──Side・キニアン
高校では毎日顔を合わせていたけれど、大学に進学すれば違う。
幼少の頃から音楽の道に進むことは決まっていたのだ。
三歳になる前からピアノを、五歳では特注で作らせたチェロを叩き込まれた。
反発を覚えなかったと言えば嘘になるが、他に特技があるわけでも、勉強が出来るわけでもないから、音楽の道に進むのだと漠然と思っていた。
ただ、学校生活を始めれば友人たちの影響で様々なものに興味を持つようになる。
キニアンの場合、それはバスケットボールだった。
体育の時間にやったことで面白いと思ったのだが、案の定音楽家の父には猛反発された。
曰く、球技は指先を傷つけることが多く、最悪チェリスト生命を絶たれることになりかねないからだ。
しかも、幼い頃のキニアンは同年代の少年たちに比べて背が低かった。
運動が特別得意だったわけでもない。
それでも、キニアンは譲らなかった。
大学は音大に進む。
将来は両親と同じく音楽家の道をゆく。
チェロの練習もサボらないし、勉強も最善を尽くす。
――その代わり、中学と高校はバスケをやらせてくれ。
それが、アリス・キニアンの出した条件だった。
父は渋ったが、最終的には頷いた。
母親の口添えがあったからだ。
母も音楽家であったが、自分が青春時代をかなり音楽につぎ込んだため、息子には好きな道を歩ませたいと思ったらしい。
しかも、ひとり息子だ。
音楽は人にやらされてモノになるような生易しい道ではない。
プロになったとて、食べていけない演奏家などザラだ。
だからこそ、せめて思春期くらいは好きなことをさせてやりたい、と思ったらしい。
生来真面目な性格が幸いし、学校の成績も中の上、身長も中学に上がって急激に伸び、高校に上がる頃には百九十近くまでなった。
――そして、恋もした。
同じ学校、同じ学年の、『天使』と評判の『少年』だ。
なぜかキニアンの前でだけは我が儘放題で『天使』の面影の欠片もないが、作った笑顔よりも余程好ましかった。
そんな恋人――カノンとも、大学は違う。
言うまでもなく、キニアンが音大に進むためだ。
進学を期に、会う回数は当然減った。
毎日会っていた高校時代とは違い、お互い時間を作ることも難しくなった。
それでも、一度も別れ話の類が出たことはなかった。
カノンから別れを切り出される可能性は考えても、キニアンは自分からどうこうとは考えなかった。
――結局は、惚れた弱味だ。
最近では我が儘さえも愛しく思えるのだから、相当惚れているらしい、と苦笑するしかない。
今日は、実にひと月振りに会う約束をしていた。
いつもは、時間さえあればほんの三十分会うために車を走らせることもあるのだが、別の星系での合同演奏会があったために連邦大学を離れていたのだ。
メールや電話はしていても、直接会いたくなるのは必然。
しかも今回は珍しく女王様からのお誘いときている。
演奏会が終わった脚で、キニアンは快速艇に飛び乗った。
待ち合わせの日、時間二十分前に着いた自分を、キニアンは笑ったものだ。
表情が少ないのは高校時代から変わらず。
それでも、精悍さを増した美貌と細身の長身は人目を引く――もちろん、女性のそれが圧倒的に多い。
新緑のような緑の瞳が、時折何かを探すように動き、少し落胆したように手元の本に戻される。
なかなか近寄り難いほどの美形だが、図々しい――もとい、勇気ある女性というものはいつの世も存在する。
「あのぉ、待ち合わせですかぁ?」
間延びした声で話しかけてきた女子大生と思しき三人組に、キニアンは一瞥を向けただけで再び手元に視線を戻した。
――十五点。
無表情の美青年がまさか頭の中で自分たちに点数を付けているとは夢にも思わない女子大生たちは、再度「あのぉ」と声を掛けた。
「もし暇なら、お茶とかどうですかぁ?」
――訂正。マイナス百点。
思い切り顔を顰めたキニアンは、それでも真面目な性格からか「連れを待っているので」と断った。
この手の女どもははっきり言ってやった方がいい、と思ったのかも知れない。
「えぇ~、彼女ですかぁ?」
語尾の上がる間延びした話し方にも苛々する。
キンキンと煩い声も耳につく。
音に敏感な高性能の耳を持っているがために、正直雑踏は苦手だった。
それでも、女王様がどういう風の吹き回しか車で迎えに行くと言ったのを却下し、待ち合わせを提案してきたので、頷いたというわけだ。
「えー、彼女美人ですかぁ?」
「お兄さんかっこいいから、美人そう!」
「あ、でも意外とかっこいい人の彼女ってブスだったりしない?!」
「するする~!!」
勝手に盛り上がっている女子大生たちに、キニアンはわざと大袈裟なため息を吐いた。
「──美人ですよ」
少なくともあんたたちの百倍は、と思ったが、カノンが聞いたら「たった百か」と怒られそうだな、と思い直した。
外見の話だけではない。
褒めているように見せかけて貶してくるのが気に入らない。
「えぇ~見てみたぁい!」
「どんな彼女ですかぁ?」
「えー、年上? 年下?」
いい加減面倒くさくなったキニアンだったが、視界の端に光が映り、反射的にそちらに視線を向けた。
――そして。
間近で見ていた女子大生はおろか、道行く女性の大半が赤面するような笑みを浮かべたのである。
──Side・カノン
知らされたのは、高校二年に上がったばかりの春。
何気なく進路の話題になって、当然のように「俺、音大」という返答があった。
付き合って半年、テーマパークへ家族と彼氏同伴で行ったときにチェロを弾くのだということを知らされ、それだけでも少なからぬ衝撃を受けたというのに。
何でも話せとは言わないが、少なくとも話すのを忘れるようなことではないと思うのだ。
確かに大学まで同じところに通うとは思っていないし、それぞれ考える進路があるのだからそれは当たり前なのだが、もう既に腹が決まっているというのが何となく寂しかった。
けれど、それを表に出しはしなかった。
「ふぅん、そうなんだ」で終わらせた。
カノンは具体的な学校を決めているわけではないが、大学では経済や経営を学ぼうと思っていたから、そう答えた。
キニアンからも、「そうか」という返事があった。
それで、進路の話は打ち切り。
進学してからは、お互いそれぞれの生活で忙しくなった。
会う時間も少なくなった。
それでも、呼べばキニアンはほんの僅かな時間会うためにも車を走らせて来たし、週末には時間を作るようにしていた。
ひと月会えなかったのは、もしかしたら初めてかも知れない。
大学の演奏会があるから他星系に行くことは聞いていたが、実際そのときを迎えてみると、ひと月は長かった。
メールや電話はするが、触れることが出来ない。
機械を通した声は、生身のものとは違う。
分かっていてももどかしくて、カノンは演奏会が終わる頃に会う約束を取り付けた。
いつもは迎えに来させるが、今回は違う。
街中で待ち合わせることにしたのだ。
当日、当然のような顔をして遅れて行くつもりでいたのに、なぜか待ち合わせの五分前には着きそうになり、カノンは「これじゃ、『天使』のぼくだ・・・」と嘆いたものだ。
どうやら、自分は相当彼氏に会いたいらしい──絶対言わないけれど。
今回待ち合わせることにしたのだって、ちゃんと理由があるのだ。
生真面目な性格をしている上に、自分を待たせないよう躾けてあるから、どうせ待ち合わせ時間より早く到着しているはずのキニアン。
その姿を、遠くから見つけるために待ち合わせにしたのだ。
それというのも、キニアンは表情こそあまり動かさないが非常に端正な容貌をしている。
しかも百九十を超える長身だ。
嫌でも人目を引く──それも、ほとんど女性だ。
男ですら、ときに賞賛のまなざしで眺めるほどである。
長身美形の彼氏に他の女が見惚れているところへ、颯爽と自分が登場して掻っ攫って行く、というのが気持ち良いのである。
「──いた」
頭ひとつ以上周囲から飛びぬけていることを除いても、自然と目が吸い寄せられる。
女の視線の向かう先に、目的の人物がいることは間違いない。
何だかんだ言って、自分の彼氏はかっこいいのだ──絶対本人には言わないが。
顔が綺麗だ、と言ってやることはあっても、『かっこいい』と褒めてやったことは一度もない。
けれど、自分のことは褒めさせてきた。
当然だ。
自分は『女王様』なのだから。
今日も、陽に透ける茶色い髪を風に攫われながら、手元の本に目を落としている。
眼鏡でもかけていればちょっとした美形の優等生が出来上がるが、おそらく読んでいるのは高尚な学術書などではないだろう。
小難しい顔をして読んでいるのはきっと、『女の子にモテる五十の法則』とか、『イケメン指南書』とか、『日常会話で使える詩集』とか、そういう『HOW TO本』に違いない。
あとで思い切りからかってやろう。
──と、数人の女性たちがキニアンに声を掛けた。
どうやら、道を訊いているのではなさそうだ。
逆ナンだろうか。
まぁ、キニアンの容姿を見れば、女が目の色を変えてもおかしくない。
──まさに、カノンの狙ったシチュエーションである。
面倒くさそうに、それでも律儀な性格だから何か受け答えをしているらしいキニアン。
仏頂面を晒して話をしているキニアンを見て、しかしなぜかカノンは『むかっ』としたのだ。
これでいいはずなのだ。
女の注目を一身に集めているキニアンの元へ、待ち合わせ時刻に遅刻して自分が赴き、得意気な顔をして連れ去る──完璧だ。
完璧なはずなのに、自分は遅刻もしていなければ女どもに向かって『ざまぁみろ』とも思っていない。
むしろ、むかついている。
何だこれは。
おかしいじゃないか。
それでは計画が違うのだ。
そうは思ったが、キニアンは馬鹿みたいに素直なところがある。
今も、頭の軽そうな女相手に会話を成立させている。
──むかっ。
思ったら、カノンは大股で歩き出していた。
そして、こちらに気づいたらしいキニアンが、顔を上げて笑顔を浮かべた。
自分だけに向けられる、蕩けるような極上の笑顔だ。
それを見て、ほんの少しだけ溜飲が下がった気がしたが、まだむかっ腹が立っているカノンだ。
「早いね」
「お前こそ。時間通りに来るなんて、このあと雨か?」
「生意気なこと言ってると、──捨てるよ?」
「……悪かった」
にっこりと微笑んで脅迫してくる女王様に、キニアンは素直に頭を下げた。
いつだったか、ヴァンツァーとライアンに、「女が拗ねたり怒ったりしたら、とりあえず謝れ」と教えてもらったのである。
謝られてもツン、とすましたままのカノンは、顎が外れそうな顔をして自分を見ている女どもをひとりひとりとっくりと見つめ、にっこりと微笑んでやった。
「ぼくの顔、何かついてますか?」
「……ぁ」
「え、と……」
「……その……」
言葉を失くして忙しなく瞳を動かし、互いに顔を見合わせている女子大生たちに、キニアンはため息とともに回答してやった。
「これくらい、美人ですよ」
「何の話?」
訊ねてくるカノンに、「彼女美人ですか、って訊かれたから、美人だって答えた」と、これまた律儀に答えてやるキニアン。
それを聞いて、カノンはふん、と鼻を鳴らした。
「アリスにしては、割とまともな受け答え出来たみたいじゃない」
「別に。本当のことしか言ってない」
「それはそうだけどさ」
「いくぞ。……いい加減、耳が疲れた」
「──あぁ、うん」
それじゃあ、と女子大生に向かって天使の微笑を浮かべたカノンは、自然と腰に手を回してくるキニアンにされるがままになってやりながら、その場を離れて行ったのである。
END.