「たまにはこういうのも、悪くはないな」
「そうだな」
ふたつ並んだ簡素なベッドの上、腰から下にバスタオルを掛けられたふたりは、上半身にオイルマッサージを受けていた。
ここは、連邦大学惑星ログ・セール大陸にある、ヒューヴァー・リラクゼーション専門学校だ。
久々にシェラやその子どもたちの顔を見にきたクーア夫妻は、ソナタの夫であるライアンに紹介され、ヒューヴァー校へとやってきた。
専門学校ではあるが、実習の一環で人間を相手に施術を行うこともある。
まだプロではない学生たちの施術なので、料金は無料。
むろん学生によってその腕前に差はあるが、一定水準をクリアした学生でないとこの対人実習は行えないため、とてつもなく下手な施術を行われる心配はまずない。
最高級のスパにだって幾度となく通っていた経験のあるクーア夫妻だったが、宇宙生活での多少の疲れを癒し、また学生の勉強にもなるなら、とヒューヴァー校へ向かうこととした。
「おれから連絡を入れておきますから」
にっこり笑った婿殿の名前をヒューヴァー校の受付で出したときの歓声と歓待たるや、滅多なことでは動じないクーア夫妻が目を丸くして動きを止めたほどであった。
「彼はそんなに有名人なのか?」
「ハーマイン先生の名前を知らない学生なんて、この学校にはいません」
更衣室でバスローブに着替え、施術室へと向かう道すがら、ジャスミンは本日の担当を務めるという女性に訊ねた。
「先生? わたしは彼を彫刻家だと思っていたのだが、彼は教員の免許も持っていたのか?」
芸術家のことも『先生』と呼ぶことはあるが、このときはなんとなくそれとは違う意味合いのような気がしたので、ジャスミンは首を傾げた。
「いえ。本業は彫刻家ですが、お医者様並みに人体に精通しておられますので、時々実技講師としていらっしゃるんです」
ふふ、とジャスミンの質問に答えるのは、淡い金色の髪を後頭部で結い上げた、可愛らしい顔立ちの女性だった。
化粧っ気はほとんどないのだが、瑞々しい肌と薔薇色の頬を見れば、余計な化粧などしない方が生来の肌の美しさが際立って良いのだろう、と思わされる。
「ひと目見ただけで凝っている部位ですとか、骨格の歪みですとか、そういうのが全部分かってしまって。力を入れて施術しているようには見えないのに、驚くほど筋肉が解れるんですよ」
「ほぅ。それは、是非一度マッサージでもしてもらいたいものだな」
「是非是非!」
我が身の誉れのように明るい笑顔を見せる学生に、ジャスミンも目元を緩めた。
「婿殿は、なかなか人望も厚いらしい」
「腕が抜群に良い上に、あの容姿で嫌味もなくて。──ここだけの話ですけれど、先生に憧れている女子学生も少なくないんです」
「だろうな」
女性と見紛う美貌の婿殿を脳裏に描き、ジャスミンは当然とばかりに頷いた。
外見も中身も良い男を放っておく女はいない。
「それじゃあ、彼が結婚したときは、荒れた娘さんたちもいたのかな?」
「いなかった、とは申しません」
苦笑する彼女の様子に、ジャスミンは「おや」と目を瞠った。
「きみは違うようだな」
「えぇ」
「ああいうのは、タイプではないか?」
「先生のことは尊敬していますけれど、それと恋愛感情はまた別物でしょう?」
「違いない」
「それに、あんなにも素敵な奥様がいらっしゃるんですもの。おふたりが並ぶと、まるで一幅の絵画のようで」
見ているだけで何だか幸せな気分になるのだ、と微笑む。
「──ふむ。きみには、どうやら好いた男がいるらしいな」
「えっ」
水色の瞳を大きく瞠る学生に、ジャスミンはにっこりと笑みを浮かべた。
「きみ自身も、幸せいっぱいだ、と顔に書いてある」
「あ……お、お見苦しいものを……」
紅くなった頬を押さえてこちらを見上げて──長身のジャスミンと彼女は、優に頭ひとつ分は違う──彼女は戸惑ったような目を向けた。
「そんなに、顔に出ていますか……?」
「日々が充実しているというのは、悪いことじゃないだろう」
「それはそうですが……お恥ずかしい……」
可愛らしい様子に、ジャスミンは相好を崩した。
そして、施術室へ向かうと、すでにケリーがベッドの横に立っていた。
「何だ海賊。お前も一緒か」
目を丸くするジャスミンに、彼女を連れてきた学生の方が驚いた顔をした。
「え、あ、あの……ご夫婦だと伺いましたので、ご一緒に、と……別室の方がよろしかったでしょうか?」
困惑しきり、といった様子の学生に、ケリーが苦笑を浮かべる。
「女王。そう学生さんを苛めなさんな」
「苛めてなんていない。ただ、そうすると女どうしのあれこれを話しづらいなぁ、と思っただけだ」
「女どうし?」
「うむ。恋バナというやつだ」
大真面目に頷く妻の様子に、ケリーは吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。
だが、腹が捩れるほど面白かったらしい。
ベッドに身体を預け、痛む脇腹を押さえている。
「そういうことなら、俺には構わず続けてくれ」
「彼女が構う」
「そりゃあ残念だな」
そこで会話を打ち切ると、ケリーとジャスミンは促されるままベッドに横たわった。
「本日、奥様の担当を務めさせていただきますジェシカ・エバンズです。よろしくお願いいたします」
ジャスミンのベッドの横に、先ほどの学生が立って頭を下げた。
「本日、旦那様の担当を務めさせていただきますアリシア・エバンズです。どうぞよろしくお願いいたします」
夫婦は揃って「おや」と目を丸くした。
「おふたりは、姉妹なのか?」
「「はい、双子なんです」」
声がぴったりと重なり、なるほど気は合うのかも知れない、と思わされる。
「では、二卵性かな?」
外見は、あまり似た部分がない。
淡い金髪のジェシカに対し、アリシアは赤毛。
瞳の色も、水色と緑で異なる色だ。
背格好は同じようなものだが、顔立ちもおっとりと可愛らしいジェシカに対し、目鼻立ちのはっきりした美人といった感じがするのがアリシアだった。
「えぇ、そうなんです」
失礼します、と断って、まずは脚のマッサージから始める双子。
「それは奇遇だな」
「おふたりにも、双子のお子様が?」
アリシアの疑問に、ジャスミンが否と答える。
「きみたちが『先生』と読んでいるライオネル・ハーマイン君の奥方──まぁ、わたしたちにとっては孫のようなものだが、彼女たちが二卵性の双子なんだ」
『卵』があれば、とは一応口にしなかったジャスミンだった。
「それは存じ上げませんでした」
「奥様は拝見したことがありますけれど、もうおひと方も女性ですか?」
「いや、男の子だ。銀髪に菫色の瞳の、天使のように可愛い子だ」
これにはエバンズ姉妹も頷いた。
「あの奥様のご兄弟であれば、それは美しい方なのでしょうね」
「そうすると、ご両親様も、やはり」
「美形の品評会だ」
こっくりと頷くジャスミンに、アリシアはため息を零した。
「それは羨ましいです」
「お嬢さんも結構な美人だと思うが?」
「と、とんでもない!」
いい男を絵に描いたようなケリーからの褒め言葉に、アリシアは真っ赤になった。
会話をしながらも、アリシアの手は的確にケリーの脚の筋肉を解していく。
とはいえ、元々が頑健そのもののような男なので、骨格が歪んでいるとか、筋肉が酷く凝り固まっているといったことはないのだが。
「わたしも、ジェシカみたいに可愛い女の子だったら、といつも思っているんです」
しょんぼりとした様子に、ジェシカが否を唱えた。
「わたしだって、アリシアみたいな美人だったら、って!」
思わず顔を見合わせた双子である。 そして、慌ててクーア夫妻に謝罪する。
「「も、申し訳ありません。お客様の前で無駄話を!!」」
「いや、別に構わないぜ?」
「うむ。可愛らしいお嬢さんたちの、可愛らしい話を聞くのは、わたしも楽しい」
頷き合う夫婦に、双子は顔を見合わせた。
「あの……」
手は止めないまま、おずおず、といった感じでジェシカが口を開く。
「先生の奥様たちは、仲がよろしいのでしょうか?」
「それはもう」
「お互い、目に入れても痛くないと思ってるだろうな」
頷くクーア夫妻に、今度はアリシアが訊ねる。
「男性の方にも、恋人が……?」
「いるな」
「音楽家の青年だ」
「「え……?」」
男どうしなのだ、と聞かされたエバンズ姉妹は、目をぱちくりさせた。
「これがまた、好青年を絵に描いたような、真面目でやさしい子だ」
「気難しいちび天使がめろめろだからな」
「あの子が気難しいのは、恋人の前だけだろうに」
「まぁ、そりゃあそうだが」
「確かに、見ていて時々歯痒い思いはするが」
「若いってのは、いいもんだよなぁ」
しみじみと呟くケリーに、ジャスミンは明るく笑った。
「で、きみたちの心配事は何だ?」
ジャスミンの言葉に、エバンズ姉妹は仰天して一瞬手を止めてしまった。
慌てて施術を再開するが、どうして分かってしまったのだろう、とふたりの顔には書いてある。
「ふたりで同じ男でも好きになったか?」
「い、いえ、違います」
「あ、いえ……違わないというか……」
何だ、何だ、と首を傾げるクーア夫妻に、双子は言った。
「「わたしたちの好きな人も、双子なんです……」」
これにはさすがに目を丸くしたクーア夫妻だった。
「ラルゴはすごく素敵なひとで」
「エックもすごく素敵なひとで」
「うん? きみたちは、双子のふたりともが好きなのか?」
「「──ち、違います! 逆です!!」」
ははぁ、とのんびり寝そべりながら、ケリーがちいさく笑った。
「相手の双子が、自分たちのうちどっちを好きなのか分からない、ってことか?」
「「……はい」」
「だがジェシカ嬢。きみはさっきとても幸せそうな顔をしていたぞ」
「はい、ラルゴはとてもやさしいです」
「それなら、なぜ?」
「だって……ラルゴは、アリシアみたいな美人が好きなんです」
しゅん、と項垂れる様子に、アリシアの方がびっくりしてしまった。
「それを言うならエックだって! ジェシカみたいな可愛い子が好きなのよ! だからわたし、ジェシカみたいに可愛い女の子だったら、って……」
「わたしだって、アリシアみたいに美人だったらって……」
よく分からなくなってきたクーア夫妻だった。
「きみたちは、それをお互いの彼氏に聞いたのか?」
「……ラルゴは、ちょっと怒って──いえ、寂しそうな顔をしていました。『きみはぼくの想いを信じてくれないのか』って」
「まぁ、そりゃそうだろうな。やきもちを妬かれるならともかく、好きな女に『他の女が好みなんでしょう』と言われた日にゃあ、情けなくなるわな」
「そういうものなのか? お前は、とてもそうは見えないが」
「お前さんがやきもちを妬く姿なんて、想像も出来ねぇからな」
「それはそうだ。お前のようないい男に美女が群がるのは当然だろう。わたしはこの通りの大女だし、特別美人でもない。どうしてわたしと結婚したのか、今でも心底不思議に思っているくらいだ」
「……あんたがそれを言うかね」
身体は解されているというのに、何だかちょっと疲れてしまったケリーだった。
「あの……でも……ラルゴが昔付き合っていた女の子は、みんなとても美人だったんです」
「エックの恋人だった子たちは、お人形さんみたいに可愛い子が多くて……」
それなのに、どうして今度は正反対のタイプが選ばれたのか、と。 エバンズ姉妹はそれを気にしているらしい。
「きみたちの想い人も双子だと言っていたが、彼らは似ているのか?」
「「はい、一卵性なので」」
「見分けはつくのか?」
ジャスミンの言葉に、双子はびっくりしてしまった。
「もちろんです」
「似てはいますけど、全然違います」
「ラルゴの方が、目元がやさしいんです」
「エックの方が、表情が引き締まっているんです」
「ふたりの写真はあるかい?」
「「……あります、けど……」」
実習とはいえ勤務中だから、と言葉を濁す双子に、ケリーたちは構わないから、と席を外させ、携帯端末に保存された写真を見せてもらった。
「……さっぱり分からん」
「同感だ」
ふたりの携帯の中で微笑む青年たちは、なかなかの美青年だった。
癖のある焦げ茶の髪と、同じ色の瞳をした、人懐っこそうな顔をした青年たち。
一卵性双子の違いがまったく分からないクーア夫妻は、礼を言って携帯を返した。
「ところで、何が問題なんだ? きみたちの恋人に、何か不誠実なところでもあるのか?」
「「──そんなことありません!」」
脚から上半身へと施術の部位が変わるが、双子は会話に気を取られ過ぎることもなく施術を続けていった。
「ラルゴはとてもやさしいです」
「エックは誠実です」
「それなら、何が問題なんだ?」
同じ言葉を繰り返して首を傾げたジャスミンに、双子はちらり、と顔を見合わせた。
「わたしは、ラルゴのことが好きです……でも、本当は彼、アリシアのような子が好みなんですもの」
「エックは、ジェシカのような子が好みなんです」
「ジェシカ嬢は、エックを好きになることはないのかな?」
「ありません」
「双子で、顔もほとんど一緒だろう?」
「全然違います!」
「アリシア嬢は?」
「わたしだって、エックだけが好きです!」
なるほど、とようやくふたりの悩みが分かったクーア夫妻だった。
「お相手の双子のこれまでの恋人たちと、自分たちのタイプが違う。だから、もしかするとそのうち心変わりしてしまうのではないか、と心配しているわけだ」
「……だって、アリシアは美人なんです」
「ジェシカはとても可愛いんです」
お互いを褒め合う双子に、何だか微笑ましいものを感じてしまったクーア夫妻だった。
ファロット家の双子もお互いを可愛い、可愛いと絶賛しているが、同じようなものかも知れない。
「好みはあくまで好みだからなぁ」
しみじみと呟くケリーに、ジャスミンはどんな女が好みなのか、と訊ねた。
「夫にそれを訊くかね。お前さんこそどうなんだ」
「わたしは、そんなことを考える余地はなかったからな。子どもの父親に相応しい男を探していた──まぁ、どれもこれも全部お前だったわけだが」
この上ない惚気話を口にする妻に、ケリーはくつくつと喉の奥で笑った。
「なぁ、お嬢さん方」
「「……はい」」
「今までがどうあれ、お嬢さん方の彼氏はきちんと今の恋人を大事に想ってるんじゃねぇか、と俺は思うんだが」
「……それは、はい」
「愛されている、と思います」
「それを疑うのは、相手にも失礼じゃねぇか?」
「……それも、分かっています」
「呆れられても仕方ありません」
双子は揃ってため息を零した。
「なぁ、四人でデートをしたことはないのか?」
ジャスミンの言葉に、双子は首を振った。
「お互いを紹介したことはありますけど……でも、ラルゴが昔アリシアのような子と付き合っていたのかと思うと……」
「わたしも、何だか引き合わせるのが怖くて」
「で、でも、アリシアやラルゴを信じていないわけではないんです! ただ、わたしに魅力がないから」
「ジェシカは可愛いわ! だからわたしも、エックと合わせるのが不安で……」
「アリシア……」
「ジェシカ……」
手を止めてしまった双子に、ジャスミンはのんびりとした調子で言った。
「なら、一度ダブルデートをしてみればいい」
「「えっ?!」」
「それで心変わりするようなら、その程度の男たちだ」
「「──そんなっ!」」
「本当に愛しているのなら、どんな人間を寄越されようと、心変わりなんてしないだろうよ。──まぁ、こんないい男を夫に持ったわたしが言っても説得力はないだろうがな」
当然のようにそんなことを口にするジャスミンに、ケリーはおかしそうに笑った。
「美人な女ならいくらでもいるがな。女房みたいな女は、共和宇宙中探したってふたりといないぜ」
「それは褒め言葉か?」
「客観的事実ってやつだよ」
聞くものが聞けば十分惚気に聞こえるそんな会話をする夫婦を見下ろし、少し戸惑ったような顔をしていた双子だったが、「「ありがとうございます!」」と声を揃えると、腹は決まったのか、気合を入れて施術を再開した。
そんな双子の様子に、ケリーは呟いた。
「青春だねぇ……」
これにはジャスミンも笑って頷いた。
「わたしたちも、今を謳歌しようじゃないか」
そうしてふたりは、ふたつ並んだベッドからのっそりと腕を出すと、コツン、と拳を合わせたのだった。
END.