あぁ、夏休み

デキる男は、本当に何でもデキるものである。
波と戯れるというよりは、波を支配しているかのようにサーフィンをする彼氏の姿に、ソナタはきゃっきゃ言って手を叩いて喜んだ。

「すごーい! すごーい! ライアンかっこいい~~!!」

サーフィン用に開放された区画では、十人ほどの若者たちが自慢のボードで波に乗っていたが、正直ライアンが一番巧くて、一番かっこいいとソナタは思った。
浜辺の女の子たち──おそらくサーフィンをしている男性陣の恋人か、ナンパされた子たちだろうが──も、ライアンの姿に釘付けだ。
水しぶきを浴びてきらきらと陽光を弾く金髪と、同じほどに煌く笑顔。
最後になんとくるっと空中で一回転して、ライアンはソナタの待つ浜辺へと帰ってきた。
きゃーきゃー言われているライアンを見て、何だか嬉しくなったソナタだ。
かっこいいし、やさしいし、可愛いし、面白いし、強いし、力持ちだし、何だって出来る自慢の彼氏なのだ。
それに、どうやらこのビーチには好みの骨格の人がいないらしく──もちろんソナタは例外だ──ちょっと残念そうにしていたから、こうして楽しそうにしてくれているとこちらまで嬉しくなる。

「上手だね」
「ありがとう。実家が田舎でさ。海と山に囲まれてたから、しょっちゅうやってたんだ」
「でも、上手なのに今回はボード持って来なかったの?」
「あー、おれ、ボード持ってないんだ」
「──へ? でも、よくやるんでしょ?」
「いやーもー、ほんと田舎でさ。その辺の板とか酷いときなんか転がってる丸太とかでやってた」

あはは、と太陽のような笑顔を浮かべるライアンに、ソナタはちいさく吹き出した。
丸太で波乗りをしているライアンの姿を想像したら、何だか金色のハムスターか何かのように思えたからだ。

「ライアンが一番かっこいいね」
「そう?」
「うん。みんな見てる」
「──惚れ直した?」

悪戯っ子のような瞳で訊ねてくる恋人に、ソナタはにっこり微笑んだ。

「うん。──もともと大好きだけどね」

えへへ、と頬を染める天使に、ライアンはめろめろになりながら、かなわないなぁ~、と相好を崩した。
もう、この子はほんと可愛いんだから、とふたりがふたりとも思っているのがこのカップルだ。
どちらも細かいことは気にしない大らかな気性で、喧嘩とは無縁だ。
寄ると触ると喧嘩をしているカノンやシェラたちとは大違いである──まぁ、彼らの場合は片方が一方的にむくれているだけなのだが。

「もう少しやってく?」
「ううん。ソナタちゃんにかっこいいって言ってもらえて満足した」
「あはは。可愛いなぁ~」

よしよし、と濡れた金髪を撫でてやると、嬉しそうに笑みを浮かべる美人な彼氏。

「シェラさんとかお兄ちゃんたちって、何してるのかな?」
「戻ってみる?」
「そうだね。ちょっとお腹も空いたし」
「わたしも。やっぱりこういうところに来たら、バーベキューがいいよね」
「あー、それ最高!」

冷えたビールとかあると天国! と興奮気味の彼氏を伴って、ソナタはシェラたちのもとへと向かった。


「──うっわぁ~! きれ~い!!」

周囲のほとんどが断崖絶壁であるソル島には、海食洞が散在している。
そのひとつである『蒼の洞窟』は、この辺りの観光の目玉にもなっている。
洞窟へは小船で向かうのだが、入り口は驚くほど狭く、大人は背中を丸めて首を縮めないといけないほどだ。
潮の加減によっては進入不可能であることも少なくない。
打って変わって、洞窟内部は数十メートルにおよぶ空洞になっており、十艘ほどの小船が観光客を運んでいる。
太陽光の進入角度と屈折によって洞窟内部が蒼く染まるため、午前中がもっとも美しい。
カノンとキニアンは、ひと泳ぎして休憩し、十時過ぎに洞窟へと向かった。
もともとここへ来ることを楽しみにしていたというカノンの歓声に、キニアンはくすっと笑った。
頭脳明晰で大人びた雰囲気のあるカノンだが、とても感受性が強く、実は精神的に幼いところがある。
瞳をきらきらさせて紺碧の海面や洞窟を眺めている様子は子どものようで、素直に可愛いなぁ、と思った。

「入れて良かったな」
「うん! シェラたちとまた来る!」
「あぁ、そうだな」

興奮して頬を紅潮させている可愛らしい女王様は、「あ」と呟いて彼氏に訊ねた。

「チェロ持ってきてたよね?」
「あぁ、うん」

何で? と問い返すキニアン。

「ん~、アリスの音って、この洞窟みたいだなぁ、って思って。そしたら、聴きたくなっちゃった」
「洞窟、ねぇ……」

何だそりゃ、と頬を掻くキニアンに、カノンは口許に薄っすらと笑みを浮かべた。

「……怖くなるくらい、綺麗なの」
「──カノン?」
「息が止まるほど綺麗で……身体の中の悪いもの全部、包んでくれるの」

消し去るのではない。
『それもお前の一部だ』と、突きつけた上で、否定せずに受け入れて包み込んでくれる。
キニアンの母であるマリアの音は、何ものにも侵されることのない硬質な結晶を思わせる音。
限りなく透明に近く、触れることを躊躇わせる至高の音だ。
決して媚びることのない、遥か天上から響く神の音楽。
聴くものにも相応の力と覚悟を必要とするその音は、絶賛されるか拒絶されるかのどちらかである。
それでも彼女の音楽が評価されるのは、いずれの場合にせよ、無関心でいられる人間がいないからだ。
キニアンの音は違う。
どちらかといえば、正反対の音だ。
美しくも厳しいマリアの音と、慈愛に満ちたキニアンの音。
きっとそれは、彼のやさしさが滲み出ている音なのだろう。
制裁を加えるでも断罪するでもなく、赦すということ。
とてつもなく大きく深いものを、まだ十代の少年の音から感じる。
無口で無愛想な少年の音は、刃ではなく光で罪びとの胸を満たす。

──だからきっと、自分は彼に惹かれている。

口にはしないけれど、カノンは時に泣きたくなるほど、恋人を強く想っていた。

「よく分かんないけど、俺ので良ければいつでも弾くよ」
「そんなこと言って、あんまり弾いてくれないじゃん」

ぶーぶー、と唇を尖らせるカノンに、キニアンは苦笑した。

「最近は練習量増やしたから。女王様の無茶振りにも、お応え出来ると思いますよ?」
「なにそれー。ぼく無茶振りなんてしないもん」
「……うん、そういうことにしておく」
「むかー」

頬を膨らませながらも、カノンは今夜のぷち演奏会への期待に胸を膨らませ、洞窟の蒼さと輝く水面に目を細めた。


「おかえり~」
「「ただいま~」」

パラソルの下でのんびりしている銀髪の天使に声を揃えたソナタたち。
隣のチェアでサングラスをかけて寝ている男に目を遣り、ソナタはぽつりと呟いた。

「……そーとー人相悪いけど、大丈夫?」
「おかげで悪い虫が寄って来なくて」

ほんのちょっと残念そうにしているシェラに、ソナタは苦笑した。

「シェラの御眼鏡に適うような美形は見なかったなぁ」
「別に美形じゃなくてもいいんだけど」
「またまた~。シェラ、自覚ないみたいだけど、かなり面食いだよ?」
「男は顔じゃないって」
「いや、これっぽっちも説得力ないけどね?」

大真面目な顔をしているシェラに、ソナタも真顔で返した。
聴こえているのかいないのか、ヴァンツァーはぴくりとも動かずに横になっている。
もしかすると、暑くて動きたくないのかも知れない。
外見はどうあれ、そろそろ色んな意味で落ち着いた方がいい年齢だ。
若い頃から老成していたというのに、年を重ねるにつれて子どもっぽくなっていくというのは、どういうことなのだろうか。

「男じゃなくて、女の子のナンパとかしに行かないんですか?」

当然といえば当然の指摘をするライアンに、シェラは余計にがっかりした顔になった。

「この顔と髪型と服装でナンパしても、女豹のような女性しか相手にしてくれないよ……」

今の気分としては、どちらかといえば可愛い女の子を愛でたいので、そちらも上手くいきそうにない。

「さっきふたり組みの男の子にナンパされたんだけど、こいつが帰ってきたから逃げちゃったし」
「かっこ良かった?」
「点数がつけられないくらい」
「──酷かったのね?」
「うん」

落ち込むシェラの頭をよしよし、と撫でてやったソナタ。
シェラが口では何と言っていようと、父に敵う男がこの世の中にそうそういるとは思えない。
顔とか身体とかそういうことではなく、父以上に強い想いをシェラに傾けられる存在がいるとは思えないのだ。
そして、愛情であれ執着であれ、一度『受け取る』と決めたら、シェラは自分の心を翻さない。
頑固というか、不器用というか、どちらもいい歳をして体当たりの恋愛をしている。
そんな両親が決して嫌いではないソナタは、おじいちゃん、おばあちゃんが手を繋いで歩いているのを見かけたりすると何だか嬉しくなるのだ。

「ライアンとアー君は、本当に『当たり』だなぁ、って。見た目も綺麗なんだけど、性格とか雰囲気が」
「アー君の場合、ナンパとは無縁ですけどね」
「逆ナンされて、あたふたしてるタイプじゃない?」
「私はね、意外とアー君は『恋人いるんで』って断れる子だと思うよ」
「お兄ちゃんひと筋だもんなぁ」
「カノンの場合、わざとナンパされてやきもち妬かせてるけど」
「叱られると嬉しそうだよね」
「カノンもキニアン大好きだもん」

恋バナに花を咲かせているシェラたちのもとへ、噂のカノンとキニアンもやってきた。

「お腹空いた~」

仲良く手を繋いでやってきたふたりに、シェラはにっこりと微笑んだ。

「バーベキューの予約してあるから、行こうか」
「きゃ~、シェラやっぱり分かってる~」

歓声を上げ、飛び上がって喜んだソナタは、これだけ周りで喋っていても寝ている父を起こした。

「パ~パ! おっはよ~」

声を掛けてサングラスを外すと、パラソルに遮られているとはいえ太陽の明るさが眩しかったのか、僅かに眉間に皺が寄る。
二、三度瞬きをし、覗き込んでくる娘の顔を確認すると、目元に笑みを浮かべた。

「……おはよう」
「本気で寝てたでしょ」
「あぁ」
「この暑いのに、よく眠れるね」
「シェラがいたから」
「安心した?」
「うん」

くすくすと笑う娘に頷きを返し、身体を起こす。
じーっとこちらを見てくるシェラに不思議そうな顔を向けると、「寝ぼすけ」と言われた。

「うん」

何だかそれが嬉しくて、ちいさく笑うと呆れたようなため息が零された。

「まだ寝呆けているらしい」
「起きてるよ」
「じゃあ、その締まりのない顔を何とかしろ」
「笑った顔が好きだって言ってたじゃないか」
「……忘れた」
「俺は覚えている」
「……」

ビーチチェアから立ち上がった男は、恥ずかしくて砂に埋められたくなっているシェラに手を差し出した。

「……何だ、その手は」
「みんな、しているから」
「……別に私たちまでしなくても」
「たまにはいいだろう?」
「……」

不承不承という風を装ってヴァンツァーの手を握り返したシェラを、ふた組のカップルは見ないフリをしてやった。
それでもくすくすと笑っている子どもたちに羞恥心を刺激されたのか、シェラはそっぽを向いて歩いている。
そんなシェラのことも可愛いなぁ、と思っているヴァンツァーは、すれ違う男性も女性も構わず腰砕けにしてしまうような笑みを浮かべていた。

「はい、ライアン。あーん」
「ソナタちゃんも、あーん」

バーベキュー場では、肉や野菜の他にも、近隣の海で採れた鮮度の高い魚介も扱っている。
ガスではなく炭火で炙られる肉や野菜の香ばしさに、食べる端から空腹が刺激される。
魚介は生でも食べられるが、軽く火を通すと甘みと旨みが増幅されてほっぺたが落ちそうになる美味しさだ。
シェラの作る手の込んだ料理も美味しいが、たまにはこういう豪快な料理も悪くない。
こういう野外料理の場合、焼くのは専ら男の仕事で──とはいえ、六人中五人が男なのだが、もちろんシェラとカノンは『乙女』組みだ──暑い夏に炎と格闘しながら直火で焼いた料理を彼女に振舞うという、ポイントの稼ぎ時でもあった。
彼女に焼けた食べ物を渡してやり、男はビール片手に串に刺した焼き物を頬張るというスタイルが定番なのだが、ソナタとライアンは互いの口に肉や野菜を入れてやっている。
──そんな極楽浄土のような光景を羨ましそうに見ている男がふたりいた。

「アリス」
「……しません」
「それさっきも聞いた」
「内容が違います」
「いいじゃん別に」
「嫌です」
「じゃあ、ぼくが『あーん』ってするから、食べて?」
「……そっちのが嫌だよ」
「──何なの?! アリスのくせに生意気!!」
「はいはい、ごめんなさ──」

網の上の野菜をひっくり返しながら喋っていたキニアンの口に、カノンは半ば無理やり肉を突っ込んでやった。

「~~~~っ、お前な──」

突然のことに目を白黒させていたキニアンだったが、口の中のものを飲み込んでから叱ろうとしたら、その隙に今度はエビを放り込まれた。

「だからっ──」

次はたまねぎ、その次はまた肉と、口を開くたびに食べ物を入れられてしまう。
律儀にも網から上げてすぐのものではなく、一度皿に移したものを寄越すのでさして熱くはなかったが、そう次から次に口に入れられたのでは参ってしまう。
五回ほど繰り返して無駄と悟ったキニアンは、大きくため息を零すとフォークで刺した肉をカノンの前に差し出してやった。
ぶすっとした顔でキニアンの口に食べ物を放り込んでいたカノンは、これまたぶすっとした顔で口を開けた。
もぐもぐ咀嚼している見た目は天使な女王様に、キニアンは呆れた視線を向けた。

「……これでいいですか?」
「ハマグリ食べたい」
「──……Yes, my princess.」

この子どもっぽさは、女王様ではなく王女様だろう、と判断したキニアンは、がっくりと肩を落としながらも、言われた通りに大粒のハマグリを網の上に乗せる。
そんな息子や娘の様子をじーっと見ていた藍色の瞳が、隣の天使に向けられた。

「やって欲しいのか?」

小首を傾げて訊ねてくるシェラに、ヴァンツァーはこくり、と頷いた。

「いいよ」

まさか了承が下りるとは思っていなかっただけに、ヴァンツァーは期待に瞳を輝かせた。

「はい、あーん」

しかし、満面の笑みとともにシェラが差し出したそれに、ヴァンツァーは思い切り顔を顰めた。

「……おい」
「ほら、あーん」

にっこりにこにこ笑っている天使の手には、ほどよく焦げ目のついたピーマン。

「美味しいぞ~?」
「……」
「栄養のバランスは大事だからな。ピーマン、ピーマン、たまねぎ、にんじん、ピーマン、エビ、イカで、最後に肉をやろう」

善意の塊です、という笑みを浮かべているシェラに、ヴァンツァーは非難に満ちた視線を向けた。

「俺は、今日に限ってはそんな仕打ちを受ける悪さをした覚えはないぞ」
「なんだ、仕打ちって。私はお前の健康のためを思って」
「だったら何でそんな、大笑いしたいのを噛み殺した顔をしている」
「お前が、笑っている顔が好きだっていうから」
「笑いを噛み殺せとは言っていない」
「笑ってるんだから一緒だろうが」
「全然違うだろうが」
「ピーマン食べないなら、『あーん』しない」

ふいっ、と横を向いてしまったシェラにヴァンツァーはしばらく険しい顔をしていたが、意を決したのか身を屈めるとピーマンを頬張った。
あ、と驚いたシェラの顔をじっと見ながらピーマンを食べた──飲み込んだとも言う──ヴァンツァーは、そのままシェラにキスをした。

「──っ、んっ、ちょっ!!」

ガッツリ舌まで入ったキスに、シェラは顔を赤くしてヴァンツァーの身体を押し返した。
カノンとソナタは呆れているし、ライアンは『あらら』という顔で笑っているし、キニアンは顔を背けるタイミングをなくしたらしく、ガン見している。
何するんだ! と怒鳴るシェラに、ヴァンツァーはしれっとした顔で「口直し」と言った。

「お前、ふざけるなよ、こんな公衆の面前で!」
「至って真剣だ」
「なお悪い!」
「もとはと言えば、お前が意地の悪いことを言うからいけないんだ」
「いい歳してピーマン嫌いなお前が悪い」
「嫌いじゃない。苦手なだけだ」
「一緒だろうが」
「全然違う。食べられないわけじゃない。食べたくないだけだ」
「屁理屈をこねるな!」

馬鹿じゃないのかお前、と憤慨しているシェラに対して「俺は間違っていない」と言い張る父に、カノンとソナタは顔を見合わせた。
そうして、声を揃えたのである。

「「──うちの彼氏、まともで良かった~」」

彼氏たちは、喜んでいいのかどうか、複雑な表情をしていた。  




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