実録(?)『美女と野獣』

あんなに嫌がっていた『美女』役を引き受けたということで、ソナタは兄にその理由を訊ねてみた。
しかし、「何となく」という言葉以外は返ってこなくて、訝しく思っていた。
けれど学園祭の日取りは決まっているのだし、キニアンは部活をあまり休むわけにもいかないから練習はひと月も前から始まっている。
基本的に学園祭の出し物はクラス毎で行うのだが、今回の芝居は有志によるものなので、いくつかのクラスからキャストが選出されている。
カノンとソナタは違うクラスだったが、ソナタとキニアンは同じクラスだ。
昼休みになり、カノンがソナタのクラスへとやってきた。
いつものことなのでクラスメイトがソナタに声をかけたのだが、ソナタは別の子に声をかけた。

「キニアーン! カノン来たよー!」

大きな声に、呼ばれた当のキニアンは前の授業のノートなどを片付ける手を止めた。
目を丸くしてソナタを見れば、「あっち、あっち」という風にドアが示される。
首を向ければ、確かにそこには銀髪の少年。
しかし、呼ばれる理由もないので「俺じゃないだろう」と言おうとしたのだが、 「ちょっといい?」 と、カノン本人にまで声をかけられて今度こそ驚いた──とはいえ、その表情はあまり動いていなかったが。
机の上を片付けて入り口へ向かえば、女子たちがこそこそささやき合う声や、男子たちが面白がって口笛を吹くのが耳に入って顔を顰めた。

「……なに」

銀色の頭を見下ろせば、菫の瞳が真っ直ぐに見上げてきた。

「何、って練習」
「……は?」
「部活やってるから、放課後はあんまり練習出来ないでしょう? だから、その分昼休みに読み合わせ」
「……はぁ」
「さっさと台本持って来てよ」

身長はキニアンの方がだいぶ高いのだが、その上から命じるかのようなカノンの口調に、長身の少年は頭を掻きながらも席に戻って鞄から台本を持ってきた。

「俺、学食行く予定だったんだけど」
「いいよ。お弁当、もうひとり分作ってもらったから」
「え?」
「ふたり分作るのも三人分作るのも一緒だってさ」
「え、いや、でも」
「いいから、さっさと来る」

半ば引きずられるようにして、キニアンはカノンと教室を後にした。
クラスメイトがソナタに声をかける。

「学園祭終わるまで、寂しくなっちゃうね」
「え、何で?」

不思議そうな顔をするソナタに、友人は言った。

「だって、カノン君とお昼食べられないでしょう?」
「あぁ、別にいいの、いいの」

ひらひら、と手を振るソナタ。
彼女はにっこりと笑ってこう言った。

「あのふたり見てる方が、何かオイシイし」

まず、広げられた弁当に、キニアンは驚いた。

「……こんなに食べるのか?」
「食べられるでしょう? 育ち盛りなんだから」
「いや、俺はともかくお前がさ」
「ぼく? こう見えて結構食べるよ」

そうは言っても、これでは重箱だ。
見た目の彩りと栄養バランスが綿密に計算されたお弁当を前に、カノンは天使の笑みを浮かべた。

「それに、シェラのご飯は美味しいからいくらでも食べられるんだ」

いただきます、と手を合わせる少年に倣って、キニアンも弁当に手を伸ばした。

「──あ、美味い」
「でしょう? シェラの料理は宇宙一なんだ」

嬉しそうに微笑むカノンに、キニアンも目許を和らげた。
カノンはそれを見て食事の手を休めた。
気づいたキニアンは、「何だ」と眉を上げる。

「いや……キニアンって、ちょっと父さんに似てる」
「は?」
「無愛想っていうか、仏頂面っていうか、普段はあんまり表情動かさないんだけど、たまにやさしく笑うことがあるんだよねぇ」
「……はぁ……」
「もう、シェラにベタ惚れでさぁ。ヘタレ、っていうか、犬、っていうか。仕事は出来る人なんだけど、もう、そういうの見て育っちゃってるからあんまりかっこ良く見えなくて」
「──あのさ」

珍しく多弁なカノンの話を遮ったキニアンは、呆れたようにため息をついた。

「結局、俺が無愛想でかっこ悪いって言いたいわけか?」
「え? あ、違う、違う」

誤解を与える言い方をしてしまったのか、と思ったカノンは、苦笑した謝った。

「ごめん。そうじゃなくて、美形は美形なんだけど、やっぱり笑った顔って綺麗だよなぁ、って話」

ピックに刺さったトマトを口に運んだカノンに、キニアンはしばらく難しい顔をして何かを考えていたかと思ったら、軽く首を傾げた。

「──お前、ファザコンなのか?」
「──はぁあ?!」

珍しく大きな声を出すカノンに、キニアンは「違うのか?」と首を傾げた。
そのきょとん、とした表情が、彼の長身とあまりにもそぐわない。
特大の大型犬が、耳を垂らして首を傾げているようなものだ。

「やめてよ! マザコンでシスコンな自覚ならあるけど、何で自分と同じ顔した父さんにそこまで思い入れないといけないわけ?!」
「同じ顔なのか?」
「色は違うけど、そっくりだって言われるよ。ちなみにソナタはシェラそっくり」
「ふぅん。じゃあ、相当な美形一家だな」
「おかげさまで。ちいさい頃から『天使、天使』ってもてはやされてます」
「──天使? お前が?」

吹き出しそうな顔になったキニアンに、カノンは胡乱気なまなざしを向けた。

「……何、その反応」
「いや、別に」
「別にって顔してないじゃない。笑うの堪えてるし」
「何でもない」
「何でもないなら、笑わないでよ」
「笑ってない」
「笑ってるよ。いつも無愛想なくせに」
「そうか?」
「そうだよ。鏡見たら?」
「いや、鏡見て悦ぶ趣味ないし」
「もったいないねー。顔立ちは綺麗なのにさ」

ぱくぱくとお弁当を口に運ぶカノンは、キニアンの新緑色の瞳がじっと自分を見ているのを感じて視線を向けた。

「……なに」
「いや。顔ならお前の方が綺麗なんじゃないか、と思っただけだ」
「そりゃあどうも──っていうか、その『お前』っていうの、やめてくれない?」
「何で?」
「気分良くないから。カノンでいいよ」
「何か問題あるのか?」
「だから、気分の問題。もっと平たく言うと、気安い」

これには我慢しきれず吹き出してしまったキニアンだった。
菫の瞳が思い切り睨みつけてくる。
その怒った顔も何だかおかしくて、長身の少年は腹を抱えて笑っている。
父譲りの仏頂面になったカノンに、キニアンは眦の涙を拭って言った。

「やっぱりおま──っと、カノンは、『天使』っていうよりも『女王様』だよな」
「はあ? 言われたことないけど、そんなの」
「そうか? にっこり笑った綺麗な顔の裏に高い城壁築いて腕組みして見下ろしてる女王様って感じだけどな」
「……」

ぶすっ、としたカノンとは対照的に明るい表情のキニアンは、学食とは比べ物にならない美味な食事に舌鼓を打った。

「カノンも早く食べないと、読み合わせの時間なくなるぞ」
「……もう覚えてる」
「え?」
「台詞ならもう台本丸ごと覚えてる」
「……マジで?」
「一度見れば忘れない。ぼくの特技」
「……へぇ。本当に天才だったんだな」
「別にそんなんじゃない。ちょっと記憶力がいいだけだ」
「『ちょっと』じゃないだろう、それ」
「……もう、ぼくのことはいいから、キニアンこそ早く食べて台詞覚えてよ」

言われ慣れていることのはずなのに何だか恥ずかしい気がして、カノンはずいっ、と弁当を押し付けた。
育ち盛りの少年は、きっちり半分なくなっている弁当箱の中身を見て、銀色の少年に訊ねた。

「──これって、毎日期待していいわけ?」

カノンは呆れた視線を向けながら、傲然と言い放った。

「ぼくが指定した場所まで台詞を覚えられたら、シェラに頼んであげてもいい」

その口調に、キニアンは内心でこっそり、「やっぱり女王様だよなぁ」と呟いたのだった。


本番まであと十日。
舞台での立ち稽古もだいぶ進み、この日は衣装合わせのためにカノンとキニアン、そして当然のような顔をしたソナタでアトリエに向かった。
一流の商社が軒を連ねるオフィス街へと向かっている三人だったが、この日はバスではなくエア・カーでの移動だった。

「キニアン、運転出来るんだ」
「誕生日が五月だからな。十六になってすぐに取った」
「いいなぁ。私たち十二月だから、まだ取れないもんね」
「ソナタはいいんだよ。運転なんて、男にさせておけば」

後部座席から顔を覗かせる妹にカノンがそう言うと、運転席のキニアンはちらり、と助手席に目を遣った。

「……なに」
「別に」
「言いたいことがあるなら言えば」
「特にない」
「だったら前見て運転してよ。危ないから」
「はいはい」
「返事は一回」

軽く肩をすくめるキニアンに、ソナタはコロコロと鈴が転がるような声で笑った。
カノンが振り返れば、にんまりと笑った妹の顔。

「何かー、どっかのツンデレ夫婦見てるみたーい」

きゃっきゃ、とはしゃぐソナタに、カノンは嫌そうな顔になり、キニアンは不思議そうな顔つきになった。
アトリエに着くと、三人は下にも置かない歓待を受けた。
双子にとってはいつものことだったが、キニアンはびっくりして目を丸くし、ただただ呆然と突っ立っている。

「あらー。写真で見たよりもイイ男ね~」
「まだちょっと線が細いけど、これは将来が愉しみだわ~」
「身長もまだ伸びそうだし」
「──レイチェル、今のうちに採寸を済ませておきましょう」
「──もちろんよ」

そうして、女傑ふたりにがっちり脇を固められたキニアンは、助けを求めるような視線を双子に送ったのだがきっぱり無視され、ソナタには手まで振られてしまった。

「あははー。姉様たちの獲物がまた増えたわー」
「人の困った顔って、どうしてあんなに気持ちがいいんだろうね」

にっこりと微笑むカノンに、背後から声がかけられた。

「シェラ~~~~~!」

くるっ、と振り返ってぱたぱたと尻尾を振って駆け寄ったカノンは、大好きな、大好きな人に飛びつくようにして抱きついた。
自分より僅かに長身の息子をしっかりと受け止めたシェラは、「早かったね」と笑みを浮かべた。

「キニアンが免許持ってたから、車で来たの」
「あぁ、『野獣』やる子?──あ、もしかしてエマたちに連れて行かれたのかな?」
「そう。もう、姉様たち大興奮!」
「綺麗な顔した子だったもんね。あ、写真、返しておいて」
「はぁい。わりと物静かな子で、結構パパに似てるかも」
「あぁ、それはぼくも思った」
「──そうなの?」

若干興味を引かれたらしいシェラに、双子は揃って頷いた。

「そうか。じゃあ、あとで彼も交えてお茶にしようね。アップルパイ焼いたから」
「「やったー!!」」

自宅並みとはいかないが、仕事場だというのにここにもそれなりの調理場がある。
時々シェラが遊びに来るとき以外はあまり活躍の機会がないのだが、来ればフル稼働でケーキだのクッキーだのが焼かれるのだった。

「でも、その前にカノンは衣装合わせだね」
「仮縫いまでは終わってるんだよね」
「うん。すぅごい可愛いんだから」
「それは楽しみだ」

にっこりと微笑むカノンに、シェラとソナタは顔を見合わせた。

「最初は嫌がってたのに、どうしたの?」
「うん? 何ていうか、ぼくってシェラの子だったんだなぁ、って」

同じ顔をした親子は再度目を合わせて首を傾げた。

「あ、ねぇ、髪ってどうするの?」
「どうしようか。ウィッグつけるなら、銀髪のもあるよ」
「どうせならくるくるふわふわの方が可愛いんじゃない?」
「たぶんあとでレイチェルが見てくれると思うけど」
「そっか。じゃあそれも楽しみにしていよう」

ふふふ~、と微笑むカノンに、やっぱりシェラとソナタは首を傾げたのだった。
カノンがドレスを身に纏い、シェラが真剣な表情でマチ針を打っていく。
ソナタはカフェオレ片手にその様子を楽しそうに眺めている。
こういう、仕事をしているときのシェラの表情は、ふたりとも大好きだった。
いつもよりちょっと凛々しくて、ちゃんと『男の人』の顔をしている。
束ねた髪がもったいない気もするが、緩く編まれた銀髪は、それはそれで綺麗だった。

「っていうかー、髪短いまんまでも、女の子に見えるんですけど」
「カノンは元がいいからね。何を着ても似合う」
「……じゃあ、父さんがドレス着ても似合うのかな……?」
「あぁ、うん。似合うと思うよ」

裾を直していたシェラは、顔を上げた。
にっこり笑うと、スカートの襞を直しながら手際よくマチ針を打つ。

「冗談でも誇張でも何でもなくて、『傾国の美女』になると思うなぁ」
「そうしたら、シェラ、パパのことお嫁にもらってあげる?」
「ん~。──黙って座ってるなら」

その答えに、ソナタは明るく笑い、カノンは失笑した。

「──よし。絶対可愛い!」

太鼓判を押したシェラの微笑みに、カノンも笑みを返した。
シェラが楽しそうにしているなら、何でもいいのだ。

──きゃーーーーーーっ!!

そのとき、悲鳴のような声が聞こえてきて親子三人は顔を見合わせた。
そうして、動きづらいカノンが少し遅れて、シェラとソナタは現場と思われる場所へと向かったのだ。

「──どうかしたの?」

シェラがひょっこりと顔を覗かせると、エマとレイチェルは喘ぐように呼吸をして一箇所を指差した。
そちらに目を遣ったシェラは、隣にいるソナタとともに目を真ん丸にした。
ふたり同時に口を開く。

「「──……かぁっこいい……」」

どうしたの、と後からやってきたカノンは、四人の視線の先にいる人物に目を留め──ほんの一瞬、呼吸も止めた。

「……窮屈だな」

キニアンくらいの年齢では、夜会服どころかスーツもまともに着たことはないのだろう。
呟いてスカーフを抜こうとするのをエマとレイチェルに押し止められたキニアンは、ぽかんとしてこちらを見ているファロット親子に気づいて顔を向けた。
そして彼も彼で、カノンを見たまま動きを止めた。
時が止まったような空間で、最初に口を開いたのは長身の少年だった。

「……今日見ておいて良かったな。いきなり本番だったら、せっかく覚えた台詞を忘れるところだ」

苦笑する少年にはっとしたカノンは、腕を組んでふんっ、と鼻を鳴らした。

「何それ。それって、ぼくに見惚れてたってこと?」
「そうだな」

あまりにも真っ直ぐに返ってきた言葉にカノンはぽかん、とした顔になり、ソナタは軽く口笛を吹いてシェラに窘められた。
エマとレイチェルは、声には出さないけれどきゃーきゃー騒いで音を出さないように手を打ち合わせている。
ゆっくりとカノンの前に立ったキニアンは、指先でふわふわとしたカノンの髪に触れた。
シェラに髪を撫でられるのとは、まったく別の感覚。

「鬘でも被るのか」
「……まだ決めてないけど」
「ふぅん」

キニアンはアトリエの女傑を振り返った。

「銀髪のって、あるんですか?」

こくこく頷くふたり。
あ、でも、とレイチェルが釘を刺す。

「シェラやカノンちゃんほど、見事なのはないけど……」

そうですか、と返して、キニアンはカノンに向き直った。

「どうするんだ?」
「だから、まだ決めてない」
「ふぅん」
「……なに」
「別に」
「いつもそうだ。なに。被って欲しいの? 欲しくないの?」
「この髪が伸びるならいい」
「無理」
「分かってるよ」
「長い方がいいの? だったらそう言えば?」

怒ったような口調で話すカノンを、珍しいものを見る目で見ている女傑ふたりとファロット親子だったが、何となく微笑ましくなってしまう。

「これより見劣りするんだったら、短い方がいい」
「じゃあそれでいいじゃない」
「あぁ」

キニアンの返事にようやく満足したらしいカノンは「よし」とばかりに頷いた。
そして、シェラに向き直ると「お腹空いた」とおやつを要求した。
苦笑して頷いたシェラに、キニアンが声をかける。

「──シェラさん?」
「はい?」

ヴァンツァーと同等か、それよりも僅かに背の高い少年を見上げる。
確かに、硬質な美貌と雰囲気は似ているかも知れない。
その少年が、ふわり、と微笑んだからびっくりした。

「お弁当、ありがとうございます」
「……え?」
「俺の分まで作っていただいて。お礼が遅くなってすみません」

頭を下げる少年に、シェラは慌てて顔を上げるよう促した。

「料理は趣味だから、気にしないで」
「俺、寮生活だからあんなに美味しいご飯食べたの久々で。ありがとうございます」
「お口に合ったのなら良かった。そう言ってもらえるのが、一番嬉しいんだ」

シェラもにっこりと笑っている。
女傑ふたりとソナタはいつの間にか肩を寄せてささやきあった。

「……あの子、将来愉しみなようで危ないわね」
「あれは、相当な誑しになるわよぉ~」
「……本当に、パパ見てる気になってきたわ」

そうして、女性三人はカノンに目を遣った。
腕を組んでいるカノンの顔には、トレードマークの天使の微笑みがない。
ヴァンツァー顔負けの仏頂面である。

「……あれって、シェラを取られたからかしら?」
「それとも、彼氏を取られたからかしら?」

そのときカノンがこちらを向いてにっこり笑ったので、三人は「「「ひっ」」」と一歩身を引いた。

本番までは、あと少し。




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