「旨いっ!!」
「おいしいねえ」
「やっぱりシェラの料理は格別だな」
三者三様の、しかし内容的には同一な感想を口にしているのは、一仕事終えた医者と、なぜか連絡もしていないのに駆けつけたリィとルウだった。
ふたり分の食事しか用意していないのだが、そこはシェラの腕の見せ所だ。
鮮やかな手並みで他にもいくつか料理を作り、あっという間にテーブルに並べて見せた。
「ありがとうございます」
謝辞を述べるシェラの顔はにこやかで、数十分前までの恐慌状態が嘘のようだ。
「ところで、リィとルウはどうしてここに?」
自分の食事はそっちのけで給仕をしていたシェラだったが、食事がひと段落したのを見計らって問いを口にした。
「うん。何だか嫌な感じがしてね。手札で占ってみたんだ」
そうしたらヴァンツァーが倒れたようだったから。
食後のデザートとお茶に舌鼓を打ちながら、長い黒髪を背で束ねたルウが答える。
「慌ててエディを迎えに行って、そのままここに来たんだ」
視線を投げかけられたリィは、ひとつ息を吐いてシェラに話しかける。
「ルーファがいきなり俺の前に現れて、問答無用でここに飛んできたんだ。着いたら黒すけはあの有様だろう?
よくシェラはレティーに連絡したなって、ルーファと感心してたんだ」
「…………」
言われたシェラは黙るしかない。
自分でもどうしてあの時連絡したのがレティシアだったのか、よく分からないのだ。
リィにだったらまだ分かるのに。
「それ多分俺が一番びっくりしたぜ」
ケラケラと笑うレティシアの顔は、ここに着いたときとは打って変わって緩みっぱなしだ。
と、この四人大騒ぎしているように聞こえるかもしれないが、実はかなり小声で話している。
常人には真似のできない会話法を、彼らは身につけていた。
それというのも、他でもないヴァンツァーが寝室で眠っているためだ。
寝室からダイニングまでは広いリビングひとつ分空間があったが、
それでもかなり危ない状態にあった病人に少しでも負担をかけないようにとの配慮だ。
「……でも、あの選択が間違っていたとは思いません」
少し困惑したように、しかしきっぱりとシェラは言い切った。
実際レティシアの手際は見事としか言いようがなかった。
ここには彼をサポートしてくれる機械も看護師もいなかったが、
本当に外科医なのかと疑いたくなるくらいにその診断も対処も素早かったのだ。
おそらくほとんどオールマイティーなのだろう。
確か監察医の資格も持っていたはずだ。
寝室に入ってきて熱と脈を測り、胸の音を聴き、喉の状態を診る。
ここまでは一連の流れるような作業で、今まで見たこともないくらい真剣な表情をした男に、シェラは呆然と見入っていた。
そして鞄から注射器を取り出し、採血の準備を始めた。
針が見えたとき内心ひやひやしたが、一発で血管を捉えたところを見て、
「人体に精通しているこの男は、もしかしたら本当に医療に向いているのかもしれない」
と思わず頷いたものだ。
採取した血液を簡易測定器に注入し検査結果がでる間に、点滴の準備も平行して行う。
程なくして弾き出された結果を見て自分の診断を裏付けると、点滴の針もまた見事な手並みで血管に刺したのだった。
「うわあ、なんかお嬢ちゃんに褒められるのって、背中がゾワゾワするな」
言いながらも顔は笑っている。
「私はどんな相手でもその力量は正当に評価する」
真剣な表情でシェラはレティシアに頭を下げた。
「助かった。感謝している」
言われてレティシアは今度こそあんぐりと口を開けたのだ。
「……なあ、これって礼を言われてんのか、ノロケられてんのか、どっちだ……?」
問われて喉の奥で笑ったのはリィだ。
「今に始まったことじゃないだろう?」
な、とシェラに確認する。
「お好きなように」
その言葉にその場にいた全員が瞠目する。
「シェラってば、まあ……いっそ清々しいくらい開き直ったねえ……」
ルウが顎に手を当て、しみじみと呟く。
「今あの男に死なれても困るんです。まだ、追いついてもいませんから」
美貌の青年銀天使はにっこりと笑んでお茶のおかわりを振舞った。
「その内絶対に参った、って言わせてやるんです」
話の内容の物騒さとは裏腹に何とも美しい微笑で話すシェラを横目に、三人は目配せをした。
曰く「ある意味参ってるだろう……」というものだったが、当のシェラは気付いていない。
最近ようやく自覚の出てきた天使は、目下病床にある美青年を『生涯最高の好敵手』と認識していた。
いや、これでも進歩したのである。
少なくともあのやたら破壊力のある美貌の主を、
リィとルウがお互いを想いあうほどには自分にとって大切な存在だと思っているのだから大したものだ。
つい先日、貰った指輪の謎も解けて、嬉しさは二乗三乗である。
やはり一方的に大切に想っているよりも、相手も想ってくれている方が素敵だ。
そういえば、まだとっておきの殺し文句を教えてもらっていなかったが、さすがの『専門家』もレティシアがいる前では言いにくかったのだろうか。
それとも、結局リィとルウも呼んで夜中まで酒宴を開いていて、真っ先に自分が酔いつぶれてしまったのがいけなかったのだろうか。
まあ、それはまたの機会にでも聞けばいい。
とにかく病状が落ち着いてよかった。
「本当に、よかった……」
呟くのとほとんど同時に、へなへなと床に座り込んだ。
「シェラ?!」
ルウが腕を支えてくれたが、それを他人事のようにゆるゆると見上げる。
「……あ、ルウ。すみません……」
「お前、大丈夫か?」
相棒の傍らから心配そうに覗き込んでくる主人と仰ぐ青年に、シェラはぎこちない微笑を返した。
「はい。ほっとしたら、力が抜けただけですから……」
余程気を張り詰めていたのだろう。
足にまったく力が入らなかった。
「おいおい。今度はお嬢ちゃんが倒れんじゃねえだろうなあ」
半ば呆れ、半ば心配しているようにも見えるレティシアに、シェラは実に珍しいことに苦笑を返した。
「少なくともあの男が回復するまでは倒れられないな……」
「ま、倒れたら倒れたで俺が診てやるから、安心しろよ」
に、っと口許を歪めて猫のような眼を光らせるが、 「ああ、そうだな」 とシェラが返すのを聞いてしまっては、本格的に体調不良を疑うしかなかった。
「……シェラ? 自分が言ってること分かってる?」
怪訝そうな顔をするルウの手を借りて立ち上がると、シェラはまた苦笑を漏らした。
「ええ。この男と信用という言葉は絶対に結びつきませんが、仕事は間違いなくきっちりこなしますから」
先程のあの手腕を見せられては認めるしかない。
自分では、きっと助けられなかった。
できれば身を任せるような状況に陥りたくはないが、と心の中で付け加えることも忘れない。
「そうでもないぞ」
不意に背後から低い声が聞こえてきて、シェラは飛び上がりそうになって振り返った。
「おま──。どうして起きてきた」
「そこの怠慢外科医が、点滴の終わる時間を忘れているようだから仕方なく」
そう言う声にやはり覇気はなかったが、先ほどよりもずっと楽そうに呼吸している。
足元も、幾分しっかりしてきたようだ。
「──あ、わりい。よく気付いたな。お嬢ちゃんの料理旨いからさあ、つい」
大して悪いとも思っていない口調でヴァンツァーに近寄ると、点滴の針を抜きアルコール綿で圧迫させた。
「もう少し起きるのが遅かったら、血液が逆流していたな」
「寝起きでそれだけ喋れりゃ上等だ」
「…………」
自分よりも頭半分ほど背の低い男を呆れ顔で一瞥すると、何とも目に華やかな面々を見渡した。
「──何だ。このご大層な顔ぶれは……」
リィとルウを指してのことだというのが一見して分かる。
「ルーファが黒すけに何かあったみたいだって言うから、心配してきたんだ」
「心配……? なぜだ?」
どう考えても豪奢な金髪の青年や、魔法使いの聖霊が自分を心配する構図というのが思い浮かばない。
「どっちかっていうと、君よりもシェラが心配だったの」
相変わらずの柔和な笑みを浮かべて、年をとらない黒天使が説明を加えた。
「銀色?」
言われてシェラを見やり、ああ、と呟く。
「また随分と派手に泣いたようだな」
ぐしゃぐしゃ頭をかき回されたシェラだったが、どうしてそんなことが分かったのかが分からなかった。
顔を洗って目も冷やしたから、ほとんど腫れは引いているはずだ。
「……何で分かるんだ?」
少なくとも、派手に泣いたと分かるような見苦しい顔はしていないと思っていたのに。
「どうして分からないと思うんだ?」
普通の人間が聞いたらおよそ返答とは思えないような言葉を聞いて名前を交換し合った相棒どうしが、次いで金色ふたりが目を合わせた。
そのまま三人で失笑を漏らす。
このふたりは、こういうふたりなのだ。
それが三人が弾き出した結論だった。
どんなにルーファが肉体を着替えようともエディには気付かれるように。
また男だろうが女だろうがレティシアにリィが認識できるように。
ヴァンツァーにはシェラのことが分かる、ということだ。
「悪かったな」
唐突にかけられた言葉に、シェラは何に対する謝罪なのかまったく分からなかった。
「は?」
「食べられなくて」
どうやら本日シェラが腕によりをかけて作った料理に対するものらしい。
それを聞いてシェラは一瞬目を瞠り、そしてちいさく吹き出した。
「気にするな。お前さえ生きていれば、こんなものいつでも作れる」
今度はヴァンツァーが目を瞠る番だった。
それを見たシェラが不思議そうに首を傾げる。
「何だ? もっと手の込んだ料理が良かったか?」
驚くくらい見当違いの言葉はとりあえず否定し、二、三度瞬きする。
まだ熱のある頭ではうまく考えがまとまらない。
「黒すけ」
徐に横から声をかけてきた相手に、ヴァンツァーは顔を向けた。
「見てると全身が痒くなるから、ふたりであっち行け」
リィが指差すのは寝室があるだろう方向だった。
ここは自分の持ち家なのにどうしてこの黄金の獣が我が物顔で指図するのか理解に苦しむが、
とにかく自分に休養が必要なことは分かっている男は、肩をすくめて踵を返す。
「ヴァッツ」
今度はレティシアが声をかける。
律儀にもヴァンツァーは半身を返して旧知の医者を見た。
それだけの行動にも足元がふらつく。
「お嬢ちゃんにうつすなよ?」
「──うつせるようになるくらいまで体調を戻してみせろ、藪医者……」
ぽつりと呟くと、そのままドアの向こうに消えた。
「お前も話があるなら一緒に行って来い」
「え? あ、いや、わた──」
困惑顔のままリィに背中を押され、シェラもダイニングを後にした。
残った三人はやれやれ、といった体で顔を見合わせた。
「──何か、あれだね」
最初に口を開いたのは黒髪の万年青年だ。
「彼って、ときどきびっくりするくらい子どもみたいになるよね……」
きゃはは、と面白そうな声で笑ったのはレティシアだ。
「じゃあお嬢ちゃん母親かよ?! 似合いすぎて大笑いだなあ、おい!!」
そのままテーブルに突っ伏して肩を震わせている。
「でも、何で黒すけあんなに機嫌悪そうなんだ?」
やはり具合が悪いとああなるものなのだろうか。
「絶対レティーのせいだよ」
ルウが確信して視線を投げる。
「どうしてだ?」
理由が分からないリィは首を傾げてレティシアに問う。
「まずこの間五人で飲んだときのことだろ? それから今日は嬢ちゃん泣くの見たし。ほんとはかなり前から邪魔してんだよなあ。 いやまあとにかくお嬢ちゃんがらみの何かしらの理由で、ああなっちまったわけだ」
それでもキシシシ、と笑っている辺り、この確信犯に同情の余地はない。
「ん? 何だ? レティーはシェラのことが好きだったのか?」
これには言われたレティシアがびっくりだ。
「俺が?! おいおい、冗談にもならねえぜ!」
確かに面白くて気に入ってはいるが、色恋に係わるような感情ではない。
「しかもヴァッツと同じ女──じゃねえけど、取り合うなんざゴメンだね」
身震いすらしそうな勢いで身の潔白(?)を証明しようとしている。
「どうしてだ? お前だって捨てたもんじゃないだろうが」
「じゃあ王妃さん俺のお相手してくれるかい?」
「どうしてそういう話になるんだ?」
呆れたように言うリィだ。
「人間には向き不向きがあるんだよ」
「何だそれ?」
「俺じゃ、あのお嬢ちゃんの相手はできねえってこった」
「そうなのか?」
やはり首を傾げるリィに対し、ルウは「分かる気がするな、それ」と呟いた。
「お。兄さんさすがだな」
「レティーはお手軽に後腐れなくお付き合いできるタイプが好みなんだよね。
シェラみたいにニブちんじゃそんなお付き合いできないし、ヴァンツァーみたいに耐えて待つのも絶対無理だもん」
真剣な顔で言っているのだが、言われたレティシアは爆笑している。
腹筋が引きつるのでは、と思うほどに笑い転げている。
もう患者を気遣う医者はいなかった。
「そうそう!! やっぱあんた分かってるなあ!!」
「……ってことは、俺はお手軽にお付き合いできそうなのか?」
特に気分を害した様子はないが、その違いがよく分からないリィは首を捻るばかりだ。
「ってか、あんま深刻に受け取らねえだろ? あの嬢ちゃん根が生真面目すぎんだよなあ。ま、そこが遊び甲斐あんだけどよ」
からかうとこの上なく楽しい人種なのだ、とレティシアは分類しているらしい。
遊ばれる当人にとってはいい迷惑である。
「やっぱりヴァンツァー生き返らせて良かったよねえ。ふたりとも、すごく楽しそうだもの」
満面の笑みでドアの向こうを見つめるルウは、最初びっくりするくらいに不機嫌そうな男を見たときから、
シェラの隣にはああいった存在がいなければならないと思っていたのだ。
良くも悪くも、シェラは物事を深刻に考えすぎ、がんじがらめに自分を縛ってしまうところがあった。
物事の一部を見てしまい、全体を見渡すことが不得手なのだ。
その点あの男は広い視野を持っている。
むろん彼も考えすぎるきらいはあるようだが、それはどうとでもなる。
シェラに何か違う世界を見せてくれるのではないかと思ったのだが、予想通りだったというわけだ。
「俺に対してはかなり風当たりキツイんだけどな」
「そりゃあ君はエディの命を狙ってたからさ。でもなんだかんだ最近評価が変わってきてない?」
「お嬢ちゃんもようやく俺の魅力に気付き始めたってことじゃねえか?」
「何だ? お前の魅力って?」
「ひでえなあ。俺だってやるときゃやるんだぜ?」
大仰に傷ついた振りをして肩をすくめるが、言葉に説得力が皆無な上に瞳が笑っている。
「レティーの魅力がどこにあるのかって不毛な議論よりも、ぼくたちこれからどうするかが当面の大問題じゃない?」
こちらも結構きついことを真顔で口にする。
が、ヴァンツァーの命に別状がないようならば早々に退散する方が懸命だ。
素晴らしく秀麗な美貌が不機嫌に歪むところというのは、あまり見ていて気持ちのいいものではない。
本当にあの新月は、最近自分に正直だと思う。
「黒すけって、卵抱えた親鳥みたいだよなあ……」
しみじみと組んだ手の上に顎を乗せてリィが呟く。
「威嚇のオーラが尋常じゃねえんだよ」
レティシアはといえば、こちらは相変わらずおかしそうな相好を崩さない。
奇しくも彼はかつて、ヴァンツァーを『美形の梟』と称したことがあった。
「でも、あのトゲトゲのオーラって、中に入ったら気持ちよさそうだよね」
にこにこと屈託のない笑顔で怖いことを言うのは、やはりルウだった。
「だから最初ビクビクしてたのに、今じゃあんなに懐いちまってるわけだあな。いやあ、さっすが専門家だ」
「でも実はシェラも天然で誑し込んでるんだよね」
「どっちかって言うと、どっちが惚れ込んでるんだ?」
口にはしたリィだったが、直後ため息を吐いた。
そんなことは、考えなくても分かることだったからだ。
「……退散するとしよう」
そう言って立ち上がると、相棒を促した。
「お前は?」
「医者としては無理をさせないように見張ってなきゃいけないとこなんだがなあ……」
「シェラがさせないよ」
「そうなんだ。だからいてもおもしろくねえから帰るぜ」
とりあえず薬と簡単な注意事項を書いたメモを置いて、三人は家人に退出の旨も告げずに帰宅の途についたのだった。
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