三月とはいえ、まだ寒い日が続く。
それでも、花の蕾がふくらんできているのを見れば、不思議と心が躍る。
今日も今日とて、シェラは可愛い子どもたちのためにケーキを焼いている。
本日のおやつはシフォンケーキである。
ケーキそのものは午前中に焼いたのだが、冷ますのに時間がかかるため、デコレーションするのは子どもたちが帰ってくる頃になる。
さすがに今日のデコレーションは子どもたちと一緒にやるわけにはいかないが、できあがったものを見るだけでも喜んでくれるだろうことが分かる。
今までケーキは数え切れないほど作ってきたシェラだったが、今作ろうとしているケーキは初めて作るものだった。
いや、シフォンケーキそのものは幾度も作った。
しかし、『ピンクのシフォン』は、初めてなのだ。
この時期だから、『ピンク』の素は苺を使う。
シフォンケーキそのものにも苺のピュレを混ぜて焼き上げた。
焼き上がりは悪くない。
オーヴンを開けたときには、ふわりと苺の香りもした。
これからピンク色の生クリームを作るのだが、その前に子どもたちのお迎えだ。
「きょうのおやつはなぁに?」
広大な敷地の入り口から、親子三人、仲良く手を繋いで歩く。
「今日は、苺のシフォンケーキだよ」
「いちご?!」
「いちご、たくさん?!」
この季節、苺が大好きな子どもたちにとっては天国だ。
「うん。たくさん。──今日は、生クリームにも苺を混ぜるからね」
「いちごのあじの、クリーム?!」
「シフォンケーキも、苺味だよ」
「ぜんぶいちご?!」
「そのままの苺も乗せるから、全部、苺」
にっこりとシェラが微笑めば、双子はしっかり手を繋いだまま飛び上がって喜んだ。
きゃっきゃ、きゃっきゃと興奮しっぱなしのカノンとソナタの様子に、シェラも満面の笑みを浮かべている。
家に着くと、子どもたちには手を洗わせ、シェラは苺クリームの準備を始めた。
「あらったよ」
「みてていい?」
「うん。いいよ」
キッチンにいては背の低い子どもたちにシェラの手元は見えない。
カウンター越しに身を乗り出す。
子どもたちの視線を感じながら、ボウルに生クリームと砂糖を入れ、ハンドミキサーで泡立てる。
今日はデコレーション用に八分立てにするから、多少混ぜたところで苺のピュレを加えた。
真っ白い生クリームにピュレを加え、ハンドミキサーで混ぜると、ふわっと苺の赤味が浮き上がる。
「わぁ!!」
「すごぉい!!」
生クリームの白と苺の赤で、クリームは淡いピンク色になった。
苺のクリームを作るのはシェラにとっても初めての試みなので、この変化には感動を覚えた。
「ピンクだ!」とソナタが言えば、「かわいい!」とカノンも興奮気味に口を開く。
程よくできあがったクリームを、ペロリと舐めて味見するシェラ。
上出来、と頷いた彼は、異様なまでの熱視線を感じて顔を上げた。
むろん、その主は子どもたちだ。
頬は苺のように赤く染まっているし、藍色と紫色の瞳は爛々と輝いている。
実に愛らしい獣たちだ。
「──味見、する?」
苦笑するシェラの元に、否定の言葉が返ってくるわけがなかった。
「お皿用意してくるから、零さないようにね」
ボウルとスプーンを渡し、テーブルのセッティングを行う。
キッチンから出て、ダイニングにある食器棚から皿とフォークを取り出してクロスを敷いたテーブルに置き、「さて、デコレーションだ」と思ったところで、けたたましい泣き声が聞こえてきた。
びっくりして振り返ると、スプーンを握りしめたカノンとソナタが泣いている。
「──ど、どうしたの?!」
慌てて駆け寄る。
「ご……ひっく、っく……ごめ、ごめんなさぁい」
「ごめ、……なさいぃ……」
泣きながら謝る子どもを前に、わけが分からずシェラはあたふたした。
「どうしたの?」
喧嘩をした様子はないから、余計に分からない。
「っく、んっく……おい、し……かったの」
「え?」
「いち、ごの、……おい、しかったの……」
首を傾げたシェラだったが、ボウルの中を見て目を丸くした。
そうして、納得したのである。
「おい、しかった……からっ……」
ぎゅっと抱きついてくる子どもたち。
「──いっぱい食べちゃったんだね」
こくん、と頷くふたつの頭。
あの短時間で、こんなにちいさな子どもたちがどうやって食べたのか、ボウルの中身が半分に減っている。
「……ごめん、なさい」
「ごめ、っく……なさい……」
ふむ、と息を吐き、黒と銀の頭を撫でる。
「泣かないでいいよ。また、作ればいいんだから」
まさかこんなに食べるとは思ってなかったが、ボウルごと渡した自分もいけない。
「……おこってない……?」
「シェラ、おこらない……?」
「美味しかったの?」
いつもと変わらず美しく、穏やかなシェラに、ソナタもカノンもこくん、と頷いた。
「それは良かった。初めて作るから、ちょっと心配だったんだ」
気に入ってもらえて良かった、と微笑む。
「シェラのつくるのは、なんでもおいしいよ」
「みんなすき」
まだ涙に濡れた瞳で見上げてくる子どもたちを、シェラはぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。……もう、おなかいっぱいになっちゃった?」
「ううん」
「どうして?」
「これからまた苺のクリーム作るけど、おなかいっぱいだとケーキ食べられないでしょう?」
双子は慌てて首を振った。
「たべる!」
「ケーキ、たべる!」
くすくす笑ったシェラは、「ちょっと待っててね」と言うと、半分になったボウルを手にキッチンへ入った。
「──ということが、あった」
子どもたちを寝かしつけたシェラは、その間にお茶の用意をしていた男に、昼間のできごとを話して聞かせた。
「作り甲斐があるな」
自分には縁のない話だ、とは思いつつも、ヴァンツァーは機嫌の良さそうなシェラの様子に満足しながら聞いていた。
「そうなんだ。ケーキも、ふたりともきっちり一人前食べてくれたし」
夕飯も残さなかった、と嬉しそうな声。
「──だから、お裾分け」
ソファに腰掛けるヴァンツァーの前に、皿を置く。
甘味が苦手だということは知っているが、一応どういうものを作って、どんな味を子どもたちが喜んだのかは知ってもらいたい。
「良ければ、ひと口どうぞ」
一人前に切り分けてはあるが、リィほどの拒絶反応は見せないにしろ、不得手なものを完食しろ、とは言えない。
けれど、濃いめに淹れたコーヒーがあれば、ひと口くらい食べられるだろう。
「確かに、可愛いな」
皿を手に取るヴァンツァー。
子どもたち──特にカノン──が好みそうな、淡いピンク色。
ところどころ苺の種が見えるのが、アクセントになっている。
フォークでひと口大に切り、口へ運ぶ。
「────……」
藍色の瞳が瞠られる。
ピタリ、と動きを止めたまま動かない男に、シェラは不安を煽られた。
「……やっぱり、甘い……よな」
分かってはいたのだが、苺の酸味もあるし、飲み込めないほどに甘く作ってはいないのだが……とヴァンツァーのカップに手を伸ばす。
コーヒーで流し込んでもらおう、と思ったのだ。
「──美味い」
今度はシェラが目を瞠る番だった。
「え……?」
シェラに言葉を返さず、ヴァンツァーはまたひと口、ケーキを口へ運んだ。
確かに甘い物は苦手だが、これは食べられる──というよりも、純粋に美味しいと思う。
シフォン自体にも苺のピュレが入っているのだろう。
クリームほどではないが、ほのかに苺の風味が広がる。
黙々と食べていたが、ふと視線に気付いてシェラに顔を向け──ぎょっとした。
皿を、取り落としこそしなかったが、彼にしては珍しく、ちいさな音を立ててテーブルに置く。
「シェラ……?」
はらはらと頬を濡らすものが何なのか、考える間もなく手を伸ばしていた。
指先で拭えば、不思議そうに菫の瞳が見つめてくる。
自分が泣いていることに、気付いていないのかも知れない。
この銀色が泣くようなことをした覚えのないヴァンツァーは、懸命に己の心臓を宥めつつ、「どうした?」と問い掛けた。
案の定、「え?」と気の抜けた返事。
「……何もないなら、いい」
そっと細い肩を引き寄せる。
髪を梳いていれば、そのうち落ち着くだろう。
抵抗しないところを見ると、怒っているのではないらしい。
一安心して、軽く息を吐く。
「……美味しかった……?」
ポツリと呟かれた言葉に一瞬何を言われているのか、と思ったが、ヴァンツァーは頷きを返した。
「子どもたちの勢いも、分かるよ」
まさかこの男が子どもたちと同じように食べるわけはないが、シェラはちいさく笑った。
「うれしい……」
肩に頬をすり寄せる。
またひと筋、頬を涙が伝う。
──と、リビングの扉が開く。
「シェラ?」
カノンの声だ。
思わず顔を上げるシェラを見て、カノンも、隣にいるソナタも目を丸くした。
慌てて駆けてくる。
「だいじょうぶ?!」
「おなかいたい?!」
あたふたと、どうしていいのか分からずシェラの膝にまとわりつく双子。
決して、父に向かって「シェラをいじめちゃだめ!」とは言わない。
そんなことはあり得ない、と知っているからだ。
「パパ、シェラどうしたの?」
「シェラ、へいき?」
半ばパニックを起こしている子どもたちに、シェラは苦笑して「平気だよ」と答えてやった。
「ちょっとね、嬉しかったの」
首を傾げる双子の頭を撫でる。
「ヴァンツァーがね、ケーキを『美味しい』って、食べてくれたんだよ」
「うん。シェラのケーキ、おいしいよ?」
「なのに、ないちゃったの?」
不思議そうな顔をしている双子を、ヴァンツァーが抱き上げて膝に乗せる。
「哀しいときとか、痛いときだけじゃなくて、人は嬉しくても泣くんだ」
自分が口にした『人』という言葉に、内心苦笑する。
「シェラは、うれしくてないたの?」
「いたくないの?」
ヴァンツァーの膝の上から、シェラをじっと見つめている。
涙を拭うと、シェラはにっこり微笑んだ。
「みんなに美味しいって言ってもらえて、嬉しかったの。びっくりさせちゃってごめんね」
顔を見合わせた双子だったが、ソナタがポン、と手を叩いた。
「シェラは、『しあわせ』だったのね!」
幼い娘の言葉に、両親は目を丸くした。
けれど、何も間違ったことは言っていないのでシェラは頷いた。
「うん、そう。幸せだったの」
おいで、と手を伸ばせば、ソナタは素直にシェラに飛びつく。
カノンも同様だ。
「ソナタも!」
「カノンも!」
きゅっと腕を回し、シェラの胸に頬をこすりつける。
コアラのようにシェラにしがみついたまま、ふたりして今度はヴァンツァーをじっと見つめる。
その二対の瞳が訴えているところに気付かない男ではなく、口元を綻ばせた。
「俺も、だ」
言った途端、「「きゃあ!」」と歓声が上がったのである。
すっかり目が覚めて、しかも興奮している子どもたちは、今夜は両親と一緒に眠ることになった。
大好きなシェラとヴァンツァーに挟まれ、抱きしめられて、ちいさな天使たちは安心して眠りについた。
すやすやと健やかな寝息を立てる子どもたちに自然と頬が緩むのを感じたシェラも、その日はいつになく穏やかに、眠りの淵へと誘われていった──。
END.