「──学園祭で、お芝居するの?」
夕食の席で、ソナタがきゃっきゃとはしゃいでシェラに告げた。
しかし、ものすごい喜びようなのだが、芝居に出るのはソナタではなかった。
「そうなのー。カノンがお芝居するのー」
元気よくスープとバゲットのおかわりを要求し、ねー、と隣のカノンに満面の笑みを浮かべる。
対するカノンは、苦さが多めの微笑を浮かべた。
あまり目立つことが好きではないから、気乗りしないのかな、と思ったシェラではあったが、にっこりと微笑んで息子に訊ねた。
「ふぅん。何のお芝居するの?」
「あのね、『美女と野獣』なの!!」
カノンの代わりにソナタが答える。
ものすごく楽しそうだ。
シェラが「そうなんだ」と返すと、ソナタは「カノンが主役なのよ!」と自分のことのように誇らしげに頷いた。
「主役か。うん。カノンが王子様役っていうのは、ぴったりだね」
ふふふ、と可愛く微笑むシェラに向かって、カノンは見ているこちらが幸せになるような天使の微笑を浮かべた。
「──ぼくが演るのは、『美女』の方だよ」
「あぁ、そうか。カノンが演るのは美女────…………はい?」
「ぼくは、『ベル』を演るの」
これまたにっこり笑顔で答えたカノンだったが、笑顔という名の仮面を見破れないほど、シェラは洞察力の低い男ではなかった。
しかも、母親というものはどういうわけか子どものことになると敏くなる。
「……気乗りしないみたいだね」
「ぼく、シェラみたいに可愛い女の子じゃないからさ」
「いや、私は男だけど……」
「外見の話だよ。ぼく、自慢じゃないけど、どこからどう見ても『美少年』だと思うんだ。間違っても、『美少女』ではないよね」
「女装したら女の子にしか見えないから大丈夫だって。それに、昔は女の子の格好好きだったじゃない」
「別にドレス着るのは嫌じゃないよ。メイクもすれば、女の子にだって見えるだろうね」
「だったら問題ないじゃない」
「あのね。ぼくは、男で、身長だって百七十超えてるんだよ」
「大丈夫よ。『野獣』役の子は、バスケ部で、百九十あるんだから。あらー、素敵な身長差♪」
シェラとパパみたいね、と笑う妹に、珍しくカノンはぐったりして嘆息した。
それでも、シェラの料理は冷めないうちに胃に収めるのだからえらいものだ。
「えぇっと……カノンが気乗りしないのは……もしかして……」
若干言いづらそうに頬を掻くシェラに、ソナタは「聴いて、聴いて」といった感じで頬を緩めた。
「あのねー、わりとハンサムなバスケ部の男の子がいるんだけどー。その子がね、カノンが『美女』を演るなら、俺が『野獣』を演ってもいい、って言ったらしくて! もう、女の子たち大興奮で~」
「『野獣』役に誘われたキニアンが、だったらぼくを『ベル』にしろ、って言い出したんだよ」
「どっちでも一緒じゃない。相手役にご指名だよ?」
「何度も言うように、ぼくは女の子じゃない」
「あぁ、まぁ、カノン見た目と違ってドSだもんねぇ」
誰に似たのかしら、と眉を下げる妹に、外見的にはまったく似たところなどない双子の兄は言ってやった。
「ソナタこそ。『お姫様』好きなんだから、自分が演ればいいのに」
「演るより観る方が楽しいもの──カノンがどうやって『野獣』を誑し込むのか」
きゃはは、とそれはそれは楽しそうに笑う妹に、カノンは脱力してシェラに瞳で訴えた。
しかし、何だか少女のような菫の瞳がきらきらと輝いている気がして、カノンはぱちくり、と瞬きをした。
「……シェラさん……?」
何だか嫌な予感がしつつ声をかけたカノンに、シェラはソナタと同じように興奮した面持ちで言った。
「──ドレスって、私が作ってもいいの?!」
『Yes』以外の言葉を、カノンが返せるわけがなかった。
「頼みがある」
低い美声が紡いだ言葉に、アトリエの職員たちはピタリ、とその動きを止めた。
あるものはきょとん、と目を丸くし、あるものはぽかん、と口を開き、またあるものは手にしたパターンをザバッ、と床に落とした。
たっぷり十秒は時間が止まっていたのだが、勇気あるひとりの女性が口を開いた。
「……何ですって?」
「頼みがある、と言った」
至極真面目な表情でそう繰り返す男に、エマは思わず、といった感じで額に手を当てた。
「……なぁに、またシェラと喧嘩でもしたの? いい加減にしなさいよ。いい歳なんだから夫婦喧嘩は家庭内で収めてちょうだい」
「馬鹿なことを言うな。夫婦仲は良好、家庭円満だ」
これまた無表情にも近い、しかしちょっと嫌そうな顔でヴァンツァーが言うものだから、エマはにっこりとそのきつめの美貌に笑みを浮かべた。
「あなたがシェラとの仲裁以外の何を私たちに頼むっていうのよ」
うんうん、と他の職員たちも頷くのを見て、ヴァンツァーはわざとらしくため息を吐いて見せた。
「そうか、だったらいい。────カノンが着るドレスの縫製を頼もうと」
思ったんだが、と言い終わる前に、ヴァンツァーはエマとレイチェルに襟首を掴まれた。
その、『きらきら』というよりは『ギラギラ』といった方がぴったりな瞳の輝きを見て、美貌の男は形の良い唇を三日月の形に吊り上げた。
「でね、でね、色は薄めのブルーで、裾に向かって濃くなるグラデーションがいいと思うんだ」
「あー、それ可愛い! 照明の効果で、薄い青は白に見えるもの」
「そうなんだ。だからウエディングドレスみたいに見えていいんじゃないかな、と思って」
「さすがだわ! どうする、どうする、肩とか出しちゃう?!」
「あー、それ絶対可愛い!」
「胸に詰め物とかするの?」
「それはいいんじゃない? カノンちゃんの場合、ない方が色気が出そう」
「あ、それは私も思ってたんだ」
「でしょー? 形としては、こんな感じかしら?」
「ん~、正面はシンプルに、サイドからバックにかけてはボリューミーでもいいのかなって──こんな感じ」
「あぁ、なるほどね。──っていうか、ヴァンツァーは描いてくれないの?」
当然といえば当然の疑問を口にしたレイチェルに、シェラはにっこりと笑って頷いた。
「うん──描かせない」
「……描かせない?」
「うん。カノンのドレスは、私が作るの。絶対、絶対、私が作るの」
「……あぁ、そういう意気込みがあるのね?」
「うん。ヴァンツァーは『野獣』用の衣装係り」
「……作業分担まであるのね?」
「うん。『これ作って』って言ったら、『いいよ』って言ってくれたから」
「「…………」」
アトリエの女傑ふたりには、シェラがどんな凶悪な微笑みでもってヴァンツァーを誑し──否、誘惑したのかが、手に取るように分かった。
きっと、頬を薔薇色に染めて、宝石のような深い紫の瞳を潤ませて、上目遣いであの男の袖を引いたに違いない。
そして、少し舌っ足らずな口調で『お願い』したのだろう。
それでも足りなければ、ベビードールにロングオーバーニーの網タイツであの男を押し倒すくらいのことはやりかねない。
顔を見合わせた女傑たちは、「そうだ」とカノンの相手役の男の子のことを訊いた。
「えぇっとね。写真借りてきた」
ごそごそ、と鞄の中から取り出された写真を見た女傑たちは、再度顔を見合わせるとシェラの手を取った。
「「──全面的に協力するわ!」」
任せなさい、と胸を叩いてくれた頼もしい女性たちに、シェラは「ありがとう」と無敵の笑顔を返したのだった。
「うそっ?! ホントに?!」
「うん本当」
「ホントに、【Lu:na】が衣装協力してくれるの?!」
「うん。忙しいから、主役ふたりの分しか作れないけど、って」
ごめんね、と眉を下げるソナタに、同級生たちはブンブン激しく首を振った。
「うそ~、ちょー嬉しい!」
「憧れてたの~!」
「女の子なら【Lu:na】のドレスと【Blue Rose】のプランで結婚式挙げるの、夢だよね~」
きゃあ~、と大歓声を上げる女の子たちに、ソナタは何だか自分が褒められたみたいに嬉しくなった。
しかし、父のアトリエも、シェラのウェディング・プロデュース会社も、ほとんど宣伝らしい宣伝をしていないというのに、よくぞここまでの知名度があるものだ。
「ドレスはともかく、【Blue Rose】って六月にしか活動しないじゃない? あそこでの挙式って、ちょーレアだよね~」
「ね! 自慢出来ちゃうもんね!」
「──あ、でも……」
表情を曇らせる同級生に、ソナタは「どうしたの?」と首を傾げた。
「……衣装代って、いくらくらいかかるの……?」
あ、そうか、と今更気づいた女の子たちの視線がソナタに集まる。
オーダーメイドのドレスとプランに憧れる女の子は少なくないが、それなりの値段がすることも想像はつく。
とてもではないが、学園祭の予算で捻出出来るものではない。
「あー、そんなのいいの、いいの」
ソナタは明るく笑って手をひらひら振った。
「ドレスはシェラがどうしても作りたい、って言い出したんだし。アトリエの皆も乗り気だし」
「え、じゃあ……」
「……無料で、やってくれるの」
「もちろん。趣味みたいなものだから、気にしないで」
この言葉に、特大の歓声が上がり、教室にいた他の生徒──女生徒はソナタの周囲に集まっていたから男子生徒が主だ──は、びっくりして振り返った。
そして、ふん、と鼻白むようにして、女子たちに聞こえるように話し始めた。
「男に女の格好させて、そんなに楽しいのかよ」
「ってか、ファロットもよく承知したよな」
「あれじゃね? 結構女の格好するの、趣味だったりして」
「うわ、マジで? 信じらんねぇ」
「俺、ドレス着ろとか言われたら、死んだ方がマシなんだけど」
「だよなー」
「っつーかさ、キニアンってそっちの趣味の人間だったってことだよな」
「女にモテるのに、もったいねぇよなぁ」
「いくらファロットが綺麗な顔してても、男はゴメンだぜ」
「なぁ」
げらげら笑っているクラスメイトたちの言葉に怒鳴り声を上げようとした女の子たちを、ソナタは静かに席を立つことで押し止めた。
そうして、こちらを馬鹿にしたように見ている男子たちを睥睨して言ってやった。
「──魂持っていかれても、知らないわよ」
ソナタが女子たちときゃーきゃー騒いでいる頃、打って変わってカノンはひとりの男子生徒と静かに対峙していた。
放課後は部活の時間だ。
帰宅部のカノンはともかく、一年生でありながらバスケ部のエースを務める少年は練習に勤しんでいるところだった。
それでも、体育館にカノンが赴くと、茶色い髪に緑の瞳の少年は、先輩たちに許可を取って場を抜けた。
皆が自分に注目しているのが分かって内心嘆息したカノンだった。
双子が通うカイン校は少人数制の授業が売りだから、三学年合わせても大した人数ではない。
それを抜きにしても、ファロット兄妹の美貌は学校中に知れ渡っていた。
また、カノンはその明晰な頭脳も有名であり、──つまりは、どんなに大人しくしていても注目を集めてしまうのである。
それなのに、『美女』役に指名されたとあっては、その注目度は否応なしに上がっていくばかりだ。
「どういうつもりなのかな」
体育館からさして離れない、それでもあまり人の来ない場所へ来ると、カノンは訊ねた。
「どういう、って?」
エースであるという事実だけでなく、キニアンはかなりハンサムな部類に入る顔立ちの主で、女子生徒たちからの絶大な支持がある。
それを鼻にかけるでもなく、むしろ彼はかなり控えめな性格をしていると言っても良かった。
穏やかというよりも寡黙といった方がぴったりな少年の雰囲気は、どこか父に似ているな、とカノンは思った。
口数もあまり多い方ではないようだし、表情もそんなに動かない。
綺麗に薄く筋肉のついた長身と、さらさらとした真っ直ぐな髪は、それだけでも年頃の女の子たちの黄色い声援を浴びるに十分なものだった。
流れる汗をタオルで拭うだけの仕草にも、少年から青年への過渡期特有の色気のようなものを感じる。
客観的にそう分析することは出来るカノンだったが、だからといって別にこの少年相手にときめいたりはしない。
「どうして、ぼくを相手役になんて指名したのかな」
「──あぁ、『美女』役のことか?」
低めの声質も、女の子たちが好みそうだ。
甘さよりも硬さが目立つ声だけれど、化ければそれこそ付き合う女性に不自由しない男になるだろう。
「ぼくは男なんだけど」
「見れば分かるさ」
「背も低い方じゃない」
「俺よりは低いけどな」
くすっ、と笑う様子に、カノンは珍しくも若干眉を寄せた。
確かに、キニアンと自分とでは二十センチ近く身長が違うが、問題はそういうことではないのだ。
「大した理由はない。ただ、俺が『野獣』を演るなら、普通の女子だと背が低すぎると思っただけだ」
「背の高い子もいるよ。妹のソナタも、百六十は超えてる」
カノンの言葉に、キニアンは喉の奥で笑った。
「……なに」
「いや。断る気なら、さっさとそうすればいいのにな、と思って」
「……」
「別にお前が断っても俺は何とも思わないし、俺も頼まれただけで、この役を演りたいわけじゃない」
「……女の子たちは乗り気みたいだけど」
「だから? 今からだって代わりは探せるだろう」
無表情と泰然とした態度を崩さない同級生に向かって、カノンは挑むような眼を向けた。
「もう一度訊く。──ぼくを、相手役に選んだ理由は」
「何となく」
即座に返った言葉に、カノンは「分かった」とちいさく頷いた。
「──その台詞、忘れないように」
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