私は、未だかつてこんなにも満足そうな笑みを浮べているヴァンツァーを、見たことがなかった。

「……なぁ」
「うん?」

呼びかけてもこちらには目もくれない男に、何だか腹の底がモヤッとする。
眉間に皺が寄っているのが自分でもよく分かっていたが、平静を装ってもう一度声をかけた。

「なぁ」
「何だ?」

ようやく顔を上げてくれて少しほっとしたなんてことは、全然ないんだ。
全然、ないんだからな。

「シェラ?」

小首を傾げる様子は、どこか幼子のようだ。
もういい歳したおっさんのはずなのに……はずなのに、その美貌はまったく衰えることを知らない。
心なしか──否、気のせいなどではなく、その藍色の瞳も子どものようにきらきらしているように見える。
憎たらしいくらいに美しい顔をした男を見ると、やはり勝手に眉間に皺が寄った。

「……ひとつ、訊いてもいいか?」
「何だ?」

訊いてもいいか、と自分で言ったくせに、何だか訊くのがすごく躊躇われた。
言い淀んでいたら不思議そうな顔をされたので、思い切りため息を吐いたあと、決心して口を開いた。

「楽しいのか──それ?」

私が顎で示した先に目を遣った男は、一瞬の間の後、

「──あぁ!」

と、満面の笑みを浮かべて力強く頷いたのだ。
うわ……いい笑顔だ……すごくいい笑顔だ……。
もう深夜に近いというのに、何て眩しい笑顔なんだ。
こんなにきらきらした笑顔は、もしかすると初めて見るかも知れない。
この男をこんなにも笑顔にさせている対象にやはり何だか胸と言わず腹と言わずモヤモヤとして、思わずソレを睨みつけてしまった。
直後、あまりにも不毛だと気づいてため息を零した。
いつの間にかヴァンツァーの意識は私からソレに移ってしまっていて、また背中が向けられている。
その広い背を、思い切り蹴飛ばしてやりたい気持ちになった。
別に、嫉妬なんかじゃない。
嫉妬なんて、していない。
ただ、何か、モヤッとするのだ。
鼻歌でも歌いそうな明るい表情と、蕩けんばかりの笑みを浮かべてソレを見つめるヴァンツァーに、モヤッとイラッとするだけだ。

「──あぁ、やはり似合うな」

そう、甘い声で呟いて、ソレの頬に手を這わせる。
いつも私にするのとそっくり同じ仕草を目にして、気づいたらヴァンツァーの腰を『ていっ』と蹴っていた。
軽く、ごくごく軽くつま先で小突いただけだ。
痛くなんてないだろうし、倒れ込んだりするはずもない程度の力加減。
殺気はもちろん、害意も敵意もない一撃に、ヴァンツァーは不思議そうな顔をして振り返った。

「シェラ?」

目をぱちくりさせている様子が、こんなにも腹立たしいとは思ったことがない。
いや、この男に腹を立てることなんてしょっちゅうだが、それでも、こんなにもイラッとムカッとモヤッとしたりはしたことがない。
たぶん、私はとてもブサイクな顔でヴァンツァーを睨んでいるに違いない。

「どうかしたのか?」
「……別に」

ツン、と顔を背ければ、「そうか」と頷いてまたソレに意識を戻してしまった。

「──っ!!」

違うだろう?!
そうじゃないだろう?!
この流れで「別に」って返したら、私の様子が何だか変だな、ということに気づいて、「『別に』じゃないだろう?」とか、「何でもないという顔をしていない」とか、そういうもうちょっと気の利いた台詞を口にしなければいけないのに!!
いつもは、こっちが嫌がっても、そういう歯の浮くような言葉を使うくせに!!
あんまり腹が立ったから、我慢していたことを言ってやった。

「お前! 私と────その人形と、どっちが大事なんだ?!」

ビシィィィッ! と指さした先には、私──私とそっくりな、人形がいる。
ヴァンツァーの誕生日に、ライアンが寄越したものだ。 とんでもないものを造ってくれたものだ。
いや、彼の技術は素晴らしいと思う。
顔の造作は言うに及ばず、腕の長さ、胸囲、胴囲などの寸法はもちろん、肌や髪の質感まで見事に再現していると思う。
私自身ですら、双子の兄弟がいたのか、と錯覚してしまいそうになるほどによく似ている。
ビスクドールのようなきめ細かい肌の顔には表情らしい表情は浮かんでいないのだが、仄かに微笑んでいるように見える。
深窓の令嬢にしか見えないソレは、青い天鵞絨のドレスを着て優雅に椅子に腰掛けている。
こちらの怒りなど知らぬかのようなその澄ました顔が、我ながら憎たらしく思えて仕方ない。

「大体、いい歳した男が人形遊びなんて」
「お前が着るか?」
「──……は?」

怒鳴ろうとしたのに、首を傾げた男のひと言に思わず勢いをなくしてしまった。

「代わりに、お前が着るか?」
「着るって……そのドレスをか?」

別にドレスくらい、昔からよく着ていたし、今更抵抗はないし、私そっくりとはいえ人形を褒めちぎっているこの男を見るくらいなら別にちょっとくらい着てやったって構わないのだけれど。

「うん──あと、ミニスカナースとミニスカポリスと巫女さんとスクー」
「わぁぁぁぁぁ!!!!」

皆まで言わせないよう、モガッとヴァンツァーの口を手で塞いだ。
馬鹿か、この男! その顔で、何スクー……いや、やめておこう。
考えない方がいい。
ほら、だって、ちょっと想像しただけで全身鳥肌が……。

「……お前、今着せているドレスとその他の服にギャップがありすぎだろうが……」
「嫌なのか? スクー」
「だからっ!! もっと普通の服にしろ!!」

そうしたら着てやらないこともないのに。
怒鳴りつけているというのに全然堪えた表情をしていない男は、実に真面目な様子でこう言った。

「だろう? きっとお前はそう言うと思ったんだ」
「……は?」
「お前と同じ顔で、同じ身体で、文句ひとつ言わないというのに、なぜ普通の服を着せなければならないんだ?」
「…………」

きっと、今私は心底絶望した表情を浮かべていることだろう。
この男が、明晰なはずの頭脳と反比例して馬鹿なのはよく知っていたが、まさかここまでとは……。

「お前がミニスカポリスになって『逮捕しちゃうぞ☆』と言ってくれるなら、今すぐこの人形は箱に」
「言うか馬鹿っ!!」

あ、何か涙が出てきた……。
これは恥ずかしいからなのか、哀しいからなのか、怒っているからなのか、よく分からない。

「絶対言わない! 絶対着ない!!」
「だから、これに着てもらってるんだ」

あからさまにため息を吐いて、まるで私が全部悪いみたいなことを言う。
私が我が儘で、融通が利かなくて、口煩いから、おとなしい人形を相手にあんな笑顔を振りまいて……。

「……っ」

あ……や、やだ……止まれ!
こんなことで泣いたら、本当に馬鹿みたいだ……。
あー、もー、止まれったら!!

「……ふぇ……」

止まれと言っているのに、私の意思に反して涙は頬を伝って落ちた。
一度溢れてしまうと止まらなくて、馬鹿なことで泣いている顔を見られたくなくて顔を覆った。
ちいさなため息を零して、ヴァンツァーが立ち上がる気配がした。
すっぽり、その逞しい胸の中に収められても、顔は上げなかった。

「……ばか」
「お前のことか?」
「──何で私がっ!!」

思わず顔を上げると、苦笑いも嫌になるくらい男前な男の顔がすぐ近くにあって、ふいっ、と顔を逸らした。

「シェラ」
「……」
「泣くな」
「……」
「お前に泣かれると困る」
「……嘘吐け」
「嘘じゃない」

心外だ、という声を発する男を、思い切り睨みつけた。

「だって、私がいなくたって、あの人形の方がおとなしいし、言うこときくし、文句言わないし!!」
「それはそうだろう。あれは感応頭脳の搭載された自動人形ではなく、ただの人形なのだから」
「だから!」
「せっかくお前に似合いそうなのに、お前は着たくないと言うし。無理やり着せても、お前も窮屈だろうが、見ている俺も楽しくない」
「……だから、普通の水着とかなら、着てやってもいいって」

言ってるのに、と唇を尖らせると、はむっ、とそこを啄まれた。
……ヴァンツァーは、ずるいんだ。
そうされると、私の機嫌が半分直ってしまうのを、知っててやっているんだ。

「普通の服を着たお前が可愛いのは、よく知っている」
「……」

ほら……またそうやって、三分の一くらい機嫌を直してしまう。

「でも、たまにはああいう変わった服で遊んでみるのも、面白いだろう?」
「……」
「着てみて、それでも嫌だったら、二度と作らない」

その言葉に、私は目を丸くした。

「──作った……? あれ、作ったのか?」
「ナースとポリスはライアンからもらってものだが」
「お前が、作ったのか?」
「あぁ」
「……私、に?」
「他の誰に着せるんだ?」

くすくすと笑われて、思わず視線を泳がせた。

「……買ってきたのかと思って……その……人形に、着せるために」
「お前は、やはり馬鹿だな」

声音がやさしかったから、むぅ、と軽く睨みつけるだけに留めた。
見上げた男の瞳は穏やかに細められていて、とくん、と胸が鳴った気がする。

「お前に買ってきた服を人形に着せるならともかく、なぜわざわざあれに買ってやる必要がある?」
「だって……だから……人形は、文句言わないし……」
「これは俺の勘だがな、シェラ?」
「……何だ」
「お前は、俺が本当に強く願えば、どんなことだって叶えてくれると思う」
「……」
「自惚れではないと、思っているんだが?」

どうなんだ? と言外に問われて、私が素直に「はい、そうです」なんて言うわけないだろうが。

「……ばか」
「うん。だが、お前はその馬鹿を、意外と嫌いじゃないんだろう?」
「……馬鹿は嫌いだ」

言ってから、ぽすん、とヴァンツァーの胸に頭を押し付けた。
くすくす笑った男が、そっと髪を撫でてくれる。
大きな手の感触が、気持ち良くて目を閉じた。

「でも、俺のことは好きなんだろう?」

なんて自信家だ。
世の中の人間のほとんどが、自分の容姿に参ってしまうとでも思っているのか。
私はそんなことないんだぞ。
私は、人間を顔で判断したりなんて、しないんだぞ。

「……私もライアンに、お前の人形造ってもらう」
「──え?」
「それで、いっぱいいっぱい、着せ替えするんだ」

ふん、どうだ、悔しいだろう。
ぐりぐり頭を押し付けながら言ってやったら、また笑われた。

「……今度は何だ」

恨みがましい視線を向けてやったら、おかしそうな顔でヴァンツァーは言った。

「自分で言うのもなんだが、顔が綺麗なだけの男は、面白みがないぞ?」
「──……」

……ほんと、自分で言うな。




END.


いつ(When)
夜に
どこで(Where)
家で
だれが(Who)
ヴァンツァーが
なにを(What)
好きな人を
なぜ(Why)
嬉しいから
どのように(How)
甘く
どうする(Do)
コスプレする

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