──興味深い。
そう、思った。
「──……あぁ、やっぱりいいね」
白く滑らかな胸を緩やかに上下させながら、彼はそう呟いた。
汗で額に張り付いた金髪をかき上げ、繊細な美貌で嫣然と微笑む。
腕を上げて触れた漆黒の髪は、驚くほど指触りが良い。
白皙の額にかかる髪を、組み敷いた男と同じようにかき上げた青年は僅かに首を傾げた。
「何がです?」
感情の宿らない表情と声音。
おそらく、今自分が発した問いに答えが返らなくとも、何とも思わないに違いない。
常に貼り付けている見慣れた微笑と人当たりの良い態度より余程、こちらの方が面白い。
「ふふっ」
「……何ですか。気持ち悪いな」
若干顔を顰めるが、その軽い嫌悪の様子すら彼の美貌を際立たせる。
彼の年齢で、ここまで退廃的な雰囲気が馴染んでいる人間もそういないだろう。
「いや……────普段顔色ひとつ変えない男が、セックスのときだけ汗を流すというのは風情があっていいな、と……ね」
相手のこめかみから顎へと伝う雫に唇を寄せれば、「物好きな……」と呆れた声が返る。
それすら笑みを誘い、水色の瞳を細めて唇を濡らす雫を舐めた。
黙っていれば聖人君子然としたやさしげな美貌が、娼婦のように卑猥に変わる。
「なぜだか昔からよくそう言われるんだよ。不思議だね」
「自覚がなかったんですか。それは可哀想に。周りの方はさぞご苦労されたでしょうね」
「きみは本当に口が悪いね」
「顔と頭とカラダは極上なんですから、それくらい我慢して下さい」
真顔で言えば、金髪の男はちいさく、しかし長く笑った。
その振動が繋がった部分から伝わり、微かに藍色の瞳を眇めた。
「──……また、大きくなった」
うっとりとささやけば、「若いですから」と唇を歪める。
言外に『あなたより』と含まれていることが分かっても、その歳相応に強気で可愛らしい受け答えは微笑みを誘うばかり。
こちらが笑えばプライドの高い彼は気分を害することが分かっているから、余計に面白くて仕方がない。
案の定、もともときついまなざしを更に鋭くする。
「いい眼だね……────おいで……」
誘いの言葉に素直に乗るような性格ではないけれど、だからといって挑まれておいて無視が出来るほど大人ではない──少なくとも、彼自身が思っているよりは。
倍近く歳が離れているとは思えないほど大人びた青年だが、負けず嫌いな性格だから扱いはそう難しくない。
「……Give upは受け付けませんよ」
「じゃあ、先に眠ってしまった方には何か罰ゲームを用意しないとね」
くすくすと笑えば、にやり、と形の良い唇が三日月型に歪む。
「──……どうせなら、身を滅ぼすような熱いgameにしましょうか……」
昏い色の瞳に水色の目を細めると、了承の代わりに首を引き寄せて舌を絡めた。
目を開けると、精悍な美貌がすぐ近くにあって驚いた。
焦点が合わないほどの顔の近さに驚いたわけではない。
そうではなく、その青年の寝顔が、今、自分の前に晒されているという事実に驚きを禁じ得なかったのだ。
会う場所は専らホテルだが、数時間身体の関係を楽しむにせよ、宿泊するにせよ、彼が自分に寝顔を見せたことは一度もなかった。
彼との関係が始まって半年近く経つというのに、ただの一度も、だ。
だからこそ、シェラは食い入るようにすやすやと寝息を立てる青年の顔を凝視してしまった。
真っ白い肌は至近距離で見てもしみやにきびの痕ひとつなく、赤ん坊の肌のように滑らかだ。
濃い眉も、意外と長い睫も、通った鼻梁も、形の良い唇も。
見慣れているはずなのに、いつもと違った。
頭の片隅で、「憎まれ口を叩かないからか……?」と考え、笑いそうになって懸命に堪えた。
額にかかる漆黒の髪を払おうと指を伸ばし、思いとどまる。
もしかしたら起こしてしまうかも知れない。
せっかく熟睡しているのだから、わざわざ起こすことはない。
それに──。
────……カシャ。
どこか遠くで聞こえた、と思った機械の音に、ヴァンツァーは一気に覚醒した。
「──?!」
慌てて跳ね起きると、目の前にはベッドの上に膝立ちになり、携帯電話を構えている銀髪の青年。
「あ、起きちゃった」
もったいない、と呟く青年の言うことが今ひとつ理解出来ず首を傾げかけて。
「──おい!」
珍しく大きな声を出して思い切り手を伸ばす。
しかし、シェラはひょい、とばかりに身をかわしてその手から逃れた。
頭は目覚めても、身体が目覚めていないのだろう。
運動神経抜群の青年の腕から逃れることは、いつものシェラだったら出来なかったはずだ。
「危ない、危ない」
くすくすと笑うシェラに、ヴァンツァーは若干焦っているような表情を見せた。
「まさか……」
「撮ったよ」
にっこりと微笑む、顔だけ見ていれば天使のような青年の言葉に、ヴァンツァーは思い切り舌打ちした。
「消せ」
低い声で凄めば、きょとんとした顔が返される。
「──それ、本気で言ってるのか?」
「なに?」
「自分だって消してないくせに、私にだけそれを催促するというのはfairじゃないな」
「俺は」
「『俺はいいんだ』、なんて子どもみたいなこと、まさか言わないよね?」
「……」
黙り込んだヴァンツァーに、シェラは何とも得意気な笑みを浮かべた。
「やっぱり寝ているときの方が可愛い」
「……煩い」
「珍しいな。疲れてたのか?」
「煩い!」
本当に、癇癪を起こした子どものような態度にシェラは目を丸くした。
腹が立ったりはしなかったけれど、何だかこれも新鮮だったのだ。
「……本当に、珍しい」
「消せ」
「嫌だよ。せっかく初めてきみの寝顔──」
「──っ、頼むから消してくれ!」
頭を抱えるようにして大声を出す青年に、シェラは本格的に放心してしまった。
寝起きだからか、そんなに写真に撮られることが嫌いだからなのか、ここまで感情を露わにする様子は、学校でもプライヴェートでも見たことがない。
まじまじと見つめられている視線が気になるのか、顔を上げようともしない。
しばらくどちらも動かないでいたが、ヴァンツァーが盛大に舌打ちするのが聞こえた。
「……俺がデータを消せば、そっちも消すのか?」
「え?」
「俺も消すから、あんたも消せ」
「……いいけど」
そんなに嫌なのか? と訊ねても、言葉は返らなかった。
代わりに、自分の携帯を取り出すと、シェラの寝顔のデータを呼び出し、
「ほら」
と言って削除した。
「これでいいだろう?」
だからお前も消せ、と言外に命じる声がした。
シェラは内心、ちょっともったいないな、と思いはしたが、向こうが消しているのにこちらが消さないわけにもいかず、今撮ったばかりのデータを呼び出して削除した。
「はい。消した」
「……」
「私が言えた台詞じゃないけど……いいじゃないか、写真くらい」
ここ最近、シェラはヴァンツァーとの関係を開き直って楽しんでいた。
最初は相手の手元に自分の画像データがあることが怖くて仕方なかったが、彼がそれを悪用する様子は見られなかったし、正直、バレたらバレたでいいか、とも思っていた。
どうしても続けたい仕事というわけではない。
ただ、あの人が応援してくれたから、続けられるだけ続けてみよう、と思っていただけ。
「……」
思い出し、ツキン、と痛む胸にちいさく眉を寄せたシェラだったが、ヴァンツァーが大きく嘆息して煙草に火をつけるのを見て口を開いた。
「……身体に悪いぞ」
「知ってますよ」
「成長が止まる」
「これ以上大きくならなくてもいいなぁ」
はは、と乾いた笑いが漏らされ、その笑い方にいつものような酷薄さや精彩がないことも気になった。
本当にどうしたのだろうかと思い、彼のことを気にしている自分に驚きつつも、それは人としてごく当たり前の感情なのだ、と自分に言い聞かせてシェラはヴァンツァーの顔を覗いた。
口に煙草を銜えたまま、どこかぼーっと前を見ていた藍色の瞳が、ふと気づいて横を向く。
「……何か?」
「いや……無防備っていうのは、今のきみのような人のことを言うんだろうなって」
思わず思ったことが口をついて出てきて、それに顔を顰めるのを見て内心しまった、と思った。
こんな馬鹿正直に指摘されて、素直に認めるわけがない。
たかだか半年の付き合いでも、それくらいのことは分かる。
だからシェラはしばらく黙って、彼が喫煙する様子を眺めていた。
やはり、長い指が綺麗だな、とか、フィルターを銜えているだけの唇に色気があるな、とか。
思えば馬鹿みたいなことなのだけれど、見た目だけで言うならば、ヴァンツァーという男は本当に完璧なまでの造作をしているのだ。
じっと見ていると、藍色の視線がすっと流された。
ぴくり、と反応すれば、からかうように目を眇める。
「あんまりイイ男で、見惚れてました?」
「うん」
間髪入れずに頷けば、ヴァンツァーの方が面食らったような顔になった。
あ、ちょっと可愛いかも、と思いつつ、シェラは彼らしく思ったままを口にした。
「きみの顔と身体は、素直に綺麗だと思うよ。たぶん十人に訊いたら九人以上がそう答えるだろうから、繕う必要はないだろう?」
それに、きみには慣れた賛辞だろうし、と言えば銜えた煙草すら落としそうな、ぽかん、とした表情が曝け出され笑ってしまった。
「なに?」
そう言って眦に浮かんだ涙を指先で拭えば、何とも言えない、奥歯にものが挟まったような顔になって、今日の彼は百面相だ、と少し嬉しくなった。
「言われすぎてつまらなかった?」
「……いや」
しばらく言葉を捜すように視線を彷徨わせ、やがて諦めたように肩をすくめた。
「そこまで馬鹿正直に褒められたことは、逆に少ないので」
「そう?」
「えぇ。そんな馬鹿みたいに真っ直ぐに言われたことは」
いくらか『馬鹿』を強調しているが、それにも不思議と腹が立たない。
くすくす笑えば、思い切り嫌そうに顔が顰められた。
「……何ですか」
「うん? いや、やっぱり今日のきみは可愛いよ」
「……勘弁してくれ」
「褒めてるんだけどな」
「嬉しくありませんよ」
「顔と身体は綺麗だって言っただろう?」
「全然種類が違うでしょうが」
「そうかな?」
本当によく分からなくて首を傾げれば、深く息を吐き出して煙草を灰皿に押し付ける。
「俺にそんなことを言うのは、今この世界中探したってあなたの他にはひとりしか知りません」
「へぇ、そうなんだ」
「ちなみに、俺の寝顔を見たのも、……ね」
シェラは菫の瞳を真ん丸にした。
「──何だ。それじゃあ、今日の私はちょーラッキーじゃないか」
やっぱり画像消すんじゃなかった、と残念がれば、対する青年の片眉が器用に持ち上げられた。
「……何ですか、その頭の悪い女子高生みたいな喋り方は」
「え? ダメか?」
「腐っても語学の教師でしょうが」
「腐ってない」
「曲りなりにも」
「だから」
「百歩譲って」
「……きみ……もしかして、私で遊んでいるのか?」
しれっとした顔でいる青年に、シェラは眉を寄せた。
「あれ。気づいてなかったんですか?──『天然』も追加だな」
にやり、と唇を持ち上げる様子に、シェラは柳眉を吊り上げて報復に向かった。
「──成敗!!」
叫んで真っ白い頬を掴みにかかったが、スプリングの利いたベッドの上だというのに難なくかわされ、逆に手を取られてしまった。
「じゃあ俺は────お仕置き、かな……?」
ささやいて素早く唇を重ねると、シェラが反応を返す前に舌を絡めた。
ぞくり、と腰から背中にかけて這い上がる衝動に、意識せず力が抜ける。
抗う気などさらさらなく、むしろ自ら積極的に舌を伸ばせば、藍色の瞳が軽く瞠られる。
シェラも目を開けて、その夜空のような瞳の奥を覗きこむ。
目許だけで笑み、そのまま体重をかけて長身をゆっくり押し倒す。
長いキスが止むと、ヴァンツァーは面白がるような顔を向けた。
「へぇ……今日は随分とやる気なんですね」
「そんな気分なんだ」
「ふぅん」
「不満か?」
どこか尊大な調子で言って髪をかき上げれば、くすり、と笑みがもたらされた。
「──じゃあ、どちらが先に寝てしまうか……gameをしましょうか?」
上下を入れ替えシェラを組み敷いたヴァンツァーは、久々に、この行為を楽しいと感じ始めている自分に気づき。
──そのまま、深く考えることはせずに目の前の獲物を追いかけることに没頭した。
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