St. Valentine’s Day~おまけ~

にこやかな対応と共にドアを開けたシェラにかけられた第一声は、

「取り込み中だったら出直すぜ?」

金茶の髪と瞳の、猫のような敏捷さを持った小柄で細身の外科医が、にんまりと笑って言ったものだ。

「何だ。先客がいたのか?」

わずかに首を傾げる青年は、純金を溶かしたような長い金色の髪をしていて、その瞳にはエメラルドがはめ込まれている。

「エディ……そういう意味じゃないよ……」

困ったように、呆れたように耳打ちするのは、星空さながらの煌きを持った黒髪と、澄んだ青い瞳の青年だ。
そろいも揃ったり、の美形集団である。
この三人にこの家の主人と同居人が加わるのだから、リビングの状況は目の保養を通り越して目に毒である。
レティシアの言葉は綺麗に無視して、シェラは作りかけだった料理を仕上げようと台所へ向かう。

「よお、ヴァッツ!」

片手を挙げて、寝室から出てきた青年に笑顔を向ける。
この家の二階はすべて布やら型紙やらに占領されているため、必然的に居住空間は一階に限定される。
台所とダイニングからドア一枚奥にリビングがあり、その左右の壁に一部屋ずつ、リビングのさらに奥にもう一部屋。
ヴァンツァーが出てきたのは、その最奥の部屋からだった。
広いリビングの中央に、テーブルを囲むように置かれたソファで三人は寛いでいるわけだ。
部屋を出たヴァンツァーが顔を見ることのできる位置に、リィとルウは並んで腰を下ろしている。
レティシアは後ろを振り返ってこちらを見ている──つまり彼は上座にいるのだ。

「何でお前そこから出てくんの?」

いくつになっても、悪戯好きの子どものような表情をする。

「……横になっていた」
「こんな時間から? 俺たちが来るってのにか?」

レティシアは、さあ吐け、と言わんばかりの口調だ。

「知らされていなかったからな」

無表情のまま、ソファの三人を見据えるように寝室のドアに背中を預ける。

「あれ? シェラには言ったんだけど?」

ルウが目を丸くする。
あの律儀なシェラが、家の持ち主に何も伝えていないというのは考えづらい。

「さっき聞いた」

そういうと、台所へ向かおうとする。

「何だ、黒すけ。座らないのか?」
「一応客だからな。茶の一杯も出さないわけにいかないだろう?」

この青年も、なかなかどうして律儀である。

「お嬢ちゃんに任せておけばいいじゃねえかよ」

名人級と定評のあるシェラの淹れるお茶や手製のお菓子は、代金を取れるくらいにおいしかった。
もちろん、甘味を天敵とするリィに配慮した甘くないものも作っている。
だから、今まで誰もこの年若い主人の淹れるお茶というものを飲んだことがない。

「料理がまだ出来ていないんだ。紅茶はともかく、コーヒーは豆を挽くところから始めなければならないからな」
「だからよ。全部任せたって、嬢ちゃん失敗なんかしねえっての」

にい、っと表情を歪めるレティシアに、ヴァンツァーは呆れたように嘆息した。
明らかに面白がっている表情だったからだ。

「お茶もいいけど、俺は食前酒の方がいいな」

リィが飲んだら嗜む程度の酒量で済むわけがない。
それでぬけぬけと『食前酒』などと口にするのだから太い神経である。

「そういやこの家、すっげえいい酒あんだよなあ」

優秀とはいえ、開業しているわけではない外科医は、ヴァンツァーほどの稼ぎがあるわけではなかった。

「よおっし! 酒盛りしようぜ、酒盛り!!」
「レティー、君のじゃないでしょう?」

出会ってからというもの、外見的にまったく年を取らない黒い天使は、時々ものすごく常識的なことを口にする。

「何言ってんだよ! 世間はヴァレンタインで浮かれてんのに、俺たち男五人だぜ?! 飲まなきゃやってらんねえよ!!」

見た目もノリも良く、将来有望な医者がモテないわけがないのだが、どういうわけかレティシアはこの面子で集まるのが好きなのだ。
今日この日に会合を予定したのも、レティシアだった。

「なあ、ヴァッツ。やってらんねえよな?」
「どうして俺に振る?」
「ああ、そっか悪い悪い。お前はお相手いるんだよな」

途端に藍色の瞳が、心底嫌そうな色を浮かべた。
直してもらった機嫌が、急下降していく。

「ようやく、その『お相手』をしてもらえそうだったんだがな」
「…………」

酷薄な笑みを浮かべて、絶句するレティシアの隣に腰掛ける。
ふわり、と月下美人の香り。
テーブルを挟んでいても、獣並みの嗅覚を有しているリィにはそれが分かった。
自分が珍しく嫌いじゃない香りだったから、よく覚えている。

「それシェラがつけてたやつだろう? お前も同じものつけてるのか?」

そんなわけあるか、と叫びたい衝動にレティシアは駆られた。

「わあ……もしかして、本当にお取り込み中だった、のかな……?」

ルウが居心地悪そうに身じろぎする。 リィだけが意味が分からず首を傾げる。

「……ん? 待てよ。ようやく?」

外科医は訝しげに首を捻って、ひた、と隣の青年を見た。

「ようやく?」

繰り返す。

「それが?」

口許にのみ浮かべられた笑みが怖かった。
なまじ顔の造作が整いすぎているため、作り物めいた印象を受ける。

「……冗談だろう? 嬢ちゃんここ来て何年だよ」
「今月の末でちょうど四年だ」
「よ──?!」

頭を抱えたレティシアだった。

「おい! せっかくの俺のレクチャー何無駄にしてんだよ?!」

猫眼の青年に講釈されるほど『専門家』としての腕は落ちていないのだが、その言葉を言われたのも、もう随分前の話だ。

「さっき実践に移したが?」

滅多に浮かべない微笑なんぞを貼り付け、そう言われてしまうと返す言葉がなかった。
レティシアの不用意な一言で、天井の高い開放的なリビングに、重い沈黙が訪れた。
意味は分からなかったがリィもその空気は感じられた。
誰か何とかしてくれ。 もうこれは他力本願と言われようが構うことはなかった。
誰でもいいから、何とかしてくれ。

「すみません、お待たせして」

と、コーヒー、紅茶にクッキーを持ってきたシェラが、客人三人には本当に天使に見えた──。




TRUE END?

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