ぼーくらはみんな~、いーきていーる~~~!!
いきーているからうたうんだぁ~!!

少々調子っ外れの、けれど腹の底から力いっぱい、その歌詞のように生きていることを証明するような元気な声が青空に響く。
隣のお友達と手を繋ぎながら歩いている、黄色い帽子に水色のスモッグ姿も可愛らしい十人ほどの園児たちの列。
今日は、幼稚園近くの大きな公園で、年中さんのレクレーション大会があるのだ。
一番前を歩くやさしげな風貌の引率の先生は、星屑のように煌めく黒髪を背中で軽く束ねている。
無造作な結び方なのに、何とも目が離せないほどに美しい髪だ。
その柔和な顔立ちは、ひと目見ただけでは男性か女性か分からない。
そのほっそりとした両手は、大層可愛らしい顔立ちの園児たちと繋がっている。
ひとりは、ひと際大きな声で歌っている、大きな菫色の瞳も愛らしい銀髪の少年。
もうひとりは、反対にまったく口を開かず、真っ直ぐ前を見つめて歩いている黒髪の少年。
先生を挟んで反対にいる少年が歌っていないことに気づいた銀髪の少年は、覗き込むようにして相手を見た。

「……たのしい、ヴァンツァー?」

ちょっと心配そうな菫色の瞳に、声を掛けられた少年は一瞬驚いたように藍色の瞳を丸くしたあと、仄かな笑みを浮かべてこくん、と頷いた。
そっか、とこちらも嬉しそうに笑った銀髪の少年は、また大きな声で歌い出したのだった。

「は~い、止まれ~」

ピ~! とホイッスルを吹いた引率の先生は、きゃっきゃ言ってはしゃいでいる園児たちを纏めると、今日はどんなことをするのか、説明を始めた。
それによると今日はこの公園にある無重力ミラーハウスで宝探しをし、その後昼食を食べて少し遊び、園に戻るという流れらしい。

「鏡の迷路にはお友達とふたりで一緒に入って、これと同じ宝物を取ってきてね。ひとりひとつだよ? 宝物は、出口でレット先生に渡すとメダルと交換してもらえるからね~」

黒髪の先生がマジックテープでくっついた丸いボールを園児たちに見せる。

「宝物の中にミッケーが隠れてたら金メダル。ミミーちゃんなら銀メダル、ドナルポだったら銅メダルだからな」

レットと呼ばれた青年は満腹の猫のように目を細めて笑い、手作りのメダルを園児たちに見せた。
陽の光に透ける金茶の髪と、くりくりと大きな飴色の瞳がどこか可愛らしい印象を与える、なかなかのハンサムさんである。
少々小柄ではあるが、線が細い美青年というよりは男くさい感じのする青年で、人好きのする笑顔は園児たちにも人気が高い。

「宝探しが終わったら、美味し~いカレーが待ってるぞ!」

お玉片手に笑うのは、黄金を溶かしたような見事な金髪とエメラルドのような瞳を持つ、金細工の天使かと見紛う美貌の青年。
その言葉に、園児たちが一斉に歓声を上げる。

「リィせんせえのカレーすき!!」
「おいしい!!」
「りんご!!」
「デザートは牛乳プリンだよ~」
「ルウせんせーのプリンすき!!」
「おいしい!!」
「はちみつ!!」

宝探しを始める前からテンションMAXな園児たちの中で、ひとり静かに話を聞いている黒髪の少年。
つんつん、とスモッグの袖を引かれて横を向けば、やはりどこか心配そうな菫色の瞳と出会う。

「ヴァンツァー、シェラといっしょにいこう?」

首を傾げながらの言葉に、ヴァンツァーは目元にちいさな笑みを浮かべて頷いた。
シェラはほっとしたように頬を緩めると、ぐっとちいさな手を握って拳を作った。

「シェラね、きんメダルがいい!」
「きん?」
「うん! きんメダルって、いちばんなんだよ!」
「いちばん?」

シェラの言葉を繰り返すヴァンツァーに、シェラは得意気に語ってみせた。

「きんメダルはいちばんつよくて、いちばんきれいなんだよ!!」

だから、きんメダルとろうね! と言って強く手を握られ、ヴァンツァーは目を丸くしたものの、こくん、と頷いた。
ふたり組の園児のペアは、少しずつ時間を空けてミラーハウスへと入っていく。
スモッグはそのままだが、帽子は先生たちに預けてある。
無重力空間なので、万が一帽子が脱げてゴムが首に引っかかったら危険だからだ。
入り口のドアは三重になっており、ひとつ目のドアから中に入っただけでは、まだ通常空間だ。
そこからふたつ目のドアを入ったところが待機エリア。
ふたつ目のドアがぴったりと閉まったのを確認すると、初めて無重力装置が作動する。
この待機エリアには床から天井まで伸びるバーが備え付けてあり、これに掴まって空間が無重力化するのを待つ。
ただし、子どもがいきなり無重力空間に入るのは少々危ないので、ルウが子どもたちを抱いた状態で無重力空間が作られるのを待ち、完全に無重力になったら、三つ目のドアを開けて子どもたちを中に入れ、ルウだけ通常空間に戻るのである。
三つ目のドアから中に入ると、そこは魔法のような世界だった。

「──ふわぁ……」
「……」

シェラもヴァンツァーも、目と口を真ん丸にして辺りを見渡した。
どこを見ても自分たちがいる上に、ちょっとでも身体を動かすとあらぬ方向へ進んでいってしまおうとする。
無重力空間の遊技場は幼稚園にも大きなバルーンタイプのものがあるし、どこの遊園地へ行っても置いてあるが、ミラーハウスに入るのは初めてだったふたり。
ちなみに、シェラは無重力空間で遊ぶのが大好きで、スイスイ進めるくらい得意だった。
しかし、隣を見ても前を見ても上を見てもヴァンツァーがいて、ちょっと経験したことのない空間にシェラはきゅっと唇を引き結んだ。

「……まいごにならないように、シェラがてぇつないでてあげる」

銀髪をふわふわと揺らしながら、はい、ともみじのようにちいさな手を差し出せば、きゅっと握り返してくるあたたかい感触。
あんまり喋らないし、大声で笑ったりしないヴァンツァーだったけれど、とってもいい子だというのをシェラは知っていた。
それに、とっても可愛いお顔をしているのだ。
今も、ふわふわの黒髪がもっとふわふわしているのがとても可愛い。

「じゃあいくよ」

促せば、こくん、と頷きが返り、シェラは空中をひと蹴りした。

──ごちんっ。

「っ……」

スタートしたと思った途端に鈍い音がしてヴァンツァーの動きが止まり、シェラは自然と引っ張られる形になった。
おでこを押さえているヴァンツァーに、シェラが目を丸くする。

「だ、だいじょうぶ?!」
「……」

無言だったけれど、ヴァンツァーはこくん、と頷いた。

「ごめんね。シェラがヴァンツァーのとおりみち、あけておかなかったから……」

申し訳なさそうにされて、ふるふると首を横に振るヴァンツァー。

「……びっくりしただけ。いたくない」
「ほんと?」

今度はこくん、と頷く。
家にあるどんなお人形さんよりも綺麗なヴァンツァーの顔を覗き込んだシェラは、特に赤くもなっていなさそうなおでこに、ちゅっとキスをした。
藍色の目が真ん丸になる。

「いたいのいたいの、とんでけ~」
「……」
「これでだいじょうぶだよ!」

にっこりと笑顔を浮かべるシェラに、またもやこくん、と頷くヴァンツァー。

「ヴァンツァーは、おうたすき?」

気を取り直して再出発をしたふたり。
手を繋ぐだけでは心配だったのか、シェラはヴァンツァーを自分の身体に抱きつかせると、まるで幼い弟を守るようにしてその身体を抱き返し、無重力空間を進んでいった。
どこを見ても自分とヴァンツァーがいっぱいいて、しかも、ヴァンツァーが自分にぎゅっと抱きついていて、シェラはとても嬉しくなった。
何だか歌い出したい気分だったのでヴァンツァーにも訊ねたのだが、当の少年は首を傾げた。

「きらい?」

反対に首を倒した少年は、よくよく考えてから口を開いた。

「……シェラのうたは、すき」
「──シェラの?」

こくん、と頷くと、黒髪がふわり、と揺れる。

「じょうず」

口数の少ない少年からの褒め言葉に、いたく感激してしまったシェラだった。
そして、張り切った彼は元気いっぱいに歌を歌い始めたのだった。
どこを見ても鏡で出来ていて、更に無重力のため方向感覚を失いそうになる空間だったが、入り口から出口までは一本道だ。
右に左に折れ曲がってはいるけれど、分かれ道は存在しない。
だから、幼い子どもたちだけでも使用許可が出るのである。
もちろん、ミラーハウスの中はいたるところに監視カメラがついており、中で何か危険が起こっていないか、行先が分からなくなっている人がいないかを確認することが出来る。
入り口付近でヴァンツァーがおでこをぶつけてからは、特にこれといって問題もなく進んだふたり。
十分ほどで、宝物の置いてある場所へとやってきた。
宝物は、本来床である部分から伸びた糸の先に括りつけられている。
たくさんあるうちから、シェラは悩みに悩んでひとつに決めた。
ヴァンツァーも、自分の分を取る。
そして、またもやふたりは寄り添って出口へと向かったのである。
きゅっと、仲の良い兄弟のように抱き合って出口へやってきたふたりを見て、レット──レティシアは思わずふたりいっぺんに抱きしめた。

「おっかえり~、天使ども!」
「んーむー」
「……」

大層可愛らしい顔立ちのふたりが空中で寄り添ってこちらに向かってくる様は、本当に天使のようだった。
まだここは無重力空間だ。
入るときと同じ、出るときにも多少の危険を伴うため、ここは保護者が同伴する。
じたばたと暴れるシェラと、じっとしてはいるけれどちょっと苦しそうな顔のヴァンツァー。
ふたりを抱きしめたままレティシアは待機エリアへと向かった。
そうして、重力が戻るとふたりを床に降ろし、ふたつ目のドアから外へと続くドアの前まで移動する。

「ちゃんと宝物取ってきたな」

どれどれ、とまずはシェラの手にしていた宝物を受け取り、真ん中でくっついていたマジックテープを剥がす。

「──お、ミミーちゃんだ」
「えーーーーー!!」

盛大に不満の声を漏らすシェラに、レティシアは銀メダルを渡した。

「シェラ、きんメダルがよかったのに!!」
「残念だな。今度またやるときに取れるといいな」

ぶーぶー! と文句は言っているものの、手がつけられないほどの駄々をこねたり、泣いたりはしないシェラだった。
その様子にちいさく笑ったレティシアは、ヴァンツァーから宝物を受け取った。

「──おお、ミッケーじゃん」
「えぇ?!」

驚きの声を上げたのはシェラだった。
はいよ、とヴァンツァーに金メダルを渡すレティシア。

「……いいなぁ、ヴァンツァー」

じーっと金メダルを見つめるシェラに軽く首を傾げると、ヴァンツァーは「はい」と金メダルを差し出した。

「──ヴァンツァー?」
「あげる」
「え、でも」
「シェラ、きんメダルがいいんでしょう?」
「……うん」
「じゃあ、あげる」

ほんのりと、目元が細められている。

「……いいの?」
「うん」
「──じゃあ、シェラのぎんメダルあげる!」

これには藍色の目を丸くしたヴァンツァーだった。

「いいの……?」
「うん! こうかんこ!!」

シェラから銀メダルを首にかけてもらったヴァンツァーは、じーっとメダルを見つめたあと、ふんわりと微笑んだ。

「──お」

レティシアも思わず瞠目するほど珍しい様子だったが、ヴァンツァーは更に笑みを深めるとこう言った。

「……これ、ほしかったの」
「ぎんメダル?」

シェラの問いかけに、こくんと頷く黒い頭。
そうして、どんな強面の男でも相好を崩してしまうに違いない、というくらいの花のような笑みを浮かべて見せた。

「シェラのかみとおんなじ」

きゅうう、と両手で銀メダルを握りしめ、顔の周りにぽわぽわと花を飛ばすような勢いで笑っている。

「ちょー、もー、まーじ可愛い~~~」

でれれんっ、とした顔のレティシアに抱きしめられ、苦しかったのか眉を寄せるヴァンツァー。
シェラに「くるしいって!」とぽんぽん背中を叩かれ、名残惜しかったけれどやわらかな身体を解放してやったレティシアだった。

「ここ真っ直ぐ行くと、リィ先生がカレー作ってる広場に出るからな」

ミラーハウスの出口から広場へも、両端に柵の立った一本道であるため、シェラとヴァンツァーはまた仲良く手を繋いで歩き始めた。
何だか色々嬉しかったらしいシェラが大きな声で歌って遠ざかっていくのを見て、レティシアは苦笑した。

「相変わらず音痴だな」

ま、そこが可愛いんだけど、と呟くと、彼も鼻歌を歌いながら次の天使たちを迎えるためにミラーハウスへと戻っていったのだった。
すべての園児が広場に集まると、甘くてちょっとスパイシーな香りが辺りを満たしていた。
広場には六人掛けのテーブルとベンチが八組置いてある。
ここでは、簡単なバーベキューなども出来る。
園児三、四人に対して引率の先生がひとりという割合で、昼食の時間となった。
ニンジンは星型で、コーンも入っており、無重力のミラーハウスに引き続き、宇宙のようなカレーライスだった。

「おかわりもあるからなー」

いっぱい食べろ~、と笑顔見せるリィに、園児たちは大きな声で返事をした。

「ヴァンツァー、ニンジンすきでしょ」

あげる、といってシェラはヴァンツァーのカレーの中に、自分の分のニンジンを入れた。
藍色の瞳をぱちくりさせていたヴァンツァーだったけれど、やがてこくん、と頷いた。

「こーら」

ぬっ、とカレーに影が落ちてきたと顔を上げたふたりの視線の先には、苦笑したルウがいた。

「シェラちゃん、好き嫌いはダメでしょう?」
「……きらいじゃないもん。でも、ヴァンツァーがニンジンすきなんだもん」
「好きでも。シェラちゃんもニンジン食べないと、大きくなれないよ? もうすぐ年長さんになるお兄ちゃんなんだから」

むぅぅ、と唇を尖らせるシェラに、ルウは「頑張って食べて」と微笑みかけた。
なおも難しい顔をしていたシェラだったけれど、つんつん、とスモッグを引っ張られて横を向いた。

「プリン、あげる」
「──え?」
「プリンあげるから」

ニンジンもたべよう? と首を傾げてくる様子に、ルウは「あららぁ」と困った顔になった。
どうしても食べられない場合には『飴と鞭』も必要だったけれど、牛乳プリンは、ヴァンツァーが顔を綻ばせる数少ない大好物のはずだ。
仲が良いのも、お友達を励ますのもとても良いことだけれど、それはあんまりにも可哀想だなぁ、と頬を掻く。
しかし、ルウの心配は杞憂に終わった。

「──だいじょうぶ!」
「シェラ?」
「シェラ、ニンジンたべれるもん!」

気合を入れると、自分のお皿の中に残っていたニンジンをもぐっと食べた。
ぎゅううっと目を瞑り、息も止めていたけれど、やがてゴックンと飲み下すとぷはぁっと息を吐いた。

「プリンは、ヴァンツァーがたべてね」

言うと、口直しとばかりにカレーをもぐもぐ食べ始めたシェラに、ヴァンツァーは一拍置いて頷きを返したのだった。
心なしか、嬉しそうな顔をしている。
それを見て微笑んだルウは、自分もあまぁい味のするカレーを食べようと席に戻ったのだった。
そして、お腹いっぱいご飯を食べたあとは公園で少し遊んで、三人の先生と天使な園児たちは元気いっぱいに歌を歌いながら幼稚園へと戻っていったのである。


「──懐かしいなぁ」

無重力のミラーハウスに入り、シェラはため息を零すように呟いた。
月の天使のように美しく育った彼は、現在高校一年生。
雪白の髪は背中まで伸ばされているが、無重力空間では邪魔になるため緩い三つ編みにしてある。
そうして、隣にいる少年の手を取った。

「そうだね」

軽く目元に笑みを浮かべたのを見るだけで、この世のすべての喜びを享受しているような気持ちにさせられる美貌。
艶やかな黒髪はシェラとはまるで対になったようで、青い瞳は澄み切っていて吸い込まれそうだ。
物静かな雰囲気が、彼を年齢よりも上に見せている。
シェラが何もない空間をひと蹴りすると、ふたりはふわり、と前に進んだ。

「覚えてる? ヴァンツァー、進んですぐにおでこぶつけ」

──ゴツッ。

「~~~~~っ!!」

結構盛大に鈍い音がして、シェラは思わず額を押さえた。

「大丈夫?」

藍色の瞳をぱちぱちと瞬かせた大人びた美貌の少年は、シェラの頬に手を沿わせて自分の方を向かせると、前髪を掻き分けて額を見た。

「ちょっと赤くなってる」

痛い? と心配そうな顔で聞いてくる幼馴染に、「平気」と言おうとしたシェラだったのだけれど。

「痛いの痛いの、飛んでけ」

──ちゅっ。

ちいさな音を立てて触れては離れていく唇に、シェラは目を瞠って顔を真っ赤にした。

「ヴァンっ」
「痛くなくなるおまじない」

効くよね、これ、と。
ふんわりと微笑む様子に、シェラは見惚れるばかりだった。
ドキドキしすぎて、おでこをぶつけた痛みなどすっ飛んだ。
確かによく効く──けれど、心臓には良くない。

──……天然王子が……。

学校で、ヴァンツァーは昔からそう呼ばれている。
その美貌と大人びた雰囲気からは想像もつかないおっとりのんびりとした性格で、成績は優秀なのにテンポはみんなから一拍ズレる。
そして、運動神経は良いのに結構頻繁に人や壁にぶつかったりする鈍くささのギャップ。
好物は、はちみつを垂らしたホットミルクと牛乳プリン。

──女子かっ。

シェラなどは常々そう思っているわけだが。
これが堪らないという女子──時々男子も──は少なくない。
とても、とてもモテるヴァンツァーだったけれど、いつだって最優先にしてくれるのはシェラのことで、シェラはそれにちょっとした優越感を覚えていたりした。
あの頃よりもずっとちいさく感じるミラーハウスはすぐに出口に辿り着いてしまって、手を離すのがちょっと寂しいな、と思ったりもしたシェラだったのだけれど。
無重力空間から待機スペースへ移ると、ヴァンツァーは何の前触れもなくシェラを正面から抱きしめた。

「──えっ、ちょっ!!」
「危ないから、じっとしてて」

耳元で低い声がささやいてきて、それだけで赤面モノだった。
身長なんて、とっくの昔に追い越されてしまっている。
何なんだ一体、と半ば恐慌状態に陥っていたシェラだったが、ズンッ、と身体が重くなって目を瞠った。
重力が戻ってきたのだ、と知り、そして、ヴァンツァーが支えてくれているのだと気づく。
つま先からゆっくりと地面に足をつき、完全に重力が戻ったところでヴァンツァーが戒めを解く。

「楽しかったね」

まだ、抱きしめられたときの感触が身体に残っているシェラは、あたふたしながら声も出せずにただ頷くだけだった。
だって、すごく硬かったのだ。
肩が広くて、胸板もシェラよりずっと厚くて。
腕の力強さだって全然違っていて、寄り添って出口まで来たあの頃のやわらかさなんて全然なかった。
手を離すのは惜しかったけれど、でも、今また手を繋いでしまったら、きっと自分は恥ずかしくて死んでしまう。
ミラーハウスから広場へと向かう道すがら、シェラはほんの半歩前を歩いているヴァンツァーの背中をチラチラと見遣った。
緊張したのか喉が乾いてしまったシェラは、視線の先の売店に置いてあるソフトクリームのオブジェを見て歓声を上げた。

「アイス食べたい!」

駆け出していくシェラに、ヴァンツァーは苦笑しながら小走りになって追いつく。

「あ~ん、バニラもいいけど、チョコも食べたいしぃ……」

どっちにしよう、と迷っているシェラの横で、「両方下さい」と店員に声を掛けるヴァンツァー。
目を丸くして見上げてくるシェラに、「半分こね」と目元に笑みを浮かべて見せたヴァンツァーは、ソフトクリームを受け取って勘定を済ませた。

「お伽話の王子でも~、昔はとても~た~べられない」

アイスクリーム~、アイスクリーム~。
ご機嫌な様子で歌うシェラに目を細めたヴァンツァーは、くすくすとちいさく笑った。

「ん? どうかした?」
「ん~、相変わらずだなぁ、と思って」
「何が?」
「シェラ、──音痴」
「──えっ?!」

ちょっと待って何それ!! と、ヴァンツァーに掴みかからんばかりの勢いになるシェラ。

「だ、だって……ヴァンツァーが『上手』って……」

言ってくれたから、自信満々に歌ってたのに。
泣きたいやら恥ずかしいやらで、シェラは顔を真っ赤に染めた。

「上手だよ」
「音痴って言った!!」
「うん。音痴」
「ちょっ」
「でも、シェラが元気いっぱいに歌ってるのを聴くと、俺も元気になるから」
「……」
「俺にとっては、上手だよ」

そんな風に言ってにっこりと微笑まれては、二の句を継げなくなってしまう。

──……天然誑し王子が……。

ふたつ名にちょっとしたアレンジを加えたシェラは、ぺろっ、とバニラのソフトクリームを舌先で舐め上げた。
話に夢中になっていたから、少し溶け出してしまっている。
何だかじっと見下ろしてくる視線を感じて、そちらに目を遣った。
バニラが食べたいのかなぁ? と思い、「食べる?」と聞こうとしたシェラだったのだけれど。

──ぱくっ。

何か距離感がおかしくなった、と思ったら、ほとんどソフトクリームから口を離していなかったシェラに顔を寄せ、ヴァンツァーはバニラのソフトクリームの先端を口に含んだのだった。
微かに、ほんの微かに唇が触れた気がして、シェラはソフトクリームを取り落としそうになった。

「──あ、結構牛乳の味する」

美味しいね、と微笑みかけてくるミルク好きのヴァンツァーに、シェラは顔を真っ赤にする以外何も出来なくなっていた。

「チョコも美味しいよ」

はい、と口許に差し出されたソフトクリームを、シェラはちょっと躊躇ったあとにぱくっ、と口にした。
決してビターではない、甘い甘いチョコレートの味。
ね? と訊ねられて頷いたのだけれど、実はあまり味が分かっていなかったシェラだ。

──……天然誑し無差別爆弾投下王子が……。

何だかどんどん酷くなっていくふたつ名だが、本人は至って幸せそうな顔でチョコのソフトクリームを食べている。

「先生たち、元気かなぁ?」

独白のようなヴァンツァーの言葉に、シェラはどうにか意識を現実に引き戻した。

「年賀状では、毎年元気そうな様子だけど」
「最後に会ったの、中学校に入学したときだもんね」
「卒園してから九年か……長かったような、あっという間だったような」

楽しいことばかりでもないけれど、悪いことばかりでもない毎日だった。
今から思えば、特に小学校は永遠に続くのではないかと思えるくらい、色々なことを経験した。

「俺は、シェラがいたから楽しかったな」
「……また」

この子はすぐそういうことを言う、と呆れてしまったシェラだった。

「ヴァンツァーは、ほんと私のこと好きだよね」
「うん、好き」

珍しく一拍を置くことなく、すぐに返ってくる答え。

「卒業文集にも書いたでしょう?」

嬉しそうな顔でそう切り出すヴァンツァーに、シェラは思い出してしまって頭から湯気を出した。
思い出すだに、恥ずかしくて死ねる。

「……先生たちも先生たちだよなぁ……何であれを載せちゃったのかな……」

はぁぁぁぁ、と大きくため息を吐く。 卒業文集には、卒業生たちのプロフィールや写真のほか、作文も載せる。
『未来の自分へ』という、ありがちなテーマだった。

「とりあえず、あと二年だ」

うんうん、と頷きながら歩くヴァンツァーの横顔を見上げ、シェラは首を傾げた。

「二年? 何が?」
「え、だから文集」
「文集?」
「書いたでしょう? 『五年後にはシェラの彼氏になって、十年後にはお婿さんになります』って。もう卒業して三年経ったから、あと二年」
「──っ!!!!」

ソフトクリームがなくなり、コーンをパリパリ食べていたシェラだったけれど、危うく吹き出すところだった。
いや、文集の内容は覚えていたのだけれど。
まさか今も本気でそんなことを考えているとは思わないではないか。
しかし、シェラの期待を裏切るように、藍色の瞳は人を欺いたことなどない、というくらいに澄み切っていた。

「──あ、でも」

はた、と気づいたように立ち止まるヴァンツァー。
真剣な顔をすると、彼はこう言った。

「シェラも男だから……」

少し悩んでいるようだったヴァンツァーを見て、シェラはほっと息を吐き出した。
そう、ふたりとも男どうしなのだ。
いくらシェラが女の子のように可愛い顔をしていても、メディアなどで同性愛者が取り上げられるようになってその市民権が多少拡大されても、やはりあまり一般的ではない気がする。

──そりゃあ、ヴァンツァーのことは好きだけど……。

ヴァンツァーは天然だから男どうしだということを忘れていたかもしれないけれど、と思案し始めたシェラの隣で。

「っていうことは、シェラが俺の彼氏? 俺、お嫁さん?」

──どっちでもいいわ、そんなもの。

あまりにも予想の斜め上を行く言葉──しかも、本人が真剣なだけに性質が悪い──を聞いて、隣の天然をちょっと実力行使で黙らせたくなったシェラである。
しかし、シェラの固く握られた拳にはひと回り以上大きな手が重ねられ、驚いて見上げると穏やかに目元に笑みを浮かべていた。
幼い頃から『満面の笑み』というのはシェラでさえあまり見かけないけれど、シェラはこの笑顔を見るたびに幸せな気持ちになり──更には、ここ最近は落ち着かなくもなるのだ。

「まぁ、どっちでもいいよね」

シェラが考えていたのとそっくり同じことを言われ、思考でも読まれたのか、と目をぱちくりさせる。

「俺がシェラを好きなことに変わりはないし」
「……ヴァンツァー」
「なに?」
「私のこと、好き?」
「うん、好き」
「牛乳プリン、好き?」
「うん、好き」
「…………うん、分かった」

まったく顔も声のトーンも変わらなかった。
自分と牛乳プリンは同等なのだ、と分かってしまい、シェラはちょっとだけ落ち込んだ。
そりゃあ、牛乳プリンはヴァンツァーの大好物で、小学校の頃、ヴァンツァーの誕生日にバケツ牛乳プリンをプレゼントしたときの笑顔のきらきら加減は今でもベスト・オブ・ベストだとは思うから、それと同じくらい好きでいてもらえるというのはとても嬉しいのだけれど。

──所詮、ヴァンツァーの『好き』は、犬や猫が好きの『好き』と一緒なのだ。

大きなため息を零すシェラを不思議そうな顔で見ていたヴァンツァーだったが、それ以降特に気にすることなくまた歩き始め、そしてふたりは懐かしい幼稚園の姿をその目に入れることとなった。
今日は、年に一度の幼稚園のバザーの日。
久々に大好きだった先生たちに会うことが出来る、とシェラは気を取り直したのだった。

──二年後、高校三年生になった四月一日。

シェラは、マーガレットの花束を持ったヴァンツァーに、

「俺を彼氏にして下さい」

と言われ、多少驚きはしたものの。
それよりも、

──あぁ、『そっち』に決めたんだ。

という思いの方が、ずっと強かったのだった。




END.


いつ(When)
近未来
どこで(Where)
全面鏡張りの部屋で
だれが(Who)
暁メンバーが
なにを(What)
料理を
なぜ(Why)
楽しいから
どのように(How)
激しく
どうする(Do)
歌う

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