その日、辺境の惑星から一隻の宇宙船が連邦大学惑星へとやってきた。
青く輝く美しい星を眼下に収めているのは、ひと組の夫婦である。
「お母(おが)、何ともあずますぃ星だなや」
そう言って目を細めるのは、真っ白い肌に淡い金髪、見つめる惑星と同じ色をした瞳の──白くまのような巨漢である。
しかし、その大きな身体は贅肉に覆われているわけではなく、大岩のひとつも持ち上げられるような筋肉質な肉体である。
立派な体格とは裏腹に、その瞳は初めて見る大都会の星にきらきらと輝いている。
「おとさん。ひとり息子の晴れの門出でもはんど。こう、髭のひとつもあたってくなんせ」
操縦席にてそう返したのは、長い黒髪を後頭部で結った細身の女性だ。
少しばかり垂れ気味の目は烏の濡れ羽色。
褐色の肌に覆われた肢体は、出るとことは出て、引っ込むところは引っ込んだ素晴らしいプロポーションの美女である。
「おお、そだな。牛(ベコ)の機嫌も見ねばなんね。あぢらの人は、いっぺこっぺライアンさ飯コ食わせてくれたんろ?」
「じゃっどん、その髭は……」
本当に困った人だこと、と苦笑する美女は、夫の身だしなみを整えるべく操縦席から立ち上がった。
「お父(おど)ちゃ、お母(おが)ちゃ!」
そのとき血相を変えて操縦室に入ってきたのは、黒髪に小麦色の肌の、母親そっくりの美女だ。
ハーマイン家の三女、ライアンの末の姉である。
「どしただ、アネット?」
「でーりゃーこって! 鯨が暴れとるでにゃーか!!」
大きく身振りを交えての台詞に、なんと! と目を丸くする夫婦。
しかし、娘と違ってまったく慌てた様子はない。
「おとさん、したらもうシメたらよかりもす」
白くまのような男はともかく、もう少し垢抜けた格好をすればモデルとしてでも活躍できそうな美女までが、実に腰の据わった様子でそう口にする。
それに対して、うんうん、とどこかのんびりした調子で返す夫。
「んだなや。アネット、ハサンはどしただ?」
ちょうどそこへ、アネットの夫である青年が入ってきた。
「父ちゃん。わしに任せてつかあさい。海のもんはわしの専門じゃけんのう」
短く刈った黒髪と鳶色の瞳、こんがり焼けた肌が健康的な、なかなかの偉丈夫である。
女性の太腿くらいはありそうな逞しい腕と厚い胸板は、頼り甲斐がありそうだ。
ハサンと呼ばれたその青年は、妻に向かって「あんたもきんさいや」と声を掛けた。
こくり、と頷くアネット。
「急いで行かにゃーと」
娘三人はみな揃って気が強いけれど、アネットはとかく男勝りだ。
そんな娘が、夫には信頼しきった顔を向けるのだからハサンの男ぶりたるや大したものだ。
若い夫婦を見送った両親は、末っ子である長男とその恋人に想いを馳せた。
「ソナダぢゃんは、はぁ、めごい嫁コさなるだろなぁ……」
「ライアンも、果報者でござりもす」
まだ実際に会ったことはないけれど、息子から送られてきたメールに添付されていた写真に写った少女は、それはそれはお人形さんみたいに綺麗な子であった。
「あん子が結婚ね……」
どこか遠くを見る目になる白くまさんとその奥様。
姉たちがあまりに快活だったからか、男の子だというのにちいさい頃からずっと、大人しい印象を受ける息子であった。
また、見た目が少女のようだったし、趣味も人形遊びやお絵描きとあって、嫁に来てくれる女性がいるのか心配したこともあったものだ。
「わしらも気張らねばなんねえぞ」
「もとより、しらしんけんに」
そうして、三十万トン級の宇宙船いっぱいに積んできた自慢の農作物やら家畜やらの様子を見に、しばしの間宇宙船を自動操縦に切り替えたのであった。
「──……………………トン?」
それが単位であることはよく分かっているが、いくら広大とはいえ個人の邸宅に運び込む重量の荷物ではない。
「や~、はんずめますてぇ」
「うちん子がお世話になっとりもす」
「ひゃ~、別嬪さんがぎょーさんおるで!」
「これ、アネット」
「おぉ、あンめごい子がソナダぢゃんね。はぁ~、ライアンはほんに果報モンだで」
「んだな。うちン妹んなるでや?」
「あんさんより、だいぶ落ち着いとうぞ」
「なんね。いけんと?」
愛想が良く賑やかな面々からの挨拶に──と、更にはその背後にある小山のようなコンテナに、ファロット一家は揃って目を丸くした。
ファロット一家だけではなく、これからその一員になろうかという青年も碧眼を瞠ったものである。
「お父、なじょした? 結納品ば、送るぅゆうてたでねか」
長身の青年ではあったが細身なので、ゆうにひと回り以上大きな体格をしている父親の前に立つとすっかり影になってしまう。
「したけど、息子の晴れの日だ」
品物を贈るだけでは失礼に当たろうから、自分たちもやってきたのだ、と機嫌良さそうに説明する。
「えらい長旅だったんでねか?」
「なんも、なんも」
はっはっは、と豪快に笑った白くまさんは、改めてファロット家の家長とその細君に頭を下げた。
「どんも。ヨセフ・ハーマインでした」
「……た?」
「これ、お父」
大きな身体に似合わず、ぺこりと頭を下げる仕草が何とも可愛らしい印象を与えてくる白くまさんの挨拶に、きょとん、とした顔で首を傾げるシェラ。
ライアンは苦笑すると、父の逞しい腕をぽんぽん、と叩いた。
「故郷(くに)の言葉ぁ、わがんねぇべ」
「おお、んだな!」
ぽん、と手を叩き、改めて頭を下げる様子が何とも律儀で、人の好さが如実に表れている。
「んっとぉ……ヨセフ・ハーマインです。息子が世話になっとり……なっております。こんたび……このたびは、えー……」
んーと、んーと、と頭の中で中央座標の言葉に翻訳しながら喋っているからか、額に汗し、眉は困ったように下がりっぱなしだ。
「──構いません。いつもされるように話して下さい」
そこへ助け舟のようなものを出したのは、微笑を浮かべたファロット家の家長である。
アネットは、「は~、映画スターみてぇだぁ~」などと感嘆のため息を零しているが、世の大半の女性がヴァンツァーに対してそうするような秋波は一切感じられない。
綺麗に咲いた花を愛でるのと同じこと。
その証拠に、隣にいる夫に向かって「な?」と同意を求めるような笑顔を向けている。
ハサンはといえば、そんな妻の頭を苦笑交じりにぽんぽんと叩いてやっている。
「だども……」
「申し訳ないが、わたしはあなた方の郷里の言葉を話すことは出来ません。ですが、聴き取ることならば出来ます」
これには、双子の子どもたちが「「おお!」」と感心したものである。
自分たちには何語どころか何の暗号だかさっぱり分からないものが、父には分かるという。
さすが無駄に知識欲が旺盛な男。
こういうときは、実に頼りになる。
「……すいません。おれたちの故郷は辺境も辺境の星な上に、移民が多かったみたいで色々な国の言語が混ざってるんです」
田舎の星で標準語を話す人口自体が少ないから、少なくとも四、五カ国語は操れないと日常会話もままならないだろう、とライアンが言う。
しかも、その複数の国の言語からどの単語が選ばれて方言と化しているのかは、実際に生活をしてみないと分からない。
初めて耳にする人には、なるほど、暗号のようなものと言えた。
「紹介しますね。父のヨセフ、母のイリーナ、三女のアネットと夫のハサンです」
紹介されるたびに、ぺこり、ぺこりと会釈をするライアンの家族たちに、ファロット一家も揃って頭を下げた。
じゃあわたしも! と今度はソナタが家族の紹介を始めた。
「確か、お姉さんがお三方いらっしゃると伺ってますが」
「んだんだ」
シェラの言葉に頷くヨセフ。
「したけど、ベコや畑の様子ば見んと。留守番だぁ」
そりゃあ残念がっていたのだ、と語るヨセフに、シェラも「それは残念ですねぇ」と眉を下げた。
そこへ「シェラ、シェラ」とカノンに袖を引かれ、はっとしたように口許を押さえるシェラ。
「私としたことが……すみません、立ち話なんて失礼な真似を」
どうぞ中に入って下さい、と促す聖母と天使の微笑みに、ヨセフは「はぁ~」と感嘆のため息を零した。
「こったらめごいおどごン子みだの、はずめでだぁ」
きょとん、とした顔になるカノンに、ヴァンツァーはくすくす笑って頭を撫でてやった。
「可愛い男の子だって」
「──ぼく?」
「あぁ」
頷く父に、へへっ、と頬を染めてはにかむように笑ったカノン。
「ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げてお礼を言った。
カノンの隣では、その彼氏が首を捻っていた。
おかしいな、俺が可愛いって言っても「当たり前でしょ」としか返してくれないのにな、と分かりやすく顔に書いている青年。
だが、とりあえずここ最近心のメモ帳につけている『本日の可愛い顔ポイント』に『1』を加えて満足することにした。
相変わらず鈍感なこの青年は、カノンが「当たり前でしょ」の裏で耳まで赤くし、心臓をバクバク言わせていることなんて全然気づいていないのだ。
まぁ、このふたりはこれでいいに違いない。
「あー、あんの、ファロットさん?」
「シェラで結構ですよ」
「んではシェラさん」
声を掛けてきたイリーナに、シェラは愛想良く「はい」と返事をした。
「結納の品をば納めてくなんせ。いずこになおせばよござりましょう?」
「……なおす?」
きょとん、とした顔で小首を傾げたシェラの頭の中には、大工がトンカチ片手にカンカンやってる映像が思い浮かんでいた。
それを感じ取ったのだろう、ライアンがくすくす笑う。
「『なおす』っていうのは、『しまう、片付ける』ってことです」
「あぁ!」
ぽん、と手を打ったシェラは、まずは内容をあらためて下さい、というイリーナのあとに従い、コンテナの山を目指した。
そして、そのひとつへ脚を踏み入れ。
「──きゃあ!」
という大きな声が聞こえてきたので、ほとんど条件反射で駆け出すヴァンツァー。
ひんやりとしたコンテナの中は、扉が開くとライトがつく仕組みになっているのだろう。
思っていたよりも暗くはない。
そして、おそらくはこのコンテナ自体が百年単位での長期保存も可能な特別仕様のそれに違いない。
「シェラ?」
コンテナの入り口から十歩ほど進んだ辺りに座り込んでいる銀色を見つける。
まさか腰を抜かしているということはないだろうが、どうしたのだろうかと思って近寄ってみると。
──シャク、シャク。
という軽い音が聞こえてきた。
──カリッコリッ。
次いで、何とも小気味の良い音。
──シャクシャクシャクシャクシャクシャクシャクシャク。
今度は最初のものよりもかなり高速なそれ。
「シェラ?」
どうした? と声を掛けると、振り向いたシェラの右手には青々とした葉っぱ。
左手には、赤く見えるほど濃い色をした人参があった。
それをシャクシャクムシャムシャと、うさぎのように齧っていたシェラは、すっくと立ち上がると背後にいたヴァンツァーに飛びつくようにしてひしっと抱きついた。
おっと、と受け止めた細い身体は小刻みに震えており、やがてバンバン! と結構な力で背中を叩かれた。
ん? と一瞬首を捻ったヴァンツァーだったけれど、そうか、と得心がいった。
「美味かったんだな」
こくこくこくこく、と何度も頷く銀色の頭に、藍色の目を細める。
「ハーマインさんは、大きな農場を営んでいるそうだ。きっと、手ずから育てた野菜なんだろう」
その野菜が、土に植わった状態のままで運ばれてきている。
野菜だけではなかった。
他のコンテナには、牛も馬も羊も山羊もうさぎも鳩も雉も家鴨も鶏も軍鶏も鯨も鮪も鯛も。
とにかく、農場と牧場と漁場がいっぺんに引っ越してきました、というような、シェラにとっては楽園とも言うべき光景が広がっているのである。
「はぁ~、気に入ってもらえだようで。えがった、えがった」
「船ン中で暴れちょったけん、鯨は一頭だけはさばいてしもうたんやけど……」
「──お任せ下さい。今夜はいただいたお品で、腕によりをかけてごちそうをこしらえます!!」
ふんっ、と力こぶを作って見せたシェラの瞳は、いつになくきらきらと輝いていた。
ファロット家の敷地の大きさ自体は、広大な農場と牧場を営むハーマイン家も相当なものなので大した驚きはなかったものの、敷地内にいくつも建てられた城や洋館の見事さには言葉を失っていた。
まずは、とシェラが母屋でお茶を振る舞いながら改めて家族の紹介やら挨拶を交わし、しばらく歓談していた両家の皆さん。
長旅でお疲れでしょうからとシェラが案内したのは、母屋から数分歩いた森の中の瀟洒な洋館。
ご自由にお使い下さい、入用なものがあったら何でもおっしゃって下さいね、と笑みを浮かべる聖母に、ヨセフは感心したような声を上げた。
「ガノンちゃんもめごいおどこン子だども、お母さんもおどごてば、はぁ、どがいはべっくらするもんだなぁ」
何度か耳にした単語が出てきたので、ピンときたソナタ。
一緒に案内役としてついてきた彼女は、隣を歩く彼氏には聞こえるよう呟いた。
「シェラのこと、男だって分かるんだね」
さすがライアンのお父さん、とちいさく手を叩いて拍手をする。
これに対して、ライアンはさもありなん、という風に頷いた。
「あぁ、ヒヨコの鑑定もするくらいだからね」
「ヒ……ヒヨコ?」
「ヒヨコって、素人だと雌雄の区別がつかないんだよ。鑑定士がいるくらいでさ」
「そうなんだ!」
「うん」
と、頷いたライアンがくすくす笑い出したので、どうしたの? と訊ねるソナタ。
「いや、普通ヒヨコの雌雄ってお尻、肛門で見分けるんだけど」
「うん?」
「父さん、──顔で見分けがつくんだってさ」
さすがのおれも、顔では分からないんだよね~、と妙な尊敬の念を抱いていたりするらしい。
「……もしかして、ライアンのお父さんも骨格フェチだったりする?」
「いやぁ、フェチとかじゃなくて。何て言うのかな……ソナタちゃんたちは男女だから少し違うけど、たとえば一卵性の双子を親が見間違えることがないのと同じ。他人からしたらどこがどう違うのか分からないけど、親にしてみたら全然違う表情だったり仕草だったりするのと同じ感じかな」
あぁ、そうか、とソナタは手を叩いた。
「愛情もって、よぅく見てる、ってことね?」
この言葉に、ライアンは心底嬉しそうに碧眼を細めた。
「うん。そーゆーこと」
溢れんばかりの愛に包まれて育ち、無邪気に笑い、子どものように綺麗な瞳で見つめてくれる。
ひと目惚れをしたのは、そのしゃんと伸びた、真っ白い羽が生えていそうな背中。
雑踏の中にいてもそこだけ清浄な空気の膜が張っているような、淡く金色に光る輪郭。
そこにレンブラントの絵画が現れたのかと思うほど、それは鮮やかな存在であり、印象だった。
驚いたようにこちらを見上げてくる顔は、聖母と呼ぶにはまだ幼く、天使のように超然とはしておらず。
どうすればここまで無垢なものが、宝石のように冷たくはなく、人としての温度を持って存在出来るのだろうか、と。
最初は、ただただ不思議なばかりであった。
人はどんな聖人であれ、負の感情を抱えている。
その光が強ければ強いほど、なお闇も濃くなる。
この少女もそうなのだろうか、という微かな不安は杞憂であった。
闇ではなく、夜。
穏やかな眠りへと生き物を促す、やさしいぬくもり。
こんなにも真っ直ぐに育ってくれた少女自身と、彼女を愛で満たしてくれたその家族に感謝と尊敬を。
──願わくば、このまま変わらず。 どれほど月日が経とうとも、この光が失われることのないように。
「ねぇ、ソナタちゃん」
「うん?」
「──ありがとう」
きょとん、とした顔で藍色の瞳をぱちくりさせている少女に、もう一度「ありがとう」と言って、キスをした。
結納を済ませ、婚約指輪も左手の薬指に。
けれど、まだまだ若いふたりは結婚を急いでいたわけではなく。
ちょっとばかり勢いで決めたところのある結婚ではあるけれど、それでも『幸せになりましょうね』という気持ちだけは誰にも負けないくらいに強かったふたり。
せっかくだから、結婚式はきっかけにもなった夢と魔法の王国で挙げましょうか、という運びになり。
ソナタの誕生日である真冬の結婚式も良かったのだけれど、この年のその時期は残念ながら埋まってしまっていたので、ではちょうど一年後の夏にしましょう、ということに決まった。
いくら王国を運営する会社の大株主であるとはいえ、夢の国に娘の結婚式をゴリ押しするほど愚かなヴァンツァーではなく、──けれど、ちょっとばかりの我が儘は通してもらうことにした。
「ドレスはコラボレーションという形でも構いませんか? えぇ、もちろん布地や貴金属に関しては全面的に協力させていただきます。それから披露宴での食事やケーキですが」
と、まず間違いなく彼の言葉の裏には、可愛い可愛い愛娘の結婚に並々ならぬ情熱を注いでいるのであろう美貌の奥方の『お願い』があったに違いなく。
一年がかりで準備の進められた結婚式は、それはそれは盛大に執り行われたのである。
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