新しい年を迎えたその日は前日からの雪もやみ、ファロット邸から見える広大な敷地が銀世界へと変わっていた。
葉を落とした木々も、常緑の木立も、雪化粧をして朝日にきらきらと輝いている。
非常に美しい景色である。
白亜の豪邸は半ば雪とその色彩を同化させており、連邦大学惑星では珍しい大雪の年だというのもあながち誇張ではないようだ。
古い歌で
『犬は喜び庭駆け回り 猫はこたつで丸くなる』
というものがあるが、この屋敷で大喜びをし駆け回っているのは犬ではない。
「すっご~い、すっご~い!!」
「まっしろだぁ~!!」
きゃっきゃ、と明るい声を響かせるのはこの家の長男と長女だ。
双子ながらお互いよりも両親にそっくりで、親の色彩をそっくり入れ替えたらこうなるだろう、という非常に可愛らしい顔立ちのこどもたちだ。
こども部屋の大きな窓からは純白に染まった世界がよく見える。
双子の妹ソナタは、その窓にへばりついて目を輝かせ、歓声を上げている。
「こら。動かない」
妹と一緒に外を見たくて仕方ない双子の兄カノンをたしなめるのは、着物を着付けているシェラだ。
彼自身も着物を身につけているのだが、女物でしかも振袖だということはこの際置いておこう。
似合えばそれでいい、というのがシェラと着物をデザインした双子の父親の言い分だった。
とても五歳の双子の親とは思えないほどの若々しい美貌のシェラは、体型的にも出産前と何ら変化がない。
長い銀髪を結い上げたその姿は、匂い立つような色気を醸し出している。
薄化粧を施しているからなおさらだろう。
「シェラはやくして。カノンもおそとみたい」
ぷくぅっと頬を膨らませて眉を顰めている息子に「はいはい」と苦笑を返したシェラは、袴をはかせてやってから解放した。
ダァァッ、とソナタの隣に掛けていったカノンにとっては、雪を見ることそのものよりも、『妹と一緒に見ている』ということの方が重要なようだ。
微笑ましい兄妹愛だな、と双子を見て目元を緩めたシェラは、部屋の扉をノックされて振り返った。
「どうぞ」
扉の外にいるのはむろんこの家の主人で、長身美貌の青年の姿が見えたと同時に双子はそちらに向かって駆け出した。
「パパ! ソナタかわいい?」
父親の足にぎゅっと抱きつき、ソナタは期待に満ちた目で問い掛けた。
肩で切り揃えた黒髪に赤い髪飾りをつけ、着物も金と赤を基調としており、元気なソナタにとても良く似合っている。
「可愛いよ」
しゃがんで視線を合わせたヴァンツァーは、髪飾りをつけたのとは反対の頭を軽く撫でてやった。
ほとんど家の中でしか表情を変えない彼だが、こうしてこどもたちに向けて微笑むと、その美貌から艶やかさが目減りして温厚さが滲み出てくるから不思議だ。
『ヴァンツァー』と『温厚』
彼の数少ない友人やシェラが聞いたら腹を抱えて笑いそうな単語の組み合わせである。
「パパ、カノンは?」
控えめにヴァンツァーの服の袖を引き、小首を傾げてカノンが問う。
「外に出たら見失いそうだな」
ヴァンツァーはちいさく笑って、ふわふわとした髪を撫でてやった。
白い着物に白い袴を着ているカノンは、色も白くシェラ譲りの見事な銀髪なので、確かに雪の降った後の世界では保護色と化しそうである。
「……カノン、かわいくないの?」
意味が分からなかったのか、困ったように眉を下げる姿にヴァンツァーは苦笑した。
「──悪い。良く似合っているよ」
言われた瞬間、カノンの顔色がぱぁぁっと明るくなった。
もし彼が子犬だったら、真っ白なしっぽをブンブン振っていることだろう。
彼は母──便宜上──と妹の次に、父親のことが好きなのである。
「パパはおきものきないの?」
ソナタが首を傾げると、真っ直ぐな黒髪がやわらかく揺れた。
「どうして?」
「だって、みんなおきものなのに、パパだけなかまはずれだよ?」
そんなのかわいそう、と赤い唇を尖らせるソナタに、シェラはクスクスと笑った。
「その着物はパパが作ってくれたものでしょう?」
「シェラのもだよ」
ソナタが付け足す。
「そうだね。パパは、自分の作ったものをソナタやカノンに着てもらうのが好きなんだ」
「シェラにもだよ」
今度はカノンが付け加える。
シェラは苦笑した。
「──そうだったね。だから、私たちがパパの作った服を着ていると、とっても嬉しいんだって」
「なかまはずれじゃないの?」
「もちろん。だって、パパの作ったものを着ているんだから、いつもパパと一緒にいるってことでしょう?」
シェラがにっこり微笑むと、双子が顔を見合わせ、こっくりと頷いた。
「パパといっしょ!!」
声を合わせて太陽のような笑顔になった双子を見て、シェラとヴァンツァーも微笑んだ。
こどもたちの笑顔を見ると、とても穏やかな気持ちになる。
自分たちの育ち方とまるで違うのは当然なのだが、両親がいて、きょうだいがいて、時に喧嘩をし、仲直りをして笑いあう、そんな当たり前の生活が送れるということが特別なことのように感じる。
願わくば、この子たちの未来に幸多からんことを──。
「──さて。もうすぐリィたちが来るから、そうしたらみんなでおせちを食べよう」
「じゃあソナタおさらとかよういする!」
「カノンも!」
シェラの言葉にソナタが元気良く手を挙げて部屋を飛び出すと、カノンもそれに続いた。
こども部屋にはシェラとヴァンツァーが取り残される。
「うちの子たちって、どうしてあんなに可愛いんだろう」
シェラがほう、とため息を吐く。
それを聞いたヴァンツァーは床に膝をついたまま、片眉を上げてシェラを見た。
同じ顔で何を言う、と思っているのに違いない。
「──お前も可愛いぞ。その着物も似合っているし」
シェラが目をぱちくりさせる。
ヴァンツァーの顔を見ながら、頭の中で言われた台詞を反芻する。
次いで顔を顰めた。
「……何だか取ってつけたみたいな言い方だな。その呆れたような顔も何とかしろ」
こどもたちに対するのと随分態度が違う。
「お前の差別的な態度よりはマシだと思うが」
元・腕利きの行者でなくとも、その違いを見て取るのは容易いことだろう。
「差別じゃない。区別だ」
「ほう。俺は特別扱いされているわけか」
口端を吊り上げるそのさまに、シェラは今年最初の頭痛を覚えた。
「……よくそこまで自分に都合のいい解釈ができるな」
ある意味賞賛に値する、と呟き立ち上がる。
ヴァンツァーもそれにならった。
「お前もよく口がまわる」
「何の話だ?」
「さっきふたりに言っていたことだ」
ああ、とシェラは納得した。
「父親の評価を上げてやろうという私のやさしさだ」
感謝しろ、と言わんばかりの口調に、ヴァンツァーは嘆息した。
内心の苦労が滲み出るようなため息だ。
「双子の評価が上がっても、お前からの評価は下がっている気がするがな……」
「気にするな。大体どうして着物なんだ」
給仕に徹する身としては、振袖は動きにくいことこの上ない。
外出するのならばまだしも、家の中にいるだけなのにこんな格好をする理由が分からない。
まぁ、リィやルウは喜ぶだろうから、これはこれでいいのだが。
「──以前、本で読んだことがあってな」
真面目な顔で頷くヴァンツァーに、シェラは懐疑的な顔になった。
「何を?」
首を傾げるシェラの前に立ったヴァンツァーは、三十路近いというのに相変わらず少女のような顔の脇からひと房垂らした銀髪に指を絡めた。
「着物は脱がしたくなる、と書いてあったから」
実践してみた、と微笑する。
「おまっ──どんな本読んでるんだ!!」
「ちゃんとした文献だ」
心外な、と厚かましくも顔に書いヴァンツァーは、逃げられる前にシェラの腰に手を添えて口づけた。
その早業にシェラは驚いたわけだが、次の瞬間更に驚く事態に陥った。
「わぁ! シェラとパパちゅーしてるよぉ!!」
「……ソナタ。きっとカノンたち『おじゃまむし』なんだよ」
意味が分かっているのかいないのか、少し寂しそうにカノンが続ける。
「だからむこうにいってよう?」
「そうね」
可愛らしく頷き合うと、双子はダイニングへと駆けていった。
「……」
愕然としているのはシェラひとりだ。
ヴァンツァーが気にしているのはどちらかといえば、『おじゃまむし』発言をしたのがこれから来る三人の誰か──もしくは全員──だろう、ということだ。
まったく、こどもにろくでもないことを吹き込む、と思っている彼だったが、すべての元凶が自分であることを分かっているのだから性質が悪い。
いまだ悠然とシェラの腰に手を回しているヴァンツァーは、刺すような視線を感じて目を向けた。
カノンと同じ色彩なのに、持ち主が変わるとここまで輝きが変わるものなのだろうか。
それとも怒りのためにここまで煌いているのだろうか。
どちらでもいいが、この色彩だけは自分の手で生み出せないことを残念に、また嬉しく思う。
「──……お前、あの子たちに悪影響を与えたらどうするんだ……」
押し殺した呪詛のような声音が、着飾った佳人の口から漏れる。
「親の仲が良くてこどもが非行にはしるという話は、あまり聞かないな」
しれっと言い切られた言葉に、シェラは一瞬言葉を失った。
あまりに自信に満ちた態度で言われると、どんなことでも正しいような気がしてしまうものだ──まぁ、ヴァンツァーの言葉自体は間違ってはいないのだが。
「それに、幼少期からの情操教育は大切なんだ」
「……そうなのか?」
思わず感心してしまったシェラだ。
思いの外子育てに熱心なヴァンツァーから教わることはとても多い。
仕事の合間によくそれだけの時間を取れるものだ、とそこは素直にすごいと思える。
「少なくとも、俺たちが教え込まれた考え方は間違っているからな」
「……」
確かにそうだ、とシェラは頷いた。
ナシアスに言われた言葉や、リィがヴァンツァーを怒った時の様子が思い出された。
「……まぁ、多少なら、いいかな……」
口の中でボソボソと呟かれた言葉を聞き逃すヴァンツァーではなかった。
「それは良かった」
ささやいて、再びシェラの唇を啄ばんだ。
「あぁ~~~!! シェラとパパがちゅーしてるぅ~!!」
双子のものよりも低い、それでも妙に甲高い叫びが聞こえた。
直後、ゲラゲラといういつもの粗野な笑い方。
「──……っ」
シェラは限界まで目を見開き、ちょっとした絶望感を感じた。
そして首まで赤くなる。
「あ~大変だ。双子にチクってこなきゃ!」
腹を抱えたままレティシアはダイニングへと向かった。
「ま、待て!!」
どうにかこうにかヴァンツァーの腕を抜けたシェラは、レティシアの後を追っていった。
それを見送ったヴァンツァーは軽く嘆息する。
こども部屋を出ると、そこにはリィとルウもいた。
「悪趣味だな」
ヴァンツァーがそう苦い顔をすると、ルウが苦笑した。
「わざとやってる人の言葉とは思えないなぁ」
「おれも同感だ」
リィが相棒に同調する。
ふん、と鼻で笑ったヴァンツァーはダイニングへとふたりを促した。
扉を開ける前から、シェラの怒声とレティシアの大きな笑い声、それに混じって双子のきゃーきゃーという楽しそうな声が聞こえてきて、ヴァンツァーは薄っすら笑った。
今年も彼らは、実に平穏な日々を送りそうである──。
END.