Baby Love

────この男は、こんなにも馬鹿だったのか……。

一応、生涯の伴侶と思っている男が、こんなにも……こんっなにも頭の緩い男だったとは……。
おかしい。
いつから、自分の中でこの男に対する『怜悧で麗艶な目標とすべき人間』という評価が失われてしまったのだろう?
これはある意味詐害行為じゃないのか?
これって結婚詐欺に当たらないのか?
だって、だって昔のこの男は、触れれば切り裂かれそうな鋭さと危うさがあって、強くて、脆くて、貪欲なくせに冷淡で……。
少しでもこの男が穏やかで、やさしい時間を過ごせればいいと思った。
傷つけ合うことなく、奪うことなく、与え合い、分け合えればいいと。

──……これはちょっと、微笑ましいとか、面白いとか、笑えるとかいうレヴェルを超えてるぞ、っていうか笑えないし……。

自分の人生の選択をどこかで激しく間違った気がして呆然とするシェラの耳に、ノックの音が届いた。
はっとしてこの馬鹿みたいな格好をどうにかしようとボタンを外そうとするが、焦っている上に身体構造が今までと違うので上手く脱ぐことができない。
そうするうちに、「「入るよ~」」というユニゾンが聞こえ、扉が開かれた。

「──ぅわぁ、ダメっ!!」

シェラの必死な静止も虚しく、開け放たれた寝室の扉の向こうには、もちろん双子。
愕然として冷や汗をかいているシェラを見て、双子は固まった。
シェラは絶望的な気分に陥った。

「あ、あああ、あのね……こ、これには事情があって……」

自分の間抜けな格好の説明を試みようと身振り手振りを交えるが、双子の耳には届いていない。
まるでストップモーションのようにじっと動かなかった双子だが、ギギギッ、と軋んだ音が聞こえそうなくらいにぎこちなく互いの顔を覗き。

「「──やられたっ!!」」

と叫んだかと思ったら姿が掻き消えていた。

「え……え、ちょっとふたりとも……?」

一体何が起こったのか、と不安気に眉を下げるシェラ。
隣で美貌の男が「──勝ったな」とちいさく呟いているのが耳に入ってまなざしをきつくする。
菫の瞳に薄っすらと涙の膜が張っていて、さすがのヴァンツァーも目を瞠った。

「……シェラ? どうした?」
「どうしたじゃない、この馬鹿! 私のこんな間抜けな格好を見て、ふたりが非行に走ったりしたらどうするんだ!!」

えい、えい、とぽかぽか胸を叩かれるのだが、もちろん全然痛くない。
むしろ可愛いその行動に、抱きしめたい衝動に駆られる。
さすがに実際この状況で抱きしめたりしたらどんなひどい罵り方をされるか分かったものではないので控えたが、無意識のうちに「可愛いな」と口走ってしまったらしく。

「──お前は反省するという言葉を知らないのか!!」

と、怒鳴られてしまった。
しかし、その点に関してはヴァンツァーを責めることは出来ない。
なぜならば、ヴァンツァー・ファロットという男は、シェラが思っているほど空気の読める男ではないからだ──あえて読んでいない可能性も拭いきれはしないのだが。
ヴァンツァーにしてみれば、「何を今更」といったところだろう。
しかし、それも口にしたが最後、怒鳴られ、罵られるだけで済めばいいが、もしかしたら「離婚する!」とまで言い出すかも知れない。
それはさすがに避けたいので、ヴァンツァーは黙った。
だが、黙り込んだら黙り込んだで、シェラの「何とか言え!」攻撃が始まるのである。
この可憐なお姫様然とした苛烈な天使は、本当に、全身を怒りに染めて攻撃に出る瞬間が一番美しいと思う。
残念なことに、そのまなざしと空気の美しさに、言葉遣いが比例しないのが困ったところだ。
百年の恋が冷めるような中途半端な想いは抱いていないが、もう少し容姿に見合った口調で話せばいいのに、とは常々思っている。

「安心しろ。お前が心配するようなことは起こらない」
「そんなの分からないじゃないか! あの子たちは良い子だけど、人間何がきっかけで道を踏み外すか分かったものじゃないんだぞ?!」
「平気だよ」
「どうしてそう言い切れる!」
「俺の子だからさ」
「……」

ひーでー眩暈がしたシェラだった。
そんな自信満々の顔をされても、何の慰めにもならない。
この男は自分を過大評価したりしない。
出来ないことは出来ないとはっきり口にするだけの度量は持っている。
しかし、それとこれとは別だ。

「……お前に似て、どうしてまともな人間に育つというんだ」
「まともに育つとは言っていない。ただ、今あの子たちが駆け出したのは非行に走ろうとしているからではない、と言っている」

若干とんでもない発言があった気がしたが、「どういうことだ」と問い返した。
ヴァンツァーが「それは」と答えようとしたとき、再び寝室の扉が開かれた。
そこには、息を切らした双子の天使。

「「──シェラ、これも!!」」

見たこともないくらいに真剣な顔をしている双子の両手には、山のような彼らの服が抱えられていた。


「や~ん、悔しいけど、『白いYシャツに埋もれるシェラ』って構図に勝てるものってないわぁ~。ちっちゃいシェラだと鼻血吹きそうなくらい可愛いし、大人のシェラがやったら吐血しそうなくらいエロいし、やっぱりパパって分かってるのよね~」
「個人的にはパーカーとかセーターの袖が長くて手が出切らないっていうのは好みなんだけど」
「それをやるには、私たちの服のサイズがちょっと大きすぎるのよね……」
「そうなんだよ。──父さんが焦ったぼくたちの顔みてほくそ笑んでたのが一番腹立つな」
「うん。絶対いつかギャフン、って言わせてやるんだから」

──断っておくが、ファロット家は家族仲がとても良い。
双子は父もちゃんと好きだ。
だが、そんな双子でも承服しかねる発言を、どこまでも空気の読めない男は朝食後に口にした。

「──はぁ?! この姿でアトリエに行く?!」

食器洗濯機に使った器を任せ、昨日と同じようにシェラをどうするかの会議がリビングで行われた。
そこでヴァンツァーは、今日は職場にシェラを連れて行くと言い出したのだ。

「正気かお前」
「この上もなく」
「みんなにどう説明する気だ」
「正直に話しても、誰も不思議がらないと思うが。心配なら親戚の子を預かっているとでも言えばいい」
「私がお前に子どもを預けて家にいるわけがないだろうが」
「お前は風邪をひいていることになっている」
「……は?」
「昨日、そう言っておいた」
「……話が見えないんだが?」
「だから、昨日休む連絡を入れたときに、お前が風邪をひいている、と言った」
「そうでなく。どうして私が風邪をひくとお前が休むんだ」
「みんな納得していたぞ? エマに、最初は『風邪を引いたから休む』と言ったんだが、『言葉は正確に使いなさい。あなたが風邪をひくわけないでしょうが。シェラが風邪をひいたのね』と言われてな。その手があったか、と話を合わせたんだ」
「……」

やはり話の展開が分からないシェラだった。
どうしてエマまで、それで納得してしまうんだ。
頭を抱えるシェラに、ヴァンツァーは説明してやった。

「家族愛とは素晴らしいものだな」

本気なのか冗談なのか分からないこの男の表情を翻訳する機械を、ダイアナに作ってもらおうか。
深刻な顔で悩みかけたシェラだが、双子の「「ずるーい」」という声で現実に引き戻される。

「それって、私たちが学校に行ってる間、パパがシェラを独り占めするってことでしょう?」
「横暴だよ。昨夜だって一緒に寝かせてくれなかったのに」

それは自分たちが疲れて先に眠ってしまったからなので、ヴァンツァーに罪悪感などあるわけがない。
ぶーぶー文句を垂れて「「今日も学校休むー」」と言う双子に、シェラは苦笑した。

「さすがに今日はダメだよ。ふたりともちょっと休んだくらいじゃ成績落ちないのは分かってるけど、学生は、勉強することが仕事なんだから」
「……でも、パパは仕事しててもシェラといられるのに……」

ほとんど泣きそうになっているソナタに、シェラは「行かない、行かない」と手を振った。

「いつもみたいに、家でふたりが帰ってくるの待ってるから」
「ほんと?!」
「うん。おやつはちょっと作れないけど……」
「いいよ、いいよ! シェラがいるならそれでいいんだよ!」
「うん。だから、行っておいで」

分かった、と頷く双子だが、「ダメだ」という非情な却下の声が入った。

「……ヴァンツァー」

さすがのシェラも、苦笑で済ませることが出来ない。
子どもたちを悲しませてまで、自分がアトリエに行く理由も意味もない。
だが、続くヴァンツァーの台詞に言葉を失った。

「──必要なんだ、お前が」

はっきり言って、ヴァンツァーほどの美貌の男が真面目な顔をしてそんなことを言えば、女性ならばたちまち腰が砕けてしまうことだろう。
シェラですら、一瞬心臓が跳ねた。
正直、嬉しい。
この男に必要とされることは、昔から変わらず自分の一番の望みなのだから。
双子の顔を伺いながらも、シェラはほとんど無条件に頷きそうになっていた。
これだけは、誰にも譲れない。

「実は、子ども服の依頼を受けたんだが、ブランクがありすぎて何も浮かんで来なくてな」
「……」
「お前がいれば、描けそうなんだ」

ゴクリ、と喉を鳴らして頷きかけたシェラは、何だか拍子抜けしてしまった。
それも必要とされていることに変わりはないし、とても大事なことだ。
それでも、だた純粋に自分を必要として欲しかった、と思ってしまうのは自分の我が儘だろうか。

「……だが、嫌だと言うなら強制は出来ない」

この男は、こういうところがずるい。
そんな言い方をされて、断れるわけがないのに。
きっと、分かっていてあえてその言葉を選んでいるのだ。

──それでも、シェラの答えは決まっていた。

「……ソナタ、カノン、ごめん……家に、いられない」

瞬間、双子の眉が寄った。
ぎゅっと唇が引き結ばれる。
可愛い子どもたちのそんな表情に胸が痛まないわけはないが、シェラはもう一度頭を下げた。

「ごめん……。今日は一緒に寝よう? 元の姿に戻ったら、ふたりの好きなものいっぱい作るし」

本当に申し訳なさそうに頭を下げるシェラに、双子の方が慌てた。

「い、いいよ! そんな謝らなくても!!」
「そうだよ! シェラは何も悪くないんだから!!」
「でも……誰もいない家に帰ってくるのは寂しいから……」
「平気、平気。そんな子どもじゃないし」
「そうそう。それに、シェラのそれも、モデルとしての仕事でしょう? 仕事の邪魔は出来ないよ」
「……ありがとう」
「その代わり、今日は一緒に寝てね?」
「もちろんだ。夜はみんなで食事に行こう」
「「わーい、行く行く~」」

無理をしている風でもなく喜ぶふたりにくすり、と笑みを零し、ヴァンツァーに視線で「いいだろう?」と問う。
ヴァンツァーは、シェラが予想した通りの言葉を返してきた。

「──お前の、いいように」  




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