──きっと、自分たちは何か恐ろしい呪いでも掛けられているに違いない。
目覚めたヴァンツァーは、そう固く信じて疑わなかった。

Baby Love

行者であった頃の己を省みるとまったくもって信じられないことだが、眼が覚めるときに、うとうととまどろむことがある。
他人の気配に敏感で──もちろんそれは暗殺者として生きてきた自分には必要なことだったのだけれど──仕事上仕方なく情を通わすことのあった女を腕に抱いて寝ていても、相手が目覚めるよりも遅く起きることは絶対になかった。
そもそも、相手が身じろぎすることにすら気づかないほどに深く眠ってしまったことなど皆無だ。
一瞬でも警戒を解くということは、そのまま死を意味した。
非力に見える──実際非力な女であろうとも、無防備に眠っている人間の寝首をかくことは容易い。
しかも望むと望まざるとに関わらず自分の容姿はやたら人の関心を引き、『殺してでも自分のものに』と考える人間も少なくなかった。
むろん素人相手に遅れを取るわけはないし、そんな下手を打つほど耄碌もしていなかったが、その心配がまったくなかったわけではない。
だから、行者として生きてきた頃には、どんな状況であろうとも気を抜いて眠ったことなどないと断言出来る。

──しかし、今は事情が違う。

暗殺者として生きる必要がなくなったのだ、ということもあるが、それは瑣末なことでしかない。
己という人間が、隣で眠る人間のことを、無条件で危機管理の対象から外してしまっているのだ。
肉体、精神問わず、『危険だ』と察する機能そのものが、彼の前では働かない。
それが良いことなのか、悪いことなのかは、もっとどうでもいいことだった。

──……あと、五分……。

そう、それが目下一番大事なことだった。
もう少し、このあたたかな幸せを享受していたいと思っても、罰は当たるまい。
旧友たちに聞かれたら笑われるどころか頭は元気か確認されそうだが、誰が何と言おうと自分はあと五分は起きるつもりはないのだ。
そして更なる幸福を噛み締めるため、横にある熱源を引き寄せる──と、違和感。
目を閉じたまま、軽くため息を吐く。
このちいさくてふよふよした感触とさらさらの髪は、ソナタか……。
まったく、この子たちはちいさい頃から知らない間に自分たちのベッドに潜り込んではすやすやと寝息を立てている。
本当に昔から変わらない──。

「────って、おい」

明らかにおかしな自分の思考に気づいて、ヴァンツァーは目を開けた。
十年前に幼稚園児だった子どもが、今現在もちいさくてふよふよしているわけがない。
はっとして瞼を持ち上げると、

「……『あと五分』がいけなかったのか……?」

殺し切れずに大きくため息を吐き、肩口で切り揃えられた真っ直ぐな銀髪を梳いた。


「きゃ~~~~~! ちょー可愛いんですけど!!」

ねぇパパ、これ食べちゃっていいの? と喜色満面で──しかもおそらく本気で──訊いてくる娘に、ヴァンツァーではなく、ソナタの腕の中で抱きしめられ潰されそうな『これ』が「え~……」と抗議の声を上げた。

「……お腹空いてるなら、ご飯作るから……」
「え~、いいわよそんなの、パパに作らせておけば~」

ぶーぶー文句を言う娘に苦笑すると、横からカノンも声を掛けてきた。
やわらかな頬を指でひと撫でし、愛しくて仕方ない、という風に目を細める。

「っていうか、シェラ、その身体じゃ料理出来ないから」
「──はっ……」
「え、まさかシェラ気づいてなかったの?」

や~ん、やっぱりちょー可愛い! と年頃の娘らしくそれなりに膨らみのある胸に頭を押し付けられる。

「ソ、ソナタ……ちょっと苦しい……」
「もぉ、絶対頭から食べる~」
「あ、じゃあぼく腕からね~」
「え? あ、い、いや……そういう冗談は──」

皆まで言い終わる前に、ソナタはふよふよとした頬に、カノンはぷにぷにとした腕に、唇を使って噛み付いた。
唇で歯を隠してあるからまったく痛みはないのだが、ぱくぱくとあちこちに噛み付かれている。

「やわらかーい、可愛いー!」
「何だろ、この知らないうちに頬がにやけてくる感じ……食べちゃいたいくらい可愛いって、本当だったんだ……」

ぼく、子ども欲しくなっちゃった、と微笑むカノン。
私もー、と賛同するソナタ。

「私とカノンの子だったら、今のシェラみたいな子が生まれるのかな?」
「──ぅえっ?! ちょ、ちょっとソナタ?!」

ソナタの膝の上に抱きかかえられていたシェラが狼狽した声を上げる。
どしたの? と藍色の目を丸くする愛娘に、シェラはちいさな手足をばたつかせた。

「い、いや、カノンとソナタは私が産んだ子だし!」
「うん」

こくり、と頷くソナタ。

「ふ、双子の兄妹だよ?!」
「そうだね」

これまた当然だ、とばかりに首肯するカノン。

「一般的に考えて、子どもを作るのはちょっと……」

わたわた、とうろたえる見た目五歳児に、カノンとソナタは目を合わせた。
そうして、同時にシェラを見つめ、一緒に口を開いた。

「「──やだなぁ、冗談なのに」」

大真面目な顔をして両側から見下ろしてくる双子が、冗談だろうと嘘だろうと遊びだろうと、全力で取り組むことを知っているだけに笑えないシェラなのだった。
ちなみに、そのときヴァンツァーは向かいのソファでただただ静かに濃く淹れたコーヒーに口をつけていた。

──何でもいいから、早く起きろ俺の頭。

とでも言いたげに。  




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