「ねぇ、ライアン」
「うん?」
「────できちゃった結婚しよっか」

Happy Summer Wedding

「ふわぁ、可愛い!」

採光の良い明るい室内。
太陽は我が物顔で空を支配しているが、ガラスに貼られた遮熱フィルムとレースのカーテンのおかげで、その苛烈さは鳴りを潜めている。
L字型に置かれたソファセットには、現在ふたりの女性が座っている。
ひとりは、テレビ画面を見ながら瞳をきらきらさせている黒髪の美少女。
年齢からすれば『美女』と言うべきなのだろうが、その無垢な瞳と表情が彼女をどこか少女めいて見せている。
長い髪は、くるりと纏めてバレッタで留められている。
黒髪によく映える銀細工のそれは、前年の誕生日に恋人から贈られたものだ。
類は友を呼ぶのか、彫刻家である恋人は、歳の離れた腕のよい彫金師の友人を持っていた。
銀の台座に小粒ながら上質なサファイアをあしらった、ちょっとした逸品である。
ふんわりとした小花柄のシフォンのシャツに、ロールアップのデニムで可愛らしくも元気いっぱいに纏めている。

「憧れちゃうなぁ~」

感嘆のため息を零す美少女の隣に座っているもうひとりの美女は、やわらかく碧眼を細めた。
解けばしゃらり、と涼しげな音を立てそうなほどの見事な金髪は、耳の下でシュシュによって束ねられている。
空調は効いているのだが、真夏だからか上はゆったりとしたタンクトップの重ね着という薄着。
メッシュタイプの薄いピンクの生地から、内側の白が透けて見える。
そこには何やら異国の文字が書かれているようである。
下は裾を絞れるようになっているベージュのチノパン。
細く見えるが一切無駄のない筋肉に覆われた腕は、しかしたとえ鍛えているにしろ、女性のまろみというものが感じられない。
胸もそれなりの厚みはあろうかと思われるが丸みは感じられず、『どこのスーパーモデルだろうか』と思うようなすらりとした肢体だ。
かといって、もちろん貧弱な印象はまったくない。
アスリートのような体型である。
褐色の肌が、より健康的に見せているのかも知れない。
真夏の海を支配する、美人サーファーといった感じの容姿である。

「シンデレラ城もいいけど、海辺も素敵だよね」
「ライアンも、ねずみーランド大好きだもんね」
「学生時代は少なくとも隔週で行ってたなぁ」
「年パス持ってたもんね」
「アトラクションに乗らなくても、あの雰囲気がいいんだよね」
「分かる、分かる~! ちっちゃい頃はあそこに住みたいと思ってたもん!」
「あはは。ソナタちゃん家も、お城とかホテルみたいな洋館とかあるじゃない」

ところが、どこをどう見ても女性にしか見えない美しい顔立ちのその人は、見た目から想像されるよりもずっと低い声をしていた。
ライアンと呼ばれた美女──もとい、美青年は、人間の骨格観察とねずみーリゾート、そして目の前にいる彼女が三度の飯より好きだった。
ふたりが見ている画面には、そのねずみーランドでの結婚式の様子が流れているのだ。

「あ~、シンデレラもいいし、美女と野獣も捨てがたいし……あ、でもでも、あのアリエルちゃんのドレス可愛い!」

そんな風に瞳を輝かせているきみが可愛いよ、といつものライアンならば口にしただろうが、食い入るように画面を見つめる少女の邪魔をしてはいけないな、と思って口を噤んでいた。
あぁ、きっとこの子がドレスを着たら、最高に綺麗で可愛い花嫁になるだろうなぁ、と想像していたライアンに、ソナタは画面に釘付けになったまま話しかけた。

「ねぇ、ライアン」
「うん?」

どしたの? とやさしい笑みを浮かべる恋人に、ソナタは何気ない調子で言った。

「────できちゃった結婚しよっか」
「……」

今日のお昼はパスタにしようか、というような気安さ。
思わず「はい?」と聞き返したくなったライアンだったけれど、そこはほれ。
年上の意地というか何というか。
とりあえず、こほん、と咳払いをして訊ねてみた。

「赤ちゃん出来たの?」

なるほど、それもあってねずみーリゾートでの結婚式に食いついていたのかも知れない。
けれど、出来るようなことをした覚えはあるが、いかんせん避妊はしていたぞ、と。
子どもが出来たのならばそれは喜ばしいことだが、まだ大学生であるソナタのことを慮っていた彼氏であるので、ちょっとばかし目をぱちくりとさせる。
僅かに首を傾げた彼氏に、ソナタは「んーん」と首を振った。

「ライアン、いっつも避妊具つけてるもん」
「そうだね」
「だから、今度全部に針で穴開けておこうかと思って」
「こらこら……」

ライアンは苦笑しながらもこう返した。

「なら──今から指輪を買いに行こうか」

彼としては至って本気だったけれど、これでソナタが「冗談よ?」と言えば「そっか、ざ~んねん」と笑って返せる程度の余裕を持って。
真夏の空にそっくりな瞳をじっと見つめる、深海の色した少女の瞳の真っ直ぐさにも決して動じることはなく。
さぁ、どうしましょうか? と悠然と構えるオトナの男──に、ちゃんと見えてるといいけど、と。
骨格フェチで、ちょっと浮世離れしている芸術家然とした言動の多いライアンだったし、それなりの場数を踏んでもいるのだけれど。

──おれ、アー君より脈ないしなぁ……。

実は、実は、普通の男の子と同じように、彼女の愛を勝ち取ることが出来るか、という深い悩みに晒されてもおり。

「ライアン」
「はい?」

やはりじーっと見つめてくるお姫様に、「どうしますか?」とまなざしで問いかける。

「ソナタ、お料理もお掃除もお洗濯もお裁縫も、みんなみんな苦手なの」
「うん。──でも、一生懸命だよね」
「走りまわるのとロッドが得意で、全然お淑やかじゃなくて」
「一緒にいると、おれも元気にしてくれる」
「カノンみたいに頭良くないからバリバリのキャリアウーマンにはなれないし、可愛いお洋服は好きだけどデザイナーになるセンスもないの」
「きっと、『可愛いお嫁さん』になれると思うよ?」
「っ、……それから、それから」

えっと、えっと、と珍しくその藍色の瞳を揺らしている少女を、ライアンはくすくすと笑いながら抱きしめた。

「ソ~ナタちゃん」
「……ん」
「こういうときはね、──『Yes』か『No』だけで、いいんだよ?」

もちろん、おれは『Yes』だと嬉しいけど。
ちょっぴり悪戯っぽく、それでも笑みを浮かべた瞳の奥には真摯さがあり。
やっぱりじーっと恋人の瞳を見つめていたソナタは、やがてぱふん、とその意外と厚みのある胸板に顔を埋めた。
きゅっと、そのタンクトップの胸元を握り込む。

「……ライアン」
「はい」
「……────だぁいすき」

いつだって真っ直ぐ言葉を届ける少女のちょっとはにかんだような声音に、ライアンは胸の奥から込み上げてくるくすぐったさを隠すことなく、そのまま表情に乗せた。

「うん──おれも」


「──というわけで、お嬢さんをおれにくだ」
「「──断る」」

なぜかふたり分の声が重なったのに、横で聴いていたシェラは苦笑を漏らした。
身に纏う雰囲気は異なれど見た目はそっくりな父子は、大事な家族を攫いに来た青年に対して、実に素気ない態度を取った。

「どこの馬の骨とも分からん男に大事な娘を」
「お前に言われたくないと思うぞ」

むすっとした顔で腕組みをしている男の言葉を遮り、呆れた表情を向けるシェラ。
見かけによらず子煩悩なのは良いのだが、いつの時代の頑固ジジイの台詞だ、とため息が零れる。

「可愛い娘の結婚を喜べないでどうする」
「嫁になぞやらん」
「お前なぁ……」

まるで聞く耳を持たないヴァンツァーに、痛む頭を押さえるシェラ。
当のライアンは『やっぱりなぁ~』という苦笑を浮かべている。
ソナタはイマイチ当事者だという自覚がないのか、それとも空っとぼけているだけなのか、はたまた頼りになる彼氏に全面的にお任せなのか、ちゅーちゅーとアイスコーヒーを啜ってことの成り行きを見守っている。

「じゃあライアン、──お婿に来なさい」
「あ、はい」

シェラの提案にふたつ返事で頷く青年。

「不束者ですが、よろしくお願いします」

ぺこり、と頭を下げる青年に、シェラも「こちらこそ」と頭を下げ返す。

「ダ、ダメーーーーーっ! お婿さんでも、ダメーーーーーっ!!」

顔の前で腕を交差させて大きなバッテンを作るカノン。
天使のようだと評判の笑顔は鳴りを潜めて、今は眉間に深い皺が寄っている。

「だいたい、ライアンは『不束者』じゃなくて、『ふしだら者』でしょ?! ダメだよ、遊び人になんて、絶対ソナタをあげないんだから!!」
「あ、夜遊びと煙草は十九でやめました」
「おかしいでしょ?! シェラ、こんなこと言うんだよ?!」
「今はソナタひと筋なんでしょう?」
「はい、もちろん」
「じゃあいいんじ」
「「──良くない!」」

これまた見事に声を揃えた父子を見て、意味も分からず呼ばれてこの場に居合わせたキニアンは、ただただ目を丸くしている。
その端正な容貌の裏では、ヴァンツァーが声を大にするところなんて初めて見た~、と場違いな感想を抱いており。
もしもカノンに聞かれていたら「そんな場合じゃないでしょう?!」と激怒されていたに違いない。

「ちょっと、アリスも何か言ってよ!」
「──へ?」

タイミング良く話を振られた青年は、きょとんとした顔で恋人を見つめ返す。
途端にカノンの眉が吊り上がる。

「今までの話、ちゃんと聴いてた?!」
「あぁ、うん」

こっくりと頷くと、彼は黒髪の美少女に顔を向けた。

「おめでとう」
「ありがとう」

にっこりと笑みを返してくる高校時代の同級生に、うん、と頷きを返す。

「だから、ちがーーーーーーうっ!!」

がぉー! と牙を剥くようにして食って掛かってくる恋人に、「え、なになに?」と若葉色の瞳を瞬かせる。
ホントこいつ馬鹿なんじゃないの、と額に青筋を浮かべたカノンは、相変わらず美女にしか見えない男を思い切り睨んだ。

「そもそも、何で突然そんな話になったの? ソナタ、まだ大学生だよ?」

連邦大学惑星は、学問を修めるための星だ。
それなりの身元保証は必要だが、学ぶ意欲のある学生にはいついかなる場合でも門戸を開く。
そして、学業を疎かにしない限りは、学生の自主性を重んじる風習を持っている。
結婚に関しても、法定年齢に達した上で親族の許可が得られているのであれば、特に禁止しているということはない。

「せめて卒業してからとかでもいいじゃん──絶対追い返すけど」

『かかって来い』と顔に書いているカノンに、「あぁ、それは」とソナタが答える。

「できちゃった結婚をね」

しようかと思って、と告げる少女に、一瞬の間の後、実に見事に「「「「──できちゃった?!」」」」と四人分の声が重なった。

「……っ、天誅ーーーっ!!」
「こらこら」

涙目になって飛びかかろうとしたカノンを後ろから羽交い絞めにし、どうにか押さえ込むキニアン。
こんなことのために鍛えてるんじゃないんだけどなぁ、と内心でため息を零す。
要するに、カノンはお腹の中からずっと一緒だった妹が取られそうになってやきもちを妬いているだけなのだ。
そして、キニアンはキニアンで『俺には妬いてくれないのになぁ』と、ちょっぴりふて腐れてもいたりする。
実はよく似たふたりなのだ。
不穏なのか平和なのか分からないのは、彼らだけではなかった。

「貴様、ひとの家の大事な娘をキズモノにしておいて、ただで済むと思うなよ」
「いや、だからほんとお前にだけは言われたくないって」
「俺がいつ、誰をキズモノにした」
「しただろうが」
「お前をか?」
「──なっ!」
「その責任は現在進行形で取っている」

ふいっ、と顔を背ける様子はまるで駄々っ子だ。
年齢を重ねてもまだ妖艶さを失わない美貌の持ち主なだけに、シェラは残念過ぎて大きくため息を吐いた。
そして、気を取り直すとソナタに心配そうな顔を向けた。

「……赤ちゃん、出来たの?」

子どもを授かるのはおめでたいことだけれど、学生の身では学業に差し障りがあろう。
ライアンも、その辺りのことはきちんとわきまえて、節度のある付き合いをしているものと思ったのに。

「んーん」

ところがソナタがふるふると首を振るので、シェラは「え、だって」と目を丸くした。
他の面々も同じような顔をしている。
ヴァンツァーとカノンなど、内容によっては決闘を申し込みかねない険しい表情だ。

「まだできてないけどできちゃった結婚しよう、って言ったら、今から指輪を買いに行きましょう、って」

これって、ソナタがプロポーズしたのかなぁ? と無邪気に首を傾げる娘に、シェラは頭の上にたくさんの疑問符を飛ばした。

「……どうして、できちゃった結婚しようなんて」

これにはきょとん、とした顔を返したソナタである。

「好きな人とずっと一緒にいられたら、幸せでしょう?」
「……まぁ」

ちらっと隣に座る男を見ると、相変わらず不機嫌そうな顔でそっぽを向いている。

「可愛い子どもに、『すきすき~~~♪』って言ってもらえたら、とっても幸せでしょう?」
「それはすごく」

今度は即座に頷いたシェラに、ソナタはにっこりと笑った。

「それが同時に起こるんだもん。それってすごくない?」

幸せの爆弾みたいでしょう? と、それこそ幸せいっぱいの表情を浮かべる美少女に、その場にいた五人全員が目を丸くした。
そうして、つい先ほどまで鬼のような形相をしていた父子までが、仕方なさそうな苦笑を浮かべたのである。
何だかんだ言ってもこの家族は皆、お互いの笑顔が動力源なのであり、ちょっとばっかし気に喰わないことがあっても本人が幸せそうにしているのならばそれを尊重する。

「ライアン」
「はい」

どうやら家族一同の合意が得られたようだ、と感じたシェラは、深々と頭を下げた。

「娘を、よろしくお願いします」
「──はい。大事にします」

こちらもぺこり、と頭を下げる。
そんな様子を見て『ふん』、と鼻を鳴らしたカノンは、文句ついでに言ってみた。

「ライアンの家族には、もう話したの?」

そっちにダメだしされるかもよ~、というニュアンスを持たせるちょっぴり意地悪な天使に、ライアンは太陽のような笑みを浮かべた。

「うん。喜んでくれたよ。たぶん、二、三日したら結納の品が届くと思う」

結納? とそのときは首を傾げていたファロット一家の面々だったのだけれど。

──まさか、三十万トン級の宇宙船いっぱいの食料が届くとは、夢にも思わなかったのである。




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