Baby Love

「……ねぇ、パパ。今日学校休んでもいいでしょう?」

今度はカノンがシェラを抱き、「高い、高~い」と放り投げて遊んでいる──実際吹き抜けの二階部分まで投げているのだから、投げる方も投げる方なら、大人しく投げられている方も相当なものだ。
ソナタはといえば、父の服の裾を引っ張り、上目遣いでおねだり中だ。
まだまだ、週の真ん中水曜日。
善良な高校生としては、そろそろ学び舎に向かって出発しなければならない時間だ。
しかし、突然自分たちを産んでくれた何よりも大切な人がその頭脳を除けば幼稚園児になってしまったとあっては、心配で学校になんて行っていられない。

「ソナタ、シェラのことが心配なの!」
「ぼ~くも~」

ひゃっほう、と珍しく興奮気味に、相も変わらずシェラを投げ続けるカノン。
高いところに昇るのも、落ちるのも、抵抗のないシェラだったが、そろそろ眩暈がしてきた。
ふと、カノンは高く舞い上がるシェラをじっと見つめ、己の手の中に落ちてくる時間を計った。
もう一度放り投げる。
受け止めるときの衝撃などもちろん感じさせないカノンだったが、しばらく腕の中のシェラを凝視する。
それに『へらっ』と笑みを返した自分と同じ色彩の天使に、カノンはにっこりにこにこと笑いかけた。

「──よし、行ってこーい!」
「ぅえぁっ?!」

またもやシェラをぶん投げる。
すると、直後に自分も床を蹴った。
眼下から迫ってくる息子にびっくりしたシェラを、カノンはがしっと抱きとめた。

「キャッチ!」

幸せいっぱいの笑みを向けられて、シェラもついつい笑みを浮かべてしまった。
そうして足音ひとつ立てずに着地したカノンは、また「高い、高~い」を繰り返したのだ。
今までと違うのは、

「高い、高~い────キャッチ!」

そう、『キャッチ』が加わったことだった。
投げて、落ちてくる間離れているのも耐えられないように、カノンは投げたシェラを自ら迎えに行くことにしたのだ。
そうして、ふたり仲良く物音ひとつ立てずに降りてくるのである。
さながら天空で遊んでいる天使が、地上へ降り立つように。
しばらくそれを楽しんでいたカノンだが、さすがにシェラが疲れたのが分かったのだろう。
一緒に着地した後、やわらかい子どもの頬にすりすりと鼻を擦りつけると、「たのちかったでちゅね~」と満面の笑みを浮かべた。
愛しい息子が非常に嬉しそうなので、シェラもつられて笑った。

「あああああ! もう、可愛い! こんな可愛い子を放って学校なんて行ってる間に、変質者でも現れて誘拐されたら大変だ!」

なぜか、ちらり、とヴァンツァーを見るカノン。

「ホントよ! こんな可愛い子を危険がいっぱいの家の中に置いていって、更に外からも危険な人が入って来たりしたら大変よ!」

やはり、ちらり、と父を見るソナタ。
むろん本人は二対の瞳の言わんとしていることに気づいているわけだが、ここで「却下」とか言ってもどうせこのふたりは幼いシェラを抱きかかえて猛ダッシュで『散歩』に出掛けるに違いない。

「──学業に支障が出ない分には構わん」
「おい、ヴァン──」
「きゃ~~~! パパのそういう心狭いくせに理解のあるところ大好き!!」
「そうだよねぇ。尊敬する父さんが、こんなに可愛いシェラを独り占めしてデレデレした顔で手を繋いで街でも歩いて立派な変態さんに間違われるのなんて、ぼく耐えられないもん」

──笑いすぎて、と極上のスマイルでつけ加える。
一体この子たちの口の悪さは誰に似たのか、親としては心配すべきところなのだろうが、あながち外れてもいないので叱るのも憚られるヴァンツァーだった。

「……コラコラ。学校へはちゃんと行っておいで」

困ったように眉を下げて嗜めるシェラに、双子が口を揃えた。

「「────今から期間限定、反抗期入りま~す」」

これにシェラは思わず絶句し、ヴァンツァーは笑いを噛み殺すかのような顔つきになった。

「わ、笑ってる場合じゃないだろうが! だいたい、お前は子どもたちを甘やかしすぎなんだ!」
「よく言う」
「何だ、その顔は」
「お前には負けるよ」
「そんなことはない。私は心を鬼にしてだなぁ──」

ちいさいながらも腰に手を当ててぷんすか怒り出した怖くもなんともないシェラに、双子が「「ねぇ、ねぇ」」と声を掛けた。
うん? と振り返りざま首を傾げる仕草も愛らしいシェラに、双子は負けじと可愛らしい笑みを向けた。

「「──レティーに頼めば、伝染性の流行り病の診断書とか書いてくれるかな?」」
「………………休んでいいから、あいつには知らせるな」
「「は~い!」」

やった~、と互いの手を合わせる双子を前に、シェラは盛大なため息を吐いた。

──……くっ、身体がちいさくなったら、親としての威厳までなくなってしまった……。

そんな嘆きが聞こえてきそうな哀愁の漂う背中から、ひょいっ、と抱き上げられる。
高くなった視線の先には、見慣れても見飽きることのない美貌。

「な……何だ」

無表情だが感情が見えないわけではない藍色の瞳を、反射的に睨み返す。
じっとシェラのことを見ているヴァンツァー。
三十秒ほど経った頃、シェラが痺れを切らした。

「だから何だ! 言いたいことがあるなら口で言え!」
「──『パパ、いってらっしゃい』」
「────……………………は?」

低く耳に心地の良い声が一体どんな言葉を紡いだのか、聞こえてはいても頭が理解することを拒んだために、シェラは聞き返すという愚を犯した。

「だから、『パパ、いってらっしゃい』だ」
「……何だ、その頭に花の咲いたような発言は……」

まさかそれを私に言えというのか? と鳥肌を立てているシェラに、ヴァンツァーは大真面目な顔で頷いた。

「言えないなら、残念だが仕事に行けないな」

ゆるり、と口端を吊り上げる妖艶な様がまったく現在の空気と合わず、気持ち悪いことこの上ない。

「……お前なぁ……」

呆れるのを通り越して、あまりの馬鹿馬鹿しさに泣きたくさえなってきたシェラだ。
この男のことだ。
シェラが言われた通りの台詞を口にしても、「今度は『早く帰ってきてね』だ」とでも言い、最終的には『お仕事行かないで!』と言えと言うに違いないのだ。
しかも、細かい演技指導まで入るに違いない。
やれ、「『早く帰ってきてね』はちょこっと首を傾げなければいけないんだ」だの、「首の角度はどうだ」だの。
『お仕事行かないで!』に関しては、「首に『きゅっ』と抱きつかなくてはいけないんだ、いいか『ぎゅっ』じゃない、『きゅっ』がポイントだ」だの。
好き勝手なことを言うに決まっている。
誰がやるかそんなこと。
冗談ではない気色悪い。
どうせ子どもたちが学校を休むのに、自分だけ仕事をしているのは割りに合わないとでも言いたいのだろう。
二十年前のこの男に聞かせてやりたい台詞だ。

「え、なに、父さんも休むの?」

それじゃあんまり意味がないんだけど、と言いたげなカノンの背中にソナタが飛びつく。

「いーんじゃない? 今日はお天気もいいし、絶好のピクニック日和よ~」
「……いや、あのね、ソナタ。私はルウを呼んでとっとと元の身体に──」
「は~い。パパがお弁当作ってる間に、シェラたんはお着替えちまちょーね~」
「こういうときに、腕のいいデザイナーと裁縫上手な人を両親に持つと、いくらでも服選び放題でいいよね」
「私たちのお古でも、可愛い服いっぱいあるもんね~」
「ふりふりひらひらのスカートとかいいなぁ」
「あるある、たくさんある~。──よしっ」

シェラが言葉を紡ぐ間も与えない双子の呼吸は大したもので、両手をやさしく──それでもガッチリ握られた幼子は、あたふたと大きな子どもたちを交互に見やる。

「パパ、私たちが頑張ってシェラのことをもっと可愛くしてくる間に、お弁当の用意お願いね」
「──ヘッドドレスを着けさせるなら引き受けよう」
「おいこらヴァン──」
「交渉成立だね」
「じゃあシェラたん、行きまちょうね~」
「い、いや、あの……こ、こら、ソナタ、カノン……」

引きずられていくシェラの背にちいさく笑みを漏らすと、ヴァンツァーは腕によりをかけるべく、キッチンへと向かったのである。




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