Happy Summer Wedding

ねずみや他のキャラクターを交え、みんなで集合写真を撮ったあとは披露宴の会場へ。
ねずみーキャラのウェルカムボードに迎えられた列席者たちは、名札の置かれた席へと座った。
式も披露宴も、ほとんど親族その他の身内のみで執り行われるため、人数はざっと三十名程度だ。
挙式はシンデレラをイメージしていたが、披露宴は『眠れる森の美女』だ。
色とりどりの薔薇でテーブルが華麗に装飾されている。
天井高く吊り上げられているシャンデリアのやわらかくも煌びやかな光が、会場を明るく照らし出す。

「では、ここからは不肖レティシア・ファロットが司会を務めさせていただきます。──はい、拍手~」

式のときには一応蝶タイを締めていた男だが、披露宴会場への移動途中でさっさと外してポケットの中。
シャツのボタンもふたつほど外していてシェラは柳眉を吊り上げたのだが、せっかくのおめでたい日を喧嘩して過ごすのも気が引けて、『仕事はきちんとこなします』という制約を取り付けてとりあえず気を鎮めた。

「それでは~、さっそく新郎・新婦の入場です。皆様、あたたかい──いえいえ、熱烈大歓迎な拍手で、お迎え下さ~い!」

ちょっと大袈裟なくらい明るい司会者の言葉にちいさな笑いが起こりつつ、ゆっくりと会場の灯りが落とされてダウンライトのみとなった。
入場曲は、『ねずみーまうすマーチ』──の、ジャズアレンジ。
演奏者は、もちろん音楽家親子だ。
これは挙式のときとは異なり、ほとんどマリアの独壇場だった。
チェロを弾いている彼女の夫とピアノを担当している息子は、『はいはい、女王様が通りますよ』と苦笑しながらも、その音は軽やかに弾んでいる。
陽気で軽快な曲に合わせ、新郎・新婦の入場となる。
まずはウェディングドレスのまま登場した新婦だったけれど、挙式のときとは雰囲気が違った。
スカートのフロント部分がエプロンのようになっていたのだろう。
それを外して入場してきた花嫁は、前から見るとミニスカートのドレスを着ているような格好だった。
清楚で上品なシンデレラが、元気いっぱい、年相応の女の子になったような印象を受ける。
披露宴会場の装飾と照らし合わせると、長い眠りから目覚めたばかりの瑞々しい美女といったところだろうか。
スポットライトに照らされながらあたたかい拍手で迎えられた新郎と新婦は、各テーブルを回ってキャンドルを灯していった。
色とりどりのテーブルフラワーが揺らめく炎に照らしだされ、魔法に掛けられたように美しい空間が新郎・新婦の行く先々に広がっていく。
これからの未来がこのように華やかで美しく、またあたたかな日々になるに違いないことを予感させるには十分だった。

「──わぁ! シェラ、可愛いんだ!」

新郎・新婦の両親が座るテーブルにやってきたソナタは、式のときとは違う衣装を身に纏ったシェラを見て破顔した。
ピンクベージュのドレッシーなワンピースの存在は、ソナタも知らないものだった。
きっと、シェラにも内緒で作られたのだろう。
隣には得意気な顔をした父がいる。

「……ごめんね。私までお色直ししたみたいになって」
「あ! その手があったのか」
「ソナタ?」
「もっと早くに思いついてたら、お色直しにかこつけてシェラとたくさん着せ替えごっこ出来たのにぃ!」

ざんねーん! と肩を落とす新婦に、シェラは目を丸くした。

「ほら、言っただろう?」
「……」

ここでもドヤ顔になる男に、シェラは軽いひと睨みをくれてやった。
それからシェラは、その様子を見てちいさく笑う新郎と新婦に、改めてお祝いの言葉を贈ったのだった。

「皆様、本日はお忙しい中、わたしたちの披露宴に足を運んでいただき、誠にありがとうございます。短い時間ではありますが、お食事や余興もご用意しておりますので、ゆっくりお楽しみ下さい」

新郎のその言葉で、披露宴は始まった。
新郎と新婦の紹介は、スクリーンに映し出される写真や動画の映像で行われた。
コメントは司会者──ただし、おそらく映像はほとんど初見だ。

「こう見えてワタクシお医者さんでして、実はファロット家の双子ちゃんをこの手で取り上げさせていただきました。ま~、ちいさい頃から可愛くて、『ソナタ、おっきくなったらレティーと結婚する~』とか言われて結構本気にしてたんですが、まぁ、世の中そんなに上手くはいきません。──あ、ここ笑うところですよ。あはははは。──でまぁ、月日の経つのは早いもので、いつの間にかこんなかっこいい彼氏を連れてくるようなお嬢さんに育っていました」

そんな男の言葉で始まったスライドショー。
生まれた頃から大層可愛らしかったソナタとライアンだったので、会場では映像が切り替わるたびに「可愛い~~~~~!」の大合唱。

「おれの奥さんマジ天使」
「やだなにこれ可愛い」

お互いに画面の中のパートナーのあまりの愛らしさに悶えるのを通り越してなぜか真顔だ。
幼少期からだんだんと成長していく姿を見つめていたふたりだったが、幼稚園くらいまではお花を摘んだり砂遊びをしたりしていたものが、小学生になってから急に武道やアクション・ロッド等の写真が増えたものだから思わず苦笑したものだ。

「なぁんかおれたちって」
「うん。似てるね」
「我ながら、女の子にしか見えないもんなぁ。そりゃ痴漢にも遭うよ」
「私は誘拐されたからなぁ」
「──え?!」

びっくりして目を瞠る新郎に、ソナタはほぅ、とため息を吐いて言った。

「シェラと一緒だったんだけど、もう、シェラを守れなかったことが悔しくて悔しくて」
「……」
「シェラを守れるくらい強くなるんだ! って、思ったのよねぇ」

ふふふ、と昔を懐かしむ表情になる、見た目よりもだいぶ活発なお嬢さん。

「……そのときは、どうしたの?」
「キレたパパが乗り込んできた」
「あぁ……」

ですよね、と呟き、ほっとして胸を撫で下ろす。
そして、ちょっとばかり犯人たちに同情したものだ。
きっと、警察を敵に回すよりも酷い目に遭ったに違いないのだから。

「ソナタちゃん」
「うん?」
「すくすく育ってくれて、ありがとう」

そんな恐ろしい目に遭っていたのなら、心に深い傷を負ってしまっても仕方がないというのに。
いつだって淡い金色の光を纏っている奇跡の産物に、ライアンは心の中で感謝の祈りを捧げた。

「うん。ライアンも、美人に育ってくれてありがとう」

にっこりにこにこ上機嫌に笑っている新婦に、新郎は苦笑して「やっぱり顔かぁ~」と呟いた。

「やっぱり顔ですよ~」

ふふっ、と微笑んだソナタは「だってね」と言葉を続けた。

「『幸せいっぱいに育ちました~』っていう顔してるもの」
「──……うん。そうだね」

碧眼を瞠ったライアンは、もう一度、心の中で感謝の言葉を呟いた。


ウェディングケーキはもちろんシェラお手製で、フルーツがふんだんに使われた三段重ね。
材料提供はハーマイン家で、両家を結びつける意味合いも持ったケーキである。
披露宴のメインイベントとも言うべき絶好のシャッターチャンスに、出席者はカメラを片手にケーキの周りに集まった。
新婦が両手でナイフを持ち、新郎はその背後からそっと手を添える。
にっこりと顔を見合わせてから、「それではどうぞ!」の司会の掛け声とともに、すっ、とケーキにナイフを入れると、あちこちでフラッシュがたかれた。
だいぶ長いことフラッシュの光に晒されていたので、目がチカチカしている新郎新婦。
ひと通り撮影者が満足すると、今度はファーストバイトだ。
新郎と新婦が、今ナイフを入れたケーキをひと口ずつ食べさせ合うのである。
新郎からは、『一生食べ物に苦労させません』というメッセージが。
新婦からは、『一生美味しいご飯を作ります』というメッセージが込められたものである。
まずは新郎から新婦へ、大好きな苺と、ちょこっとのスポンジとクリームを乗せたスプーンが口許に運ばれた。
ぱくり、と食べたソナタは、その美味しさに拳をぎゅーっと握ってうち震えた。

「美味しい?」

こくこくこくこく。
キツツキのように小刻みに頷く様子に、会場は明るい笑いに包まれた。
次は新婦から新郎へ。

「………………って、ちょっと待とうか」
「なぁに?」

こてん、と首を傾げたソナタの手には、彼女が食べたときのようなスプーンではなく、ケーキサーバー。
そして、こんもりと盛られたケーキは普通に一人前はある。
ケーキ入刀に続くシャッターチャンスであるファーストバイトは、綺麗に写るようにひと口サイズが基本だ。

「……随分大きいひと口だね」
「だって、ライアン甘いの大好きでしょ?」
「……大好きです」
「シェラのケーキ、美味しいよね」
「……すごく美味しいです」
「じゃあ、はい。あーん」
「……」

ほんのちょっとキニアンの気持ちが分かった気になった新郎は、あ、と大きく口を開けた。
さすがにひと口は無理だろう、と思ってくすくすと笑いが漏れていた会場だったが、予想に反してケーキサーバーの上のケーキがすべて新郎の口に入るのを見届けると、大歓声が上がったのである。
男前がハムスターのようになっているが、それはそれで愛嬌がある。

「ん~、もうひと口」

山盛りのケーキをぺろりと平らげた新郎は、そう言って新婦の唇を啄んだ。

「ごちそうさまでした」

にっこりと笑う新郎に、そこら中から『もう一回!』コールがあったのは言うまでもない。
続いての乾杯に使われたシャンパンなどの酒類は、こちらもハーマイン家の提供である。

「お母の造った自慢の酒こだぁ。たぁんと飲んでくなんしょ」

ズラッ、と並んだ酒樽や瓶に、酒好きの怪獣夫婦やリィが目を輝かせた。
度数の強いものから、食前酒としても使える軽いもの、ノンアルコールまで様々だ。
カクテルを好む列席者には、披露宴会場専属の黒服たちがシェイカーを振る。

「──あ、これ美味しい!」

カノンの手にしたグラスには、鮮やかな紅色のチェリー酒。
彼には生のままのアルコールは強いため、ソーダ水で割ってある。
それでも、乾杯のときに飲んだシャンパンとこのチェリー酒で、ほんのりと頬が染まっているのが可愛らしい。

「うん、美味い」

隣の青年も同じものを飲んでいるが、こちらは割っていないストレートのものだ。

「アリス、最近強くなったよね」
「んー、でもほとんど果実酒だしなぁ……」

休みの日には、兄貴分たちに教わったカクテル作りに勤しむこともある。
しかし、ヴァンツァーがやるように、ブランデーやウィスキーなどは夢のまた夢。
まだまだ、そういった酒が美味しいと思えるほど大人にはなっていない青年である。

「──あれ。マエストロはお水ですか?」

同じテーブルについているのでふと見たキニアンの両親のグラス。
マリアの前にはオレンジ色のカクテル──フルートグラスに注がれたミモザが置かれているが、アルフレッドの前には水のグラスだけ。

「この人全然飲めないのよ~」

マリアが言えば、ふん、と鼻を鳴らす壮年の巨匠。

「こぉんなちっちゃいグラス一杯のビールでひっくり返っちゃうんですもの」

びっくりでしょーこの顔で、と指でグラスのサイズを作るヴァイオリニストに、「余計なことは言わんでいい」とぶすくれる巨匠。
だが、酒も飲んでいないのにその頬が紅くなっているのは照れのために違いない、とカノンはちいさく笑みを浮かべた。
キニアンもそうだが、愛想が悪いというよりも、恐ろしいほどの照れ屋なのだ。
舞台の上だと人が変わるのもよく似ている。

「そっか。アリスはマエストロ似だったんだね」
「俺は耐性どうのって言うよりも、アルコールの匂いがダメでさ。──でも、これはいい香りだ」

グラスを口許に運び、香りを楽しむ青年。
きっと、その聴覚同様に、他の器官も常人のそれより鋭く作られているのだろう。
こちらもほんのりと染まっている頬と、上機嫌な様子が可愛らしい。

「本日のお料理は、ハーマイン家の皆さんと私で作ったものです。食材はすべてハーマインさんご自慢の新鮮なものばかり。皆さんのお食事の好みは把握しているつもりですが、万が一苦手なものがあれば遠慮なく仰って下さい──ホテルの厨房で代わりのものを作ります」

シェラのその気合の入った言葉に、彼の料理の腕を知る面々は瞳を輝かせて大歓声を上げた。
前菜は、チーズとサーモンの燻製、野菜のピクルスと、グラスに入った小エビのカクテルサラダだ。

「燻製は僕が、ピクルスとサラダは奥さんが作りました。燻製には、桜のチップを使っています」

ちょっとばかり照れた様子でそう言ったのは、ハーマイン家の男子の中だとかなり小柄な部類に入る青年。
一歩後ろで控えている黒髪の美女・長女サーシャの夫ミゲルである。
身長はライアンよりも低く、カノンと同じくらいだろうか。
サーシャと目線があまり変わらない。
浅く日焼けした肌は健康的だが、体格の良い家長のヨセフや、次女、三女の夫たちに比べるとかなりほっそりとしている。
ふんわりとした癖のある黒髪と、いかにも人の好さそうな顔をした好青年である。

──ふぅん、小柄な人もいるんだなぁ。

そう思ってグラスを傾けるキニアンだったが、後々ライアンの口から「おれ、義兄さんたちに体力勝負で勝ったことないんだよね~」と聞かされ蒼くなるのである。
林業を営むミゲルは、十メートルを超す大木をひとりで切り倒し、あまつさえ肩に担いで山を降りてくるというのだからもう人間業ではない。
キニアンが自分自身に貼った『最弱』のレッテルは、しばらく剥がされることはなさそうである。
と、それはともかく。

「──何だこれ!」

声の主は、猫のようにくりくりとした大きな眼が特徴的な本日の司会を務める外科医である。
あーむ、とスモークチーズを口に入れた途端、会場中の視線を集めるくらい大きな声でそう叫んだ。

「うまっ! 何これ、うまっ!!」

彼の言葉に、他の面々も飴色になったチーズを口に運ぶ。

「「「「~~~~~~~~っ!!!!」」」」

声にならない無言の叫びが会場を埋め尽くす。

「皆さん、気に入ってくれはったみたいやねぇ」
「良かった~」

ほっとして胸を撫で下ろす長女夫婦に、そこかしこから「おかわりっ!!」の声。
前菜は食欲を増進させるためのものでもあるので、彼らの出したものは満点の評価である。
くすぐったそうな、けれど誇らしげな顔になったミゲルは、大きめの声で言った。

「おかわりもありますが、このあともまだまだ美味しい料理が続きます! どうぞお腹を空かせておいて下さい!」

この前菜をきっかけに、会場内は一気に賑やかで打ち解けたムードへと変わった。

「スープは私が作りました」

どうやら今度はシェラの手料理のようである。

「素材が良いので、シンプルにコンソメにしてみました」

とはいえ、実に二十時間もの時間をかけて作る、大変手の込んだ逸品である。
牛や鶏、人参、玉葱、セロリなどの材料を、徹底的にアクを取り除きながら煮込むことで、琥珀色に輝く澄んだコンソメが出来上がる。
必要なのは根気と、食べてくれる人への愛情。
手間を惜しむ人間に、この究極のスープは作れない。
一級のコンソメを作れる料理人は、間違いなく一級の腕を持っているのだ。
料理人が心血を注ぎ込んで作ったそれは、ひと口啜っただけで笑みが零れるほどの美味である。
大量の肉や野菜を入れ、嵩が三分の一に減るまで煮こまれたスープの味わいは芳醇だ。
何より、一切の濁りのない黄金のスープは、さながら飲む宝石といったところだ。
また、さらりと飲めてしまうが、実は前菜と同じく食欲を増進させる働きがある。

「シェラ、こっちもおかわりあるのか?」

リィの言葉に、心得ているシェラは「はい!」と力強く頷いた。

「寸胴いっぱいに作ってありますので、ひと通りお食事が進みましたらお申し付け下さい」
「もうだいぶ胃が刺激されて、皿まで食べそうな勢いなんだけど……」

大変な美貌を誇る金色の天使だというのに、その腹はくぅぅ、と可愛らしい音を立てている。
また、知る人ぞ知る歴戦の戦士でもあるが、どんなに屈強な男でも空腹には勝てないものである。

「そんなら、これでも食べんしゃい!」

声とともに、テーブルの上に置かれる大きなバスケット。
空腹をより刺激するほのかに甘く香ばしい匂いを感じ、途端にリィが瞳を輝かせる。
目の前には湯気を立てる焼きたてのパン。
切り分けられたパン・ド・カンパーニュとバターロール、レーズンロールにクロワッサンまである。
恰幅の良い男と髪の短い小柄な女性の手によって、各テーブルに同じバスケットが置かれていく。
女性は金髪碧眼、ライアンをそのまま色白で小柄にした感じの美女なので、彼の姉に違いない。
男性は筋骨質というよりはどちらかといえば丸みのある体型で、実に福々しい顔の持ち主だ。

「ロドリーゴ義兄さんは、パン作りの名人なんだよ」

新郎・新婦の前にももちろん運ばれてきたそれに、ライアンは早速手を伸ばし、ソナタは青い瞳をきらきらと輝かせた。

「まだまだあるで~」
「スープとの相性も抜群ばい!」

わはは、と豪快に笑うハーマイン家の次女ジェシカとその夫。
枯れ木に花を咲かせる勢いでパンを配って歩いている。
熱々のレーズンロールを手にしたカノンは、真ん中からふたつに割った。
ふんわりもっちりとした生地に、レーズンの甘い香りが食欲をそそる。
はむ、とひと口頬張れば。

──んん~~~~~~~♪

ほにゃん、と相好を崩した天使を見て、キニアンはくすっと笑った。
彼の手にしたカンパーニュは、外側はかなり固めだが、中はふっくらとしている。
ちぎって口に入れると、カリッとした食感ともちもちしたそれの対比が実に楽しい。

「いくらでもいけそう」

呟くと、カノンがこくこく頷いた。

「皆さん、まだまだお魚料理、お肉料理と続きますから、お腹いっぱいにしないで下さいね~」

シェラの声に、は~い、と返事は返るものの、誰も手が止まっていない。
どのテーブルを見ても皆幸せそうな顔をしていて、ついつい頬が緩んでしまう。
披露宴だから主役はあくまで新郎と新婦だが、大事なのはここに集まった人間すべてが幸福を感じられること。
美味しいものを食べて笑顔にならない人はいない。
心からの笑顔を見て、笑顔にならない人もいない。
『みんなを幸せにする』というソナタの気持ちが、少しでも届けばいい。

「──さて。次はわしの番じゃ」

続いて登場したハサンに目を遣った列席者は、目玉が飛び出さんばかりの形相になり、ぽかん、と口を開けている。

「なっかなかの大物じゃ。めでたい席じゃけぇ、これっくらいでないとのぉ」

ぺちぺち、と叩くのは、全長百八十センチ、三百キロ近い巨大なマグロである。
新郎・新婦のいる高砂の向かって左手に、こんもりとした小山のような魚と、筋骨逞しい男。
男の横には、これまた立派な出刃包丁と柳刃包丁。

「……もしかして」

呟くルウの言葉に、ハサンが続ける。

「解体ショーじゃ!」

一瞬の静寂のあと、おおおおお!! と、会場を揺るがすどよめきが起こった。

「んだば、おらも始めっぺーよ~」

今度はのんびりとした様子でやってきたヨセフに目を向け、一同驚きを通り越して笑い出した。
高砂の右手には、白くまのような男と──牛と豚、各一頭。

「まぁる焼ぎだぁ~」

牛が苦手な人は豚を食べて下さい、ということらしい。
もちろん、どちらも全員に分けても十分余るので、両方食べたって構わない。

「おらのは時間がかがるから、ハサンの見どくとえ~だぁよ~」

よいしょ、と牛と豚それぞれのグリルの用意をする。

「……なんて言うか……豪快だな」
「お魚も牛も、あんなおっきいの運んじゃうなんてすごいなぁ~」

ぽつり、と呟く都会っ子キニアンと、瞳をきらきらさせてうっとりとした様子で前を見つめるカノン。
キニアンがちょっとばかりむっとした顔になったのは言うまでもない。

「どうぞ皆さん、集まって下さ~い」

ワンピースが汚れないよう、フリフリのエプロンをしたシェラが手招きすると、わらわらと人が集まりだした。
巨大マグロを乗せているまな板ももちろんそれに見合った巨大なもので、ハサンはまず尻尾と頭を切り落とした。
慣れない人間にとってはちいさな魚一匹捌くのも苦労するものだが、さすがは海の専門家。
出刃包丁一本で腹を開き、カマを落とし、あっという間に全体の四分の一に当たる腹側の身を切り出してしまった。
その鮮やかな手際に、拍手とフラッシュの洪水が起こる。

「頭の方から順番に、上(カミ)、中(ナカ)、下(シモ)、それから腹側と背側がある。上の方が脂の乗りが強いけぇ、値段も高い」

言う間にもスパスパと包丁が入っていき、半身になったと思ったら骨が外れて、残りの半身を更に半分にして大まかな解体は終了した。
あとは血合いや皮を剥ぎ、冊に分けていく作業だ。

「お嬢。それから、そこの坊(ぼん)」
「──ぼく?」

ハサンに手招きされ、ソナタとカノンはまな板に寄っていった。

「生の魚は食えるか?」
「「はい。大好きです」」
「よし。こんだけの大物じゃけぇ、トロも赤身も全員分あるが、一番美味いところを特別に味見させちゃるけぇの」
「わぁ!」
「ぼくもいいの?」

主役のソナタは分かるけれど、と小首を傾げるカノンに、ハサンは男臭い笑みを浮かべて頷いた。

「おう。さっきから、幸せそうな顔して食っちょったけぇの」

わぁ~い、と喜び、ソナタと手を取り合うカノンはとても可愛いのだけれど、やはり何だか面白くない青年がひとり。
ツンツン、と脇腹を肘で小突かれて右を向くと、訳知り顔の母の姿。
ふいっ、と顔を逸らすと、左肩に腕が置かれた。
百九十あるキニアンの肩にやすやすと腕を乗せられる人間など限られている。

「まぁ、そう妬くな。青年」
「……ジャスミン」
「そうそう。ちび天使には、俺もてんで甘くなっちまうからなぁ」
「ケリーまで……」

ぐりぐり、と頭を上から押さえつけるように撫でられて、キニアンは困惑の表情を浮かべた。
振り向いた先には、宇宙生活が長いために、ウラシマ効果でまったく外見の変わらない大型夫婦。
女性の方は、燃えるような赤髪と時折金色にも見える灰色の瞳が印象的なアマゾネス。
男性の方は、同じ男でもぽーっと見惚れてしてしまうほどの超絶美形のイイ男だ。

「わたしには、きみが何をそんなに心配しているのか理解出来んのだがな」
「女王。そりゃ、あんたには分からんだろうよ」
「お前には分かるというのか?」
「だって、あんた俺が他のご婦人方といちゃついてても、これっぽっちも妬かないだろう?」
「なぜ妬く必要がある。わたしはお前の妻で、浮気をしようが何だろうが、お前はわたしのところへ帰って来るんだからな」

腰に手を当て、大真面目な顔をして言ってのけた色んな意味で規格外の女性に、なぜかキニアンの方が赤面してしまった。

「ほらな。それじゃ、この坊ちゃんの悩みは逆立ちしたって理解出来ねぇよ」

ぽんぽん、と頭を叩いて慰められたらしいキニアンの耳に、直後「「美味しい~」」のハーモニーが届いた。
見ると、仲良し双子の天使が同じように至福の表情を浮かべている。
あんなとろけんばかりの笑顔は、そうそう見せてもらえない。

「じゃろ? トロの中でもこのカマ下の大トロは絶品じゃ。脂が乗ってるだけじゃのぉて、歯ごたえもあるけぇのぉ」

だが、当然ながらカマは一匹のマグロからふたつ、その中でも腹上に続くトロの部分は希少中の希少部位である。
真夏の海がよく似合う笑顔を浮かべたハサンとは対照的に、双子はあまりの美味に軽く泣きが入っている。

「……ソナタ、こんな美味しいお魚初めて食べた」
「好き嫌いなく育ててくれてありがとう、シェラ……」

祈りを捧げる愛らしい双子の天使に、集まった人間は皆ごくり、と唾を呑み込んだ。
そんなに美味い魚なら、早く食べさせてくれ。
飢えた獣のように爛々と目を輝かせつつ、誰の顔にもそう書いてある。

「「ありがとう、ハサンさん」」
「やめやめ! 『さん』とかいらん!」

顔を見合わせた双子は、元気いっぱいに声を揃えた。

「「──ありがとう、兄貴!!」」
「お、それええのぉ!」

可愛らしい双子からの兄貴コールに笑いが起こり、和気藹々とした雰囲気に包まれるマグロ一帯。

──……ま、あいつが喜んでるなら、いいか。

はぁ、とため息を零したキニアンだったが、カノンと目が合った、と思ったらものすごい勢いで駆け寄って来られた。

「え……」

若葉色の瞳を真ん丸にした青年の腕に、どぉ~ん、とダイブしてくる銀髪天使。
ぎゅぅぅぅぅ! と結構な力で抱きつかれ、『痛い痛い痛い痛い』と思ったが口に出すのは我慢した。

「……カノン?」

呼んでもしばらくしがみついたままだったカノンだが、やがてパッと顔を上げた。
いつになくきらきらと輝いている宝石のような瞳。
と思ったら、また胸に頭を擦り付けるようにして抱きついてくる。

「……そんなに美味かったか?」

ぽんぽん頭を叩きながら訊くと、コクン、と一度、次いでコクコク、と二度素早い頷きが返った。
思わず苦笑が漏れる。

「良かったな」
「ちょおしあわせぇ~」
「そっか」

とろけきった声を聴けば、どんな顔をしているのか見ずとも分かる。

「──ほぅ」

感心したような声に顔を上げたキニアンは、瞠目しているジャスミンと目が合った。

「ジャスミン?」
「なんだ、やっぱり全然心配いらないじゃないか」
「え?」
「よぅ、ちび天使」
「……ケリー?」

きょとん、とした顔で長身の男を見上げるカノン。

「妹に負けず劣らず熱いな」
「え?」
「いやぁ、なに。いの一番に、こっちに駆けてきたからな」

いつもならシェラに飛びつくのに、と言いたいのだろう。
わざわざ指摘してやったということは、これはキニアンへのエールに違いない。

「カ──」
「べ、別に、そんなんじゃないもん!」

はっとしたカノンに『ぺいっ』と打ち捨てられた青年は、勢いでケリーに抱きついてしまった。

「あ、すみません」
「いや。どうってことないぜ?」

そう言って笑みを浮かべる端正な中にも精悍さの宿る美貌を、思わずじーっと見つめてしまうキニアン。

──むかっ。

キニアンとしては、『俺もこんな風だったら、もっと可愛く甘えてくれるんだろうなぁ』と思っていただけなのだが、ヴァンツァーとキニアンはデキているのではないかと半ば本気で疑っているカノンにとっては穏やかでない。
父よりも三倍くらいはかっこいいケリーになんて、骨抜きになってしまうかも知れないではないか。

「アリス!」
「ぅわ、はい!」
「あっち並んで、ぼくの分のお魚も取って来てよね!」
「は、はい!!」

そんなことせずとも、待っていれば各部位が一人前ずつに盛られた皿が出てくるのだが、どうあっても彼氏をケリーから引き離したいらしい天使様。
その様子を見て、ケリーがくつくつと喉を鳴らして笑ったのは言うまでもない。

「まったく、可愛いねぇ」
「ぼくはいつでも可愛いの」
「そりゃあそうだが、お前さんたちふたりともさ」
「……」

むぅ、と唇を尖らせたカノンは、そわそわしながら刺身が出来るのを待っている彼氏の背中を見遣った。
他の列席者に話しかけられ、どぎまぎしながらも会話を重ね、時々笑みを浮かべる。
ふと目が合ったので、ついつい顔を逸らしてしまった。
心やさしい青年が大層ショックを受けているのは何となく分かるのだが。

──だってそんなの、アリスだっていけないんだもんっ。

ほとんど八つ当たりだったし、こういう自分の態度が可愛くないことも重々承知のカノンである。

「──カノン」

呼ばれて顔を上げたカノンは、にっ、と少しばかり物騒な笑みを浮かべた女傑からグラスを渡された。

「まぁ、飲め」
「……お酒?」
「ジュースと変わらん」
「……ありがと」

受け取ったカノンは、ちょっと苦いオレンジジュースのようなそれを、こくこくと飲み干したのだった。  




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