ティータイム

ある日のファロット邸。

リビングできゃーきゃー言いながら、腹ばいになったカノンの背中にソナタが乗っている。

「何やってんだ?」

声を掛けるのはレティシアだ。
せっかく休みをもらえたというのに、彼は女の子とデートもせずにこの家に遊びに来ていた。
身を固める気などさらさらない彼は、それでもこどもは好きなようで、ここに来ては双子を構い倒して帰る。
彼がこの家に着いたのはちょうど午後のティータイムの寸前で、シェラは「まったく、大した嗅覚だ」、と顔を顰めつつも彼の分のお茶も用意してやることにした。
──とはいえ、実際にお茶を淹れるのはヴァンツァーの役目であり、現在広いリビングには彼の姿だけがない。
双子は床でじゃれあい、シェラとレティシアは真向かいのソファに腰掛けている。
シェラの双子を見る目は、とろけるようにやわらかい。

「まっしゃーじ!」

ソナタがカノンの背中をぎゅうぎゅう押しながら機嫌良さそうに笑っている。
つい先日三歳になったばかりの双子だが、ソナタはよく喋り、カノンは寡黙だ。
この辺りでも、双子とはいえ性格の違いが現れている。
カノンは結構痛い思いをしているはずなのだが、怒る様子もない。
むしろ喜んでいるようにすら見える。
妹が嬉しければ、彼も嬉しいのである。
それに、彼は非常に温厚だった。
誰にでも愛想良く微笑み掛ける。
父親そっくりの顔でえらい違いである。

「マッサージ?」
「シェラとパパがやってたのぉ」

ソナタの言葉に、レティシアは首を傾げた。

「あ? そりゃ性感マッサ──」
「教育的指導!!」

皆まで言わせず、シェラはレティシアに飛び掛った。
拳を固めて思い切り殴りつけるが、レティシアは涼しい顔をしてその必殺の拳を受け止めてしまった。
ソファに悠然と腰掛けているレティシアは、自分の目の前に立つシェラを楽しそうに見上げている。
さして力を入れているようには見えない顔だが、シェラが腕を引こうとしてもびくともしない。
その力はヴァンツァーよりも強いかも知れない、と思い、冷や汗を流したシェラだ。

──まずい。

常々レティシアの間合いには入るな、と言い聞かせられていたのだが、ついかっとなって忘れてしまった。

「……放せ」

とりあえず、険しい表情のまま言ってみた。
双子は突然噴火したやさしい『母』の様子に、目を真ん丸にしている。
ソナタがカノンに跨った状態のまま、ポカン、とした顔でじっとふたりを見つめている。

「お嬢ちゃんさぁ、やっぱ軽いんだよなぁ」

にやっと笑うと、レティシアはシェラの腕を引き、ソファに引き倒した。
ドスン、と音がし、双子の肩がビクリ、と揺れる。

「シェラ!!」

カノンが大声で叫ぶと、レティシアはにっこり笑い掛けてやった。

「心配すんなって。マッサージ、だろ?」
「レティーもまっしゃーじなの?」

ソナタが首を傾げる。
黒い髪がさらり、と揺れた。

「そうそう、『まっしゃーじ』。パパたちがやってるのと同じ。仲良しの証拠だ」

一見邪気がないような笑顔。

「誰が!」

暴れようともがくシェラだが、華奢なレティシアの力は凄まじい。
両手首を纏めて頭の上で押さえつけられ、足の上に乗り上げられた状態では身動きひとつ取れない。
本当に不覚だった。
そもそも、この男がこどもがいるのにあんな馬鹿なことを言い出すのがいけないのだ。

「ふざけるな! 放せ!!」
「あれ~。いいのか、そんなこと言って?」

にやり、と口を吊り上げる様子に、シェラは不穏なものを感じた。

「……な、何だ……」

僅かに怯えたような顔を見せるのが楽しく、レティシアはシェラの耳元に口を寄せた。

「──気持ちいい『まっしゃーじ』、してやろうか?」

低くささやくと、レティシアはシェラの上着の裾から片手を忍び込ませた。

「なっ?!」

恐慌状態に陥ったシェラだ。
頭は真っ白だったが、ともかくこの状態は良くない。
もちろん自分の精神衛生にも良くないが、何よりこどもたちに良くない。

「こら! 貴様! やめ、放せ!! こどもたちが──」
「『まっしゃーじ』だもんなぁ?」

屈託のない笑みを浮かべるレティシアに、ソナタは「なぁ!」と頷いてみせた。
カノンは可愛い顔を精一杯難しくているのだが、確かに自分の両親がしていることと似ていなくもないので、止めようかどうしようか迷っているようだった。
いつもシェラはちょっと困った顔で嫌がっているし、と思っているのだ。
ヴァンツァーとの時より嫌がり方がひどいのだが、その違いは三歳児には分からない。

「ふざけるな! 貴様!! 出入り禁止にするからな!!」

じたばたともがこうとしても、本当にまったく動けない。
こんなにしっかり押さえ込まれるとは、もっとヴァンツァーとの訓練をハードにしないといけない。
軽い、ということは体重を増やさなければならないが、あまり増やすと今度は逆に動けなくなる。
今の体格が自分にとって最適なのだが、とレティシアを睨みつけたままで考えを巡らせる。
そうこうするうちに、レティシアの手が更に服の内部に滑り込んでくる。
ヴァンツァーよりもずっと身体のちいさなレティシアだったが、その手は思いの外大きく、また細い指は骨ばっている。
粗野な言動をする彼にしては、その触れ方はやさしい。

「──っ! やっ!」

大きく菫の瞳を見開き、死に物狂いで暴れようとした瞬間。
ピタリ、とレティシアの動きが止まった。
その首筋に、ちいさなフォークの先が突きつけられている。

「……ヴァッツぅぅぅ……」

情けなさを装って、レティシアが背後の人物に声を掛ける。
しかし彼は内心舌打ちしていた。

──本当に、気配が読めない。

そうそう他人に背後を取らせるようなことはしないのだが、ヴァンツァーは数少ない、それができる人間だった。

「楽しそうだな、レティー?」

レティシアの首にフォークを突きつけたまま、ヴァンツァーはレティシアに耳打ちした。

「俺も混ぜてくれないか?」

その秀麗な口許には笑みが刻まれているのに、目が笑っていない。
ソナタはそんな父の様子を見て首を傾げた。
どうして怒っているのか分からないのだ。
カノンは目に見えて安堵していたが、やはりあれは仲良しの証拠などではなかったのか、と自分を責めていた。

「……知ってると思うけどよ。そのフォーク、もうちっと力入れると、皮膚の弾性限界超えて、俺の頚動脈ブッツリいっちまうんだけど?」

銀製の華奢な食器でも、元暗殺者の彼らにしてみたら十分すぎる程の凶器になる。
ヴァンツァーは自分の手元をじっと見ると、ゆっくりとその美貌に笑みを浮かべた。
うっとりと見惚れてしまうような美しい微笑みだ。
そして、レティシアにささやくように耳打ちする。

「何か問題でも?」

──やべぇ……。こいつ 本気 マジ だ。

さすがに身の危険を感じたレティシアは、パッと両手を上げて降参の意思表示をした。

「……こんなの、可愛い冗談じゃん」

苦笑しつつ、シェラの上から身体を退かす。
ほっとしたシェラは、慌ててソファから離れる。
毛を逆撫でた猫よろしく、その銀髪がふわりと浮き上がっている錯覚を覚える。

「わぁるかったって。──ゴメンナサイ」

まだフォークを収めてくれない背後のヴァンツァーに訴えかけるように、レティシアはペコリと頭を下げた。
本当に悪いと思っているのかは甚だ疑わしいところだったが、こんな修羅場をこどもたちに見せるのも教育上良くないので、ヴァンツァーは仕方なさそうに凶器を引いた。
その様子が本当に残念そうだったので、レティシアは思わず訊いてしまった。

「俺のことは遊びだったんだな」
「馬鹿か、お前」

本当にそう思っているらしいヴァンツァーは、フォークを洗いにキッチンへと向かった。

「シェラ?」

心配そうな顔のカノンは、ぴったりとシェラに寄り添っている。
今度こそ大好きなシェラを護ろうとしているかのように。
そんなカノンを見て、シェラは纏っていた攻撃的な空気を霧散させた。
にっこりと微笑んでやる。

「ごめん、ごめん。怖かったね」

頭を撫でてやると、ふるふると首を振って否定する銀色の頭。
菫の瞳は、まだ心配そうだ。

「レティーきらい……」

きっ、と『悪者』を睨みつける。
愛らしい顔立ちなので、まったく怖くないのだが。

「悪かったって」

レティシアがそんなカノンの様子を見て眉を上げる。

「誠意が感じられない!」
「お前、俺にそんなもん求めんなって」

怒鳴るシェラにそう返したら、きついひと睨みが返された。

「ソナタはレティーすき~!」

飛びつくように足に抱きついてきたソナタを、レティシアは高く抱き上げた。

「おお、そうか! さんきゅ~」
「だめ!」

今度はカノンがレティシアの足に飛びつく。
しかしこちらはソナタとは違い、バシバシ『悪者』を叩いている。

「おっとりしたカノンをここまで怒らせるのは、貴様くらいのものだぞ」
「あ? 実はこっちが地だったりして」
「自分のやっていることを棚に上げるな!」

そんな喧々囂々とした室内に、お茶の用意を終えたヴァンツァーが戻ってきた。

きっちり『四人分』を用意して──。  




END.

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