夢見が悪くて、夜中に目覚めることがよくある。
「……」
あまりに頻繁で、「またか」と思うこともなくなった。
ただ、深いため息を吐くだけ。
──吐き出す息とともに、また、ひとつ何かを諦める。
後悔なんて、いくらでもしてきた。
手に入れたものより、諦めたものの方がずっと多い。
昔からそう。
家族仲は悪いわけじゃないけれど、病弱な弟がいるから両親はそちらにつきっきり。
聞き分けのいいふりをするのは、そんなに難しいことでもなかった。
友達はたくさんいたし、弟の体調が良いときにはドライブや旅行に行ったりもした。
それでも、やはりいつ病状が悪化するか分からない弟を気にかけるのは親として当然のことで、『自分のことは自分で』というのは、五歳の頃には既に身につけていた処世術だった。
──だから、相談なんて出来なかった。
はっきりと自覚したのは、小学校四年生の頃だったろうか。
自分は、男の子相手にどきどきするらしい。
ふわふわしたスカートをはいている女の子を可愛いと思いはするけれど、それはどちらかといえば『羨ましい』という気持ちだったのだと後になって気づいた。
逆にクラスメイトの男の子に肩を叩かれたり、顔を近づけられたり、笑いかけられたりすると、妙に胸が騒いだ。
顔が熱くなって、手足が震えて。
自分も弟と同じような病気になってしまったのかと思って、さすがに両親に話そうかとも思ったけれど。
たまたま聞こえてきた女の子たちの『内緒話』によると、どうやらそれは『恋』らしい。
──男なのに、同じ男に『恋』をしているらしい。
おかしいことなんだろうな、と思ったから、誰にも言わなかった。
保健の授業では、異性愛の他に性同一性障害のことも取り上げた。
自分もそうなのかも知れない、と思ったが、授業を受けていた同級生たちが騒いだり笑ったりしていたから、言い出せなかった。
保健の先生にも、言えなかった。
もちろん、友達にも。
仲のいい友達もたくさんいたけれど、何でも話せる『親友』みたいな子はいなかったから。
自分の友達が、『男の子』であるべきなのか、『女の子』であるべきなのか、よく分からなくなったりもした。
──自分のことは、自分で。
だから、困惑しながらも、そのうち何とか出来るようになるだろう、と思っていた。
中学生になって、男の先輩に、告白された。
生徒会長を務める、頭が良くて、やさしくてかっこいい、人気者の先輩。
憧れている女の子はたくさんいた。
その先輩がどうして自分を、と戸惑いながらも頷いた最初のデートで──無理やり犯された。
感じたのは、恐怖でも、苦痛でもなく、ただ……────快楽だった。
「──先生」
低く、よく通る声に、反射的に身をすくめる。
立ち止まってしまったはいいが振り返れないでいると、「先生?」と顔を覗き込んでくる怖いくらいに整った顔。
──本当に、恐怖を感じる、……顔。
「……なに」
顔を見ないように俯き歩く速度を上げれば、ぴったりと隣についてくる生徒。
「お急ぎの用事でも?」
優等生然とした様子でこちらを気にかけている素振りすら、苛立ちの材料になる。
「あぁ、忙しい。実力試験の準備がある」
「来週でしたっけ?」
「そうだ。──きみも、さっさと帰って勉強した方がいいんじゃないか?」
冷笑を浮かべれば、くすくすとおかしそうに笑う声。
人気者らしい明るく朗らかな笑い声が、また、妙に苛々する。
その苛立ちを抑え切れるほど、今日は精神状態が安定していない。
「……なにがおかしい」
「そりゃあおかしいですよ」
「だから何が」
懸命に低くした声だったが、潜む怒りは隠し切れない。
立ち止まり、自分よりも背の高い男を睨みつける。
涼しげな藍色の瞳は薄く笑みを刷いたまま感情を読ませず、形の良い唇がゆっくりと持ち上げられる様にぞくりと背中が騒ぐ。
「──じゃあ、こうしましょうか」
殊更ゆっくりと紡がれる言葉。
まるで、見えない糸で絡め取るように。
甘い毒で、痺れさせるように。
ゆっくり、けれど確実に。
「……」
動く唇から、目が、離せなくなる。
「……」
その唇と、舌。
わざと、見せつけるように──誘うように、蠢く、それ。
「……」
周囲の音も、景色も、入って来ない。
脳が麻痺していく。
ごくり、と喉を鳴らした瞬間、ふ、と笑われ、はっと我に返る。
「決まり、ですね」
にっこりと微笑む青年が何を言っていたのか、まったく覚えていない。
「何の話だ」
「約束」
「だから──」
焦りと苛立ちに荒げかけた声も、耳元でささやかれた言葉に行き場を失う。
「──実力試験で全科目満点取ったら、……また、────抱くよ」
それは、約束でも懇願でも何でもない。
──決定した、未来だった。
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