盛夏とはいえ、さすがに暑さも和らぐ時分。
築地のめぐらされた方一町の屋敷は、高位貴族の邸宅に見られる寝殿造り。
今を限りとばかりに鳴く蝉や茂る樹木を揺らす風の音は聴こえるものの、驚くほど人の気配のしない屋敷であった。
では人の住んでいない荒屋敷なのか、といえばそうではない。
庭木や池の手入れはもとより、屋敷中探しても埃ひとつ見当たらない掃除の行き届きよう。
屋敷の主の意向か、女房の采配か。
いずれにせよ、人が住んでいないということはない。
その証拠に、夜の静寂に浸透するように琴の音が聴こえてきた。
明かりの灯された室内、弦を爪弾くのは十代と思しき少年。
色素の薄い茶の髪と、翡翠の色をした穏やかな瞳、あまり感情の読めない顔立ちは決して甘くはないが整っており、少年というよりは青年と言った方が良いほどの大人びた容姿だった。
細身の長身に水干を纏っているが、烏帽子はない。
肩にもかからぬほど短い髪が、琴を爪弾くたびに、さらり、さらり、と揺れる。
室内には、もうひとり男がいた。
脇息にもたれ、青年の琴の音に聴き入るように軽く目を伏せた美貌の男。
この屋敷の主である。
気品溢れるその美貌は明らかに天上人のそれであるが、こちらも青年と同じく髪は短い。
夜の闇に溶けそうな漆黒に、対を為すかのような白皙。
くっきりと濃い眉、通った鼻梁、弧を描く形良い唇のすべてが、これ以上はないという具合に配置されている。
やがて、青年が最後の一音を爪弾き、その余韻も空気に溶け消えると、男は閉じていた目を開いた。
切れ長の、瑠璃色の双眸。
女にもないような艶やかな美貌の男は、鷹揚に手を打った。

「見事だな」

低い声に篭る感嘆の響きを、青年は然と感じ取った。
敬愛する主からの賞賛に、ほんの僅か、口許を緩める。
一日も終わりに近づき、微かな疲労を感じてはいたが、主の仕事の手伝いや勉強の結果だと考えれば、決して辛いものではなかった。
この屋敷に来てもうすぐ一年。
生きるために、身につけなくてはならないことは山のようにあった。
正座をしたまま床に指をつき、軽く頭を伏せ、主に教わった通りの礼を取る。

「もったいないお言葉でございま」

──ちゅっ。

耳元で聴こえた音に、青年は目を真ん丸にして固まった。
それなりの距離があったはずだというのに、いつの間にか主は目の前にいた。
人の動く気配も、音もしなかったというのに。

「せ……先生っ!!」

口づけられた頬を真っ赤に染めた青年は、キッと主を睨みつけた。

「心臓に悪いからやめて下さい!」
「やめたらお前が辛いだろう?」
「~~~~~っ」

卑猥な言い方をしないで下さい! と思った青年は、狼狽している間に押し倒された。

「ちょっ、先生!」
「何だ」

じっと見下ろしてくる紺色の瞳に思わず見惚れそうになり、青年は慌てて首を振った。

「えっと……こ、琴が壊れます!!」

高いやつなのに! と軽く涙目になって訴えると、軽く首を傾げた男は口の中で何事か呟いた。
すると、ふたりの足元にあった和琴が消えた。

「なっ!」
「これでいいか?」
「力使うなんてずるいですよ!」
「ずるい?」
「俺には見えませんでしたけど、今式神さん呼んだでしょう?」
「呼んだ」

それが? と問いかけつつ、首筋に顔を埋めてくる男を、懸命に押し返そうとする青年。
しかし、身長はほとんど変わらないというのに、男はびくともしなかった。

「こういうときにそういう力使うの、ずるいです!」

男には、青年の言い分がまったく理解出来なかった。
稀代の陰陽師として名を馳せる男にとって、式神を使うのは呼吸をするのと何も変わらない。
もっと大物を喚ぶならともかく、ほんの少しの距離、物を移動させるためだけに使う力など、瞬きする程度の労力しかない。
琴が壊れるのが嫌だというから元の場所に片付けただけだというのに、何が気に入らないというのか。

「式神を使ったのが気に入らないのか?」
「そ……そうです」

決してそれだけではなかったのだけれど、否定したらまた襲われるし、と思い、青年はバクバク言っている心臓をどうにか宥めようと胸を押さえた。

「では、わたしに自分で片付けろと?」
「いえ、俺が」
「そんなことをしたら、お前は逃げるだろう?」
「……」

思っていることがすべて顔に出てしまう青年の様子に、男はくつくつと喉の奥で笑った。

「そうか。それほどわたしが嫌いか」
「──へ?」

思わず口を開けてしまった青年に、男は首を傾げた。

「違うのか?」
「嫌いだなんて、とんでもない! 先生には、御恩を感じこそすれ、嫌うなど」
「だが、嫌がっている」
「そ──そりゃあ、いきなり押し倒されて喜ぶ男なんていないでしょう?!」
「そうなのか?」
「……」

あぁ、ダメだこの人、と青年は頭を抱えた。
家柄が良く、見目麗しい上に、頭もキレて陰陽師としての腕は国一番。
男でも女でも、この人に望まれて『否』と返せるものはそうそういないのだろう。

「と、とにかく! 俺、今日は」
「安心しろ──ちゃんと仕込んでやるから」

話を聞いて! と涙目になった青年は、心の中でとある人の名前を呼んだ。

──バチッ!!

屋敷の主と、組み敷かれていた青年の間に、雷に似た火花が散る。

「──っ」

青年の身には傷ひとつついていないが、咄嗟に顔の前に手をかざした男の腕から、ひと筋血が流れている。

「──この節操なしの大馬鹿ものめ」

この上もなく冷ややかな声とともに、室内にはもうひとりの人物が現れた。
天空に輝く月の化身のような、美しい女だった。
背を覆うほどに長く伸ばされた雪白の髪、透き通るように白い肌に、紫水晶のような瞳。
冴え冴えとした美貌は硬質ながら華があり、十二単に身を包んだその姿は、天女のような美しさだった。

「お方様!」

喜色満面、といった感じで、青年は月光を纏う天女を見上げた。
天女は、男を蔑むように見ていた視線とは打って変わって慈愛の溢れる瞳で青年を見下ろした。

「きちんと私を喚べましたね」

偉い、偉い、と茶の髪を撫でてやれば、されるがままになって嬉しそうに微笑する青年。
対する屋敷の主は、心底不満そうな顔でふたりを眺めている。

「……お前はいつからそれの式神になった」
「お主に関わりなかろう」
「そもそもお前は」
「我ら十二天将、複数の主に仕えてはならぬという法はない」
「お前がいつわたしを主と仰いだ」
「召喚されたから仕方なく使われてやっているだけのこと」

我らを使役するほどの力もなければ喰い殺してやれたものを、と忌々しげに語るその口調に、水干姿の青年は冷や汗を流した。

「え、あ、あの、じゃあ俺も……」
「うん? どうした?」

男と話していたときの凍れる表情とは真逆の、聖母のようなやさしい笑みに、青年はおずおずと訊ねた。

「俺……先生のように強い力はありません……むしろ、全然ないくらいで……あなたを喚び出せるほどの力はとても……」

俺も喰い殺されるんですか? と不安気に訊ねてくる青年に、月光の天女は「何を馬鹿なことを!」と驚き床に膝をついて青年と視線を同じくする。

「そなたは自分の力に──魅力に気づいていないだけ。こんな男など、すぐに追い越せようぞ!」

しっかと青年の手を握り、切々と説くその様子に、言われた方はブンブン首を振った。

「と、とんでもない! 先生は百年にひとりと言われる天才です! 俺なんて、一生かかっても足元にも及びません!!」
「……何と謙虚な……」

天女は嘆かわしいような、感動したような表情を浮かべ、横目にジロリと男を睨んだ。

「お主まさか、この子に琴と和歌だけを教えているということはあるまいな……?」
「舞踊も少々」

案外筋が良い、と目元を緩める様子に、褒められたと思い喜んだ青年は軽く頬を染めた。
しかし、天女はその美貌を鬼のように歪めたのだった。

「そうやって姿形も白拍子の真似事をさせ、寝所へまで侍らせる気かっ!」
「人聞きの悪いことを……」

男は嫌そうに顔を歪めた。

「それに和琴や箏の才があるのは確かなこと。なれば、芸事はひと通り修めさせて損はなかろう」

和歌も舞踊もそつなくこなすが、箏の才は目を瞠るものがある。
何せ、どのような難曲であろうと、一度見聴きすれば弾きこなしてしまうのだから。

「それは耳が良い。呪文も一度聴けば一言一句違えることなく再現して見せる」
「なれば、そちらの才も伸ばすが良かろう」
「才はあるが、如何せん本人に自覚がないのでは、召喚したところで侮られる。言霊の力、お前たち霊獣に今更説くまでもなかろう」

はったりでも、貫き通せば力となる。
逆に、信なき言葉は災厄を招く──それは、術者の命に関わること。

「それには、まだ早い」
「それと、この子を押し倒すことと、何の関係が?」
「ない」

きっぱりと言い切られた言葉に、天女がその身に雷を呼び寄せる。

「……お主、今日という今日は」

絶対に赦さん、と拳を固く握り、ありったけの力を男に向けた。
男は軽く嘆息すると、天女に向けて手をかざし、力ある言葉を発した。

「──《散》」

たったそれだけの言葉に、今放たれようとしていた雷は霧散した。

「なっ」
「《縛》、《封》」

印を切り、続け様に唱えると、カクン、と天女の膝から力が抜け、床に倒れ込む。

「──お方様!!」

慌てた青年が抱き起こすと、玉のような汗を額に浮かべた天女が、忌々しげに舌打ちをした。

「……おのれ……半妖の分際で……」
「お前は、会うたびに口が悪くなるな」

以前はもう少し可愛げがあったものを、と嘆く男に、「黙れっ!」との一喝を返す。

「……お主の言葉なぞを信じた私が愚かであった」

目に涙を溜めて男を睨みつけた天女は、ひと粒の涙だけを残して虚空に溶けた。

「あ、お、お方様!!」

見送った青年は一度大きく息を吸い込み、吐き出すと、主に心配そうな顔で声を掛けた。

「先生……傷の手当を」
「よい」
「ですが」
「直に治る」

言って腕の傷に舌を這わせる。
目を伏せたその仕草がどことなく淫蕩で、青年は目を逸らした。

「あの……先生?」
「何だ」
「あの……」

少し言い難い内容ではあったが、青年は意を決すると顔を上げて口を開いた。

「あの……お方様と、ちゃんとお話して下さい」
「必要ない」
「ですが……お方様は、何か思い違いをしていらっしゃいます」
「──思い違い?」

訝る主人に、青年はひとつ頷いた。

「先生は、決して嘘など吐かれません。きっと、何か行き違いが」
「人間は、偽り、謀る」

どこか自嘲的な笑みを口許に浮かべて立ち上がろうとする男の袖を引く青年。

「先生、でも」
「子どもの戯言に、いちいち付き合っていられるか」
「こ……子ども?」

何のことだろう? と首を傾げた青年だったけれど、主が何も言わないので意を決した。

「……俺、もう一度喚びます」
「やめておけ。倒れるぞ」
「ですが──んっ」

強く顎を掴まれ、些か乱暴に口づけられて、青年は翡翠色の目を瞠った。
口内で蠢く舌にゾクリ、と背中が騒ぎ、喉の奥が焼けるように熱くなるのを感じて、力の限り男を押し返した。

「せ、先生!」
「休む」
「……」
「あとは式神にやらせる──下がれ」

有無を言わせぬ声音。
その声と言葉の力で、あらゆる精霊や神獣までをも操るとされる天才陰陽師。
美しく聡明で、強大な力を持つ男は、その出自と力ゆえに幼少期より孤独を余儀なくされた。
男にとって、式神は手足であると同時に、血縁者よりも余程親しい存在だったのかも知れない。
気に入られていると自惚れて、言葉が過ぎたかも知れぬ、と返す言葉のなかった青年は、床に手をつき、頭を下げると、静かに退室したのだった。
主の部屋を辞し、見上げた天空には爪の先で描いたような三日月。
明日は新月か、とため息を零し、主に拾われた日のことを思い出した。


少年は、空腹で死にそうだった。
母を知らず、父と静かに暮らした山奥。
狩りがどうにも下手で、生まれてこの方満腹になったことなどない。
自分で狩りが出来ねば命に関わるから、と言って、父は少年に己の捕った獲物を与えたりはしなかった。
ただ、根気良く狩りの仕方を教えていった。
そのおかげで少年はどうにか飢えないだけの食事にはありつけたが、その食事も決して口に合うものではなかった。

「不味くとも、喰わねば死ぬぞ」

それが父の口癖であった。
少年にとって唯一絶対の強者だった父は争いを好まず、ただ穏やかに暮らすことだけを望んでいた。
それは少年にとってもそうだった──ただ、山にはそう思わないものたちもいたというだけのこと。

──身も凍るような寒さの、新月の晩。

庇護者である父を喪った少年は、父を殺した妖たちから必死で逃げ延び、生前父の口から聞いていた地を目指した。
命からがら都へと辿り着いた少年は、そこで当代随一と言われる力を持った、陰陽師と出会ったのである。

「──集中しろ」

死にたいのか、と低い声が耳元でささやく。
あなたが密着しているから集中出来ないんです! と言いたくなった青年だったが、文句は言わず、素直に頷いた。
男の言う通り、今青年の手のひらの中に集まっている力が暴走すれば、命の危険すらある。
失敗すれば、放出しようとした力すべてが己に返ってくることもある。
青年の潜在的な霊力は高かったが、一切の訓練を受けて来なかったため、まともに操ることが出来ない。
その不安定な力を制御する術を、男は青年に授けようとしていた。
青年を背後から抱くように男は立ち、青年の手に己のそれを重ねている。
集中はまったく出来ない青年だったが、力は抜群に安定するのを感じる。
まだ、己ひとりの力では、ここまで大きな力をひと所に留めておくことは難しい。

「そう、そのまま……そのまま、力に形を与えろ」
「は、はい……」

頷きはしたものの、何の形を思い浮かべればいいのやら。

「せ、先生」
「何だ」
「あの……何を喚び出せば……」
「好きにしろ」
「いや、そう言われても」
「お前が強いと思うものを思い浮かべればいい」
「強い……ですか?」

それならば、決まっている。 頭の中に微かな痛みとともに、懐かしくも雄々しい姿を思い描く。

「そう、そのまま……」

耳元でささやく低音の美声に、青年の肩が一瞬震えた。

──そして。

ポンッ、という、何とも愛らしい音とともに青年の手の中に現れたのは、金色の毛並みをした仔犬であった。

「えっ」
「──ぷっ」

ぷっくくく、と珍しく腹を抱えて笑う主に、青年は恥ずかしいやら悔しいやらで、涙目になって抗議した。

「笑わないで下さい! 先生があんなにくっついてるから、集中出来なかったんじゃないですか!!」

くぅ~ん、と可愛らしく鳴いて見上げてくる仔犬に罪はないので、よしよし、とその頭を撫でてやった。

「……先生」
「うん?」
「こいつ、普通の犬ですか?」
「いや。そんなナリでも、使った力に相応するだけの霊力はある──完全に、器は失敗しているがな」

そんな風に言ってまた笑う主にちょっと恨めしげな視線は送ったものの、青年は手の中の仔犬に苦笑を向けた。

「ごめんな。ちゃんと器作ってやれなくて」

ただの犬を喚び出したのであれば飼ってやろうかとも思ったが、これでもちゃんと式神なのだということであれば、相応しい仕事を与えてやらなければならない。

「それはもう、お前の式神だ。お前の血の味を覚えさせれば、いつでも喚び出せる──と思う」
「……なんですか、その曖昧な感じ」
「さすがにそんなナリをした式神は、喚び出したことがないんでな」

まだからかうように口許を歪めて笑っている主に、青年はちょっと頬を膨らませたものの、小刀で指先を傷つけて仔犬の目の前に持っていった。
ふんふん、と匂いを嗅いでいた仔犬は、ぺろっ、と青年の指先を舐めた。
一瞬、金色の光が仔犬を覆った。
新月の晩に、まるでちいさな太陽が具現したようでもあった。

「あったかい……先生、これでいいですか?」
「あぁ」

頷くと、青年の抱いている仔犬に向けて手を差し出した。
ふんふん、と匂いを嗅いでいた仔犬だったが、やがてふいっ、と顔を背けた。

「──あ」
「なかなか優秀だ」

式神は術者の命令しか受け付けないが、あまりにも知能の低いものだと主の判別がつかないこともある。
また、より強い霊力を持つものが命じれば、主従の契約を破棄してしまうこともあった。

「それには、屋敷の警護でも任せておけ」
「え、でもこのお屋敷、結界でガチガチじゃ……」
「番犬くらいにはなるだろう」

言えば、仔犬はウーッ、と低く唸った。

「あぁ、こらこら。先生に乱暴はダメだぞ」

やさしく諭してやると、仔犬は軽く首を傾げるようにしたあと、ちいさく頷いた。
可愛いなぁ、と思い頭を撫でてやったあと、青年は仔犬の式神に初めての命令を下した。

「この屋敷を護っておくれ。でも、危険があったら、絶対に俺か先生を呼びに来るんだぞ?」

無茶はしないでくれ、と言い置いて、仔犬を放してやった。
とてとてと駆けていった式神を見送ると、青年はふぅ、と息を吐き出した。

「さすがに消耗が激しいか」
「いえ、大丈夫で」

──ちゅっ。

またこのパターンか、と青年は頭痛を覚えた。

「先生、ですから」
「文句は、まともに食事が摂れるようになってから言うんだな」
「普通のご飯からだって、摂れますよ」
「お前は、わたしよりも特殊な生まれだ。人間が口にする食事だけでは、ほとんど回復しないだろう」
「でも」
「何が不満だ?」

本当に不思議そうに首を傾げる主に、青年は困った顔になった。

「……分かってます。先生は、そうやって俺に力を分けて下さっている。俺がまだ半人前だから……妖を屠ることも、自然界から力を取り込むことも出来ないから……く、口づけだって……別にいかがわしい意味があるわけじゃなくて……先生の中に流れる妖の力を、俺に分けて下さっているだけで」

触れ合うだけでも、ある程度の力は移せる。
けれど、肌とは殻だ。 内側にある魂を守るための器。
だから、外からの力の働きかけには、どうしたって抵抗してしまう。
力を移すなら、粘膜を介した方がその抵抗が少ない。

「でも、さすがに恥ずかしいです」
「接吻が嫌なら、ひと晩添い寝だな」
「えっ?!」
「お前が考えている以上に、お前の霊力は高い。だが、制御が出来ないから常に垂れ流されている状態だ。内側に留める術を身につければ話は別だが、放出し続けている現状では、お前の力は決して満たされることはない。空腹も、過ぎれば力を暴走させるだけだ。ひと晩添い寝したところで回復の度合いはたかが知れているが、ないよりマシだろう。わたしはどちらでも構わん」

お前が決めろ、と。 どこか愉しそうな顔をした主に、青年は困惑の表情を浮かべて訊ねた。

「あの……どうしてそこまで? 先生を頼ったのは俺ですけど、でも、俺を助けたって先生には何の得も……」

主にくいっ、と顎を持ち上げられた青年は、翡翠の瞳を丸くした。

「お前の力が満ちたら、喰ってしまおうと思っているのかも知れんな」

にやり、と。 その身に流れる妖の気を濃くさせた主に、青年は恐れるどころかふっと苦笑を浮かべて見せた。

「何がおかしい」

鼻白む男に「すみません」と謝罪し、「でも」と青年は続けた。

「先生って、どうしても自分が悪者になりたいんですね」
「なに?」
「俺の力なんて取り込まなくても、先生は十分お強いじゃないですか。それなのに、俺に負担を掛けまいと、そんなことまで仰って……」
「お前は、余程わたしを善人にしたいらしいな。わたしはそこまで人が好くはない」
「そうでしょうか?」

確かに善人ではないだろうが、決して冷たい方ではないと青年は思っていた。
あの夜、見捨てることも出来たはずなのに、面倒くさそうにしながらも男は青年を追ってきた妖を一掃して見せた。
その手際の鮮やかさと圧倒的な霊力──そしてそれを凌駕するほどの妖力に、ただただ見入ってしまった。

「虫の居所が悪かっただけだ」

と、それだけを青年に告げて。
家事でも雑用でも何でもするから置いてくれと言った青年に、「式神で事足りる」とは言ったものの。
結局は、屋敷の中に入れてくれた。
半分とはいえ妖の血を引いているため、結界のせいで屋敷の中に入れない青年に己が血を与えて結界を無効化し、霊力を込めた勾玉まで用意してくれて。
不安定な青年の力を安定させる作用もあるその勾玉は、青年の宝物でもあった。

「先生は、冷たく見せているだけで、本当はあたたかい方です」

そう言って微笑めば、呆れた顔になった男は『もういい』とばかりに背を向けて、屋敷に戻っていった。




NEXT


いつ(When)
平安時代に
どこで(Where)
外で
だれが(Who)
ヴァンツァーが
なにを(What)
キニアンを
なぜ(Why)
愛でたいから
どのように(How)
甘く
どうする(Do)
遊ぶ

ページトップボタン