夏の海といえば、サーフィンやジェットスキーもいいが、浜辺で行われる定番スポーツがある。
食後の運動に、ファロット一家+αの面々は、ビーチバレーを行うことにした。
ことの発端は、シェラとヴァンツァーの言い合いが終わらず、ではビーチバレーで勝負だ、となったのだ。
ビーチフラッグとどちらが良いか、という話も出たのだが、おそらくどんなハンデをつけてもヴァンツァーが勝つであろうことが想像出来たため却下された。
砂に脚を取られることなく飛ぶように駆ける人間など、目立って仕方ない。
夏休みを満喫するためにここへ来たのであって、決して注目を浴びるために来たわけではないのだから。
「じゃあ、おれ審判やるね」
「え? どうして?」
「おれ、球技はダメなんだ。ルールは分かるんだけど……」
「そうなんだ。おっけー、おっけー」
サーフィンはプロ顔負けの腕をしているのだから運動神経は悪くないのだろうけれど、苦手だというものを強要するのは良くない。
だから、ソナタは笑顔で了承の合図をした。
必要なのは、シェラとヴァンツァーの間で決着が着くことなのだから。
「ぼくシェラとやる~」
「わたしも~」
いえ~い、と手を合わせる双子に、「え、ビーチバレーは二人制……」と呟く真面目な少年がいたが、もちろん誰も聞いちゃいない。
「──キニアン」
「──ぅわ、はいっ!」
低い声に呼ばれて振り返ると、惚れ惚れするようなプロポーションの男が腕を組んでいて、たらり、と冷や汗が流れた。
頬を引き攣らせているキニアンに、ヴァンツァーはにっこりと笑ってみせた。
「──おいで」
「……はい」
こういうところは、本当にカノンとヴァンツァーは似たもの親子だ。
何だか胃が痛くなってきた。
バーベキューはいつの間にか『あ~ん』大会になってしまって、火の傍にいたことは関係なく顔が熱くて仕方なかった。
それでも、恋人やその家族と、網を突付きながら豪快な料理を楽しむのは思いのほか楽しかった。
ひとりっ子のキニアンは、両親も仕事柄家を空けることが多かったので、大人数で食卓を囲んだ経験があまりない。
寮生活を始めて友人たちと食事することを覚えたが、騒がしいのは苦手だと思っていた。
けれど、それは少し違ったらしい。
──煩いのと賑やかなのって、全然違うんだなぁ……。
もしかしたら、『誰と過ごすか』が大事なのかも知れないけれど。
少なくとも、キニアンにとってはカノンだけでなく、その家族も大切な存在に含まれていた。
だからだろうか。
もっとも長身の少年は、神妙な面持ちで隣の男に声を掛けた。
「……ヴァンツァーさん、俺、ビーチバレーはあまり経験が」
「ずっと思っていたんだが、呼びづらくないか?」
「──え?」
「その『さん』付け」
「あ……でも」
「ヴァンツァーで構わない」
「……」
「安心しろ。だからといってお前のことを名前で呼んだりはしないから」
キニアンが女の子のように可愛らしい自分の名前を苦手としていることを知っている男は、ほんの少し目元に笑みを浮かべてみせた。
無表情だの無愛想だの言われることの多いヴァンツァーとキニアン。
しかし、よく見るとちいさな表情の変化は無数にあるのだ。
──あ、何か、今の表情いいなぁ……。
何となくそんな風に思ったキニアンは、意を決して拳を握った。
「──あ、あの!」
僅かに首を傾げることで、先を促すヴァンツァー。
「あ……アル、って、呼んで下さい」
「アル?」
「はい。その……母親が、そう呼ぶんです。自分で名前つけておきながら、『大きくて可愛くないから』とか勝手なこと言って、そう呼ぶようになったんですけど。ヴァンツァーさん……ヴァンツァーが、嫌でなければですけど……」
苦笑する少年に、美貌の男は薄く微笑んだ。
「よろしく、アル」
「──はい!」
ぱぁぁ、と顔色を輝かせる少年。
そんな、尻尾を振っている犬のような態度が面白くない少年一名。
「……なに、あれ。ふたりの世界作っちゃってさ」
天使の美貌が台無しなカノンである。
「しょーがなくない? パパ誑しこみの専門家だし、あの笑顔は男の人にも効果抜群なんだから」
ビーチの管理者に頼んでビーチバレーのコートの使用許可を取り、借りてきたボールを抱えるソナタの台詞に、カノンはぷぅ、っと頬を膨らませた。
「……叩きのめす」
「カノンって、ほーんとキニアンのこと大好きだよね」
「なっ! べ、別に……ただ、あれはぼくのだからっ」
「たとえパパでも、色目使われると腹が立つのよね~?」
「だから別に」
「──ねぇ、みんなー! せっかくだから、罰ゲーム作ろうか~!!」
人の話を聞いているのかいないのか、ソナタは真夏の太陽のような笑顔を浮かべて提案した。
「罰ゲーム?」
こてん、と首を傾げるシェラに、大きく頷く。
「負けたチームは、勝ったチームのお願いを何でも聞くの」
「王様ゲームみたいな感じ?」
「そうそう。そんな感じ」
どうかな? と皆の顔を見回すソナタ。
「──何でも?」
絶対食いついてくると思った父に、にやりと笑って頷き、「ただし」と留保を置く。
「みんなの前で出来ることね」
隠れてコソコソとか、本人たちはともかく周りが面白くないから、と続ける。
ちょっと考える顔つきになったヴァンツァーだったが、こくり、と頷いた。
「乗った」
「さすがパパ! シェラもカノンもいい?」
「いいよ~」
「おっけ~」
「……あの、俺は」
「じゃあ決まりね!」
ごくごく自然にスルーされたキニアンの肩を、ライアンがポンッ、と叩く。
「無敵のお姫様たちの遊びに付き合ってあげるのも、男の大事な使命だよ」
「……あんた不参加だろうが」
「アー君ってさ、パパさんみたいな男が好みなの?」
「──はぁ?!」
急に話題を変えられて、しかも内容が内容なだけに素っ頓狂な声を上げるキニアン。
「あれ? 違うの?」
「……何でそういう話になるんだ」
痛む頭を抱えるキニアンに、ライアンは「だってさ」と顎に指を添えた。
「目がハートだったから」
「……何語だ、それは」
「さっき。『アルって呼んで下さい!』って、恋する乙女みたいな瞳してたよ?」
「あんたの目にはどんなフィルターがかかってるんだよ」
「え~? あれで惚れてないとか、絶対ないよ~」
「……同じ男として、憧れてるところはあるよ。でも、別にあんたの言うような感情はない」
「そうかなぁ? 『慕ってる』って言葉がぴったりくるんだけどなぁ」
首を左右にフリフリしている男に、キニアンは「あ」と気づいたように呟きを漏らした。
そうして、苦笑を浮かべてライアンに告げた。
「たぶん、兄貴が出来たみたいで嬉しいんだ」
「──お兄ちゃん?」
「俺、ひとりっ子だからさ。歳の離れた兄貴が出来たみたいだろう?」
「あー……まぁ、確かに」
何だか歯切れの悪い物言いをするライアンに、キニアンは「あんたは?」と訊ねた。
「あんた、兄弟いるのか?」
「うん。お姉ちゃんが三人」
「──三人?」
「四姉妹だと思われることが多かった」
「兄弟いるって、どんな感じだ?」
「賑やかだよ。姉さんたち、男勝りだし。ちいさい頃なんて、おれだけ女の子だと思われてたくらい」
あはは、と明るく笑うライアンに、キニアンは興味津々といった顔つきになった。
「喧嘩とかしないのか?」
「姉さんたちはしょっちゅうしてたよ。でも、おれは末っ子だったし、男ひとりだったから、割と可愛がられたかなぁ。おれ、こんな外見だから痴漢に遭うこととか多くてさ。姉さんたちがこてんぱんに叩きのめしてたんだけど、おれも強くならなきゃなぁ、って思って護身術習い始めたり」
「それでその身体……あんた、女にもやさしいよな」
「やさしい、ってこともないけど……自分が嫌な思いしたから、自分がされて嫌なことは人にしないようにしてるだけだよ。おれは、アー君の方がやさしいと思うけどなぁ」
「──俺?」
「アー君の場合は、女の子だけじゃなくて人類にやさしい感じだよね」
「……いや、俺そんな聖人君子じゃないし」
「イメージ、イメージ」
にこにこ笑っている金髪美人にため息を零したところで、後ろから声を掛けられて振り返る。
「始めてもいい?」
「──あ、うん。悪い」
頭ひとつ半ほど下から見上げてくるソナタに返事をすると、キニアンはヴァンツァーと同じコートに入った。
向かい側のコートには、きゃっきゃ言ってはしゃいでいる乙女軍団。
「油断するなよ」
こちらは身長の面でかなり有利だなぁ、と思ったキニアンの思考を読み取ったかのようなヴァンツァーの言葉に、新緑色の瞳が瞠られる。
「え?」
「集中砲火を浴びるぞ」
「……えーっと……?」
何をそんな物騒な、と冷や汗を流すキニアンに、ヴァンツァーはごくごく真面目な顔で告げた。
「──可愛い顔をしていると思って油断をすると、こてんぱんに叩きのめされるぞ」
「……」
ものすごく実感のこもった声音に、キニアンは思わずごくり、と喉を鳴らして頷いた。
それにヴァンツァーは「よし」と返し、試合開始となった。
「──あ……あの、ヴァンツァー……」
「何だ」
三歩ほど前にいる男の背に声をかけるキニアン。
その顔は、心なしか青褪めて見える。
「……あの、あっという間に第一セット取られてるんですけど……?」
「三セットマッチで良かったな」
「……」
いくら三人とはいえ、相手は女の子だし、と思っていたキニアン──どうでもいいが、実際女の子はひとりだけだ。
きゃっきゃ言って喜んでいる向かいのコートの乙女たちは、凄まじい連携と恐るべきジャンプ力からのアタックで次々と得点を決めていったのだ。
「だから言っただろう?──痛い目に遭う、と」
「……ごめんなさい」
そうして、ヴァンツァーの言葉通り集中砲火を浴びたキニアンは、試合開始から十分も経たないうちに深く反省することとなったのである。
ナメてかかっていたわけではないが、三天使のきらきらとした美貌を前に本気でスパイクを打てるほど、キニアンは自制の出来る男ではなかった。
これが男相手のバスケの試合であれば、多少手荒なゲームになったとしても構いはしないのだが。
女の子の顔や身体に傷をつけるわけにはいかないし、と手控えると、遠慮のない一撃が返ってくるのである──くどいようだが、女の子はひとりだけだ。
「──仕方ない。本気を出すか」
「え?」
「また『大人気ない』とか言われるだろうと思って手控えていたんだが、やるからには勝ちたいからな」
「……」
わくわく、と妍麗な美貌に書いてある気がするのは、『罰ゲーム』を楽しみにしているからだろうか。
「アル、死ぬ気であいつらのスパイクに喰らいつけ」
「……」
「そうしたら、俺が決める」
何だかとても頼もしいひと言なのだが、確かに大人気ない気がしないでもない。
けれど、鬼コーチのような台詞を吐くヴァンツァーに、キニアンはこくり、と頷いたのである。
「はい、ヴァンツァー」
「いい子だ」
にっこりと微笑まれ、なぜか誇らしげな気分になったキニアンである。
頼りになる兄貴分を前にしていると、どんな不可能でも可能になる気がする。
迷惑をかけないように、というよりは、この人の役に立ちたいな、と思わせる男なのだろう。
そうして翡翠のような瞳を輝かせたキニアンは、再び集中砲火に向かっていった。
「ヴァンツァー!」
「よし」
ビーチバレーは、ボールへのタッチは三回以内で相手コートに返球しなくてはならない。
ブロックも一回と数えられるが、いくら長身のキニアンとはいえブロックし切れないこともある──これには呆然としたのだが、手を伸ばせば軽く二メートルを超える自分の更に上からスパイクを打つ人間がいるとは思っていなかった。
また、レシーブの体制が整わずに砂に転倒したりすると、起き上がって自分がスパイクを打つ余裕はない。
そんなときは、二回目でヴァンツァーが相手コートに返球するわけだが、試合中だというのにキニアンは思わず惚れ惚れと見惚れてしまった。
体制を崩した自分のレシーブから、普通はまともな返球など出来ない。
けれど、ヴァンツァーはどんなボールでも、その素晴らしい身体能力と驚異的なジャンプ力で相手コートに突き刺すのだ。
「……すげー……」
砂に尻餅をつきながら感嘆のため息を零すキニアンに、ヴァンツァーは手を差し伸べた。
「──さて、取り返すぞ」
「──はい!」
何だか本当に出来そうな気がしてきて、キニアンは大きく頷いた。
──そして、死闘の末。
「か……勝った……」
自分の打ったスパイクが決勝点となったことが信じられないでいるキニアンは、目を見開いてネット越しに相手コートを見つめていた。
「か……────勝った!!!!」
寡黙な少年にしては珍しく興奮した様子で叫ぶ。
背後でヴァンツァーは『当然だな』という顔をしている。
炎天下、顎を伝う汗を険しい表情で拭っているシェラたち。
「……ちっ……三人がかりでも勝てなかったか……」
思わず舌打ちを漏らしたシェラだったが、もちろんその対象はキニアンではない。
キニアンのことは大好きなシェラだった。
集中砲火を浴びせはしたが、それは試合に勝つためには必要なことなのだ。
こういうところに私情を挟まないのがシェラである。
「あ~ん、負けちゃった~」
残念そうに眉を下げてはいるが、試合自体はとても楽しかったので満足のソナタ。
「……全部計算したようにラインぎりぎりのスパイクって、何……」
「ように、じゃなくて、計算してるんだと思うよ?」
カノンの呟きに、ソナタが返す。
あの父が、その程度のボールコントロールも出来ないわけがない。
「──だって、あんな速さのボール、ラインぎりぎりに打たれて取れるわけないじゃん!」
「足で蹴っても痛かったもんね」
あはは、と明るく笑うソナタ。
ビーチバレーは身体のどこかにボールが触れていれば良い。
また、バレーボールに比べてボールはやわらかだが、だからといって風を斬るようなスパイクをまともに取れるわけがない。
「「~~~~悔しい!!」」
声を揃えるシェラとカノンに、ソナタは「でも」と言って微笑んだ。
「手加減されたら、それはそれで納得いかないでしょう?」
「「──当たり前!」」
息がぴったりの親子に、ソナタと、審判席から降りてきたライアンはくすくすと笑った。
「──さて、お楽しみの罰ゲームだ」
愉悦に満ちていることがありありと分かる低音の美声に、シェラとカノンはぷくっと頬を膨らませた。
「ここで出来ることだからな」
「無茶振りしないでよね」
ツン、と澄ました様子までそっくりなふたりに、キニアンは「よく言うよ」と思わず呟いてしまってカノンに睨まれた。
どこからでもかかって来い、と言わんばかりに腕組みしている銀髪コンビに、ヴァンツァーはそれはそれは嬉しそうな微笑を浮かべた。
「──好き、って言って」
「「──はぁ?!」」
「ビーチに響き渡るくらい大きい声で」
「「…………………………………………嘘でしょ?」」
「──ソナタ、異論は?」
「ありませ~ん!」
父の問いかけに、にまにまと笑みを零す美少女。
裏切り者! と訴えてくる二対の菫色の瞳に、くすくすと笑う。
「──ライアン、大好き!!」
「おれも!!」
なぜか便乗してきた彼氏と、ひし、と抱き合うソナタ。
そうして、こういう風にやるんだぞ、と銀髪コンビに目で語る。
だらだらと冷や汗を流しているシェラとカノンは、顔を見合わせた。
「……やるんですかね」
「確かに負けたけど……」
「何か、裸踊りした方がマシってくらい、恥ずかしいんですけど……」
「同感……」
そろり、と勝者チームを見遣ると、腕組みをしてまだか、まだか、と待っているヴァンツァーと、自分が言うわけでもないのに既に頬を染めているキニアン。
もう一度顔を見合わせたシェラとカノンは、「「──あー、もう!」」と頭を掻いて迷いを吹っ切った。
「「──だいっすきだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」
叫んだあと、これでどうだ、というように真っ赤な顔で勝者を睨む。
キニアンは感動にうち震えて口許を覆っている──どうかすると泣きそうだ。
対して、ヴァンツァーは口許にゆるり、と笑みを浮かべてこう返した。
「──うん、知ってる」
まさか、『好き』ではなく『大好き』と言ってもらえるとは、さすがの彼も思っていなかったのだけれど。
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