「最後はこれだよ」

そう、魅力的な笑みを浮かべた青年が手にしているものに、シェラはきょとんと目を丸くした。

「それ……──エプロンだよね?」
「うん、そう」
「今着けてるけど?」

そう、確かに、メイド服を着たシェラは胸を強調するような造りのエプロンを身につけていた。
濃赤色の衣装に、白いエプロンがよく映えている。
そのエプロンと同じようなものを取り出して『コレ』と言われても。
よく分からないで首を傾げているシェラに、ヴァンツァーはにっこりと笑ったものだ。

「いやだなぁ。裸エプロンは、男の永遠のロマンじゃありませんか」
「あぁ、うんそうだよね、裸エプロンは男の────って……は、はだ──?!」

つられてにっこりと微笑み思わず繰り返してしまった言葉に、シェラはくらり、と眩暈を感じた。
今までだって、そう布の面積は大きくなかった。
腕だの脚だの腰だの、あちこち露出していた。
しかし、『裸エプロン』ではレヴェルが違うではないか。

「あれ? 知りません? 裸に、エプロンだけ身につけるんですよ」
「そんなもの聞けば分かる!」
「じゃあ、何が分からないんです?」
「──私が裸にエプロンだけ着ける理由だ!!」
「これだけノリノリでコスプレしてきて、どうして裸エプロンで躊躇するかな?」

『コレ』と視線で示されたのは、ソファに並べられた衣装の山。
軽く十着は超えている。
本気でよく分からないな、といった表情をする青年に、シェラは頭痛のする頭を押さえながら訊ねた。

「……男にエプロンだけ着けさせて、何が楽しいんだ」
「俺の眼に楽しい」
「………………」

きっぱりと言い切られた、あまりにも単純明快な答えに、一瞬間違って「そうか」と頷きそうになってしまったシェラだ。

「シンプルだからこそ、素材と意匠と、何より身に着ける本人の資質が重要なんだ」

真剣な表情と何やら小難しい口調で語られて、やはりうっかり『そうなのか』と思ってしまいそうになる。
ふるふるっ、と頭を振ったシェラは、「何がそんなに眼に楽しいというんだ」と呟いた。
しかし、口にした直後に後悔した。
きらり、と藍色の瞳が光る。

「まず第一にエプロンと肌の露出のバランス。正面から見たときには、太腿の半ばまでが隠れる丈が理想だ。長すぎてもつまらない、短すぎても下品で、このバランスが難しい。第二に、下は腰がすっかり隠れるくらいのフリルがあしらわれた丸みのある型、きゅっとリボンで結んで腰の細さを強調。第三に、上はギリギリ鎖骨が見えるくらいでないといけない。その鎖骨の上を跨ぐリボンを首の後ろで結んで、裸の背中に余った部分を流す。後ろから見たときには首と腰で結ばれたリボンが身体をやわらかく拘束しているように見えるのがイイ」

立て板に水の如く雄弁になる青年に、シェラはぽかん、と口を開けてしまった。
決して口数が多い方ではないヴァンツァーがこんなに長い台詞を喋ったのを初めて聞いたかも知れない。

「前屈みになったときに鎖骨と胸がちらっと見えるのも、趣があって大変良い。その状態で髪をかき上げたりしたら最高ですね」
「……あぁ、そう……」
「何ですか、その気のない返事は」
「……」

一体、それ以外にどんな言葉を返せというのか。
まるで腹を立てているようにも見える青年に、シェラは一応訊いてみた。

「その……そういう格好をしている人を前にして、その……」
「なに?」
「だから、その……は、裸にエプロンだけって、露出がすごいから、だから……ソノ気になったりとか……」
「──勃つか、ってこと?」
「~~~~っ! きみは、だから、どうしてそう顔と言動が一致しないんだ!!」

真っ赤になるシェラに、ヴァンツァーは「何を今更」と呟いた。

「そんなことでいちいち反応していたら、撮影出来ないでしょう?」
「……」

分かってはいたが、あまりにも冷静な態度が癪に障る。
むかっとして、シェラはふいっと横を向いた。

「着ない」
「え?」
「絶対着ない」
「どうして?」
「絶対絶対着ないっ!」
「……先生」

ふたりでいるときにその呼び方は久々だ、とちらっと視線を向け──ぎょっとした。

「な……な、ど、どうしてたかが裸エプロン断られたくらいで泣きそうな顔をしているんだ、きみは!!」
「……」

いや、きっと演技なのだ。 分かっている、彼の性格というものは、よく知っているのだ。
けれど、だからといって今にも泣きそうな顔をした年下の男を放っておけるか、と言われると、正直自信がない──というか、シェラには出来ない。
むろんそこには、『もし自分だったら』という観念が働くからなのだけれど、だからこそ、シェラは三秒間、形の良い頭の中でものすごい葛藤をした。
短い時間のように思えるかも知れないが、それはそれは、言葉では言い表せないほどのものすごい葛藤があったのだ。

「~~~~~~っ、分かった! 着ればいいんだろう?!」

半ば自棄になって叫んだ台詞に、ヴァンツァーは澄んだ藍色の瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
もう何だか、その笑顔ですべてを赦してしまうことが出来る気がしたシェラだった。

しかし、さすがのシェラも裸エプロンは恥ずかしかった。
だって、ほとんど裸なのだから。
彼の前に裸体などいくらでも晒してきたが、それとこれとは話が別だ。
だって、だって、後ろから見るとまるっきり裸なのだ。

「ぜ、絶対、後ろから見ちゃダメだぞ!」

壁に背中をつけてエプロンの裾を引き、真っ赤な顔でそんなことを言うシェラに、ヴァンツァーは呆れた視線を向けた。

「──逆効果」
「え」
「それはね、『後ろから見てねっ♪』ってことなんだよ」
「……きみ、今、ものすっごい機嫌いいだろう……」
「当然。あなた、教師やめてモデルにでもなったら? 完璧だよ」
「……嫌だ、こんな卑猥なモデル」
「見られるの好きなクセに」
「見られるのが好きなんじゃない」
「へぇ? じゃあ俺に見られるのが好きなんだ」
「……」

むぅ、っとしかめっ面になったシェラに、「Hey, please give me a smile, baby?」と笑う。

「後ろから撮りたいな」
「なっ! だから、ダメだって言って──」
「お願い」
「……」

可愛らしく首を傾ける美貌に、シェラはうっ、と言葉に詰まった。

「大丈夫、大丈夫。Hipのところで手を組んでていいから。で、振り向きざまのあなたとか、すごく可愛いんだろうなぁ」

にっこりと微笑む少年に、今回も折れたのはシェラの方だった。
それから、ほとんど自棄になって言われるままにポーズを取り続けた。
撮影会が終わったのは、もうすっかり日が落ちた頃だった。
満足、満足、とカメラをしまう後ろ姿に、シェラはちいさく笑った。
こんな表情は、学校ではもちろん、ふたりでいるどんなときにも見たことがない。
何だかんだ言って楽しかったが、さすがにシェラも疲れたので、ソファに腰掛けた。

「だから、こういう服を着て欲しいなら女の子に言えばいいのに。きみなら誰も断らないよ」

くすくすと笑っての言に、ヴァンツァーはすっと表情を消した。

「ヴァンツァー?」

呼ぶことにも慣れてしまった名前。
するりと口に乗せれば、覆い被さるようにしてソファに乗り上げてくる。
見上げれば、陰になって色を濃くした紺の瞳が、じっと見下ろしてきた。
何の表情も読み取れないそれに、シェラは意識せず身じろぎした。

「……と、き、着替えなきゃ──」

首の後ろで結んであるリボンを外そうと伸ばした手を、ひと回りは大きな手で握られる。

──熱い。

熱でもあるのではないか、と思うほど、彼の手は熱かった。
ただそれだけのことに身動きが取れなくなってしまったシェラは、顔を上げることも出来ない。

「……俺が、外してあげるよ」

唇が触れるほどに近く、耳元でささやく声に、ぎゅっと目を瞑った。
エプロンのリボンを解けば、当然はらり、と胸元が露になるわけで。
薄暗くなった室内とはいえ、貧相な自分の身体が青年の目の前に曝け出されているというのはどうにも落ち着かない。
女の子のように胸元を腕で隠す。
この格好だけでも恥ずかしいというのに、更にヴァンツァーの手は膝から太腿へと向かっていった。
指一本で、ツ、とエプロンの裾を持ち上げながら脚を辿る。
強張った肩に、手が置かれる。

「いつまで経っても、初心だな……」

少しからかうような声音に、キッ、と視線を鋭くする。

「……怖いなぁ。射殺されそうだ」

嫣然と微笑み、シェラの喉を指先でくすぐる。

「狩られるのを待ってるくせに、牙まで持ってるんだ──俺のうさぎちゃんは……」
「──俺の……?」

何気なく呟かれたひと言に、シェラが過敏に反応する。
ヴァンツァーは、ゆったりと、毒々しいまでに艶やかで美しい笑みを浮かべた。

「……そう。……俺の、可愛いうさぎちゃん……」

吐息でささやき、ゆっくりと唇を重ねる。
吸い上げるようにして啄ばめば、潤んだ菫が見上げてくる。

「……ソノ気にならないって、言ったクセに……」
「うん、でもほら」

──カメラ、しまったから。

そんな風に言ってちいさく笑う。
まだ高校生、たかだか十八歳の少年。
確かに青年と言っても良いほど大人びた美貌ではあるが、それでも随分年下だ。
それなのに、ちろり、と唇を舐めるだけの仕草に眩暈がするほどの色気を感じて、シェラはねだるように薄く唇を開いていた。
熱い舌に粘膜を侵されて、貪られて、吐息まで喰らい尽くされたい。
そんな欲望を直截的に煽ってくる藍色の視線に、逆らう術など知らない。

「……時間はたっぷりある。──ゆっくり、可愛がってあげるよ……」

喉をくすぐるように撫でられて、濡れたため息が零れる。
下肢だけを覆うエプロンの裾から手が忍び込むと同時に、ソファに押し倒された。
ぞくぞくと背を這い上がってくる快楽の予感に、喉を鳴らす。
自分が他人の体温や与えられる快感に弱いことなど分かりきっている。
彼が教え子であることも。
それでも、今このときには、この腕でなければならないのだ。
見も知らぬ男たちに身を任せた夜などいくらでもあった。
ほんのひと時のぬくもりが得られるなら、それでいいと思っていた。

──けれど、今は違う。

あの人との約束が、とか、あの生活には戻らない、とか、もうそんなことはどうでもいい。
ただ、『彼』が欲しいのだ。
ヴァンツァー・ファロットという男が欲しい。

「……どうしたの? 泣き虫のうさぎちゃん?」

目元を指先で辿られて、涙が拭われたのだと知る。
大きくて指の長い、綺麗な手だ。
楽器でも弾けば、さぞ画になるだろう。
緩く、激しく快楽を与えてくれる手でもある。
けれど何より、──あたたかい。

「……この手、好き……」

震える胸と震える声で、ささやくようにしてそう口にした。

「手だけ?」

くすくすと笑われて、シェラは精悍でありながら妖艶な美貌を見上げた。

「……すき」
「うん?」
「好き……」

頬に宛がわれた手に己の手を添え、シェラは瞼を閉じた。
それだけのことで、胸の奥から気持ちが溢れてくる。

「きみが……好き」

言葉にしたら止められなくて。
気持ちも、涙もどんどん溢れてきて。
呆れられるかな、とか、何バカなこと言ってるんだ、とか。
そう頭の中で声もするのだけれど、でも、だって、好きなのだ。
唇を噛んで嗚咽を我慢しても、気持ちまでは押さえられない。
こんな感情はあの人以外には抱いたことがなくて──否、あの人に感じたものより、ずっと胸が熱くて、痛くて。
あの人と一緒にいたときのような穏やかさなんて全然なくて。
ただただ、焦がれて。

「……こわい……」

どうしたらいいのか分からなくて、不安で。
そう呟けば、涙に口づけられて、雫を啜られた。
宥めるように頭を撫でられて、その感覚に、また胸が熱くなる。

「……そういうときは、身体で確かめればいいんだ」
「……?」
「俺がここにいて……あなたも、ここにいて……もっと近くで、それを感じればいいんだ」
「……」
「分からないなら、考えなくていい」
「……」
「ただ、俺のことだけ……感じていればいいから」

そうして与えられたキスがやさしくて。
泣きながら、強く、ヴァンツァーを抱きしめた。




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