Happy Summer Wedding

チャペルの扉の向こうは、ふんわりと淡いピンクに染められた空間が広がっている。
美しいヴォールトで覆われた空間は天井が高く開放的で、十数メートル続く白大理石のバージンロードは鏡のように磨き上げられている。
列席者の着席する座席やチャペルの至る所に飾られているカサブランカの甘い香りと、式場の正面とサイドにある大きな窓からのやさしい光が良き日を祝福している。
どうしても花嫁とバージンロードを歩くのは自分だ、と言い張って聞かなかった父子は、扉の前で白いドレスに身を包んだ花嫁に左右から手を差し出した。
満面の笑みを浮かべた花嫁は、シルクのグローブに包まれた手を父と双子の兄に預けた。
素晴らしく均整の取れた長身を濃灰色のスーツに包んだ父は、やはりとびっきりかっこいい。
ドレスコードを指定しているわけでも、特別格調高いわけでもない楽しい雰囲気の結婚式を目指しているため、主賓も列席者もガチガチの正礼装をしてはいない。
それぞれに、どこかしら遊び心を取り入れた服装で参加している。
新婦の父も、その身につけているスーツの色味は地味だが、アスコットタイとベストには繊細な刺繍が施されており、華やかな雰囲気がある。
ジャケットの裾は長めで、身長が低く、脚が短い人間には着こなせないものだったが、彼にそんな心配はするだけ無駄というものである。
四十を過ぎてもその美貌は衰えを知らず、外見は三十代の頃と何ら変わりない。

「パパ素敵!」
「『打倒・新郎』が目標なんでね」

片目を瞑ってそんなことを言う父に、くすくすと笑みを零す新婦。
次に、左手を預けている兄の姿に目を細めた。

「カノンはドレスじゃないのね」
「今日は、『白馬に乗った王子様』なの」

こちらも笑顔でそんなことを言う。
さすがに今日は白い衣装を着ることは出来ないが、こちらも確かに『王子様』と思わせる扮装だ。
黒いタキシードの上下、シャツは胸元にフリルがふんだんにあしらわれた華やかなもので、タイは瞳の色に合わせたリボンタイである。

「うん、可愛い」
「ソナタが一番綺麗で可愛いよ」

ありがとう、と微笑む新婦は、シンデレラをイメージしたウェディングドレスに身を包んでいる。
首周りは肩の近くまで大きく開いた形で、袖は短め。
胸元には金糸と銀糸、ビーズで刺繍が施されている。
煌めくティアラを乗せた黒髪はふんわりと結い上げられ、白い肌と衣装に良く映える。
少しばかりそそっかしいところのある彼女だったが、ふんわりと腰の辺りでバルーンのように膨らませたドレーンを器用にさばいて歩いている。
もちろん、このドレスはレンタルなどではない。
シェラが娘の結婚式でそんな暴挙を赦すわけもなく、式場のスタッフと話し合った末、パターンはほぼ同じものを使用しているが、素材から縫製から彼が手作業で行なうこととなった。
スカート部分はかなりボリュームがあるが、見た目以上に軽いのが特徴である。

「シェラ、泣き止んだ?」

綺麗、綺麗、と。
そればかりを繰り返して涙を流していた大好きな人を脳裏に思い浮かべて心配そうな顔になったソナタに、父子は一瞬顔を見合わせてちいさく笑った。

「うさぎみたいな目してる」
「やっぱり……」
「そんな顔をするな」
「──パパ?」
「あれは、哀しいんじゃない。嬉しくて仕方ないんだから」

宝石のように青い瞳を真ん丸にしたソナタは、ひとつ頷くと頭上の太陽に負けないくらい華やかな笑みを浮かべた。
チャペルに入場する際は、オルガンと聖歌隊の歌が出迎えてくれる。
共和宇宙一有名なテーマパークのキャラクターたちが登場する映画の音楽だ。
今日は、その音楽が特別豪華なものになっている。
普段はテーマパークを運営している企業が雇った音楽家たちによる演奏なのだが、聖歌隊以外の演奏家が違った。
オルガンは黒いスーツ姿の青年。
立衿のシャツに銀と紫のアスコットタイがなかなか様になっている。
楽器に触っているときはゴキゲンな彼なので、その表情は常よりやわらかい。
もちろん、友人たちを祝福する気持ちは強い。
性格的なものもあって『気を抜いた演奏』なんてしたことのないキニアンだったけれど、今日は彼の両親が一緒だから尚更気合が入っている。
特に母親のヴァイオリンには、ちいさな発見があった。
これまではバリバリのソリストだと思っていたのだが、どうやら『人と合わせる』ということが出来るらしい──実に二十年以上親子をやってきて初めて知ったことだ。
彼女が本気で演奏をしたら、聖歌隊の歌など消えてしまう。
だが、今式場には美しいハーモニーだけが響き渡っている。
父親のチェロは、主にピチカートだ。
しかめっ面をしていることの多い父が、どんな顔で可愛らしいキャラクターたちの音楽を奏でているのかと思うと、それだけで口許が緩むキニアンだった。
残念ながらオルガンは他の演奏者にも、列席者たちにもほとんど背を向ける位置にあるのだが、彼はとても気持ち良く演奏をしていた。
──と、扉の開く音がした。
ごくごくちいさな音だったが、彼の耳に拾えない音はない。
一瞬奇妙な間があったあとに始まった拍手と、そこに交じる抑え切れない歓声や感嘆のため息、独り言のようなささやきまで、彼の耳にはしっかり届いている。
それを聴き取って、『あぁ、綺麗なんだろうなぁ』と若葉色の瞳を細めた。
長いバージンロードの先には、彼女の夫となる青年が待っている。
襟と袖に金糸で刺繍をしたオフホワイトのフロックコートとパンツに、ベージュのベスト、コートと同じく金刺繍のある白いアスコットタイ姿の新郎。
窓からの光を受けて輝く金髪と相まって、まさに今日の主役を務めるにふさわしい存在感で花嫁を待っていた彼は、花嫁を視界に入れると眩しそうに目を細めた。
ゆっくり、ゆっくりと自分に向かって歩み寄ってくる姿に、子どものように胸が高鳴るのを感じる。
綺麗だとか、可愛いだとか、そんなことは当たり前で、あとはもう、彼女と生涯を誓い合うことが出来る自分が誇らしくて仕方がなかった。
すぐ近くにいる姉たちが、「ひゃー、やっぱり別嬪さんやでー」「年下やってん」「落ち着いてはりますなぁ」と言うたびに隣の夫たちに窘められているのを見て苦笑が零れた。
じゃじゃ馬どころか暴れ牛が可愛らしく思えるような性格の姉たちを御すことの出来る義兄たちのことは心から尊敬しているライアンであったが、内心で『参ったなぁ』と思っていた。

──……これは、『嫁自慢大会』に収拾がつかなくなるなぁ……。

家系なのか何なのか、婿に至るまで大酒飲みが集まるハーマイン家だったので、家族が集まれば酒が樽単位で消費されていき。
途中からは男女に分かれて、愚痴なんだか惚気なんだか分からない暴露話が始まるのだ。
いつもならば自分が頃合いを見計らってお開きにさせるのだが、どうもこれからはそうもいかない予感がする。
けれどすぐに「まぁ、いいかぁ~」と思い直し、呪いでもかけそうな眼でこちらを見ている父子、それから花嫁の入場前から泣きっ放しのシェラを安心させるように、にこり、と笑みを向けて見せた。

「宇宙一綺麗な花嫁さんだ」
「今日のライアン、女の子に見えないね」

それは褒められてるのかなぁ? と苦笑した新郎だったが、にこにこと幸せそうに笑っている新婦を見て、やっぱり「まぁ、いいかぁ~」と気を取り直したのだった。


「──はい、誓います!」

にっこり笑って元気いっぱいに応える新郎と新婦に牧師は少し驚いた顔をして、やがてゆったりと笑みを浮かべて大きく頷いた。
くすくすと背後から笑い声が聞こえてきたけれど、それだってみんな新郎・新婦を愛し、大切に思っている人たちのあたたかい祝福の声だ。
結婚指輪は「せっかくだから」と選んだねずみのモチーフ。
幅のあるホワイトゴールドのリングに、イエローゴールドでねずみのシルエットが浮かんでいる。
フレンチネイルに調えられた細い指に、煌く銀色。
ソナタの大好きな色だ。
誓いのキスは、ねずみの恋人たちがするのと同じく、鼻と鼻をくっつけての可愛らしいもの。
そのあと素早く新婦の頬にキスをした新郎に、式場はどっと沸いた。
式場を退出する際は、列席者たちと一緒にライスシャワーとフラワーシャワーがふたりを迎えてくれるわけだが。

「──さて」
「え──きゃっ!」

ソナタの着ているウェディングドレスがいくら【Lu:na】ご自慢の軽めの素材とはいっても、その重量たるやちいさな子どもくらいはある。
だというのに、ほくほく顔の新郎は軽々と新婦を抱き上げた。
もちろん、列席者は大いに沸き立って手にしたライスを力いっぱい投げつけんばかりである。

「おれ、これ夢だったんだー」
「重くないの?」
「まっさか。──それに、これは幸せの重みだから、もっと重くたっていいんだよ」

そんな風に言って見上げてくる新郎はいつだって笑顔を浮かべているのだけれど、やっぱり今日はその笑顔が男らしい。

「今日のライアン、かっこいい~」
「あれ。いつもは違うの?」
「いつもは、かっこ可愛い。何が違うんだろ?」
「──あ、おれ分かっちゃった」

きょとん、とした顔で首を傾げるソナタに、ライアンはお日様のような笑みを向けた。

「一緒にいる女の子がいつも以上に可愛いから、気合が入ってるんだよ」

ソナタは「きゃ~~~」と言って新郎の首に抱きついたわけだけれど、長身の青年は華奢に見えてもたたらを踏んだりしない。

「……バカップルが」

新婚夫婦と列席者の明るい声が響く青空の下、ボソッと呟かれた声に、隣の青年は苦笑した。

「こら」
「ホントのことじゃん」
「一緒にお祝いするって、約束したろ?」
「してるよ、してます。お祝いしてるもんソナタのことはっ!」

ツーン、と顔を逸らした『王子様』に、キニアンは「あ、ほら」と注意を促した。

「ブーケトスするみたいだぞ」

何が何でも自分が取るのだ、と鼻息を荒くしていた姿も可愛らしいカノンだったので、キニアンは「行ってこい」と送り出してやった。
未婚の女性を対象に行われることが多いが、司会者も「花嫁さんから、幸せのお裾分けでーす! 皆さん集まってくださーい!」と言っていた。
カノンを送り出したはいいものの、輪の中から外れていても感じが悪いかな、と思ったキニアンは、邪魔にならないように輪の中へと入っていった。
ハーマイン家の三人娘もなぜか「自分が取る!」と意気込んでいたり、端の方では真っ赤な眼をしたシェラにヴァンツァーが「取ってくれば?」と微笑みかけたりしている。
ヴァンツァーの職場のアラフォー女性ふたりは、何だかちょっと殺気立っていて苦笑を誘う。
それでも、みんながみんな、『幸せになれ』『幸せになろう』というあたたかな想いでいっぱいで、勝手に目が潤んでくるのを感じるキニアンだった。

「いっきまーす!! そーーーーーーーれっ!!!!」

新郎の腕から降り、後ろを向いた新婦が力いっぱいブーケを投げた。
ふわり、と宙に浮かんだ花束は、花嫁の投げ方か、風の力か、ぐんぐん飛距離を伸ばしていき。

──ぱしっ。

やがて、きちんと人の手に届いたのである。

「「「「────あ……」」」」
「……え」

各方面から、突き刺さるような視線を向けられてたじろぐ。

「あ~~~~~~~~っ!!!!」

次いで、青空を切り裂かんばかりの叫び声がドカンと耳にぶつかる。
思わず両耳を塞いだ青年の前に、ツカツカと大股に歩み寄ってくる天使のような美貌の王子様。

「──ちょっと、アリス!!」
「ぅあ、はい」
「何してくれてるわけっ???!!!」
「え……」
「え、じゃなくて! 何でアリスがブーケ取っちゃうわけ???!!!」

涙目になっているカノンに、狼狽する青年。

「え、あ、いや、これは……その……放物線を描いて飛来してくるものには、思わず手を伸ばしてしまう癖があるといいますか……」

中高とバスケ部に所属していた青年だ。
昔取った杵柄というやつかも知れない。

「えっと……悪気があったわけじゃなくて……」
「ぼくが取ろうと思ってたのに!!」

馬鹿馬鹿、とぽかぽか胸を殴られる。
どうしよう、どうしよう、と焦った青年は、「はい」とブーケを差し出した。

「……何、これ」
「え、ブーケ」
「馬鹿なの? 見れば分かるけど」
「……はぁ……」
「何で、アリスが取ったブーケを、ぼくに渡すの?」

それアリスのじゃん、と膨れっ面になるカノンを見て、困ったように頬を掻く青年。

「え、あ、うん。だから」
「は?」
「やるよ」
「あのさ」
「俺が取ったから、お前にやる」
「……」
「俺のってことは、お前のってことだろ?」

だから、はい、と言って半ば押し付けるようにしてブーケを渡す青年。
しばらく呆然としていたカノンだったが、みるみるうちに顔が真っ赤になっていった。
ぷしゅぅぅぅ、と頭から湯気が立ち上る音がしそうなほどの赤面っぷりに、キニアンは「え、何で?!」と仰天している。

「ひゅーひゅー! ごっつひゅーひゅー!!」
「よっ、このリア充!」
「ちょお、さっきの牧師さん、まだいてはります?」
「結婚式はいつですか~」

そこら中から──というか、主にハーマイン家の娘たちと新婦から──投げかけられる冷やかしの声にも、「え? え?」と訳が分からず狼狽する長身の青年。

「あらー。公開プロポーズなんて、あの子もやるわねぇ」
「……本人にはまったくそのつもりがないらしいが」
「あの子、天然であれやってるのよねぇ。末恐ろしいわぁ」

苦虫を噛み潰したような顔なのはいつものことである巨匠と、クラシック界のジンジャー・ブレッドとも呼ばれるヴァイオリニスト夫妻は、ひとり息子の成長をあたたかく見守っている。

「……いいなぁ」

ぽつり、と聞こえてきた呟きに、ヴァンツァーは視線を落とした。
そこには、白いドレスに身を包み幸せいっぱいに笑っている娘と、赤くなりながら彼氏をぽかぽか叩いている息子を見つめるシェラがいる。

「だからドレスにすれば良かったのに」

何もかも見透かしたような口調でそう言ってくる男に、シェラはむぅ、と唇を尖らせた。
今日のシェラは、茶色とベージュでトーンを纏めたスーツ姿だ。
流行のボウタイブラウスはサテンのピンクベージュで、胸元のフリルが可愛らしい。
ハイウエストのパンツと丈の短いジャケットは、長い脚をより長く見せている。
緩く編み込まれた銀髪を胸の前に垂らした姿は、良家の執事といった風情である。
かといって、ヴァンツァーの隣にいて釣り合いが取れないということもない。
華麗ではあるが目立ち過ぎることのない、まさに彼の本質たる月のような佇まいだ。

「……だって、私は男だし。主役はソナタだし」
「お前は時々、心底どうでもいいことにこだわるな」
「なっ!」
「着たかったんだろう?」
「……」
「シェラ」

ますます唇を尖らせ、眉まで寄せたシェラは、『こくっ』とごくごくちいさく、また素早く頷いた。
今更そんなことを言っても詮ないことは重々承知しているのだ。
しかも、娘のハレの日にこんなぶすくれた顔をしているなんて、とため息を零す。

「いや、いいんだ……忘れて──」
「何だ、着てくれないのか?」
「──……え?」

せっかく作ったのに、とちょっと意地の悪い笑みを浮かべる男に、シェラは菫の瞳を大きく瞠ったのであった。  




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