にたまるものばかりだ、とカノンは苦笑する。

「シェラのお料理美味しいから、ちゃんと食べられるわ」
「そうだね。──あ、今日は父さん早く帰って来られるんだった」
「じゃあソナタ、一緒にお風呂入る!」
「ぼくもいい?」
「うん、いいよ」

そんな会話をしながら、双子は教室を後にした。
残された少年少女はしばらく茫然としていたが、はっと気付いた女子が男子に向かって言った。

「カノンに口で対抗しようとするなんて、馬鹿ね」
「何だと! あんな、あんな顔だけのヤツ!!」

この台詞に、女子はけらけらと笑った。

「カノンは頭いいし、運動だって何でもできるわよ」
「普段のおっとりしてるのも可愛いけど、今のもかっこよくなかった?」
「良かった、良かった!!」

きゃーきゃー騒ぐ女子の前で、男子たちは憮然とした表情になる。

「……だったら、ソナタじゃなくてカノンと仲良くすればいいじゃんか」

ボソッと呟かれた言葉を、少女たちは正確に聞き取った。
そして、腰に手を当てこう言ったのだ。

「ほんっとに馬鹿ねぇ。ソナタと一緒にいれば、もれなくカノンがついてくるんじゃないの」
「そうそう。ソナタだって、可愛いのに性格もいいし」
「好きな子苛めるなんて、あんたたち子どもね」

むかっ腹の立った男子だったが、女の子を殴るわけにもいかないので、ひったくるようにして自分の鞄を持つと足早に教室を出たのである。


「ただいま~」

玄関で高らかにそう言ったのだが、ダイニングに入るときにもう一度同じことを言った双子を、シェラはにこやかな笑顔で迎えた。

「おかえり。──あ、遅いと思ったら、寄り道してたな?」

カノンの持っているケーキの箱を見て、シェラは双子の額を小突いた。
双子はへへっ、と笑って箱をシェラに渡した。

「ケーキあるなら、パフェ食べられない?」

少し寂しそうな顔になったシェラを前に、双子はブンブン首を振った。

「食べる! 全部食べる!」
「食べたら、ふたりで外で遊ぶ!」
「だから、ちゃんと夕飯も食べられる!!」

シェラはその返事に満足そうな笑みを浮かべた。
そして、しゃがんでソナタを下から見上げるようにして視線を合わせる。

「──何かあった?」

穏やかな微笑みを浮かべたままのシェラに、ソナタはドキッとした。

「……え?」
「目、赤いよ。それに、《HERMES》でケーキ買ってくるときは、大抵ソナタが泣いたときだから」

頭を撫でられて、ソナタはじわりと涙ぐんだ。
きゅっとシェラの首に抱きつく。

「……ソナタ、シェラのこと、大好きよ」

シェラはソナタを抱き返し、背中を撫でてやった。

「うん。私もソナタのこと大好きだよ──もちろん、カノンもね」

言って息子の銀髪も撫でてやる。

「──……」

カノンもシェラに抱きついた。
シェラは双子を両腕に抱きしめたまま、くすくすと笑った。

「今日はふたりとも甘えん坊さんだね」

三人はしばらくそうして抱きしめあったあと、おやつにした。
カノンもソナタも、学校であったことを話さなかったし、シェラもそれ以上訊かなかった。
それでも、みんながみんな、お互いを大切に想っていることが分かったからいい。
父が帰ってきたら、双子は玄関まで迎えに行って、おかえりのキスをするだろう。
ヴァンツァーも、「ただいま」と言ってずいぶん大きくなった双子の頬にキスを返すに違いない。
そうして、夕飯の食卓を一緒に囲み、他愛ない話をするのだ。
それが、何より幸せな時間。
双子はヴァンツァーに休みをとって遊んでくれ、とせがむかも知れないし、シェラはヴァンツァーが出勤寸前に不意打ちで渡してきたピアスのことで怒るかも知れない。
その怒りもまた口づけひとつで誤魔化されてしまうのだろうけれど、それもまたこの一家の日常なのだ──。  




END.

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