「え~? ハニー、今週末も外泊かよぉ……」

大仰に嘆く金髪の友人に、思わず苦笑する。

「誰が『ハニー』だよ」
「お前だよ、お前。学校イチの美形にして秀才の、ヴァンツァー・ファロット君だよ!」
「だから、どうして俺がそんな呼び方をされるんだ」

寮の食堂で夕飯を一緒に食べているとき、レティシアに週末の予定を訊かれたから「予約済み」と答えた。
そうしたら、今にも泣き出さんばかりの表情になったのだ──もちろん、演技だが。

「俺のことは『ダーリン』って呼んでいいぜ──あ、ちゃんと語尾にハートもつけろよ?」

ゆうに五人前はあろうかという皿の数々なのだが、その大半が既に細身で小柄な少年の胃袋に収められている。
見ているだけでこちらの腹が膨れそうなのだが、何を食べても幸せそうな顔をしているから気持ちは良い。

「いいなぁ、特進クラスの秀才は。俺なんか、外出許可もらうだけで寮監にしつこく理由聞かれるんだぜ?」
「それは日頃の行い」

しれっと言い切ったヴァンツァーだが、レティシアは特進クラスにこそ所属していないものの、理数科の優秀な生徒である。
その軽薄な外見と言動からは想像出来ないが、特進クラスを含めたとしても、トップクラスの学力の持ち主だ。

「──で? 何か用事でもあったのか?」
「……ダーリン」
「は?」
「『何か用事でもあったの、ダーリン?』だろ」
「……あのなぁ」
「言わないなら喋らない」

ふいっ、とそっぽを向く姿がちいさな子どものようで可愛らしい。
つれない恋人相手に拗ねる女の子のようだ。
他の人間がやったら「──馬鹿か」と冷笑するところなのだが、この友人がやるとどこか微笑ましい。
憎めない人間というものは、どうやら本当に存在するらしい。

「何か用事でもあったのか、ダーリン」
「ちょー棒読み。やる気が感じられないんですけど」

唇を尖らせる姿に、さすがに嘆息する。

「俺がそんな台詞を本気で可愛く口にしたら、明日から校内歩けないだろうが」
「あー、テーソーの危機だな」
「……誰が百八十超えてる男を押し倒すんだよ」
「俺、俺」

にっこり笑って自分を指差すレティシアに、呆れた顔を向ける。

「そうじゃなくて、視線が余計に煩くなるって言ってるんだよ」

若干顰められた顔。
吐き捨てるような声音ではあったが、育ち盛りの高校生で大盛況の食堂は当然のごとくかなりざわついており、小声程度では隣の人間にも聞こえない。

「え~、俺はヴァッツのことかなり可愛いとか思っちゃってるんですけど」
「そりゃどーも」
「あー、可愛くない」
「どっちだよ」

思わず吹き出すと、不意に頬に触れる指先を感じた。

「レティー?」

問い掛ける視線を向ければ、思いがけず穏やかな笑みがあった。
瞳を瞬かせている黒髪の友人に、金茶の髪の少年は直後にっこりと、満腹の猫のような笑顔を見せた。

「楽しい用事みたいだな」
「え?」
「最近、割と表情明るいし」
「……」
「こりゃ、お前を予約した誰かさんに感謝しなきゃかな──え、おい、死にたがり君?」
「レティー……」

翳りを帯びた藍色の瞳をじっと覗き込むと、「ていっ」と言いながら相手の額を指先で弾いた。

「っ……」

じんわりと痛む額を押さえて恨みがましい視線を向けると、レティシアはにやり、と笑った。

「よちよち、良かったでちゅね~。美少年な上に寛容なダーリンで」
「……」
「でも、たまには遊んでくれないと、へそ曲げちゃいまちゅよ~」
「──ぁ、……っ」

微かに表情を強張らせて困惑の色を浮かべる瞳に、レティシアは「冗談だよ」と返した。
テーブルに頬杖をついてくすくすと笑うと、意外とやわらかな黒髪をくしゃりと撫でた。

「お前、本気で可愛いよなぁ」
「……」
「お面みたいな笑顔の優等生より、そっちの方がずっとイイぜ?」
「……」

どうしたらいいのか分からない、という迷子のような顔になった友人の髪をもう一度大きくかき混ぜると、レティシアは皿に残っていた料理をすべて平らげて「ごちそうさま」と手を合わせた。

「──ま。何にせよ、子どもは子どもらしく、週末を楽しんで来なさい」

過度の干渉は肉体的にも精神的にも受け付けないヴァンツァーだったが、レティシアだけは、いくらベタベタと触られても、内面に踏み込んでこられても、苛立ちを感じなかった。
それは、レティシアが強い精神を持った男だからだ。
寄りかからず、ひとりで立てるだけの自己というものを持っていて、その上で他人のことまで支えられる男だから。

──自分に触れても、溺れず、変わらず、……死なない人間。

だから、レティシアとは一緒にいられる。

────では、あの人は一体どうなのだろう……?


教え子との密会というのは、その背徳性と相まって今までに感じたことのない興奮を与えてくれた。
開き直ってしまえば、ヴァンツァー・ファロットという男は遊び相手として最適と言えた。
頭の回転が速いから会話は面白いし、学校で見る穏やかな笑みとは違う表情を見られることが楽しくもあった。
顔の造作は言うに及ばず、細身ながらしっかりとした身体つきも、もちろんsexのテクニックも、申し分のない相手だった。
形良く長い手指も、低く甘い声も、こちらの羞恥心を逆手に取って劣情を煽る手管も。

──そう、シェラは教え子との情事を楽しんでいた。

身体の関係抜きに彼と会うことはなかったが、そもそも自分たちは最初からそういうつもりで時間を過ごしていた。
彼の意図がどこにあるのかシェラは知らないし、訊こうとは思わない。
ただ、彼が自分に恋をしているのでないことだけは、はっきりと分かる。
教師という身分に興味があるのかも知れないし、別に相手は誰でも構わないのかも知れない。
そこにいたから、というのが一番しっくり来るような気がする。
自分の望みを彼に知られているのにあちらの考えが分からないということは、多少歯がゆくはある。
それでも、束の間脳裏を占める切なさを振り切れるのであれば、何でもいい。
どんな形であれ、互いを利用しあっていることに変わりはない。
それで胸が痛むのであれば、それすら快楽に変えてしまえばいいだけだ。

「──なに、まだ消してなかったの?」

やわらかく重ねた枕に背を預け、煙草を銜えて携帯を眺める男に、シェラは呆れた声で問い掛けた。
藍色の視線が軽く流されたあと、にやり、と口端が吊り上る。
顔の造作そのものは非常に端正であり、十人女がいればそのすべてが振り返る美貌は上品ですらある。
しかし、ほんの少し目許や口許を歪めるだけで、御伽噺に出てきそうな王子様はたちまち妖艶で淫猥な男娼に姿を変える。
それも、最高級の極上品だ。
金では靡かない、自分が興味を持った人間としか床をともにしない男。
それでいて、狂おしいくらいに『雌』を惹きつけてやまない『雄』だ。

「可愛いでしょう?」
「……本人を目の前に言うかな」

嘆息するシェラに、ヴァンツァーは喉の奥で笑った。

「あれ、妬いてるの?」
「自分相手に?」

馬鹿を言うな、とでも言いたげに背を向ける青年に、「写真はそうやって憎まれ口叩かないし」と苦笑する。

「ホント、眠ってる顔は天使みたいなのになぁ……」
「──貸せ、消す」

低くなった声音に、「嫌だって」とおかしそうに笑う。

「あなた、結構しつこい性格ですね」
「きみに言われたくない」
「あ、そういうこと言うかな。──悦んでるくせに」

頬をひと撫でされれば、情熱の名残が身の内で燻っていることを自覚させられる。
とろり、と色合いを深くする菫の瞳を褒めるように、軽く唇を啄ばむ。

「……煙草を持ったまま、キスをするな」
「火傷なんてさせないよ──俺以外には、ね」
「きみは本当に、頭がいいのか馬鹿なのか分からないな」
「あぁ、それは友達にもよく言われます」
「友達がいたのか」
「えぇ。『ラヴラヴ蜜月真っ盛り』らしいです」
「そんな調子では、その『ラヴラヴ』なお友達に見限られるのも、時間の問題だな」
「そうかなぁ?」
「当たり前だ」

ヴァンツァーの手から煙草を奪い取ったシェラは、ベッドヘッドに置いてある灰皿にそれを押し付けた。

「──ふたりでいるときは集中しろよ、……坊や?」

ぐっと首を引き寄せれば、怖いくらいに整った顔が一瞬きょとんとなり、次いでゆったりと凄絶な笑みを浮かべた。
魔物のような微笑。
恐ろしくも魅力的で、ぞくりと背中が騒ぐような。

「……せっかく手加減してあげたのに」
「いらぬ世話だな」
「足腰立たなくなっても知らないよ?」
「年寄り扱いするな。いくつも違わない」
「いや、十歳は結構離れてると思うけどな。ましてや俺、高校生だし」
「十歳も違わない。七歳だ」
「一緒だよ」

くすくす、とおかしそうに笑って髪を撫でてくる男に、シェラはきついひと睨みを与えた。

「……きみは、女にも男にも敵が多そうだな。私が女性だったら、今の台詞でその綺麗な顔の形が変わっているぞ」
「敵を作るような立ち回りはしませんよ。──どうせ最終的には堕ちるしね」

そんな会話を交わしながらも、相手の肌を探ることを楽しんでいる。
いちいち回数など数えていないが、両手では足りない程度には絶頂を迎えさせてやっているのだから、どこに触れれば身体が熱くなるのかなどもはや考えるまでもない。

「その堕ちた人間たちは、一体どうなるんだ?」

くすくすと笑って肌を滑る唇を感じていたシェラは、不意に止まった動きに訝しげな顔を向けた。
思わず名前を呼べば、すっと顔が上げられる。
かちり、と合った瞳は凍えるような蒼で、愛撫によるものとは別の感覚に背中がざわめく。
昏い、濁った瞳の男は、温度のない微笑を浮かべた。

「──堕ちて逝く先なんて、地獄に決まってるだろう……?」




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