バスタイム

「ねぇ、シェラってパパのどこが好きなの?」
「――え?」

愛娘と入浴中思いがけない言葉を聞き、シェラは目を丸くした。

「だって、シェラってばいっつもパパのこと邪険に扱うんだもん」

ふぅ、と高校生らしからぬため息を吐くソナタ。
シェラは若干反省した。

──子どもたちの前では仲の良い面を見せているつもりだったのに。

主観でどう思おうと自由だが、同時にシェラは首を捻った。

「どこって……」

答えに窮して困惑顔になったシェラに、ソナタはまたもや嘆息した。

「顔とか身体とか身体の相性とかあるじゃない」
「……ソナタ」

僅かにシェラの頬が赤らむ。

「頭良いし、顔綺麗だし、強いし、何でもできるし。一個くらいあるでしょう?」

随分な言いようだが、彼女は父が大好きなのである。

「まぁ、あの顔を真正面から嫌いだって言える人間はまずいないと思うけど……強いて言うなら……」
「言うなら?」

興味津々といった感じで身を乗り出すソナタ。

「――案外、脆いところ……かな?」

好きというよりも気になるところだけど、と留保を置く。

「……」

驚いてしまったソナタだ。
あの父の、どこが脆いというのか。
確かにシェラの前では情けない一面も見せる父だったが、それは愛情ゆえだろうし、むしろシェラを取り合って子どもと本気で張り合うくらいには図太いくらいの神経の主だと思う。
ソナタの訝しげな顔の意味を感じ取ったのだろう。
シェラは慈愛に満ちた瞳でちいさく笑った。

「何でもできるから弱いんだよ、あいつ」
「え?」
「強すぎるから」
「……シェラ?」

シェラは困った顔で笑った。

「……頭も良すぎるんだ。もっと弱くて、頭の悪い行者だったら……」

知らず、目頭が熱くなる。

「シェラ……」

ソナタはそっとシェラを抱きしめた。

「……あいつ、子どもみたいでしょう? 昔からそうなんだ。私と闘うときも、いつだって遊び半分で。それが悔しくて……」
「うん……」

いつも自分がしてもらっているように、銀髪を撫でてやる。
ちゃぷちゃぷと水面が揺れる。

「……でも、今思えば、私だけだったんだ」
「何が?」
「あいつに、応えてやれる人間」
「……」
「殺したくなかった。――けど、それであいつが少しでも救われたなら……今は 、そう思える」

かなり長いこと腹が立って荒れたけど、と笑う。

「じゃあ、そのとき辛かった分、今はシェラが甘やかしてもらってるのね」
「ん……。それから、――ソナタたち」
「私たち?」
「うん。あいつは、私に家族を与えてくれた」
「……」
「そんなものとは無縁だと思ってた。きっと、誰を前にしても、あいつの顔がちらつくんだろうなって。それなのに、あいつは非常識にも生き返ってきて」
「シェラに纏わりついて?」

くすっと笑うシェラ。

「そうなんだ。で、何でだか一緒に暮らして」
「いつの間にか私たちができてた」
「私は男だから、諦めてたんだけどね」
「諦めて?」
「うん。子ども」
「……」
「あいつと暮らすようになって、腹立つことばかりなのに出て行けなくて」
「……」
「だから、女性と結婚して、子ども作って、なんて諦めてた」
「欲しかったの、赤ちゃん……?」

シェラは僅かに首を傾げた。

「――……諦めとは違うのかも知れない。ただ、私には家族なんていなかったから分からなくて。それが何なのか、知りたかった。たぶんあいつも、知らないで育ったから」
「ふたりきりだって、家族は家族よ?」
「──そうだね」

ついこの間まで赤ん坊だったはずの子どもの思わぬ発言に、シェラは嬉しくなった。

「どう? 子どもを持った感想は」

悪戯っぽく微笑むソナタに、シェラは笑顔を返した。

「幸せだよ。とてもね」
「私も、シェラとパパの子に生まれて幸せ」
「ソナタは可愛いし、カノンはいい子だし」
「……」

前半はともかく後半には首を傾げたくなったソナタだったが、シェラが嬉しそうなので何も言わなかった――あの父の息子であるカノンを純粋に『いい子』だと思えるシェラってば可愛い、などと思いながら。

「――それにしても、脆いところかぁ……」
「……変?」

娘の評価が気になるのか上目遣いになったシェラに「もぉ、ほんと可愛い!」と言いながらキスし、ソナタは首を振った。

「そうじゃなくて、世間一般でのパパの評価と違うな、って」
「……あいつは、顔だけで食べていけるからな」

広い浴室に明るいソナタの笑い声が響く。

「それはシェラもだけど。――きっとパパは、シェラだからそういうとこ見せるのね」
「……そうかな?」
「だって、クラスの子に『うちのパパはヘタレです』なんて言っても、信じてくれないもん」
「ヘタレ……」

さすがに娘にこの評価を受けるのは可哀想だと思う――自分のことは棚に上げてそう思った。

「シェラだったら、安心して弱いところ見せられるんだわ」
「……九割五分演技だけど」
「でもシェラやさしいから、構ってあげるでしょう?」
「それは……自殺とかされても寝覚め悪いし」
「ほら。自殺しちゃうくらいシェラに避けられるのがショックだって、知っててくれてるんだもの」
「……」
「つけ込み甲斐があるわよね~」
「……」

たまに、あの男が父としての威厳を保てているのか心配になる。
そして、なぜ自分がそんなことを気にかけてやらなければならないのか、と我に返るのだ。
──とりあえずは家庭円満なのだし。

「――疲れてない?」

考えごとをしているときに耳に入ったソナタの言葉に、シェラははっと顔を上げた。

「――え?」
「パパがウザいとか、カノンが二重人格とか、私が遠慮なしとか」

目をぱちくりさせてしまったシェラだ。

「……ヴァンツァーはともかく、ソナタもカノンもいい子だよ。むしろ、聞き分け良すぎて心配なくらい。もっと我が儘言ってくれてもいいのに」

思わず笑ってしまったソナタだ。
シェラが本気でそう思っているのだろうことが分かってしまうから。
しかし、あまり我が儘が過ぎれば、あの父はシェラを攫って行ってしまう。
美形で長身、センスも頭も良い父のことは好きだが、シェラとどちらを選ぶか、と言われれば自分もカノンも迷いもしないだろう。
今もそんなに我慢しているわけではないのだ。
シェラは自分たちには甘いし、父もあれで結構我慢しているのだろうから。

「でも、久しぶりにシェラと寝たいなぁ」
「え?」
「カノンも一緒に。シェラたちのベッド大きいんだし」
「……いや、さすがに高校生ふたりは……」
「じゃあリビングにお布団敷くか、和室のあるお家に今日だけ移動は?」

むしろ広さどうのより、誰がシェラの隣に寝るかでにらみ合いが続きそうな気がする。
──そして、妹に甘いカノンのおかげでソナタがまずそのVIP席を確保し、男ふたりで残りひとつを争うのだろう。

「まぁ、それなら……」

いいかな、と呟くシェラの顔を、同じ造作で覗き込むソナタ。

「……なに?」

穴が開くほどじっと見つめられたかと思ったら、ソナタは眉を下げてこう言った。

「シェラが、今日はパパが欲しい日だって言うなら、諦めるけど……?」
「……」

長いこと湯に浸かっていたからか、シェラはひどい眩暈に襲われたのであった――。  




END.

ページトップボタン