高校生活最初の夏休みを半分ほど過ぎたこの日、カノンとレティシアはお姫様のお守りに借り出された。
ソナタは久々に休みを取った父にシェラを貸し出し、代わりにレティシアとデートの予定だったのだが、カノンも暇そうだったので誘ったのだ。
ソナタ曰く、
「世の中のイイ男を独り占めしてる気分!」
になるのだそうだ。
本当はシェラとヴァンツァーがいれば完璧なのだが、今回は我慢するらしい。
カノンとふたりで遊んでるから行ってらっしゃい、と送り出したのだ。
「シェラにはレティシアとデートするなんて言ったらパパとのデートをキャンセルされそうだし、一応娘としては両親の親睦を深めるために気を使っているのよ」
肩をすくめる美少女を前に、王子様のようなカノンと、相変わらず軽そうなレティシアは顔を見合わせたものだ。
リィとルウも大好きなのだが、そこまで美形ばかり集まってはさすがに人目が煩い。
そんなこんなで、お姫様を含む三人はショッピングである。
「服でも宝飾品でも、ヴァッツに作ってもらえばいいんじゃねぇの?」
別に文句ではなく、純粋な疑問としてレティシアは訊ねた。
だがソナタはこう言ったのだ。
「そんなこと言ったら、私家から一歩も出る必要なくなっちゃうわ。ウィンドウショッピングって無性にしたくなるときあるのよね」
なので今日は、特に何かを買うあてがあるわけでもなく、街を散策するのだそうだ。
「そんなもんかね?」
と首を傾げるレティシアにカノンは、
「シェラがまたウィ ンドウショッピング好きなんだ。ふたりで歩いてるの見ると、向こうが双子みたいだよ」
と笑った。
確かに、まだ二十代と言っても通じる美貌のシェラだから、そう見えるのは間違いないだろう。
現在男ふたりは、とあるブティックで試着中のお姫様の登場を待っている。
「そういやお前、最近俺がソナタといても文句言わねぇよな」
昔は抱き上げただけでぽかすか殴ってきたのに、と笑う。
「そりゃあそうだよ」
カノンはにっこり笑った。
「だって四十過ぎたいいおじさんが高校生に手出して犯罪者扱いなんて、頭の良いレティシアなら馬鹿らしくてやってられないでしょう? 少なくとも成人するまでは、心配する必要もないもの」
レティシアはシェラや学校の女子が『天使』と呼ぶ少年が、かなりの曲者であることを知った。
「……お前、実はお嬢ちゃんと黒髪の兄さんの子なんじゃねぇの」
にこやかな毒舌はシェラから、言葉選びの辛辣さはルウから受け継いでいる、と言いたいらしい。
「父さんが何て言うかはともかく、ぼくシェラはもちろん、ルウのことも大好きだし、尊敬もしてるよ。――あ、もちろんレティシアの腕も認めてる」
医者としても、元行者としても、という意味だが、しかし『好き』でも『尊敬』でもないらしい。
「ここまでくると、いっそ清々しいな」
「あぁ、それ父さんにも言われた。でも、シェラとソナタにバレたくなかったら猫被っておけ、って。失礼しちゃうよね。それじゃあまるで、今のぼくが猫被ってるみたい」
言葉遣いはルウに近い、始終笑顔で嫌味を言うヴァンツァーが出来上がってしまったようである。
それはシェラにとってはショックだろう。
赤ん坊の頃からヴァンツァーに似ないことだけを祈って子育てしていたのだから。
知らないなら知らないでいた方がいい。
「まぁ、お嬢ちゃんは子育て楽しいらしいし、お前たちのことも可愛いみたいだからいいんだろうけど」
「そうなんだよ。シェラってば、ぼくたちのこと可愛くて仕方ないんだよね。そんなとこも可愛い」
レティシアは弾んだ調子で話すカノンを前に、別人であることは分かっているのだが、顔がヴァンツァーなだけに珍獣でも見るような顔つきになった。
──まぁ、口から出る台詞の内容は似たようなものなのだが。
「レティシアも、結婚すればいいのに」
「お前、それ本気で言ってる?」
「うん。そうしたら『似合わない』ってシェラと笑ってあげられるもん。父さんは絶句するだろうからね」
片目を瞑る仕草が非常に魅力的なのだが、いかんせん選ぶ言葉に問題がある。
レティシアは器用に片眉を持ち上げた。
「お前、結婚詐欺師になったら絶対成功するぜ」
「やだよ。女の人の前で笑ってればいいだけのつまんない仕事なんて」
苦笑したレティシアだ。
「ヴァッツも、女引っかける仕事が一番嫌いだったんだ」
「だろうね。簡単すぎて味気ない」
「よく似てるぜ」
「よく言われるよ」
そのとき、ソナタが着替え終わって出てきた。
「どう?」
「「可愛い」」
男性ふたりは声を揃え、即答した。
活発な性格のソナタは、普段あまりスカートをはかない。
だが、もちろん似合わないわけではない。
すんなりと伸びた四肢を白いワンピースに包んだ姿は清楚可憐。
ノースリーブから出た腕は華奢だが、実はもしもロッドの大会に出たら成人女子の部でも優勝できるほどの実力者である。
夏だからだろうか。
黒い頭の上には、ちょこんと白い帽子が乗っている。
道行く男性がことごとく振り返る美少女だ。
男性陣も可愛い女の子は目に楽しいようで、にこにこしている。
ヴァンツァーが加わっても、にこやかに違いない。
「――でも、ちょっと胸元空きすぎ」
すかさずカノンのチェックが入る。
「えぇ~。だってレティーはこの方がいいでしょう?」
「もっとデカかったら」
悪戯っ子のような笑顔に、ソナタは膨れっ面になった。
「仕方ないじゃない。遺伝的に無理よ、そんなの」
確かに、ぺったんこの両親からホルスタインが出る要素はない。
「女の子の胸は脂肪だから、太れば大きくなるよ」
にこやかなカノンに、ソナタは食ってかかった。
「それ嫌味? 胸以外も膨らんだら意味ないじゃない!」
「ぼくは今のソナタのままで十分だと思うけど」
とてつもない美少年にそう言われた女の子が喜ばないわけもなく、レティシアは呆れたような、感心したような顔になった。
ソナタは、嬉しいのだが、困ったような、複雑な表情になった。
「だって……男の人って、みんな大きな胸が好きなんでしょう?」
高校で友達が言ってた、と言うソナタ。
高校生にもなれば、女の子は彼氏がどうの、という話題でもちきりなのだ。
これには首を傾げたレティシアだ。
「まぁ、見る分にはデカい方がいいけど、重要なのは――」
「レティシア」
にこやかな笑みのまま、カノンは問題発言をしようとしていた口を塞いだ。
「年頃の少年少女の前で、具体的なお話はやめてね?」
「なぁに、カノン。具体的なお話って」
話の先をせがむ美少女。
やはり気になるお年頃なのだろう。
カノンは考える顔つきになった。
「えっと、ぼくもよく分からないんだけど、たぶんシェラが聞いたら怒るか悲しむかする話」
「じゃあ聞かない」
ソナタはすんなり引き下がった。
この双子にとって、『シェラが云々』という文言は抜群の効果を発揮するのだ。
「その辺、確実にヴァッツの遺伝子だよな」
「父さんは割とシェラにちょっかい出すの好きだけどね」
「でもパパは本当にシェラが嫌がることはしないわ」
「うん。その辺のさじ加減は真似できないね」
「いいなぁ。私ももっとシェラで遊びたいなぁ」
──シェラ『と』ではない辺り、この少女もただものではない。
「――で? そのワンピース買うのか?」
「レティー買ってくれる?」
おねだり攻撃に出たソナタに、優秀な外科医は頷いた。
「あぁ、いいぜ」
「やった!」
「だから、露出高いからダメ」
「カノンのケチ! 可愛いって言ったじゃない!」
「ぼくは可愛いと思うよ。──でも、シェラがダメって言う」
「他のにする」
またもやソナタは即答した。
妹が再び試着室に消えると、兄は笑っているレティ シアに紫の視線を向けた。
「――なに?」
「いや、お前、ソナタの反応分かっててお嬢ちゃんの名前出してるだろ?」
「実際シェラは嫌がるよ。ただでさえソナタは可愛いのに。変な虫がついても困るし」
「あぁ、それあいつも実践してたぜ」
「父さん?」
「おう。着飾ったお嬢ちゃんの隣には自分が立って、虫除けやってたぜ」
「当然だね。シェラ美人だもん」
「お前が虫除けか?」
「ま、双子には見えないからね。この顔かなり効果的だし」
「だろうな。ふたりとない美少年だと、ヴァッツと初めて会ったとき思ったもんなぁ」
色々な意味で昔から可愛かった、とレティシアは楽しそうだ。
「四十過ぎても顔変わらないし、時々ぼくも惚れ惚れするくらい艶のある人だよね」
レティシアは呆れて目を丸くした。
「……お前、同じ顔だぜ?」
「ぼく可愛い系だもん。父さんの色気はソナタに遺伝したかな」
心配顔になるカノン。
色彩のためか、ソナタは元気で華がある一方、時々兄である自分がドキリとするような雰囲気を醸し出すこともある。
高校でもファンクラブが存在するのだ──むろん、非公認の。
「お待たせ」
ソナタが自分の服に着替えて出てきた。
「いいのか? 可愛かったぜ?」
「いいの。今度シェラと来て、いいって言われたら買う」
「基準はお嬢ちゃんか」
「そりゃそうよ。だってシェラがいない世界なんてあり得ないもの。シェラがいなきゃ私たち生まれてないんだし」
「あんなに華奢で可愛いのに、ロッドで一回も勝ったことないし」
「強いよね。そりゃあレティーやリィたちの方が強いけど」
「最近五回に一回は父さんにも勝つしね」
「ね! でもシェラったら可愛いから、『全部勝てなきゃダメなんだ!』なんて謙虚なこと言って」
「時間さえあれば挑戦してるよね」
「もう、頭撫でてあげたくなっちゃう!」
――と、まぁヒートアップしそうな双子の会話をとりあえず打ち切り、レティシアは双子に「お茶しようぜ」と切り出した。
「ソナタ! 変なことされなかったか?!」
双子とレティシアがファロット家に帰ると、シェラたちは既に帰宅していた。
そして、レティシアの姿を見るなり、シェラは開口一番そう言ったのだ。
「……お前ねぇ、もうちょっと俺を信用したらどうなの?」
これにシェラは目を吊り上げた。
「ふざけるな! 四十過ぎてもあっちの女、こっちの女ってフラフラしてる男が何を言う!」
「需要と供給だよ」
「屁理屈こねるな! 家の電話にも携帯にも出ないし、心配で戻ってきてみれば!」
「……それで父さん不機嫌そうなのか……」
ポツリと呟くカノン。
この様子では、自分たちを心配するシェラと、家の中ですらイチャつけなかったに違いない、と息子は読んだ。
「あ、ごめんねシェラ。携帯忘れちゃったの」
眉を下げて謝るソナタに、
「ううん、いいんだよ」
と声色すら変えて頭を撫でてやるシェラ。
レティシアは嘆息した。
「カノンがいるのに、妙な真似できるわけねぇだろうが」
「カノンはやさしい子だから、お前のような怪物とでも闘いたくないんだ!──って、カノンがいなかったらやっぱり手を出す気だったのか?!」
呆れ返って涙すら出そうになったレティシアだ。
「そうそう、そうなんだよな。昔っから、俺にだけ態度違うんだよなぁ──ヴァッツには別の意味で違ったけど」
「な──勝手に捏造するな!」
「してねぇよ。聞いた話じゃあ、俺のことは敵で嫌いだけど、ヴァッツのことはよく分からないとか言ったっていうじゃねぇか」
「……」
覚えのある台詞なので、思わず黙ってしまったシェラだ。
「お前は嫌いなら嫌いってはっきり言うやつだから、どうせあのときからヴァッツのこと好きだったんだろう」
「そ──そんなの、知るか!」
ふいっとそっぽを向くシェラ。
「ああ、シェラ顔赤~い! 可愛い~」
きゃっきゃとはしゃいでシェラに抱きつくソナタ。
「何だかんだ言って、シェラは父さんのこと嫌いじゃないよね」
「──カノン。何だその微妙な言い回しは……」
ヴァンツァーが僅かに顔を顰める。
「え? だって、父さん知ってる? シェラって、父さんのこと『馬鹿』とか、『誑し』とか、『あんなやつ』とかよく言うけど、でも絶対に『嫌い』って言わないんだよ」
はっとして目を見開くシェラ。
どうやら自覚がなかったらしい。
「ぼく記憶力にはかなり自信あるから間違いないよ。シェラは一度も、『嫌い』って言ったことない」
きっぱりと断言する、IQ二〇〇の天才少年。
「ほぉらな。それに比べて俺はしっかりきっぱり『嫌い』なんだぜ?」
「何だ悔しいのか、レティー?」
ヴァンツァーの顔が、他人にはそれとは分からない程度に嬉しそうになっている。
ふふん、と鼻を鳴らしそうな勢いである。
もし彼に耳や尻尾があったら、忙しなく動いていることだろう。
「いいんだ、いいんだ、俺なんか、どうせどこ行っても毒物扱いさ」
ヴァンツァーが器用に片眉を持ち上げ、シェラはおぞましさに身を震わせている。
「ソナタが慰めてあげる~」
きゅっとレティシアに抱きつくソナタ。
ちょうど、レティシアの顔にちいさな胸が当たっている。
「おーおー。おんなじ顔のよしみで、慰めてくれ」
ソナタの細い身体を抱き返すレティシア。
「馬鹿! こら! ソナタに触るな!!」
全身の毛を逆立てそうな勢いのシェラ。
「ソナタから来たんだもんなぁ~」
「なぁ~」
ヒシ、っと抱き合うふたりに、シェラは脳の血管が切れるのではないか、という憤怒の形相になった。
「ソナタ! こんなやつにくっついたら妊娠するぞ!」
「お嬢ちゃん、性教育はちゃんとしなきゃだぜ? キスしたって孕まねぇよ」
「あ、中学校のとき保健の授業で見たよ」
「詳細知りたかったら、ふたりの寝室覗くといいぜ」
たぶん成人向けディスクより内容濃いと思うから、とレティシアが言った途端、シェラの雷が落ちた。
ヴァンツァーは静かにソファに座り優雅にコーヒーカップを傾けているし、カノンは賢明にも耳を塞いでいる。
……こうして、リビングは一気に戦場と化した。
そして、シェラがレティシアに制裁を加えようと頑張っている間に、父と双子は仲良く台所で夕飯の支度をするのだった──。
END.