彼氏改造計画

最近あちこちに巨大ショッピングモールが建設され、食傷気味ではあるものの、休日ともなればそれなりの人間が集まる。
オープン当初の賑わいはないが、だからこそのんびりと店舗を見て回れるのもいいのかも知れない。
この日、ファロット一家+αは、そんな連邦大学惑星内にあるショッピングモールのひとつにやってきていた。
六人一緒に建物に入ったときは、その圧倒的なまでの存在感と異様なまでの美形集団の出現に、ちょっとした人だかりが出来た。
何がすごいと言って、美少女ふたり──もちろんソナタとシェラだ──はさらっさらの長い髪が美しい天使だったし、銀髪の美少年はふわっふわの髪の天使なのに、小悪魔っぽい表情が何とも魅力的だった。
しかも男どもは軒並み百八十を超える長身。
約一名、百八十を超えながらも美女にしか見えない金髪碧眼の男がいたが、ともかく、スーパーモデル集団の来場に、建物内は何かの撮影があるのか、と騒ぎになった。

「……落ち着かない」

呟いたキニアンに、シェラがくすくすと笑った。

「アー君って、イケメンなのに自覚薄いよね」
「いや、絶対これ俺じゃないですって……」

思春期真っ盛り。
自分の見た目にもそれなりに気を使う年頃だったが、学校内ならばともかく、ファロット一家の中に入っても目立つような容姿をしていると思えるほど自惚れてはいなかった。

「一番背ぇ高いし~」
「アー君かっこいいよね~」

なぜかシェラとライアンが楽しそうにきゃっきゃ言っている。

「お兄ちゃんもそう思うでしょ?」

にこにこと、含むのもがあるのかないのかよく分からない美女然とした美青年の問いかけに、カノンはちらっと視線を向けると「並み」と答えた。

「恥ずかしがり屋さんだなぁ~」
「違うっ!」
「ちなみにパパさんは?」

更なるライアンの問いにちょっと嫌そうな顔をしつつ、「黙ってれば特上」と返す。

「「同感~」」

とシェラとソナタが口を揃える。
暗に『喋るな』と言われた本人は、『シェラに褒められた』と勘違いでもしているのか、何だか上機嫌に見える。

「パパさんが特上で、アー君が並み? じゃあおれは?」
「上の中」
「うわぁ、なんだろう。微妙すぎて『中の上』って言われた方が嬉しい気がする」
「じゃあ訊かなきゃいいじゃん」

ツン、と澄ましているカノンに、ライアンはやはりにこにこと微笑みかけたのである。

「でもやっぱり、お兄ちゃん恥ずかしがりだね」
「……何でそうなるのかな」
「だって、アー君かっこいいもん」
「それライアンの主観でしょ?」
「えー、絶対かっこいいと思うんだけどなぁ」

碧眼にじーっと見つめられて、ガッ! と手を握られ、思わずびくっ! としてしまったキニアンである。

「アー君」
「……はい」
「お兄ちゃんに『かっこいい』って、言わせよう」
「──……は?」
「よし! そうと決まれば、まずは服を買いに行こう!」

おー! と何だかやる気になっているライアン。

「パパさんは、プロの立場からアドバイスをお願いします」
「分かった」
「お兄ちゃんたちは別行動ね」
「じゃあソナタたちはお茶してるね」
「あとで連絡するよ」
「おっけー」

ぱちん、と手を打ち合わせるソナタとライアン。
シェラは楽しそうにくすくす笑っている。
カノンひとりが、ぶすっ、とした顔になっている。

「……何でわざわざそんなこと」

ボソッ、と呟くカノンに、シェラが片目を瞑って見せた。

「素直に『かっこいいね』って言えばいいのに」
「思ってもいないことは言えません」
「またまたぁ~」
「…………」

つんつん、と突付かれた頬を、カノンはぷくっ、と膨らませた。
こうして、休日のお出かけは、所謂『彼氏改造計画』的なものへとその趣旨を変えていったのである。


ぱっと見金髪美人がイケメンふたりを引き連れているようにも見える、こちらのメンズグループ。

「……言うわけないって」

諦めムードどころか、最初からそんなことはありえないと分かりきっているキニアンは、まずは上から、と手近な店に引きずられながら呟いた。

「大丈夫、大丈夫。お兄ちゃん素直じゃないだけなんだから。ぽーっと見惚れさせることが出来たら勝ちだって」

カノンが自分に見惚れる?
ぽーっと?
菫の瞳をきらきらさせて?
薔薇色の頬を、もっと紅潮させて?

「……ないない」

言ってみて悲しくなったが、そんなことあるわけがない。
逆は割りといつものこと。
今日も、身体にぴったりとしたゴシック服がよく似合っていた。
白と黒、アクセントとして赤を使った服装は天使でこそないが、悪魔の王子か小悪魔の元締めといった感じだ。
身長はもともと低くはないけれど、爪先が大きく膨らんだ厚底靴を履いていた。
いつもより身長差がなくて新鮮だったけれど、やはりいつものサイズが可愛いと思うのだ。
腕の中にすっぽり納まるサイズ。
細すぎず、丸みはないけれど質の良い筋肉で適度な弾力のある肌。
まだふっくらとした感じの残る頬に笑みが浮かぶと、もう、それだけで幸せだった。

「──アー君。頭の中身が顔にダダ漏れてるよ」
「──はっ!!」

珍しくやわらかな笑みを浮かべているキニアンに、きゃーきゃー騒いでいる女の子のなんと多いことか。
もちろん、ライアンやヴァンツァーを見ても同様の反応がもたらされているのだが。

「お兄ちゃん、可愛いもんねー」
「…………」
「今日の服って、どっちが作ったんですか?」
「デザインは俺。縫製はシェラ」
「あー、やっぱりなー。シェラさんのデザインする服だと、結構フェミニンな感じ出るからなー」

今日はちょっとアグレッシブだと思ったんだー、と頷くライアン。
双子の着る服は、大抵シェラかヴァンツァーが作ったものだ。
ヴァンツァーは主にデザインで縫製はシェラや職員に任せることが多かったが、ふたりとも可愛い子どもたちを着飾らせるのが何よりの楽しみだった。

「『可愛い』はシェラの担当なんでね」
「分担とかあるんですか?」
「多少は」
「へぇ、じゃあパパさんは? 『かっこいい』?」

これに対し、ヴァンツァーは「いや」と答えた。

「──『かっこ可愛い』」

これには爆笑したライアンだ。

「なんだー。パパさんもお兄ちゃん可愛くするの好きなんだー」
「昔から、『可愛いのがいい!』っていうのが口癖みたいなものだからな」
「うわー、もうその発言が可愛い」

和気藹々と会話を弾ませている成人男子ふたりを横に、キニアンはぼーっと服を見るともなしに見ていた。
本日のキニアンの服装は、黒い半袖のTシャツの上に、白地に水色でストライプの入った長袖のシャツを重ねている。
下は細身のインディゴブルーのデニム。
靴は黒いスポーツシューズ。
その性格ほど、服装は『かっこつけ』という感じではない。

「アー君元がいいから、何着てもかっこいいよねー」
「……あんた、何でそんなに褒めまくるんだ?」

嬉しいとかどうとかいうより逆に変に思ってしまうのは、恋人の彼に対する評価があまりにも低いからだ。
確かに、天使のような容姿のカノンの隣にいても見劣りしないほどの美貌などそうそう転がっているわけもないとは思うので、カノンの評価ももっともなことだ、とキニアンは思っていた。

「アー君さ、女の子にモテるでしょ?」
「……モテはしないと思うけど」
「きゃーきゃー言われるでしょ?」
「運動部のやつは、大抵そうだよ」
「いやいや、今も女の子たちの注目浴びてるから」
「だから、俺だけじゃないって」
「……何ていうか……」

徹底的に謙虚というか……と気の毒そうな顔になるライアン。
その謙虚さは本心から来るものなのでまったく嫌味ではないのだが、この年齢ならもう少し自惚れてもいいのに、とライアンは思うわけだ。

「お兄ちゃんに『かっこいい』って言われたことある?」
「あるわけないだろう」

ない、とは言わず、そんなことは今後もあり得ないと言い切る口調。

「だって、お兄ちゃん極度の面食いだよ?」
「……自分の顔見てたら、そうなるのは当然だろ? 家族揃って美形だし」
「アー君、お兄ちゃんと付き合ってるんだよね……?」
「一応」
「じゃあ、アー君も美形じゃん」
「……不細工だとは思ってないけど、あいつと並んで見劣りしないか、って言われたら」

キニアンは大きくため息を零した。

「ほんっと、『美女と野獣』だよなぁ……」
「野獣は王子だよ?」

キニアンはじろり、とライアンを見下ろした。

「『真実の愛』だったらな」

いつかそうなったらいいな、とは思うが、それとカノンが自分に飽きるのとどっちが先か。
考えるだに恐ろしい。
ライアンは絶望的な表情になり、ヴァンツァーに助けを求めようとした。

「──これ」

そんなとき、ヴァンツァーが無造作に服を寄越してきたので、キニアンは反射的に受け取った。
服を渡されたキニアンは、『これをどうしろと?』という顔になった。

「試着」

当然のような顔をしてそんなことを言ってくるヴァンツァーに、まさかいちいち着替えるのか? と思ったキニアンだ。
困惑気味の少年の考えていることなど手に取るように分かるヴァンツァーは、にっこりと笑ったものである。

「舅の言うことは聞くものだぞ」
「──…………」

めちゃくちゃなことを言ってるぞこの人、と思いはしたのだが、『早く、早く』と子どものような表情を浮かべた美貌の男に、ため息を殺して軽く頷いた。
そうして、渡された服を持って試着室へと向かったのである。
さすが本職、サイズはぴったりだったのだが、着替えて試着室内の姿見を見たキニアンは、ぽかん、と口を開けた。

──……これは……何と言うか……。

「着替え終わった~?」

ライアンの声に、どうしようか、とは思ったものの、試着室のカーテンを開ける。

「わぁお!」

碧眼を真ん丸にしたライアンは、長い睫毛をぱしぱし、と瞬かせて出てきた少年を凝視した。
店舗の中に彼氏と一緒に買い物に来ていた女性や、店の外を歩く女性たちが足を止めてきゃーきゃー言っている。
色味は決して派手ではない。
モノトーンで纏めている。
スーツはグレー、銀色のピンストライプが入った黒いYシャツは、開襟タイプでくっきりと浮かんだ鎖骨が見える。
足元は蛇皮の靴だった。

「──ホストだね」

ぱちぱち、と手を叩いているライアンは、背後にある姿見をちらっと見て自分の服装を確認しているキニアンに笑顔を向けた。

「『物慣れない感じがイイ』って言う有閑マダムからの指名がすごそう」
「……あんた、面白がってるだろう」
「えー、かっこいいと思うよ?」

ほら、ときゃーきゃー騒いでいる女の子たちに視線を向ける。
非常に居心地の悪い思いをしているキニアンは、「あの……」とヴァンツァーに目を向けた。
顎に指を当ててキニアンの様子を観察していたヴァンツァーは、僅かに首を傾げた。
思わず不安になったキニアンである。

「……俺、変ですか?」
「他人がデザインした服だろうと、似合わないものは渡さない」
「あ……すいません」

思わず謝ったキニアンである。
玄人に暴言を吐いてしまった、と反省するキニアンに、しかしヴァンツァーは「間違えた」と呟いた。

「……ヴァンツァーさん?」
「普通にかっこ良くなったな……」

なぜか少し残念そうな表情になるヴァンツァーが一体何を目指しているのか、知りたいような知りたくないような気分になったキニアンだ。

「普通にかっこ良くちゃダメなんですか?」

訊ねてくるライアンに、ヴァンツァーは至極真面目な顔をして頷いた。

「カノンは、口にしないだけでキニアンのことを『かっこいい』と思ってるんだ。『かっこいい』なんてことは分かり切ってるんだよ」
「──あぁ、そうか。『普通に』かっこいいのなんて、当たり前なんだ」
「そういうことだな」

納得、納得、と頷いているライアンとヴァンツァーに、キニアンはおずおずと声をかけた。

「あの……俺はいつまでこの格好をしていれば……?」

何かこういうのはちょっと……と困惑顔の少年に、ヴァンツァーは不思議そうな顔を向けた。

「次の服が決まるまで」

何を言っているんだ、という顔をしているヴァンツァーに、キニアンはぽかん、としてしまった。
そうして、茫然としている少年に背を向けると、さっさと店員に限度額のないカードを渡して決済してしまった。

「──わ、え、ちょ……! ヴァンツァーさん、何やってるんですか?!」
「買い物」
「見れば分かります! 何で買ってるんですか!!」

これには首を傾げたヴァンツァーだ。

「買い物に来たから」

それ以外に何が? という表情の男に、キニアンは頭を抱えそうになった。

「……いくらですか」
「いらない」
「そういうわけにはいきません」

はぁぁぁ、と深くため息を吐く少年に、最年長の男はちいさく微笑んだ。
その微笑みにも、きゃーきゃー言っている女性たちが山のようにいた。

「シェラみたいだ」
「──え?」
「シェラも、昔よくそう言っていた」
「…………」

あなたそんな頃から浪費癖があったんですか、と思っても口にしなかったキニアンであるが、正直だからしっかりと顔に出ている。
シェラ辺りが聞いていたら、「でしょう?!」と同調するに違いない。

「本当に、いいんだ。──きっとカノンが喜ぶから」
「──……」

新緑色の目を瞠ったキニアンである。

「悪いが、お前のためじゃない」

これを聞いて、キニアンは逆にほっとした。
そうして、苦笑したのである。

「……かっこいいなぁ」

カノンやシェラが、何だかんだ言ってヴァンツァーのことが大好きだという理由が、少し分かった気がする。
これだけ深く愛されて、動かされない心なんてない。

「──さ。次だ」
「え、まだ何か見るんですか?」
「言っただろう? それだと普通にかっこいいんだよ」
「…………」

『普通』じゃないかっこ良さってどんなだろう、と不安になるキニアンを尻目に、ヴァンツァーとライアンは次の服装の候補についてあーでもないこーでもないと意見を交換していたのである。

「普段はモノトーンが多い?」
「あぁ、うん」
「シャツにデニム?」
「あ、はい」
「アクセは?」
「あんまり……」
「苦手か?」
「いえ……そういうの選ぶの、得意じゃなくて」

こちらをちらり、とも見ずに矢継ぎ早に質問をされて、キニアンは相槌を打つ程度の返事しか出来ない。
デザイナーと芸術家がその形の良い頭の中で何を考えているのかよく分からないので、キニアンは黙ってついていくしかない。

「ヴィヴィッドカラーだな」
「且つ爽やか」
「ちょっとした色気」
「ドキッとするほどハード」

具体的な服装や形ではなく、イメージで会話しているからキニアンには余計ついていけない。

──……俺、どんなんなっちゃうんだろう……?

ちょっとした不安と、カノンはどんな反応をするかな、という期待と、──とりあえず、煩いくらい騒いでいる女性たちの視線が気になってしかたのない思春期真っ盛りの少年なのだった。


どこのホスト集団だ、というメンズグループが着せ替えごっこで遊んでいる間、三人の天使たちはカフェで優雅なティータイムを過ごしていた。
そこだけバックに薔薇園が見えるような華やかな美貌の主たちに、女性たちは羨望と嫉妬を、男性たちは興奮とちょっぴりの欲望を含んだ視線を送っている。
本人たちは慣れたもので、それぞれが注文したケーキやパフェをひと口ずつ味見しては、花が綻ぶような笑みを浮かべていた。

「パパ、どんな服選ぶんだろう? ね、カノン?」
「……別に、何でもいいよ」

ちょっと前までにこにこ笑っていたというのに、途端に馬鹿馬鹿しい、といった顔つきになる少年。

「どんな格好してても、アー君かっこいいもんね」
「シェラ。じゃあシェラは、父さんのことかっこいいと思ってるの?」
「うん」
「──へ?!」

これには思わず素っ頓狂な声を上げてしまったカノンである。
ぐさり、とフォークの刺さったミルフィーユのパイが粉々になってしまった。
シェラは、念を押すように「思ってるよ」と言った。

「仕事してるときと、父親の顔してるときは、素直にかっこいいと思うよ。尊敬してる」

仄かな笑みを浮かべたその美貌は、いつもの少女めいたものではなく、しっかりと男の顔をしていた。

「──ま、どうしようもなく馬鹿だなぁ、と思うことの方が多いけどね」

苦笑して紅茶のカップを傾けたシェラは、何だか難しい顔をしている息子に訊ねてみた。

「カノンはどうして、アー君と付き合ってるの?」
「え……?」
「美形だから? やさしいから? 我が儘聞いてくれるから?」
「…………」
「たぶん、みんな正解で、みんな違うよね?」
「…………」
「何で好きなのかな~、って改めて考えてみるとよく分からないんだけど、でも、たとえば彼が他の女の子にやさしくしてたり、笑いかけてたりしたら、胸がぎゅーってなるんじゃない?」
「……分かんないよ、そんなの」

むぅ、と唇を尖らせたカノンに、シェラはくすっと微笑を向けた。

「そうだね。アー君は、カノンのことが大好きで、カノンのことしか見ていないからね」
「……それだって、分かんないよ」

もしかしたら、あんまり我が儘だから煩わしくなってしまうかも知れない。
今はやさしいけれど、そのうち冷たくなってしまうかも知れない。

──男どうしであることが、嫌になってしまうかも知れない。

「──……っ」

シェラの言う通り、ぎゅっと、胸が鷲掴みにされた気になった。
それは、いつなのだろうか、と。
明日かも知れないし、来年かも知れない。
三年後かも知れないし、もっとずっと先のことかも知れない。
何の保証もないのだということが、急に恐ろしくなった。

「──カノン」

声とともに髪をくしゃり、と撫でられて、ちらっと見つめたシェラが「ごめんね」と眉を下げた。

「不安にさせるようなこと、言っちゃったかな?」
「……別に……」
「でもね、カノンは彼が傍にいないことを想像しただけで不安になるくらいには、彼のことを好きなんだと思うよ」
「…………」
「……私は、すごく怖い」

はっとして目を瞠る。
微笑んでいるけれど、どこか寂しそうで、哀しそうで、カノンはまた胸がぎゅっとなった。

「最悪だよね、あいつ。ほんと自分勝手で、我が儘で、人のこと振り回してばっかりで」
「シェラ……」
「そのくせ、『全部俺が悪いんだよ』って顔して、抱きしめてきたりしてさ」
「…………」
「ずるいよね」

苦笑するシェラに、カノンは訊いてみた。

「こんなこと訊いて、ごめんね。もし……もし、父さんが選んだのがシェラじゃなかったら……シェラ、哀しかった……?」
「ううん、全然」

きっぱりと言い切ったシェラに、カノンとソナタは顔を見合わせた。

「──だって、そんなの分からなかったから」

過去を思い出すように軽く視線を落としたシェラは、「でも」と呟いた。

「今、あいつがいなくなったら、と思うと……うん。哀しくはないけど、苦しい、かな」

愛しさと苦しさは、どこか似ている。
心が震えて、泣きたくなる感覚。
幸福なのに──否、幸福だからこそ感じる不安。
それは、常に表裏の関係なのかも知れない。

「こういうこと考えると、『あぁ、やっぱり、もしかすると、ひょっとして、まさか好きなのかなぁ』って思ったりする」

へへっ、と頬を掻く様子が可愛くて、切なくて。

「カノンに『かっこいい』、『好き』って言ってもらったら、アー君喜ぶと思うよ」
「……だって、アリスぼくのこと『可愛い』って言わないもん」
「照れ屋さんだから」
「ヘタレわんこだし」
「カノンの前でだけね」
「……空気読めないんだよ……?」
「KYっていうか、わたしキニアンってびっくりするくらい鈍感なんだと思うわ」

ソナタがため息を吐く。
アイス珈琲の入ったグラスをストローでくるくるとかき混ぜ、氷が涼しげな音を立てる。

「たぶん、靴箱にラヴレターとか入ってても、悪戯かドッキリだって思う類の男の子だと思うよ。だからカノンの目がハートになってても、気づかないんだと思うなぁ」
「……なってないよ」
「なってる、なってる。だって、キニアンの隣にいるカノン、すぅごく可愛いもん」

ねー、と声を揃える同じ顔をした親子に、カノンはぷくっと頬を膨らませた。

「──意地でも『かっこいい』なんて言ってやらない」

別行動のメンズたちが戻ってくるまで、あと一時間。


試着室から出てきた自分を見てヴァンツァーとライアンが腕組みをしているので、キニアンはドキドキと脈が速くなるのを感じた。

「ふむ」
「これは」

などと呟いている年長者たちを前に、キニアンは非常に居心地の悪い思いをしていた。
服を渡されたときも思ったのだが、自分は何だか悪目立ちしているのではないだろうか。
こんな色の服は着たことがないし、先程から集まる視線と立ち止まる人の数が天井知らずに増えていっている気がする。

──……やっぱり変なんじゃないか……?

本職と芸術家の見立てだからきっと間違いはないのだろうけれど、どうしても不安が拭えない。
ここにシェラでもいれば話は違ったのかも知れないが、黒と金の美貌の主たちを交互に見ても、こちらをまじまじと見つめるだけで何も言ってくれない。

「やっぱり素材ですかね?」
「だろうな」
「これ、だいぶ難しいですもんね」
「俺には無理だな」
「あ、おれも。もうちょっと彩度落とすか、寒色なら自信あるんですけど」

真面目な顔をして彼らが何を話しているのか、キニアンにはさっぱり分からない。

「シルバー? ゴールド?」
「いや、革だな」
「──あぁ、そっちか」

頷きあった男たちは、またもやクレジットカードで買い物を済ませると、早くしろ、とばかりの視線をキニアンに向けた。
そうして、前の店で買った服を包んでもらうと、新しい服に着替えたキニアンを伴い、次は靴屋へと向かったのである。
きゃーきゃー騒ぐ声がどんどん大きくなってきていて、キニアンは更に音を絞った。
雑踏を歩くときは耳に入る音を制限しているのだが、それにしても休日とはいえ今日は一段と頭に響く音が強いな、とため息を零した。
色が派手だから人目を引くんじゃないか、と思いはしたが、まさか脱ぐわけにもいかない。

──……何で赤なんだろう……?

ぴらっ、とジャケットの前を掴むと、前から歩いてきていたカップルの女性の方が足を止めてじーっと見てくるので、ぱちぱち、と瞬きを返した。
隣の男性がむっとした顔で睨んでくるので、何でそんな顔をされるのか分からなくて、キニアンは困惑の表情を浮かべたものだ。

「元の服の方がいいですかね?」
「今更だろう。それに、本人の自覚を促すことも大事だ」
「あはは。ってゆーかパパさん、自分に向かう視線が半減して楽だなー、とか思ってるでしょ」
「うん」
「お兄ちゃんがここにいたら、すごい嫉妬しそうなんですけど」
「まだ八十%ってところだろう」
「あとは、アクセと靴?」
「そう」

すたすたと歩いていってしまう年長者たちに追いつくべく、付き纏う視線を無理やり無視したキニアンは、少し早足になった。
そうして、全身コーディネートが済んだ自分の姿を見てヴァンツァーが満足そうに頷き、ライアンがにこにこ笑って手を叩いたので、ようやく解放されるのだ、とほっとした。
──しかし、着せ替えごっこからは解放されても、何だか異様に熱のこもった視線からは解放されなかった。
そして、「おれも着替える~」といって、なぜかスカートだのバンダナだのアクセサリーだのを買い込んで着替えたライアンを見て、キニアンは感嘆のため息を零した。

「……あんたの色彩感覚ってすごいな」
「褒め言葉かな?」
「もちろん。良かったよ。あんたがそれなら、俺あんまり目立たないな」

ほっと安堵の息を吐く少年に、ライアンはぱちぱち、と瞬きした。

「……パパさん。おれ、賭けてもいいけど、アー君この建物の中でナンパしたら成功率九十%超えると思うんですけど」
「俺もそう思う」
「おれだってふらふらついていっちゃいそうだもん」
「あんたなぁ……」

呆れるキニアンに、贅沢を言うなら、と付け足したライアンだ。

「もうちょっと胸筋があると完璧」

ペタペタ、とライアンがキニアンの胸に触るのを見て、失神した女の子がいるとかいないとか。

「パパさんは着替えないんですか?」
「うん。シェラの服と合うようにしてきたから」
「──あぁ、なるほど」

ペアルックというわけではないが、色味や形など、シェラ自身が気づいているかどうかは別として、ヴァンツァーの中ではこだわりがあるらしい。

「──さて。じゃあ、お姫様たちのところに戻りますか」

メンズグループが人の視線と、何人かの人間そのものも引き連れてカフェに行くと、シェラとソナタは手を叩いて喜んだ。

「ライアン、アラブの王子様みた~い」
「かっこいい?」
「かっこ可愛い!」
「あはは。ありがとう」

水色を基調とした極彩色のプリントのあるひらひらとした薄手の服を重ね、金色の頭右半分が隠れるようにバンダナを巻き、その上からトルコ石を基本に天然石で作られた長いネックレスを二重三重にして乗せている。
ブレスレットやアンクレットなどで褐色の肌を彩った姿は、極力露出を抑えているというのに──否、だからこそ、そこはかとない色気を感じさせる。
『王子様』と評したソナタは上機嫌で、「可愛い~綺麗~かっこいい~」を繰り返している。

「お兄ちゃん、どう?」

ライアンは、カノンの睨むような視線を受けてたじろいでいる少年の腕を軽く叩き、『自信を持て』とばかりに励ましてやった。

「……中の上」

ぼそっと呟いたカノンに、キニアンは新緑色の瞳を丸くした。

「ってことは……並みより上だよな?」
「……さっきよりは、マシなんじゃないの?」

ふいっ、と横を向いてしまったカノンなのだが、キニアンは何だか『ほわぁぁぁ』と瞳を輝かせている。
きっと、尻尾があったらぶんぶん振っているに違いない。
そんな高校生カップルを見て、ライアンは明るく笑った。

「お兄ちゃん、可愛いなぁ」
「……なにが」
「だって、おれがさっき『中の上の方が嬉しい』って言ったの、覚えてたんでしょう?」

え? と目を丸くするキニアン。
カノンが忌々しげな視線を向けても、王子様になった青年はまったく意に介した様子がない。

「だから、本当は『上の中』より上なんだよね?」

まぁ、最初からそう思ってるのは分かってるけど、とにこにこしている青年に、カノンはちいさく舌打ちをした。

「……ってことは……お、俺、三階級特進?!」

マジか!! と興奮気味になったキニアンに、カノンは『お前も喋るな』とばかりのひと睨みを与えた。
赤いスタンドカラーのジャケットに、インナーは白のタンクトップ。
ライアンの言うようにもう少し胸の筋肉が発達していれば更に見栄えはしたのだろうが、細身だけれど引き締まった身体の線はそれだけで美しい。
脚の長さを際立たせるボトムは黒のレザーで、同じく革のチョーカーを首に巻いている。
ブーツもかなりがっしりとしたタイプだが、もともと長身なので厚みはほとんど必要なかった。
いつもの無表情で黙って立っていれば、それこそ女の子の方から勝手に近寄って──それも、彼氏を捨てて──くるに違いない。
憮然とした表情の女王様からものすごい高評価を頂戴した──と本人は思っている──少年は、この興奮を誰に伝えればいいのか、といったような、珍しく落ち着きのない態度を見せている。

「お前は着せ替えごっこしなかったのか?」
「十分だろう?」
「……自分で言わなければな」

馬鹿め、といった顔つきになったシェラとは対照的に、ヴァンツァーは至極満足そうな顔をしている。
カフェ内部が騒然となり、出ようかとしたド目立つ一行だったが、店主から「お代は結構ですから!」と土下座せんばかりに懇願されてもうしばらくティータイムを過ごすことにした。
正直、お金を払っても静かな場所でゆっくりしたかったのだが、この面子ではどこへ行っても無理だろうな、と全員が思っていた。
閑古鳥は鳴かないまでも、オープン当初の賑わいからは遠く離れていたショッピングモールとしては、彼らのように客を引き連れてきてくれる存在は、それだけでありがたいものだった。
それがカネを落としていくとなれば尚更。
そうして、決して落ち着くことは出来ないティータイムを過ごした三組のカップルは、「閉店まで!」と言いそうな勢いの店主に有無を言わせず、カフェをあとにした。
店を出てもきゃーきゃー言われていた彼らだったが、どう考えても女の子だと思われているシェラとライアンを除くと、歓声の元と思われる『男性』は三人。
そのうち、現在間違いなく一番目を引いているのは、真紅のジャケットに身を包んだもっとも長身の少年であろう。
自覚がないのは本人ばかりで、シェラとソナタなど「「すごいねー」」などとのんびりしたことを言っている。
ちらちらどころではなく女性たちの視線を受け取っている少年は、くいっ、と引っ張られる感覚に足を止めた。
見れば、自分以上の仏頂面をしている女王様が、ジャケットの裾を掴んでいる。
軽く首を捻ったキニアンは、「どうした?」と訊ねてみた。

「別に」

殊更『べ』を強調した言い回しにこれまた首を傾げたキニアンは、「離して」と言った。
すると、天使と評判の美貌が思い切り顰められた。
一度キニアンのジャケットの裾をぎゅっと握ったカノンだったが、言われた通りに離した。

「──こっちの方がいいだろう?」

しかし、直後その手を取られ、しっかりと大きな手に握られたので、目を瞠って端正な横顔を見上げた。

「嫌か?」

珍しく笑みを浮かべている少年に、カノンは反射的に首を振ってからはっとした。

「……べ、別に、繋いであげてもいいけど」
「うん、じゃあこっちで」

ツンと澄ましている女王様だったが、羨ましそうにこちらを見てくる女性たちに『ふふん』とばかりの得意気な顔を向けた。
そんなカノンの様子が、見なくても手に取るように分かるもう二組のカップルは、くすくすと笑いながら休日の残りの時間を楽しく過ごしたのだった。  




END.

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