──高校も、双子は同じところに通った。
高校進学に際して、特に成績優秀なカノンの進学先が問題となった。
しかし、必要単位を取れば大学の課程を受講することも可能なのだし、カノンは自らの能力に挑戦することよりも妹や家族の傍にいることを選んだ。
「高校は、自分の好きなところでいいぞ? 必要なら寮に入ったって……」
リビングのソファに座り、親子で進路談義である。
寂しさを隠してそう言うシェラに、カノンはにっこり笑った。
「ダメだよ。ぼくシェラの料理と笑顔がないと、やってけない」
声変わりを経験したカノンは、ボーイソプラノを卒業した。
ヴァンツァーの声とはまた違う、さほど低くはないが魅力的な声。
そんな声で、あんな台詞を言われたのだ。
「カノン……」
高校生にもなれば反抗期のひとつやふたつ経験しそうなものだが、ファロット家は実に平和だ。
シェラなど涙ぐんで息子を抱きしめている。
身長は抜かれてしまった。
ヴァンツァーに似れば、かなりの長身になるだろう。
「本当にいいのか? 将来のこととかあるし……」
「あ、それだ。訊きたかったんだけど、デザイナー業はともかく、ぼくって父さんの仕事継いだ方がいいの?」
「いいや」
きっぱり首を振るシェラだった。
「あいつの仕事なんか継いだら、身体壊すに決まってる! 必要ないどころか、絶対ダメだ!」
カノンは苦笑した。
「せっかく大きな会社なのに。目指せクーアが合い言葉じゃなかった?」
「そんなもの、あの男が勝手に言ってることだ。つき合う必要はない! これっぽっちもない!」
「じゃあ、一代限り?」
「欲しい人がいたら譲ればいい。──そもそも、あの男も仕事をする必要なんてないんだ」
大真面目なシェラの台詞に、カノンは大笑いした。
「ぼくシェラのそういうところ大好き」
「私もカノンが大好きだ」
「父さんに顔似てるから?」
「な――」
シェラは一気に赤面した。
「カノン!」
「だって父さんの顔好きなんでしょう? じゃあぼくの顔も好きだよね?」
ずいっ、とシェラに顔を寄せる。
確かに、色彩さえ除けばそっくりである。
四十を超えたからといってヴァンツァーの美貌が損なわれたわけではなく、むしろ色気は増すばかりだった。
カノンはヴァンツァーよりも明るい雰囲気の美少年に育っていた。
表情豊かだし、陰のある美貌のヴァンツァーよりも取っつきやすい。
「――おい、親を誘惑するな」
いささか不機嫌な様子で、リビングへとやってきたヴァンツァーはシェラの隣に座った。
「お前も息子に誑し込まれるな」
「別に私は!」
「――俺の方がいいだろう?」
手加減抜きの美声でささやくと、シェラの唇を啄んだ。
「ば……馬鹿じゃないのか、お前!」
真っ赤な顔で叫ぶと、シェラはダイニングの方へ行ってしまった。
カノンはペチッ、と額を叩いた。
「父さん……息子に張り合わないでよ」
「張り合ってはいない。どうやったって俺の勝ちだからな」
さすがのカノンも嘆息するしかない。
「羨ましい自信だよ」
「そんなものはない」
「え?」
「他のことならいざ知らず、これに関してはまったく自信がない」
カノンはシェラと同じ菫の瞳を真ん丸にした。
「昔から、俺は主導権を握ったためしがないんだ」
「一度も……?」
「あぁ。――全面降伏だからな」
「……それって、作った『舞台』から自分で降りたってこと?」
「そうなる」
カノンは目を輝かせた。
「シェラすごい!」
「それなのに、本人は無自覚なんだ」
「え?」
「いまだに、『ちゃんと私のこと好きか?』なんて訊いてくるぞ」
しかもそれを寝室で言ってくるのだから性質が悪い。
「……可愛い……」
「年を取るごとに幼くなっていってるよ」
──まるで、幼少期に甘えることを知らなかった分を取り戻すかのように。
「うわぁ……ぼくもそういうの素でやれちゃう彼女欲しいかも」
ヴァンツァーは首を傾げた。
「疲れるぞ」
カノンはきょとんとしてしまった。
まさかこの父がシェラに対してそんなことを言うとは。
不思議そうな顔をするカノンに解説してやる。
「そんなことを訊いてくるということは、いくら頑張ってものれんに腕押しということだ」
「あ――」
「だから、あまりオススメはできない」
「……深いなぁ」
「あれは特別だ」
「あぁ……だね」
良く似た父子は苦笑しあった。
「あ~、いいお湯だった」
「あ、出たの――」
笑顔で娘を迎えようとしたシェラはぎょっとして目を瞠った。
「ソナタ!」
「なぁに、シェラ」
首を傾げながら黒髪にタオルをあてている美少女は、身体にバスタオル一枚巻きつけただけの姿だ。
小ぶりな胸の膨らみも明らかである。
すらりと伸びた白い太腿が目に眩しい。
「と、年頃の女の子が何て格好を!」
かつてリィが好んでこのような格好をしていたが、あのときも驚いたものである。
耐性がついているとはいえ、自分の娘となると話が違う。
きょとんとしてソナタはこう言った。
「だって、ここにいるのはシェラとパパとカノンだけじゃない」
リィやルウやレティシアがいたって何の問題もないのだが、とは内心にとどめたソナタに 、シェラは目くじらを立てた。
「いけません! ちゃんとパジャマを着なさい!」
まだきょとんとしているソナタだったが、シェラの不興は買いたくないので、素直に自分の部屋へ向かった。
パタンと扉が閉まると、シェラは深くため息を吐いた。
「……女の子の気持ちは、誰より分かるはずなのに……」
最近の女の子は分からない、と自分の勉強不足を嘆く。
「こんなんじゃ、ヴァンツァーの方が扱い上手いんじゃないか?」
呟いてみて、「負けるものか!」と闘志を燃やすシェラだった。
ただでさえ、二次性徴を迎えた長女に女ものの下着を買い与えるときだってルウに電話してしまったのだ。
ルウに言われたものである。
「別にぼくは構わないんだけど、エマやレイチェルだっているし、ジャスミンだって女の人だよ?」
はた、と気づいたシェラだったが、女性姿になったルウとともに女性ものの下着を買いに行ったのだ。
――もちろん、店員には美女ふたり組に見えた。
それに、家族に女の子がひとりというのは、何かと困ることがある。
「シェラ、痛み止めある?」
「頭痛?」
顔色の悪いソナタを見て心配になるシェラ。
ソナタは緩く首を振った。
「ううん。お腹」
下腹部をさする様子にシェラは「あっ……」と呟き頬を赤らめた。
そしていそいそと鎮痛剤を探して水と一緒に渡すと、娘に謝った。
「……ごめんね」
「何が?」
きょとんとして薬を飲むソナタ。
「私がちゃんと女性だったら、分かってあげられるのに……」
しゅんとしてしまったシェラに、ソナタは明るく笑った。
「私、シェラじゃ嫌なんて一度も思ったことないわ。お料理上手だし、やさしいし、美人だし、強いし、頭いいし。男の人として極上品だと思うけど? 私が可愛いのもシェラに似たおかげだし」
「ソナタ……」
「あ、でもひとつ不満」
ズキッと痛む胸を押さえ、シェラは「なに?」と訊いた。
「私たちだけじゃなくて、もっとパパのこと構ってあげて」
「――は?」
「もう、たまに可哀想になっちゃうもん! 私たちがシェラ囲んでると、恨めしそうな顔するし」
くすくす笑う娘を、シェラは目を丸くして見つめた。
「ま、それがパパの可愛いとこだけど」
「……他には?」
「ないわよ」
「え?」
「シェラは今のままで十分! これからも可愛くて綺麗なシェラでいてね!」
シェラの頬にキスすると、ソナタは自室へ向かった。
頬に手をあてるシェラ。
「可愛くて綺麗な、って……同じ顔なのに……」
まぁソナタは可愛いけど、と複雑な心境のシェラだった。
こんなファロット家だから、まず喧嘩というものをしない。
特に親子間での喧嘩は一度も経験していない。
ある種双子は盲目的にシェラを愛していたし、ヴァンツァーも何だかんだ双子が可愛いらしい──もちろん、シェラの子だというところがポイントなわけだが。
シェラの双子に対する愛情の傾け方はヴァンツァーへのそれよりずっと大きいし、双子はできないことがなくシェラに首ったけの父を尊敬し、また可愛く思っていた――年の離れた兄だと思っている節もある。
このご時世、そんな家族はまずない。
絶滅危惧種だ。
そして、この家族――中でも双子の仲の良さは、学校でも発揮されるのである。
「すごーい、カノン君! またオールAプラスだ!」
「どうやったらそんなに勉強できるの?」
「今度私の勉強見てくれない?」
定期試験の結果が返ってくると、カノンは例外なく女子生徒に囲まれる──否、いつでも女の子に囲まれているのだが、試験後は特に、だ。
それを邪険に扱ったりしないカノンだから、女の子たちは集まるばかりである。
顔は極上、 性格は温厚で笑顔を絶やさず、頭脳明晰な上に運動神経も抜群だ。
女の子にモテない方が嘘である。
中学までは『天使』と呼ばれていたカノンだが、最近は『王子』に呼び名が変わってきている。
「――あ、ごめんね。ぼく行かないと」
時計を見るわけでもなく、カノンは唐突にそう言った。
「えぇ! どうして!」
「ソナタが困ってるみたい」
にっこりと極上の微笑みを浮かべるが、近くに妹の姿はない。
それでもカノンはさっさと鞄を手にし、教室を出た。
迷いない足取りで向かった先で、ソナタが男子生徒に囲まれていた。
いかにもガラの悪そうな男子たち。
「あ、カノン。良かった」
「どうしたの?」
険しい顔で睨んでくる男子には目もくれず、カノンはソナタの前に歩み寄った。
「この人たちしつこいんだけど、どれくらい叩きのめしていいんだっけ?」
物騒なことを真顔で訊いてくるソナタは、長い黒髪と深い藍色の瞳がミステリアスな雰囲気を醸し出しており、惹きつけられる男子は少なくない。
近寄り難い雰囲気なのだが、それがまた彼女の魅力を倍増させている。
「言い寄られてるの?」
緊張感なく訊ねるカノンに、ソナタは肩をすくめた。
「特に危害を加えられたわけじゃないから、リィが教えてくれたように生き残るための闘いにならないし……気絶させるくらいは良かったんだっけ?」
カノンならどうする? という問いかけに、カノンは男子たちの方を向いた。
「妹が迷惑しているそうなので、やめてもらえます?」
にっこりと笑う気の弱そうな姿に、男子たちは色めき立った。
「――ふざけんな、このシスコン!」
「俺らはソナタに用があるんだよ!」
「そうだ、退け、シスコン!」
といった罵声に、双子は顔を見合わせため息を吐いた。
「私やぁよ、こんな知性と理性のかけらもないの」
「ぼくも兄として承服しかねるなぁ」
ソナタはがっくり項垂れた。
「──っていうか、パパもシェラもカノンも、レティーやリィやルウにケリーだって、私の周りにはたくさんイイ男がいるのに、『普通』がこんなんって、ちょっとあんまりじゃない?」
「う~ん、今のソナタの台詞も、『ちょっとあんまり』みたい」
そんな兄の言葉は聞いていないようで、ソナタは言葉を続けた。
「やっぱりレティーがいいなぁ」
ちょっと小柄だけど、私なんか軽々抱き上げてくれるし、優秀な医者だし、文句なく強いし、顔綺麗だし、と褒め言葉を並べる。
「あはは。それはシェラが怒るからやめておいた方がいいよ」
和やかに会話している双子に、男子たちの苛立ちは募るばかり。
「退け、シスコン野郎!」
繰り返されるその文句に、カノンはこう反論した。
「君たちにも家族いるでしょう? ぼくは妹を大事にしてるだけだよ」
「ベタベタしすぎなんだよ!」
カノンは肩をすくめた。
「仕方ないよ。双子だから」
「説明になってねぇんだよ! お前、実は頭悪いんじゃねぇの?」
カノンの明晰な頭脳は、同じ学年で知らないものはないくらいである。
他学年にであろうとも聞こえた優秀さなのだから。
「一緒にいて一番落ち着くのよ」
カノンの腕に自分の腕を絡ませるソナタ。
さすがに成長期の現在、カノンの方がソナタよりも頭半分ほど長身だ。
「ソナタぁ……」
情けない声を出す男子に、ソナタは視線をきつくした。
「──さっきから聞いていれば。誰が名前で呼んでいいって言ったの?」
その凄みに、男子たちは一歩引いた。
「だいたい、カノンよりも弱いのに、どうして私が相手しなきゃいけないのよ」
見れば、この男子生徒たちが自分たちに遙かに劣る実力しかないことは分かる。
「ソナタ……そう物騒なこと言わないで。ほら、目の色変わっちゃったよ」
「いいじゃない。勝てるんだから」
カノンは困ったように笑った。
「ぼく、喧嘩好きじゃないんだってば──」
次の瞬間飛びかかってきた男子の拳をかわし、別の方向からきた蹴りもかわすカノンに、少し離れた場所に移動したソナタが笑って言った。
「――勝っちゃうからでしょう?」
その通りだった。
すべての攻撃――シェラたちとする日頃の訓練を思えば、準備運動にもならないが――を避け続けるカノン。
しかし、手を出そうとはしない。
「ねぇ、ソナタ。見てないで、先生呼んできてよ」
のんびりと言うカノンとは異なり、男子たちは真剣そのものだ。
「もうちょっと救い出されるお姫様やってたかったなぁ」
カノンは嘆息した。
「――……お姫様抱っこなら、あとでしてあげるよ」
「ん~、妥協しましょう」
じゃあね、と言うなり、ソナタは職員室へ向かった。
と、動きを止める男子たち。
見つかるのはまずい。
「……ちっ」、「覚えてろよ!」 と、お決まりの台詞を残して去っていった。
息ひとつ乱さずにそれを見送ったカ ノンはうんざり、といった感じで呟いた。
「……また来る気なのかな?」
それでなくとも、ソナタをモノにしようと画策する男子生徒が多く、こんな騒動は日常茶飯事なのだ。
勘弁してもらいたい。
自分たちは、平和な日常を送りたいだけなのだから。
同じ顔をしているということは、両親もこういった苦労をしていたに違いない。
カノンは家に帰ったら対処法を訊こうと心に決めたのだった──。
END...?
「言い寄ってくる男を撃退する方法?」
シェラは苦笑した。
「自分に手を出すと恐ろしい目に遭うぞ、ってやんわり気付かせてあげるのが効果的なんだけど……」
双子は一緒に首を傾げた。
「それって、言い寄ることもさせないってことだよね?」
カノンが訊ね、シェラは頷いた。
「たとえば、私に何かしようとしたら鬼より恐ろしい人の不興を買うと分かれば、自分の身が可愛い人は何もしてこないからね」
「それって、向こうの世界でのリィのこと?──それともパパのこと?」
ソナタの台詞に、シェラは苦い顔になった。
──あの男のおかげで、私の学生生活は……!
内心そう叫び、無言で拳を握って額に青筋立てるシェラ。
「……」
双子は顔を見合わせ、ここは退散するに限る、と判断してそそくさとシェラの前を去った。
定時で仕事を終えたヴァンツァーと夕食をともに食べたあと、リビングでお茶を飲みながら双子は訊ねた。
「そもそも、煩い雌犬に言い寄らせる隙を作ったりしない」
身も蓋もないヴァンツァーの言葉に、双子は困ったように笑った。
気配を操ることも、足音をさせないで走ることも可能な双子だったが、さすがに抜き身の刃のような空気を作っては学生生活に支障が出る。
「でも、ひとりやふたり、勇気ある女子学生が告白してこなかった?」
思案顔になるヴァンツァーに、シェラが何気ない調子で訊いた。
「いたのか?」
シェラの顔をじっと見つめるヴァンツァー。
居心地の悪さを感じ、紅茶のカップを手にしながら身じろぐシェラ。
「な……何だ?」
「もしかして、シェラ?」
ソナタの嬉しそうな声音に、シェラは飛び上がった。
「そんなことしない! 何で私が!」
ヴァンツァーは同意するように頷いた。
「それなら話はもっと単純だったんだ。恋人がいると分かれば、ある程度虫除けになるからな」
「なぁんだ。学生時代のロマンスとかないの?」
「あるわけ──」
『あるわけないだろう、何でこいつと』
そう叫びそうになって口を閉ざした──子どもの前では仲良くしないといけない。
口の中でブツブツ言うシェラの隣で、ヴァンツァーが薄っすらと笑みを浮かべた。
「──高校時代に一度だけ、女に花を贈ったことがある」
ピクリとシェラの肩が揺れる。
「え、どんな人?! 女ってことは、シェラじゃないのよね?!」
身を乗り出すソナタ。
カノンも珍しく興味津々といった顔だ。
「こいつは、面白くなさそうな顔をしていたな」
「あれはそんな意味じゃ──」
「その人から告白されたの?!」
シェラの言葉を遮った娘に、ヴァンツァーは首を振った。
「お互いそんな意図はなかった。それに、されそうになったときは、向こうが口を開く前に断っていたからな」
「……厳しいなぁ」
茫然とするカノンに、ヴァンツァーは「そうか?」と言った。
「その気もないのに話を聞くなんて、時間の無駄だろう?」
「……」
それはそれで正論なのだが、それを実行できてしまうところがこの父のすごいところである。
「そっかぁ……」
ソナタが息を吐いて呟く。
「パパは、もうシェラに決めてたから他の女の子に冷たくしていたのね。それって、やさしさだわ」
にっこりと笑って話を纏めようとする娘に、シェラは「それは違う」と言おうとした。
この男は、誰にだってそういう態度を取る男だったのだから。
「まぁ、そうかな」
それなのに、ヴァンツァーがにこやかに同意してしまった。
「お、お前! 嘘ばっかり──」
「素敵! パパもシェラも、素敵!!」
「……」
きゅっと抱きついてきた愛娘を邪険に扱うこともできず、シェラは引きつった笑みを浮かべることしかできなかったのである──。
今度こそ、END.