「ねぇ、シェラってかみのけきらないの?」
幼稚園から帰ってきた双子は、今日も今日とてシェラがふたりのために作ったショートケーキを頬張っている。
「髪?」
双子の向かいの席で首を傾げると、ソナタがこくんと頷いた。
「マリーせんせいがね、きのうかみきったんだって」
「なつはあついからって」
ソナタの言葉にカノンも便乗する。
「シェラはあつくないの?」
腰にまで届く見事な銀髪をまじまじと見つめる可愛い双子の子どもたちに、シェラは苦笑を返した。
「まぁ、もう慣れちゃってるからね。──それに、切ると誰かさんが怒るから」
名前を言わずとも、勘の良い双子はピンときたようである。
「パパ?」
「パパは、かみのみじかいシェラきらいなの?」
「……さぁ、どうだろう?」
「どんなシェラでもかわいいよ」
カノンがにっこりと微笑む。
この息子にとって、シェラとソナタは等しく『可愛い』存在らしく、よくこの言葉を口にする。
「だからね、かみがみじかくてもすきだとおもう」
「ありがとう」
ふふ、っと笑って、カノンの口許についている生クリームを指で掬ってペロリと舐める。
「ソナタ、かみのみじかいシェラもみてみたいなぁ」
市販されているものと違い、シェラの作るショートケーキは苺で埋め尽くされている。
その苺を全部退かしてまずはケーキを食べ、最後に苺だけを食べるのがソナタ流である。
残しておいた苺を全部食べてしまい、カノンの皿に目を移す。
ホールで作るケーキだからまだ数ピース残っているが、さすがにケーキはもう入らない。
苺だけ、食べたいのである。
カノンは端から苺も含めてケーキを食べていくのだが、まだ丸々三つ苺が残っているのだ。
「……あげる」
カノンは、じっとこちらを見てくる妹に自分の皿を差し出した。
「──いいの?!」
ソナタがぱぁぁっと顔を輝かせる。
嬉しそうな妹の笑顔を見て、カノンはにこにこ笑って頷いた。
「……もういらないの?」
ところが、悲しげに沈んだ声が聞こえてきて、カノンはぎょっとしてそちらを見た。
「あ、ち、ちがうよ、シェラ!」
案の定今にも泣きそうなシェラの顔に出会ってしまって、年長さんとはいえ幼稚園児であるカノンはおたおたした。
彼は妹とシェラの涙に滅法弱いのである。
「あの、あのね、ソ、ソナタがいちごたべたいからね」
まだケーキ食べたいけど、あげるのだ、と早口に喋る。
いつもはおっとりとしたカノンが、半ばパニックを起こしかけていた。
「じゃあ、ソナタ。苺まだあるから、それはカノンに返してあげて」
「うん!」
苺さえもらえればご満悦のソナタは、「はい」と皿を兄の前に戻してやった。
カノンは先程までよりも速いペースでケーキを口に運んだ。
「おいしいね! シェラのケーキ、だいすき!」
紛れもないカノンの本心だが、まだ表情が晴れないシェラに対する気遣いでもあった──幼稚園児に気を使わせる親もどうかと思うが。
「そう、良かった」
ようやくシェラが笑ってくれて、カノンはほっとした面持ちで絞りたてのオレンジジュースをこくこく飲んだ。
キッチンからヘタを取り除いた苺を皿に盛りつけて持ってきたシェラに、ソナタは再び言った。
「ソナタね、シェラとおかおにてるねっていわれるの」
「うん。似てるね」
「ソナタ、シェラがだいすきだから、とってもうれしいの。……でもね、かみのけがちがうの」
肩で切り揃えられた黒髪を、ちょこんと摘んで眉を下げる。
「ソナタもね、シェラみたいにながくなりたいの」
シェラはくすくすと笑った。
「うん。でも、すぐには伸びないからねぇ」
「だからね、シェラがおんなじにして!」
目の前に苺の乗った皿がやって来た嬉しさを表に出した満面の笑みと勢いで、ソナタは言った。
「……」
正直、シェラは困った。
髪を切ることに関して、個人的にはまったく異存はないのだ。
長いと洗うのも大変だし、まめに手入れをしてやらないと荒れてしまう。
細い髪質ではあるが、さすがに腰まで伸ばすと重い。
──だが、ヴァンツァーが良い顔をしないのも知っている。
というか、ほとんど唯一あの男が怒る原因がそれなのである。
切ってもまた伸びるし、とシェラが言っても「ダメ」の一点張り。
──もちろん、時折モデルとして働く以上、デザイナーの意向に沿う容姿を保つことは必要なのだが……。
「ソナタ、だいすきなシェラとおんなじがいいな」
可愛い愛娘に無敵の笑顔でお願いされて、断れる親が世の中にいるのだろうか。
「……じゃあ、ヴァンツァーが帰ってきたら訊いてみるね。ほら、お仕事で切っちゃダメかも知れないし」
あっという間に苺を平らげたソナタは、にっこり笑ってこくんと頷いた。
「──ダメだ」
切り出した途端、間髪入れずに答えが返ってきた。
そうだろうと思っていたが、可愛い娘のためにシェラは食い下がった。
「ソナタが、私と同じ髪型がいいんだって……」
「それなら、ソナタが伸ばせばいい」
「今、一緒にしたいって──」
「子どもの我が儘にいちいち付き合うな」
さすがにこれにはむっとしたシェラである。
「お前だって、似たようなものじゃないか」
「何がだ」
「髪くらい、切ったっていいだろう」
「何度も言わせるな」
「だから理由は」
違和感を感じないほどの短い沈黙ののち、ヴァンツァーは口を開いた。
「……仕事に差し支える」
「デザイン描くには支障ないはずだ。ウィッグだって構わないわけだし」
そこまで言うと、頭ひとつ分上から藍色の目が見下ろしてきた。
「俺に、偽物で我慢しろと言うのか?」
「──そういう意味じゃ……最近のウィッグは精巧だし、切った髪で作ったっていいし」
「却下」
「……」
──このように、この話題だけは取り付く島がないのである。
そして、可愛い子どもの喜ぶ顔と、理由もろくに話さない横柄な男のどちらを取るか、と言われれば、答えは決まっていた。
────それがどんな未来を導くか、深く考えもせずに。
「「おかえり~!」」
玄関の開く気配がすると、双子はお迎えに飛び出す。
今日はいつもよりヴァンツァーの帰宅が早い。
子どもたちは瞳をきらきらと輝かせ、頬を紅潮させて父親に抱きついた。
「ただいま」
いつものように抱き上げて頬にキスをしてやると、ソナタが焦ったように喋り出した。
「パパ! ソナタとおんなじなの!」
「うん?」
首を傾げたヴァンツァーに、今度はカノンが解説してやった。
「シェラ、ソナタとおなじでかわいいの!」
「……」
ね~、っと喜色満面な双子とは対照的に、一瞬でヴァンツァーの表情が消えた。
双子を床に下ろし、足早にダイニングへ向かう。
首を傾げて顔を見合わせ、双子は父のあとをついていった。
「──……そんな気が、したんだ……」
キッチンのシェラを見るなり、ヴァンツァーは途方に暮れた子どものようにそう呟いた。
その声のあまりの弱さに、シェラは調理の手を止めた。
上げた顔の横で毛先が揺れる。
最期の時に見た姿とそっくり同じ容姿。
この世界へ来た頃と同じように、そして、子どもたちを産んだ頃と同じように、短くされた銀髪。
肩に触れるか否かというところで切り揃えられている。
確かに、ソナタと同じ髪型である。
「……ヴァンツァー?」
怒られることならば予想していたのだが、こんな崩れ落ちそうな顔をされるとは思っていなかった。
「……お前は、本当に……」
力なくシェラを見たヴァンツァーは、それ以上の言葉を紡ぐ力もないのか、諦めたようにダイニングを後にしてしまった。
ダイニングへ戻ってきた双子は、生気のない父の背中を見送った。
「シェラ?」
「パパ、どうしたの?」
呼びかけても返事をしてくれないシェラにふたりは近寄り、服の裾を引いた。
「──え? あ、ごめん、なに?」
はっとして目線を下げてきたシェラに、ソナタが同じことを訊いた。
シェラは返事に窮し、あまりできが良いとは言えない笑みを浮かべた。
耳に、短くした髪を掛ける。
「……たぶん、お仕事で疲れてるんだよ」
原因が分かっていたとしても、それを口にするわけにはいかなかった。
「シェラかわいいのにね~」
「ね~。ソナタとシェラそっくりなのにね~」
妹の言葉に、カノンがにこにこ笑って頷く。
「パパ、シェラのことぎゅうしないね」
「ね。かえってきたら『かわいいね』ってぎゅうするとおもったのに」
「ソナタたちしたのにね」
「うん。シェラかわいい」
きゃっきゃと笑ってシェラの脚に抱きつく双子。
無邪気なその様子に、シェラは「こらこら」と頭を撫でた。
「お料理できなくなっちゃうでしょう? ご飯いらないの?」
双子ははっとして飛び退いた。
「ダメ! たべる!」
「シェラのごはん、いっぱいたべる!」
冗談ではない、と言いたげな子どもたちの姿に僅かに癒されながら、シェラは視線をリビングへと続く扉へ向けた。
──しばらく、昨今目にすることのなかった濁った藍色の瞳が、頭に焼きついて離れなかった。
夕飯も食べずに床に就いた父を、双子はいたく心配した。
病気になったところなど見たことがなかったが、具合でも悪いのだろうか。
シェラにそう言うと、「きっと疲れてるだけだから」と同じ言葉を繰り返すばかり。
心配しながらも、シェラに寝かしつけられて双子は夢の世界の住人となった。
寝室には、間接照明すら灯されていなかった。
むろん、目の良いシェラはそんなものがなくとも動き回るのに支障などないが、何とはなしに不安が煽られる。
こちらに背を向けて眠っている男の横に滑り込もうとして、躊躇ったあと奥へ廻り込んだ。
キングサイズのベッドだから、自分のために空けられていた方とは逆にヴァンツァーの向かい側でも十分眠れる。
表情を見たくてそちらを選んだわけだが、規則正しい寝息を立てている。
気配に敏感な男に気取られないようため息を吐くと、シェラはそのまま上掛けを持ち上げ、ベッドに腰掛けた。
そっと、額に掛かる黒髪を梳いた。
色こそ違えど、カノンと同じやわらかな髪。
自分が髪を切ったくらいでふてくされて寝てしまうなんて、双子以上に子どもだ。
呆れてものも言えないが、それでも、あんな表情と目をされるくらいなら、もう髪は切らないと決めた。
きっと、ソナタももう満足しているだろう。
あとは一緒に伸びるのを待てばいい。
もう少し成長すれば、同じ髪型を求めることもなくなるだろうから。
そう思い、ヴァンツァーの髪を梳きながら口許にちいさな笑みを浮かべた。
──と、ヴァンツァーが寝返りを打ち、仰向けになった。
起こしたか、と思ったが、それは杞憂だったらしい。
先程寝かしつけてきた子どもたちと同じく、健やかな寝息。
あどけなく見える寝顔まで、本当に子どものよう。
カノンも大きくなったらこんな寝顔を恋人に見せるのだろうか。
「……」
──この男は、どうなのだろう。
今まで、何人の女性にこの姿を見せてきたのか。
行者として、──また、ひとりの男として。
外部のものと情を通じるのは、行者にとって珍しいことではない。
この男にも、幾人か子どもがいたかも知れないのだ。
そして、この世界に生き返ってからも。
当然のことだ。
別に、それが嫌なわけでもない。
仕事が忙しいことを言い訳にせず、しっかりと子どもたちの面倒を見る男に、感謝もしている。
浮気くらいなら構わない、と言ったこともある。
──それならば、このやるせない気持ちは何なのだろう。
チリチリと焼け付くような胸の痛みを理解できないまま、シェラはヴァンツァーの頬に手を添えた。
やわらかさなど望めないが、きめの細かい肌。
眠るときに上着など着ない男は、仕事に向かうときのストイックなスーツ姿など思いもよらない無防備な寝姿をしている。
本当に、服に隠されてしまうのがもったいない身体。
鋼のように鍛えられた、それでいて鞭のようにしなやかな肉体は、贅肉はおろか、無駄な筋肉すらついていない。
「……」
この男と死闘を繰り広げて生きている人間は自分ひとりだと断言できる──この男は、『本物』だ。
「……」
しかし、この身体の強靭さと熱を知って生きている人間は、そうではない。
「まったく……」
ほとんど吐息で言葉を紡ぎ、そのまま身体を倒して軽く唇を重ねる──と、次の瞬間には天井を、正確にはヴァンツァーの顔を見上げていた。
「──起こすなよ」
薄氷のような笑みをたたえた唇が、低い声を紡ぐ。
「……起きてたくせに」
微妙に、視線が噛み合わない。
こちらの瞳の奥を覗くように目を合わせるのがこの男の癖なのに。
こういうときにはいつも面白がって煌く瞳に光がない。
肩を掴む手は、シーツに押し付けるというよりも砕こうとしているかのよう。
そんな自分の有様にも、気付いていないように見える。
「……」
言い知れぬ不安に、シェラは眉を寄せた。
行者としての技量を問うなら、躊躇いなくこの男を『強い』と言い切れる。
そんなもの、自分が一番よく知っている──だが、同時にこの男はひどく脆い一面がある。
それも、自分が一番よく知っている……────それを、今、思い出した。
「……どうした?」
問い掛けると、くっと形の良い唇が吊り上った。
「お前が、それを訊くのか?」
「……」
目の前の男に気取られないよう、シェラは内心でため息を吐いた。
「髪なんか、またすぐに伸びる」
「あの長さまで? すぐに伸びる?」
「……切った髪でウィッグを作るように頼んだし──」
「そんな偽物、いらない」
「ヴァンツァー」
「……そんな偽物では、意味がない」
一度身体を離れた偽物では、シェラを縛れない。
伸ばした髪の長さの分だけ──その、重さの分だけ……。
そう、思っていたのに。
今回髪を切ったのは、あのときとは理由が違う。
子どものためだ。
この銀色は、きっと、いつでも自分の元を離れて行ける。
「……切るな、と言ったのに」
きっと、自分を殺したから──何よりも避けたかった望みを叶えたから、シェラは、もう自分の頼みなど聞かないのだ。
「本当に子どもだな」
呆れ返った声音に、ヴァンツァーは妙に納得してしまった。
「──……その方が、良かった」
「なに?」
──どうせ生き返るなら、もっとずっとちいさな子どもにしてくれれば良かったのに。
かつての記憶も能力もいらない。
何も知らない、何の力もない子どもとして生き返ったら、きっと……。
「それでも、分かるのに……」
かつての記憶などなくても、どれだけ外見が変わっていても、惹かれていたはずなのだから。
「ヴァンツァー……?」
訝しげに見上げてくるシェラを、ヴァンツァーは無性に、──『欲しい』、と思った。
「「……パパ~、おはよおぉぅ……」」
まだ眠いのか、目を擦りながら声を揃える子どもたち。
仕草までそっくり同じで、外見は違えどこういうときは双子なのだと思う。
「おはよう」
ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいたヴァンツァーは、腕を広げながらてってけやってきた双子を抱き上げた。
「シェラは?」
うつらうつらと寝そうになっているカノンの横で、ソナタが首を傾げた。
「まだ寝てるよ」
そう言うと、大きな藍色の瞳が丸くなった。
「シェラ、おねぼうさんなの?」
なんて珍しい、と思っている顔の横でカノンが茫然としているのに気付き、ヴァンツァーは声を掛けた。
すると一言、ポツリとカノンは呟いた。
「……ごはん……」
ほんの少し前まで寝そうだったのに、一大事だ、と思っているに違いない蒼白な顔の息子の頭を、父はポンポン撫でて宥めた。
「今日は俺の料理で我慢してくれ」
「ソナタ、パパのごはんもすき~!」
ぎゅっと抱きついてきたソナタの背を抱き返し、ヴァンツァーはカノンに視線を送った。
見上げた藍色の瞳に、カノンは肩を揺らした。
「──……パパ……?」
呟いて瞬きをすると、一瞬前に感じた違和感のようなものは消え去っていた。
「どうした?」
いつもと同じように微笑みかけてくる、やさしい父の顔だ。
「……ううん」
ふるふると銀色の頭を振るカノン。
そして、にっこりと微笑んだ。
「おなかすいちゃった」
ソナタと同じようにきゅっと抱きつくと、ヴァンツァーは「少し待っていろ」と言い置いて子どもたちをそれぞれの席に座らせた。
「……」
頼もしいはずの大きな背中。
カノンは胸の前で手を握り、不安げな顔で見送った──。
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