「大丈夫か?」
リビングに追いやられるなり、まだ若干ふらついている男にシェラはそう声をかけた。
「さっきよりまし程度にはな」
はっきりものを言えるのだから、大分持ち直してはいるのだろう。
「しばらく動くなよ?」
それでも気遣わしげにすぐ後ろから寝室に入る。
「動きたくても動けん」
ほとんど倒れこむようにしてベッドに入る。
布団は温まっていて、冷たい部分が見つからなかった。
僅かに眉を顰めて、それでも仕方なく布団をかぶった。
「だって、お前暇を持て余したら絶対に動くだろうが……」
横になった男の枕元に膝をつき、わずかに渋面を作って唇を尖らせる。
「動かない」
そう言うと、シェラの銀髪に重たそうに指を梳き入れた。
「お前に死なれると困るからな」
「?」
「言ってなかったか? 俺が死んだら死ぬと」
ゆったりと刻まれた笑みは、苦痛をひとかけらも伴っていなかった。
「──聞こえていたのか……」
愕然とするシェラだった。
あんな高熱で辛そうにしていた男にも聞こえるほど、自分は大きな声で喋っていたのだろうか。
病人の枕元で何て失態だ。
「お前がいなくなると困るから、俺も死なない」
言われたシェラは怪訝そうな顔をする。
「それはおかしくないか?」
「なぜだ?」
「だって、お前が死んだら私も死んでやると言ったのであって、その逆は当てはまらないだろう?
重要なのはお前が生きていることであって、私の生死はどうでもいい。
だから、私がいなくならないようにするためにお前が死なないというのでは、まず私の命ありき、ということになってしまう」
生真面目な顔をして立て板に水の如く話すシェラに対し、ヴァンツァーはちいさく笑った。
「すまない。頭が働かないんだ。もう少しゆっくり話すか、簡単な言葉を使ってくれないか?」
言われてしまったと思い、シェラは首を捻った。
「──……要するに、お前が生きているなら、私はそれでいいということだ」
「それは、俺が生きていれば、自分は死んでいても構わないということか?」
「まあ、そうなるな」
簡潔な返事に、ヴァンツァーは難しい顔になった。
「やはりそれは困る」
今度はシェラが困惑する番だ。
「なぜだ?」
「俺としては一緒にいたいというお前のことばを真に受けたわけだが、違ったのか?」
「? 違わないが?」
本当に相手が言っていることの意味が分からなくて、シェラの頭の中は疑問符でいっぱいだった。
「俺はお前がいないならこの世界で生きている楽しみが半減するのだが、この場合俺はどうしたらいいんだ?」
もともと銀色の精神の平安を保つために二度目の生を貰った身だ。
銀色がいないなら、再び聖霊に戻るのもいいかと思う。
確かにこの世界は学ぶことが多いし退屈しないが、今の時点でこの銀色以上に面白そうな存在も見つからない。
「それとも、お前は聖霊になれたとしても俺の傍にいてくれるのか?」
「それは考えたことがなかった」
新たな選択肢に、シェラは目を瞠った。
しばらく沈黙する。
何か難しい顔で考えた後、おもむろに口を開いた。
「──お前は……?」
問われたヴァンツァーは横になったまま、僅かに首を傾けた。
「お前は、聖霊になった時、私の傍にいたのか……?」
これにはヴァンツァーが目を丸くした。
「どうなんだ」
答えようとしない男に、シェラは僅かに苛立った。
きゅっと眉を寄せ、病人を相手にしていることを忘れそうな勢いである。
「……想像に任せる……」
「逃げたな」
「……」
無言の男に、シェラは鼻を鳴らした。
「やっぱりお前は可愛くない」
前言撤回だ、と言いシェラはにっと笑った。
「だから付き纏って苛め倒してやる」
「…………」
茶化したような物言いだ。
しかし、それがシェラの本音であることは分かってしまった。
「それよりも、お前私が聖霊になっても傍にいて欲しかったのか」
勝ち誇ったような笑みだった。
言質を取った気になる。
ベッドの端に腕を組んで置き、その上に顎を乗せる。
「……死なれると困ると言った」
シェラはかつて手にかけた男が物理的に失われることを恐れ、
ヴァンツァーはどうしても自分の意のままにならない銀色を精神的に失うことをこそ恐れている。
想いの質は違ったが、しかしその強さに差はなかった。
「お前、ずっと熱を出していろ」
喉の奥で笑いながら、シェラはそう言った。
「……どういう意味だ?」
「ものすごく正直だ」
言われてヴァンツァーはため息を吐く。
「何だ。お前言葉が欲しかったのか?」
「お前の考えていることは分かりづらいんだ」
機嫌よさそうににこにことしている銀色の頭をぽんぽん叩くと、ヴァンツァーはそのままその頭を引き寄せて唇を重ねた。
軽く啄ばんでゆっくりと瞼を開き、紫の双眸を覗き込んだ。
「──……だったら、こちらの方が分かりやすい」
「熱に浮かされた頭でもこんなことを考えているのか?」
きょとん、とした顔でシェラが首を傾げた。
「……そういう言い方をされると、まるで俺が節操なしのように聞こえるが?」
「違うのか?」
目をぱちくりさせて驚きを露わにする。
「……おい」
「──冗談だ」
くすくすと忍び笑いを漏らすその表情は実に楽しそうだ。
「でも、そのやり方だと今ならもれなく風邪も貰いそうなんだが?」
微笑を浮かべたまま鼻先をつき合わせるような距離で会話をする。
「そうしたら今度は俺が看病してやるから、安心して倒れろ」
「それさっきレティシアにも言われた」
「…………」
急に黙り込んだ男の顔を見て、シェラは吹き出しそうになった。
「お前、やっぱり具合悪いときの方が正直だぞ」
苦笑したまま今度は自分から口付ける。
やさしいそれに、どうしてだろうか、ヴァンツァーの顔色は晴れない。
「──うつるぞ」
「これが一番早くなおるんだ」
「いつの時代の迷信だ、それは……」
「違う。お前の機嫌がだ」
勝ち誇ったように煌くアメジストの瞳に、ヴァンツァーは何も言えなくなった。
「特効薬だと思わないか?」
「………………」
風邪のせいだけではないだろう痛む頭を抱えて、ヴァンツァーは深く深く息を吐いた。
どうしようもない。
何だか、いつの間にか掌の上で転がされている気がする。
おかしい。
それは自分の役割だったハズなのに。
「……今の量では足りなかったようだが?」
だがやはり、熱に浮かされた頭では打開策が見つけられない。
仕方なくそんな言葉を口にした。
それを聞いたシェラは、実に美しく、それでいて挑戦的に微笑んだ。
「困ったことに、服用量に制限がないらしいんだ」
ああ、もうだめだ。
「それは、頼もしい……──」
そうしてふたりは瞳を閉じた。
藪医者の言いつけなど綺麗さっぱり無視して、
「たまには体調を崩してみるものだな」
などと思案しつつ効果抜群の治療を受けるヴァンツァーなのであった。
END.