Happy Summer Wedding

──の前に。
もう少し時間を割いて、長女の結婚式直前のファロット一家を追ってみたいと思う。

~ Side シェラ ~

「式場よーし!」
「引き出物よーし!」
「招待客よーし!」
「ドレスの仮縫いよーし!」

いぇい! と手を打ち合わせた母娘。

「あと三ヶ月か……あっという間だなぁ……」

寂しそうな声を出すシェラに、ソナタはくすくすと笑った。

「シェラったら、気が早いんだ」
「そんなことないよ。たった三ヶ月だよ? 衣装とアクセサリーの用意に、披露宴の打ち合わせ、すぐお式の日になっちゃうんだから」
「そうかなぁ」
「そうだよ……そうしたら、寂しくなるなぁ……」
「──シェラ?」

しゅん、と項垂れる大好きな人の髪を撫でてやるソナタ。
シェラの喜ぶ顔を見るのは大好きだけれど、でもこうして寂しがってもらえるのも嬉しくてくすぐったい。

「新居はどこにしたの?」
「へ?」
「あんまり遠くは嫌だなぁ……ライアンの借りてる家に住むの? それとも新しいところ?」
「……」

藍色の瞳を真ん丸にしている娘に、シェラは『ウザがられたらどうしよう』とちょっぴり不安になりながらも「ねぇ、どうするの?」と訊ねた。

「……シェラ」
「なぁに?」
「よく聞いて」
「うん、聞いてるよ」

こくん、と頷いたシェラの真剣な表情に、ソナタも真面目な顔で言った。

「────……忘れてた」

ここぞとばかりに、シェラが同居を勧めたのは言うまでもない。
うっかりどころでは済まされない内容だったが、むしろシェラにとっては都合が良い。

『──あぁ、そういえば』

早速とばかりにシェラはソナタの婚約者に電話を掛けたわけだが、こちらさんもすっかり失念していたようだ。
というよりも、制作活動に追われてそこまで手が回らなかったに違いない。
新進気鋭の彫刻家な青年だが、彫刻だけではなく自動人形の製造にも携わっているらしい。
人工頭脳や機械の身体を作る技術は持っていないライアンだったが、『人間と見紛う人形』を作ることにかけては天下一品の腕と眼を持っている。
皮膚や毛髪の質感は言うに及ばず、細かな仕草や表情ひとつにしても実に繊細で、機械工学畑の知り合いから引っ張りだこだという。
一度ファロット邸にもその自動人形を連れて来たことがあるのだが、シェラですら思わずじーっと見つめてから、「これ人形?」と訊いたくらいだ。
それでも、三十秒とかからずに見破られてしまったライアンは職人根性が刺激されたらしく、どこをどう改良すべきかシェラと小一時間ほど語り合っていた。
主に医療現場で使用するということで、温厚で誠実な人柄の表れる表情作りに勤しんでいるのだという。
多忙極まりない身ではあるが、決して婚約者をないがしろにすることはなく、ふたりの時間は取っているとのことなので、まぁ、新居の手配を忘れてしまうことくらいは仕方のないことなのかも知れない。
しかし、気は利くし、他人の心の機微にも敏感な男ではあるのだが、時々何だか肝心なところがごっそり抜け落ちていたりする。
似たもの夫婦になりそうなソナタとライアンではあったが、同じところが足りないのでは補いようがない。
放っておくのも心配なシェラとしては、せめて生活が落ち着くまでは是非とも目の届くところで暮らしてもらいたいのであった。

「同居って言ってもひとつ屋根の下に暮らすわけじゃないから安心してね。好きな家使ってもらって構わないから」
『何から何まですみません』
「いいの、いいの。新婚さんは何かと入用でしょ? その点うちなら家賃もいらないし、ご飯は私が作るし♪」

土地はたくさんあるから、アトリエ代わりに使ってくれてもいいし、と。
まさに至れり尽くせりの提案をしてくれた義母上殿に、ライアンは遠慮の『え』の字もなく、「よろしくお願いします」と言った。
同居とはいえ、もともと広大な敷地を誇るファロット邸。
建てられた家屋は十を数え、ひとつひとつが離れて建てられているので新婚夫婦の邪魔をすることもなかろう、というシェラの言葉に反応したのは、その日の夕方帰ってきた息子と夫であった。

「──え、邪魔するけど」
「当然だな」
「しょっちゅうふたりの家に入り浸って泊まってやる」
「ソナタはこっちで寝泊りして、新居には帰さないという手もある」
「あ、それいいね。そういえば最近ソナタと一緒に寝てないや」
「ベッドを新調してやろうか?」
「ほんと? 父さん大好き!」

どこまで本気なのかそんなことを楽しそうに話している男どもに、シェラは深々とため息を吐いた。

「じゃあカノンはアー君のとこにお泊り禁止」
「──え?!」
「私は別の家を使うからお前ひとりで寝ろ」
「なぜそうなる」

今度は揃って不服そうな顔になる似たもの父子にも、ツン、と顎を逸らしているファロット家の最高権力者。

「「シェラ……」」
「──『ごめんなさい』は?」
「「………………………………ごめんなさい」」
「よろしい」

まだぶーぶー言っている男どもは放っておいて、シェラは次の休みにでもソナタと新居で使う家具やカーテンを買いに行こうと決めた。
もちろん、ファロット邸にある家はどれもみな家具つきのぴっかぴかですぐにでも入居出来る状態に調えられているのだが、せめてカーテンや壁紙くらいは『新婚』という甘い響きに合ったものにしたい。
けれど、あまりそういったことに頓着しないソナタなので、買い物に行っても、

「シェラにお任せ~」

状態だったのは言うまでもない。
それでも、自分が住む家のそれを選ぶようにあーでもない、こーでもない、と真剣にカーテンを選ぶシェラを眺めながら、幸せな気分になったソナタであった。
しかし、これではあまりにも甘えっぱなしだなぁ、とちょっぴり反省したお嬢さん。

「ねぇ、シェラ……」
「うん? やっぱりピンクの方がいい?」
「ううん、そっちのグリーンのが好き」
「あ、やっぱり? レースはこっちでいい?」
「うん、可愛い──って、そうじゃなくてね」
「どしたの?」

きょとん、として首を傾げる同じ顔の持ち主に、ええい! とばかりに切り出した。

「わたし、まだ学生で就職してないの」
「うん」
「専業主婦になるにも、家事苦手だし」
「私がいるから平気だよ。ゆっくり覚えていけばいいじゃない」
「そうじゃなくて!」

分かって、分かって、と珍しくむずがるような様子の娘に、シェラは心配そうな顔になった。
もしかして、マリッジブルーというやつだろうか、と。
自分の場合はそんなことを思う暇もなかったわけだが、不安ならたくさん抱えていた。

「何か、心配ごと?」

私で良ければ相談に乗るよ、と手を握ってくれるやさしい人に、ソナタは「あのね」と口を開いた。

「家事も出来なくて、仕事も出来なくて、お母さんになるわけでもなくて……それなのに、みんなにこんなに大事にされてていいのかな……?」

他の人には内緒ね、と眉を下げる娘に、シェラは一瞬目を瞠ったあと、くすくすとちいさく笑った。

「……変なこと言った?」
「ううん。ごめんね」

よしよし、と黒髪を撫でてやる。

「ソナタはいい子だね」
「……そんなことないよ。なぁんにも出来ないもの」
「それこそ、そんなことないよ。ソナタには、ソナタにしか出来ないことがある」
「なぁに、それ?」
「ん~?」

ぽんぽん、とソナタの両手を上下からやさしく包み込んでやったシェラは、眦をたわめて微笑した。

「じゃあ、宿題ね」
「──宿題?」
「そう。そうだなぁ……卒業するまでに、ソナタの答えを聞かせて」
「わたしの答え?」
「うん。ソナタにしか出来ないことの、答え」
「……難しそう」
「そうだね」

ふふ、と笑みを浮かべたシェラは、「でもね」と付け足した。

「──意外と、簡単なことかもよ?」


~ Side カノン ~

「どうぞ」

ソファの上でクッションごと膝を抱えて頬を膨らませているご機嫌ナナメな女王様の前に、紅茶のカップを置いてやる青年。
妹の結婚が決まってからというものそりゃあこちらへの風当たりも強かったわけだが、本当は結婚に反対しているわけではなくて、寂しい気持ちがちょっぴり八つ当たり気味になってしまっているだけなのだと知っている彼氏は、辛抱強く恋人を宥め続けた。
昨夜も『迎えに来て』の一行メールを送ってきて下さった女王様を自宅に招き、二時間ほど愚痴を聞いたところでなぜか押し倒された。
それも寂しさの表れなのだろうし、どんな形であれ甘えてもらえるのは嬉しいから構わないのだけれど。

「……ありがと」

ぶすっとした顔をしていてもきちんと礼を言うところが好きだったりするキニアンは、「どういたしまして」と言って銀色の頭を撫でてやった。
普段は二人掛けのソファとスツール、テーブルがあるだけのリビングなのだが、今日はキニアンの相棒も同座している。
カノンにお茶を淹れるためにしばらくリビングを離れていたキニアンは、相棒のチェロ・【ラファエル】に心の中で『お待たせ』と呟いた。
課題の練習をしていたのだが、その音で寝ていたカノンを起こしてしまったらしい。
──言われなくても起きたら紅茶。
なので、真面目な青年はマニュアル通りに対処したというわけだ。
カノンと【ラファエル】のどちらが気難しい──忌憚ない言い方をすれば、『手が掛かる』かと言われると、かなり答えに窮する。
楽器は完成することがない──もちろん、職人の手を離れれば一旦は完成を見る。
しかし、楽器は音楽家の手に渡り、彼らが奏でることによって成長する。
名人と呼ばれる職人の作品であっても、出来上がったらそこでおしまいというわけではないのだ。
出来上がった当初は、どうしても音が堅い。
それを、音楽家が奏でることで成長させ、音を育てていくのだ。
もちろん逆もある。 弾き手が悪ければ、音は劣化する。
放置された楽器も同じ。
名器と呼ばれる楽器であっても、弾き手によってまったく啼かない──つまり、響かないこともある。
同じ楽器でも弾き手によって音は違うし、音色に弾き手の癖がつくこともある。
不思議なものだが、だからこそ楽器は道具ではないのだ。
人と一緒に成長する、同志であり、相棒なのである。
少し話は変わるが、キニアンはあまり多くを語る方ではなく、愛想もない。
カノンやファロット一家との関わり合いの中でそれもだいぶ和らいできたのだが、それでも表情豊かとはお世辞にも言えない。
長身のハンサムだが、いかんせんとっつきにくい印象を人間には与えるのだけれど、なぜかやたらと動物に好かれる性質だったりする。
足元に仔犬が飛びついてきたりすると、「ん、何だよ」と言いながらも両手でそっと抱き上げてやる。
彼のやさしさを、動物たちもきっと敏感に感じ取っているのだろう。
──そして、キニアンは動物だけでなく楽器にもモテる。
こちらに関しては、かなりモテモテだ。
他人の楽器でも、彼が「こういう音を出して下さいね」とお願いすると素直に聞いてくれたりするのだ。
だから、生まれたてホヤホヤの若い楽器でも、彼が演奏しているうちに音が伸びるようになったりする。
高音はきらきらと、低音は豊かに。
ファロット邸にあるヴァイオリンはさほど高価なものではなく──それでも数百万は下らないが──、カノンやヴァンツァーが趣味や手習い程度にしか演奏することがないので出番もそうそうない。
それにヘソを曲げていたらしい楽器の機嫌を、ものの見事に直して見せたのである。

「いい音ですね」

いやいや、それはあなたが弾いているからですよ、とファロット一家はみな思ったが、きっと本人は無自覚なのだろうと思って放って──いや、そっとしておくことにした。
そんなキニアンでも、【ラファエル】の扱いには苦労しているのである。
先にも述べたように楽器は音楽家にとって相棒だ。
だから、相性というものが存在する。
高い楽器だからといって絶対的に音が良いというわけでもないのは、大抵は弾き手との相性が良くないからだ。
そして、よほど力量のある弾き手でもない限り、相棒を選ぶ権限があるのは専ら楽器の方である。
キニアンの相棒であるストラディバリウス・【ラファエル】はもともと彼の父の所有物であった。
アントニオ・ストラディバリの作はヴァイオリンが有名だが、ヴィオラやチェロも少数ではあるが存在する。
いずれも名器として名高い逸品だ。
骨董品としての価値も高い楽器なので、その多くは大学や財団、博物館などの所蔵である。
そこから、音楽家に対して貸与されることが圧倒的に多い。
個人で所有するにしても、そのほとんどはオークション形式で売買されるので『定価』というものは存在せず、目玉が飛び出るような高額で取引される楽器である。
この芸術品を手にすることは音楽家にとって非常に名誉なことであるが、数が少ない上に高価で、しかも人を選ぶ。
安い楽器よりは高い楽器を使った方が音が良いし、弾き手の成長も促すが、楽器に振り回されるのでは意味がない。
それでも、現代最高のチェリストのひとりと言われるアルフレッドは、【ラファエル】の奏者に相応しいのは自分よりも息子だと判断した。
本人の自覚は置いておくとして、ストラディバリウスの甘く繊細な高音は、若木のようにしなやかで水晶のように透明無垢な精神を持つ青年にこそ相応しい、と。
さすがのアルフレッドも、【ラファエル】を渡された息子が恐縮するどころか、

「はぁ……どうも」

となんとも気のない返事をするとは思ってもみなかったのだが。
それはともかく、キニアンと【ラファエル】は高校時代からの付き合いなのでもう五年以上をともに過ごしているわけだが、それでもまだ互いに成長途中。
関係を築いている真っ最中である。
同じくらいの付き合いであるカノンとも、それは同じ。

「……もしかして、練習の邪魔しちゃった……?」

紅茶を啜りながら上目遣いに訊いてくる恋人に、キニアンは首を振った。

「ちょっと煮詰まってた」
「難しい曲?」
「んー。低音がなぁ……」

ぽりぽり、と頭を掻いて眉を寄せる彼氏に、カノンは小首を傾げた。

「どうにも軽くて」

もっと力強くて重い音が欲しいのだ、と言われてもカノンには音楽的なことは分からない。
それでも、どんな曲なのか知りたくて訊ねた。

「誰の曲?」
「ブラームス」
「聞いたことある名前だ」
「これなら知ってるんじゃないか?」

そう言って彼が弾いたのは『子守唄』であった。
人の声に最も近い音と言われるチェロで奏でられるそれは耳に心地よいやさしい低音で、うっとりしながら聴いていたカノンはちょっとはにかんだように微笑んだ。

「もう一回寝たくなった」

それを聞いたキニアンもちいさく笑った。
キニアンは才能溢れる若者ではあったが、得意とするのはサン=サーンスの『白鳥』やバッハの『無伴奏チェロ組曲第一番』、ブラームスでも今の『子守唄』のように、さらさらと、また穏やかに水が流れる音のする音楽であった。
どっしりと重厚感溢れる楽曲や嵐のように力強い曲は、彼の父の得意とするところである。
得意な分野を伸ばすことは大事だが、それだけでは表現の幅は広がらない。
ダイナミック・レンジは、まず大きく取るものである。

「人間的に、軽いんだろうなぁ……」

はぁ、とぼやく彼氏に、カノンはぽふん、と抱えたクッションに頭を預けると、寝起きのちょっと舌っ足らずな口調でこう返した。

「アリスは、やさしいんだよ」
「え?」
「あんまり怒らないし、人のこと嫌ったりしないでしょ」
「いや、でもそれ別にやさしいってわけじゃ……苦手なものはたくさんあるぞ?」
「短調苦手だよね」
「………………はい」
「ふふっ。ぼく、アリスの音、好きだよ」
「……」
「お日様と、水の音がする」

明るくて、きらきらしていて、悪いものを洗い流してくれるようが気がするのだ。

「……昔はね、ソナタがそうだったの」

そっと、目を閉じる。
生まれる前からずっと一緒だった、大事な大事な半身。
彼女の纏う空気は、森の水辺と同じように綺麗だった。

「守ってあげなきゃって、思ってたのに……」

きっと守られているのは、救われているのは自分の方だった。
何だか胸が詰まって、鼻の奥がツンとする。
目頭が熱くなってきて、クッションでゴシッ、と目許を拭った。
照れ隠しのようにへへっ、と笑うと、少し心配そうにこちらを見つめてくる彼氏に訊いた。

「ぼくには、アリスがいるもんね?」
「……」
「だから……だから、全然……ぜ、ぜん……」

寂しくなんか、ないんだよ。
言おうとしたのに、上手く言えなかった。
クッションに顔を埋めようとしたら、ぐいっ、と結構な力で取り上げられた。
思わず顔を上げると、眉を顰めた彼氏が目の前に立っていた。

「……、ぁ」
「──こっち」

名前を呼ぼうとしたら肩を引き寄せられ、隣に座った彼氏の胸に頭を押し付けられた。

「俺がいるんだろう?」
「……」
「なのに、何でひとりで泣こうとしてるんだよ」

ちょっと怒ったようにそう言って、わしわし、と頭を撫でてくる。

「これからは、こっちな」

決して乱暴ではないその手の力強さに、一瞬止まっていた涙がまた溢れてきた。

「……うん」
「一緒にお祝いしてやろうな」
「……うん」
「泣き虫」
「う……そんなことないもん」

流れで頷きそうになってしまって言い直すカノンの様子にくすくすと笑ったキニアンは、よしよし、と頭を撫でてやりながら、この日ひとつの誓いを立てたのだった。  




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