夏真っ盛りのある日。
ここヴァレンタイン卿の屋敷では、ごく一部だけが真冬のような冷気を放っていた。
「……何でいっつもこの面子なんだ……」
文句を言うのは、銀髪に菫の瞳が美しい天使のような少年だ。
「いいじゃないか。今日はおれの誕生日なんだから」
言うのは、こちらも素晴らしく美しい少年だ。
金色の髪を背で束ね、瞳には緑柱石が嵌め込まれている。
「それはおめでたいことです。あなたのお誕生日をお祝いすることには、別段言うことはありません」
「じゃあ何だ?」
本当に分かっていないのか、リィはきょとんとして首を傾げた。
「ですから! どうして、この男たちがここにいるんですか!!」
眉を思い切り顰め、目を吊り上げて大声を出す。
それが少女のように可憐な少年の口から出てくるものなのが残念でならない。
「おれが呼んだからだろう?」
事もなげに言うリィに、シェラは頭を抱えたくなった。
「そんなに毛嫌いしなくても、こいつらおとなしいもんじゃないか」
言って指差す少年たちがまた素晴らしい。
中央に見事な薔薇の生けられた花瓶を置いた円形のテーブルに、立っているシェラの他には四人の青少年がついている。
リィの左にはクセのある金茶の髪にくっきりした猫のような瞳が印象的な少年が。
その少年の更に左──立っているシェラの右隣──には、黒髪に藍色の瞳の艶美な少年が。
「そうそう。なかなか『一般市民』が板についてきたね」
にこにこ笑って紅茶のカップを傾けるのは、煌く黒髪を背で束ねた一番年かさの青年だ。
彼はリィとシェラの間に座っている。
「こいつらが一般市民だったら、世の中の皆さんは聖職者になります!!」
その台詞におかしそうに「きゃはは」と笑ったのは、レティシアだった。
「笑い事じゃない!!」
キッ、と紫色の壮絶な視線で射抜くが、無論気にするような男ではない。
「まあまあ、喧嘩しないで。ほら、シェラ。そろそろケーキが焼き上がるんじゃない?」
ルウに言われてシェラははっとなった。
そうだった。
今日はヴァレンタイン卿の家の台所を借りて、甘味嫌いのリィのために甘くないケーキを焼いていたのだ。
マーガレットは快くシェラに台所を貸し出してくれ、なおかつ一緒に料理やお菓子を作っていた。
今シェラは第一弾としてお茶とクッキーを持ってきたところだったのだ。
さっきここから母屋に向かった時には、リィとルウしかいなかったのに。
いかなくてはという思いと、リィの傍にレティシアを置いておく危険とを天秤に掛け、シェラは真剣に悩んでいた。
「──リィに何かしてみろ。貴様ここから無傷で帰れると思うな……」
押し殺した声でそう呻くと、レティシアはきょとんとなった。
「お嬢ちゃんじゃあ無理だろう」
「────っ!!」
思わずかっとなった。
飛び掛らなかったのは、ひとえにルウが静かに制したからに他ならない。
「ほらほら。早く行っておいで。ぼくがいるから大丈夫」
「……」
そう言われては引き下がるしかない。
しかも、自分よりもルウの方が断然腕が立つ。
「……お願いします」
レティシアにひと睨みを残し、シェラは台所へと向かった。
「まったく。どうしてリィは」
ぶつくさ文句を言いながら、それでもてきぱきとデコレーションの用意をしていく。
クリームでデコレーションをしようとすると、どうしても相当量の砂糖を使う。
だから、ビターチョコレートでのテンパリングで飾りつけをすることにした。
つるりとしたシンプルなコーティングに、チョコレートが冷えたら金粉を乗せる。
レティシアの動向は気になるが、今のところ我ながらいい出来だ、とケーキを見て微笑む。
「それは甘いのか?」
「────?!」
すぐ背後で聞こえた低音に、シェラは反射的に身構えた。
声で誰かは分かっている。
しかし、こんな近くに来るまで気付けなかった自分の失態を恥じた。
「甘いのか?」
もう一度同じ言葉をヴァンツァーは口にする。
シェラの過剰反応も気にせず、至って落ち着いた様子だ。
「──何だ?」
何をしに来た、とシェラは訊いたつもりでいた。
「だから、甘いのか、と訊いている」
呆れた様子で同じ言葉を三度口にした。
「違う。お前どうしてここに……」
「王妃に行けと言われた」
「?」
シェラの顔が懐疑的になる。
「なぜお前を寄越すんだ?」
「俺に訊くな。後で王妃に訊け」
もっともなことだった。
だが、いまひとつ腑に落ちない。
「行け、と言われたから来たのか?」
今度はヴァンツァーが首を傾げる番だ。
「意味が分からない」
「リィにそう命じられたから、来たのか?」
それで納得したのか、ヴァンツァーは緩く首を振った。
「別に命じられはしなかった。ひとりで運ぶのは大変だろうから手伝ってやれ、と言われた」
おそらく今口にしたのと同じ言葉でリィは喋ったのだろう。
「そう言われてお前はおとなしくここに来たのか?」
「あの三人が固まっている場所にいるよりは、幾分マシだ」
秀麗な美貌を顰める様子に、シェラは思わず笑ってしまった。
ごくちいさくだったのだが、気付いた相手におかしな顔をされた。
「何だ」
「別に」
短くそれだけのやりとりを交わす。
「……もう出来るのか?」
「あと少し。このチョコレートをかけて乾いたら、上に金粉を散らす。それで仕上がりだ」
しげしげとシェラの手の内を見ていたヴァンツァーは、やはり僅かに眉を寄せた。
「──甘そうだな……」
「そうでもないぞ。リィが食べられるように、ほとんど砂糖は入っていないからな」
言って湯煎で溶かしたチョコレートを、スポンジケーキの真上からかけた。
じんわりと広がっていき、端にたどり着いたチョコレートは、スポンジの側面に垂れていく。
余分なチョコレートはスポンジの下に敷いた金網から落ちる仕組みだ。
「……」
無言でその様子を見ているヴァンツァーが何だかおかしくて、シェラは微かに口許に笑みを浮かべた。
「お菓子作りに、興味があるのか?」
からかうような口調だった。
しかし、ヴァンツァーはそれに気分を害した様子もなく、静かに首を振った。
「誕生を祝われるとは、どういう気分なのかと思っただけだ」
「──……」
シェラは思わず絶句した。
確かに自分たちは、『誕生会』などしたことがない。
どの子供たちも同じように育てられたため、年齢や性別に対する関心がないのだ。
シェラ自身、誕生日を祝ってもらった記憶はない。
「……お前の……誕生日は……?」
言った瞬間ちいさく笑う気配がした。
「お前は自分の誕生日を知っているのか?」
「……」
ぐっと詰まったシェラだった。
思わず俯いて自分の手を見つめた。
自分たちは物心ついた頃には里で生活していた。
『暗殺者』になるための生活だ。
自分たちは選ばれた者なのだ、と叩き込まれた。
「以前の誕生日は知らないが、この世界に生き返ったのは春だったな」
その声にシェラは顔を上げた。
「それも、俺の誕生日ということになるかな」
チョコレートの落ちていく様を見ながら、ヴァンツァーはゆっくりと微笑んだ。
「……おめでとう」
ぼそりとシェラが呟いた言葉に、ヴァンツァーは反射的にシェラに向き大きく目を瞠った。
そのまま何も言えずにじっとシェラを見つめている。
「……な……何だ!」
噛み付くようにそう言ったシェラに、ヴァンツァーは二、三度瞬きをしてから口を開いた。
「俺の台詞だ。どういうつもりだ?」
「知るか! 私に訊くな!!」
そんなの、こっちが訊きたかった。
なんとなく、そう口にしていたのだ。
「しかも、今は真夏だぞ? 明らかに俺が生き返った時期とズレている」
そう言われると何も言い返せない。
黙っていると、追い討ちをかけるように言葉が続けられた。
「それから、今の言葉は生き返った当時の十六の俺に向けられたものか?」
それとも、この間十七になった俺に? 来年の十八の誕生日のためか? と言葉が続けられる。
「だ……だから!! 私に訊くな!!」
「お前以外の誰に訊くんだ」
嘆息されて、シェラは真っ赤になった。
「大体! お前、どうしてそう何で何でと!! 疑問ばかりぶつけてくるな!!」
責任転嫁もいいところだ。
ヴァンツァーには何の責任もない。
彼は当然の疑問を口にしただけなのだから。
「学問に携わるものは探究心を忘れたら終わりだぞ?」
授業で習ったのか、自分でそう理解したのかは分からない。
何て余計な考え方を! と憤りそうになって、シェラははっとした。
疑問を持ち、その疑問を解決しようとすることは、かつての自分やヴァンツァーにはなかったことだ。
実は今も、シェラは自分の意見を纏めたり言葉にすることが得意ではない。
それなのに、ヴァンツァーは今、明らかに彼の私見を述べている。
「──……」
呆けたように自分を見つめるシェラが余程珍しかったのだろう。
ヴァンツァーは僅かに首を傾げた。
「お前、今かなり間抜けな顔をしているが、自覚はあるか?」
まるで心配しているような言葉をかけられ、シェラはこの男にあんなことを言ったことを後悔した。
「何なんだ、お前!! 人がせっかく!!」
「それ」
言い募ろうとしたシェラだったが、ふとヴァンツァーの視線が逸れたので、それを追ってしまった。
藍色の目にはテンパリングしたケーキがある。
「……これが、何だ?」
軽く睨むようにそう言うと、ヴァンツァーが何の感情も宿さない顔でこう訊いてきた。
「俺の時も、作ってくれるのか?」
しばらくシェラの思考が止まった。
じっと男の顔を見つめ──穴が開くほど見つめ、瞬きすら出来ずにいる。
「──何だって……?」
やっとそれだけ、乾ききった喉の奥から搾り出した。
「だから、俺の誕生日にも、このケーキを焼いてくれるのか?」
先程祝いの言葉を口にしたのだから、祝う気はあるのだろう? と、そう言いたいらしい。
「ケーキが食べたいのか?」
「これは甘くないのだろう?」
「別に甘いものが嫌いならば、わざわざ食べなくても……」
「王妃には食べさせるのにか?」
返答に窮したシェラだった。
どうしてこの男はさっきから答えにくい質問ばかり投げかけてくるのか。
いい加減にしてもらいた。
「作ってくれないのか?」
「……」
その言い方が、何だか拗ねた子供の口調のような気がして──本人には聞かせられないが──シェラは少し笑った。
「作らない」
そう言うと、僅かにヴァンツァーが顔を顰めた気がした。
だからシェラはまた笑いたくなったが、何とか我慢した。
「それは作らない」
「……?」
困惑の色が、きついはずの藍色の瞳に浮かぶ。
そういう表情をすると、ひどく幼く見えるから不思議だ。
「お前が食べられるものを用意しよう」
自分に納得させるようにそう頷くと、シェラは作業を再開した。
シェラの背後に立ち、ヴァンツァーは相変わらず静かにその様子を見ていた。
そんな彼の顔には珍しく、とても満足そうな微笑が浮かんでいたのだった──。
END.