「……いつから、吸ってるんだ?」
情事の倦怠感が色濃く残る身体をシーツに沈み込ませ、シェラは背中で訊ねた。
「つい最近」
「嘘だ」
きっぱりと即答され、ヴァンツァーはちいさく笑うとさほど吸っていない煙草を灰皿に押し付けた。
「理由を教えていただけますか、センセイ?」
「……吸い方が、馴染んでいる」
「へぇ。俺のこと、よく見てるんですね」
背後からシェラを抱きしめ、項に唇を押し付ける。
振りほどくでもなくされるがままになっているシェラに、ヴァンツァーは訊いた。
「キスが苦くて嫌だった?」
「……」
「それとも──昔の男と同じ煙草だった?」
「……」
ほんの僅かに肩が強張る。
素肌で触れ合っていれば、嫌でも気取られてしまう。
それを笑う気配がし、シェラは眉間に皺を寄せた。
「……きみ、忘れさせる気なんかないんだろう……」
「心外ですね。俺に抱かれている間は、忘れられたでしょう?」
「……」
「何度イッても足りない、って顔で」
「……言うな」
「可愛いというより、淫らって感じでしたね」
「言うな」
「どうして? 褒めてるのに」
くすくすと笑う男の言葉は、どこまで本気なのか知れない。
眉宇をひそませ、瞳を曇らせるシェラに、ヴァンツァーは言った。
「後悔しているんですか?」
「……最初から、分かっていたことだ」
「じゃあ、感じてしまった自分に、罪悪感を覚えているんだ」
「……」
黙り込んだシェラに、ヴァンツァーは何度目になるのか、おかしそうな笑みを向けた。
「あなた、嘘が吐けない人ですね」
「……きみは大嘘吐きだな」
「えぇ。将来は結婚詐欺師にでもなろうかな、って思ってます」
ひどく真面目な声で返され、思わず目を瞠ってため息を吐いたシェラだ。
「きみが言うと、冗談に聞こえない」
「そう?」
「きっと……きみならどんな人間でも虜に出来るんだろうな」
僅かにトーンの下がった声に、ヴァンツァーは手慰みのようにシェラに触れていた手を止めた。
「……そうですね」
聞き取れないほどの呟きに、シェラは背後を振り返った。
「──ミスタ・ファロット?」
「あ、やっと呼んだ。──でも、肉体関係を持った男を呼ぶのに、Family nameはないなぁ」
減点だよ、と薄く笑う。
「……」
「そもそも、知っているくせに一度も呼ばないなんて、薄情な人だ」
「別に……」
「えぇ。分かってます」
顔を逸らしたシェラの耳元にささやく。
「──違う男の名前を、呼んでしまいそうだったんでしょう?」
「だから、きみは──」
「忘れたいなら、ずっと俺に抱かれていればいいんですよ」
「……」
「そうでしょう?」
昏い微笑を浮かべ、シェラの脚を撫でる。
太腿の内側を指でなぞられ、官能が甦る。
「──……今度は、気絶するまで抱いてあげるよ」
彼はときどき、本当のことも言う。
目が覚めたとき、教え子の姿は既になかった。
どうせ人目につかないよう別々にホテルを出なければならないのだから、それに対してどうこう言うつもりは毛頭ない。
支払いも済んでいて、その借りは今度返さなくては、と思い、自嘲の笑みを口許に刻む。
「──……今度、ね」
昨夜は成り行きだった。
なぜ彼が自分を誘ったのか、また気絶した自分を病院ではなくホテルへ連れ込んだのかは分からないが、次はない。
新学期になれば、教師と生徒として顔を合わせるだけだ。
それでも、ホテル代を返すくらいのやり取りをすることは可能だろう。
土曜の昼、自宅に帰り着いたシェラは、ベッドへ行くのも面倒でソファへと身を投げ出した。
途端に鳴り出した携帯を鞄から取り出すと、その表示に目を瞠った。
「……どう、して……?」
入れた覚えのない名前と番号が、画面に表示されている。
しばらく画面を凝視していたが、はっとして慌てて通話ボタンを押す。
「……はい」
『──あ、やっと出た』
くすくすと笑う声は、機械を通して昨夜耳にした甘さは欠いていたが、彼のものだ。
楽しそうな──それでいて、どこか醒めた声。
「どうして……」
『あぁ、番号?────携帯、開けちゃった』
「──っ、きみは!!」
悪びれもせずに告げてくる青年に、シェラは思わず大声を上げてしまい、電話越しだというのに相手が不快気に眉をひそめたのが分かった。
『……別にいいでしょう? プロフィール画面見ただけで、他は弄ってないですし』
「そういう問題じゃないだろう?!」
『だから、大声出さないで下さいよ』
「……何を考えているんだ、きみは……」
人のプライヴァシーを覗き見するようなことをして、と責めれば、不意に冷笑が返ってきた。
『──へぇ、面白いこと言うんですね』
「……何が」
『いやぁ、携帯を見せるより、身体を曝け出す方が抵抗ない人なんだな、って』
「──っ!」
『──あれ、怒ってます?』
心底不思議でたまらない、という声音に、シェラは携帯を握り潰しそうなほどに力を込めた。
それも感じ取ったのか、ヴァンツァーはくすっと微笑んだ。
『あなたの怒った顔も、きっとそそるんでしょうね。残念だな』
「……二度と」
この電話に掛けてくるな、と言おうとして、先手を打たれた。
『──まぁ、仕方がないので俺はあなたの寝顔を見ながら、独り寂しく休日を過ごしますよ』
「……何、を……?」
言われていることの意味が分からず、シェラは眉宇をひそめた。
『結構良く撮れてますよ。最近は携帯でも写りがいいから』
「──まさか……」
怒りのために赤くなっていた顔が、一気に青褪める。
携帯を握る手はカタカタと情けないまでに震えていて、喉は干からびたようだ。
唾液を飲み込むことすらできずに浅く喘ぐシェラに、ヴァンツァーは晴れやかなまでに明るい声を返した。
『おやすみなさい。また学校でお会いしましょう────センセイ?』
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