時間が許すならばシャーミアンを誘うところだったのだが、生憎試験後に彼女はポーラと一緒に海外旅行。
日程の真っ只中なため、公開収録に当選したことを伝えるのも酷だと思って言わないでいた。
本来は一枚の入場券でふたりまで観覧出来るのだが、シェラはひとり会場へと向かうことになった。
キャリガン辺りを誘っても良かったのだが、結果としてこの日シェラはひとりで会場へ赴いたことを感謝することになる。
知っているアーティストも知らないアーティストもたくさん出演していた。
生の歌だから、当然誤魔化しは利かない。
声量のある歌手、ない歌手、ダンスの巧拙、演出の仕方も様々だ。
面白いもので、ベテランの歌手になるほど舞台の装飾も演出もシンプルなものになる。
そして、生だからこそ分かる実力差。
ライヴの怖さというものは、そこにある。
生身の自分を曝け出して、身体ひとつで勝負しなければならない。
技術の発達した現代であれば、生とはいえ多少音質を調整する程度のことは可能だが、それでも与えられる機会は一度きり。
そのために別室で練習をし、リハーサルも行うのだが、本番のステージというものは独特の緊張感がある。
この緊張に耐えられないものは舞台に立つ資格はない。
最高のステージを見せるためには、過度の緊張は必要ないどころか悪影響しか与えないものとなる。
本番のステージには、気を抜き過ぎない程度に緊張を残した、それでももっともリラックスした状態で臨まなければならないのだ。
だからこその練習であり、リハーサルなのだから。
練習は百パーセントの出来ではなかったが、本番で成功するということはままある。
しかし、それでは『プロ』とは言えない。
それは、たまたま運が良かった、たまたま成功しただけのこと。
運も実力の内ではあるが、その『運』を味方につけるためにこそ、練習というものが必要なのだ。
確実性を上げるための練習をし、百回行ったら百回成功させなければプロではない。
だからこそ、練習では百パーセントだったものが、本番で百二十パーセントにも、二百パーセントにもなるのだから。
──シェラが初めてそれを実感したのが、この日だった。
ライヴに行ったことがあるのは一度だけ。
だがそれは、国内最高峰と言われるアーティストのライヴだ。
それからは、来る日も来る日も彼の歌を耳にし、彼のステージングを目にしていた。
だからこそ、分かってしまうのだ。
──……あれ。テレビで見たときは、もっと歌上手いと思ったんだけどな……。
そう首を傾げた歌手の何と多かったことか。
下手ではない。
それを生業としているからには決して下手ではないのだが、かといって賞賛に値するレヴェルかと訊かれれば「否」と答えるしかない。
シェラが会場の入り口で渡された席番号の券は三階席の一番前だった。
狭いホールだからステージ上のアーティストの顔を何とか判別出来る程度の距離ではあるが、それでも一階席に比べたらステージからは距離がある。
もしかしたら一階席にいたのであれば、もっと違う聴こえ方をしたのかも知れない。
だが、まず声が聴こえない。
マイクを使っているから、音は耳に届いている。
だが、歌詞が聞き取れるほどに歌声が聴こえて来ないのだ。
これにはびっくりしてしまった。
肉声で歌っているのではあるまいし、スピーカーがあってマイクのボリュームも調節出来るのに、なぜ歌詞が耳に届かないのか、と。
この日十六組のアーティストが登場し、シェラの記憶に残った──ひいては歌声が耳に届いたのは僅かに四組。
二十年以上アーティストとして第一線で活躍し、大御所と呼ばれるほどの男性ロックグループと、透明感のある歌声と女性としては破格の声量を誇る歌姫、新人ながら歌唱力には定評のある女性歌手。
そして最後のひとりが、もちろん今回目当てとしていたアーティストであった。
彼はトリを飾った。
その登場前から既に残りひとりなのは明白であり、会場には女性を主とした嵐のような歓声が起こった。
登場すると歓声は更に大きくなった。
今日は赤いチェックのシャツに白いパンツだ。
ステージ上部に設置されたスクリーンに、笑顔で手を振る彼の姿が大写しにされる。
──なんて可愛いんだっ!
かくいうシェラも、今回は彼の名を呼ぶことが出来た。
彼の耳に届くかな、届かないかな、──届け!
そんな思いで、力の限り声を出すのだ。
ドラムやキーボード、ギタリストたちが配置につき、演奏が始まる。
すると、ステージ後方と上手、下手の袖から何と猫の着ぐるみたちが現れた。
途端に上がる歓声と、「可愛い~」コール。
それでも、ヴァンツァーが口許にマイクを持っていったときには、その歓声がピタリ、と止むのだ。
そうして、打ち合わせたわけでもないのに、呼吸すら漏らさないようにしているかのような聴衆の耳に、歌声が届く。
初めて聴く曲だった。
可愛らしくて、明るい曲調の歌。
──それなのに、涙が溢れてきた。
怖がらないで
哀しまないで
月が魔法をかけてくれるから
どこかで逢えたそのときは
きみの傍で眠ろう
言っているのは、そういうこと。
最初は、可愛い曲だな、と思うだけだった。
涙が零れたのは後半、サビへ行く前のCメロ。
きみの笑顔が取り戻せるなら
微笑っているきみがいるなら
哀しみもやさしさに変わるよ
最初は、泣いている自分にびっくりしてしまった。
こんなに明るい曲なのに、と。
猫の着ぐるみと一緒に笑って、楽しそうに踊っているヴァンツァーを見て、シェラは「あぁ、そうか」と思った。
これは、ビアンカのことを歌った曲なんだ、と。
捨てられて、人を恐れて、それでも見つけ出してやさしさとぬくもりをくれた人に素直でない愛情を示す仔猫。
彼女の幸福への願いと、彼女が傍にいることで受け取る幸福を、歌っているのだ。
だから、切なくて、それなのにこんなにもやさしい気持ちになれる。
伸びのある声が、耳でなく心にまで届く。
きっと、この会場にもあの黒猫のお姫様は一緒に来ているのだろう。
彼女のことを想いながら、ヴァンツァーはこの歌を歌っているに違いない。
──素敵な歌……。
心からそう思って、シェラは目元の涙を拭った。
そうして、もう一曲。
メドレー構成になっていた二曲目は、こちらも初めて聴く曲だった。
今の曲同様に明るい曲調。
そして、こちらは曲の内容もとても可愛らしくて明るいものだった。
恋をしている男の子の歌だ。
初デートに向かう男の子の心境──二十歳を超えたアーティストが歌うには無理がありそうだというのに、初々しいまでの素直さで歌い上げる。
──あ。いつものヴァンツァーだ。
そう、シェラは思った。
隣に住んでいる、可愛くてうっかり者の青年が頭に浮かんで微笑を誘う。
だってきみのことが……好きだよ
そんな告白でサビが終わると、会場から「きゃああああああああっ!!」という大歓声。
シェラも一緒になって「可愛い~!!」と騒いだ。
すごい。
たった数分なのに、まるで数時間にも及ぶライヴに参加したときのような満足感。
もっと聴いていたい。
でも、不満なんて感じない。
彼が常に百二十パーセントで、全力で、見ている人を楽しませたいという気持ちが伝わってくるから。
──やっぱり、ちょー可愛くて、ちょーかっこいい!!
私の好きな人は、こんなに素敵な人なんだぞ! と自慢したくなるようなステージだった。
「ビアンカの歌、可愛かったね。感動して泣いちゃった」
だから、公開収録の後ヴァンツァーが家に来たときに、シェラはにこにこ笑ってそう言ったのだ。
すると見た目も服装もカジュアルダウンしたアーティストは、藍色の瞳を真ん丸にした。
「え……?」
「ほら、この前MHKホールで」
「──いたの?!」
「うん。入場券当たったから」
「……」
飛び上がって驚いている青年に、シェラもびっくりしてしまった。
別にそんなに死にそうなほど驚かなくてもいいじゃないか。
しかも、何だか顔が赤くなっている。
ファンだということは伝えてあるが、知り合いにステージを見られるのは恥ずかしいのだろうか、と思ったのだが、どうやら違ったらしい。
「……もう一曲は……?」
「──あぁ。デートに浮かれてる男の子のやつ?」
「浮かれてる……」
「可愛いよね、あれ。応援したくなっちゃうもん。『頑張れっ!』って」
へへっ、と笑うシェラに、こちらもへらり、と笑みを返したヴァンツァーだ。
「えっと……一応、シェラは当事者なんだけど……」
「当事者? 何で?」
「……」
きょとん、とした顔で紅茶を啜っている鈍感な天使に、ヴァンツァーはちょっと恨めしげな上目遣いを送った。
「……言っただろう? 『きみのことが好きだよ』って」
そう言われてもよく分からない、といった感じで首を捻っていたシェラだったが、その抜けるように白い肌がみるみるうちに赤く染まっていった。
「なっ」
「……鈍感」
「な、失礼な、だっ」
口をぱくぱくさせているシェラを横目に、ヴァンツァーは隣に座るお姫様を抱き上げて膝の上に乗せた。
「『頑張れ』だって。俺が頑張ったら、シェラなんてめろめろのとろっとろになっちゃうんだからな」
「……」
「まったく」
ぷんすか、といった感じでぶつぶつ呟いて唇を尖らせる美貌の青年に、シェラはくらり、と眩暈を感じた。
──いや、だからそれが『可愛い』んだってば……。
何だろうか。
これは抱きしめちゃってもいいのだろうか。
それとも、そんなことをしたら彼のプライドに障るだろうか。
そんなことを考えたシェラだったが、結局『え~い』とばかりに抱きついた。
ビアンカはその衝撃にヴァンツァーの腕の中から抜け出したわけだが、首にきゅっと抱きついてきてくすくす笑っている青年に、ヴァンツァーはちょっと顔を顰めた。
「……なに」
「可愛い」
「だから嬉しくない」
「だって可愛いんだもーん」
「……」
「あー、もう。食べちゃいたいくらい可愛い!」
よしよし、と頭を撫でられたヴァンツァーは、細い身体を抱き返した。
何だかいい匂いがして、胸いっぱいに吸い込んだ。
「……俺が、食べちゃうんだよ」
「──え?」
懐に抱き込んだ青年の顔を見下ろせば、ドキッ、とするような色っぽい顔が見上げてきていた。
「俺が、シェラのこと……食べちゃうんだよ」
「……」
びっくりして瞬きも出来ないでいるシェラに、そっと口づける。
シェラの頭に手を添えると、そのままゆっくりと身体を起こしながら体勢を変えた。
覆いかぶさるようにしてキスをすれば、力の抜けたシェラの身体がソファに沈む。
構わずに、そのままゆっくりと横たわらせた。
キスをしたまま、服の裾から手を忍び込ませればびくっ、とちいさく身体が跳ねた。
自分の心臓の音が煩い。
直接触れた肌の滑らかさを感じたら勝手に身体が熱くなった。
「ぁ……ヴァ、まっ」
「待たない」
ちゅっ、と唇を吸えば、きゅっと目を閉じて身体が強張る。
押し返そうとしてくる手を頭の上でひと纏めにすれば、潤んだ菫の瞳が、どこか不安気な様子で見上げてきた。
「待って……ぁの……お風呂、とか」
「いいよ、そんなの」
「ゃ、やだ……っ」
「俺も。今すぐじゃなきゃ嫌だ」
「……我が儘」
「そうだよ」
余計なことは言わせない、とばかりに舌を絡め、服を捲くり上げる。
真っ赤な顔でぎゅっと目を閉じている天使の白い肌が露わになる。
丸みはないけれど、真っ白できめが細かくて、抜群の肌触りだ。
しばらく感じていなかった人肌に、飢えていたのだ、と他人事のように納得する。
キスもしたことのなかった、しかも男相手に、巧くやれる自信はない。
痛い思いをさせてしまうかも知れないけれど、止められる自信もない。
「……ゆっくり、するからね」
「……ぅ、ん」
こくんと涙ぐんだ顔で頷かれ、ちゅっ、と額にキスをした。
──と、静かなリビングに鳴り響く『ゴッドファーザー』。
最早お約束のタイミングに、ヴァンツァーは聴こえないフリをしてシェラの頬や耳朶に唇を押し当てていった。
「ぁ……あの、ヴァンツァー」
「なに」
「あ……携帯……」
「聴こえない」
「でも」
「いいよ」
「で、でも、あれ仕事用……」
「……」
天然だの草食系だの言われていても、男なのだ。
このタイミングで電話に出る馬鹿はいないだろう。
けれど、ファンでもあるシェラの前だからこそ、仕事をないがしろにするわけにもいかず、内心で舌打ちしながら電話に出た。
「──手短に」
珍しくそんな風に言って電話に出た商品に、ナシアスはちいさく笑った。
『またお邪魔をしたのかな?』
「ご用件は」
『もちろん、仕事の話だ』
「明日じゃダメなんですか?」
『明日の仕事の話だからね』
「十時入りでしょう? 覚えてますよ」
『いや、六時に迎えに行く』
「……どうしてそんなに早く」
『さるお方がお忍びでいらっしゃるそうだ。スタジオ入りの前に、先方の宿泊するホテルに行く』
「……あなたがそんな要求を呑むということは……」
この時期にそんな話が出てくるその『さるお方』の心当たりはひとりだ。
『頭のいい子は好きだよ。邪魔をして悪かったね。明日に影響がない程度に、頑張りなさい』
それじゃあ、良い夜を──そんな風に言って電話は切られたわけだが、これで「はい、そうですか」と仕切り直せるほどの度胸はない。
特大のため息を吐いて電話を投げ出すと、戸惑った声で呼ばれて振り返る。
服の裾を下ろして座り直しているのを、もう一度押し倒す気力は残っていなかった。
「……ごめん。また今度」
苦笑すると、こくん、と頷きが返ってきた。
「……もう、帰るの?」
「んー……明日、朝早くて」
「そっか……」
「それとも、添い寝してくれる?」
「──え?」
とくん、と心臓が跳ねた。
それくらい初めてではないのだし、でもさっきのことがあるから、と返事に困っているシェラを見て眼鏡の奥の藍色が笑みを刻む。
「なーんてね」
「……え、っと」
「おとなしく帰ります」
「あ……あの」
「──あ、そうだシェラ」
「……なに?」
「今度のオフ、どこか行こうよ」
「──へ?」
きらきらと藍色の瞳を輝かせた青年は、にっこりと微笑んだ。
「──デート、しよ?」
可愛らしく首を傾げて尻尾を振ってくる様子に、シェラは「うん」と笑って頷いた。
初めてのデートは、「行こう」と言われた瞬間に「大丈夫なの?」と聞き返してしまった巨大テーマパーク。
冬場の平日とはいえ、それなりに人の姿はある。
「大丈夫、大丈夫。髪下ろして眼鏡掛けてれば、誰も気づかないよ」
「でも……」
「行ったことないんだ、俺」
「──え?」
「遊園地って」
「ほんとに?!」
「うん。だから、初デートは絶対遊園地、って決めてたんだ」
にこにこしている表情からも、彼が非常に遊園地デートを楽しみにしていることが分かった。
だから、シェラはちょっと心配にはなりつつも頷いたのだ。
「あ、でも」
打って変わって沈んだ顔になった青年に、「なに?」と訊ねる。
「……ありえないんだけど」
「うん?」
「本当に、ありえないんだけど」
「うん」
「…………お目付け役が」
「──え?」
「うちのマネージャーとカメラマンがね、同行するって言うんだ」
告げられた内容に、思わず目をぱちくりさせてしまったシェラだった。
「ありえないでしょう? 子どもじゃないんだよ。何でデートにまで……」
「そりゃあ、心配だからじゃない?」
「いくら初めてだって言っても、俺だってチケット買ってアトラクション乗るくらいのこと出来るよ」
「……」
その発想はなかった、とシェラは大笑いした。
「違う、違う!」
「……なに?」
「そうじゃなくて、バレちゃったときの心配をしてるんだと思うよ?」
「……」
「自分で言うのもなんだけど、私はあまり男には見られないし。ヴァンツァーみたいな超有名人がテーマパークで女の子と一緒にいるところを見つかったら、大騒ぎになるでしょう?」
「……」
「だから、そういうときに上手く対処してくれるんじゃないかなぁ? ほら、カメラマンさんもいるんだったら、何かの撮影とか、この前みたいに写真集のため、とか。色々理由作れるでしょう?」
たぶん、と言うシェラに、ヴァンツァーは唇を尖らせた。
「……シェラは、嫌じゃないの?」
「え?」
「デートに、関係ない人たちがついてきて、嫌じゃないの?」
これには首を捻ったシェラだった。
「うーん……まぁ、嫌じゃない、と言えば嘘になるけど……」
唸ったシェラは、しかしあっけらかんとした笑みを浮かべた。
「でも、ヴァンツァーと出掛けられるなら、何でもいいや。いつも家の中だもんね」
「……ごめん」
「え? 何で謝るの?」
「……シェラのこと、『恋人だ』って……『この人が俺の好きな人です』って言いたいのに」
「あはは。そんなことしたら、ヴァンツァーのファンたちに殺されちゃうかも」
「だから!」
珍しく大きくなった声に目を瞠る。
「だから……俺が、芸能人だから」
「──怒るよ」
「……」
あまりにも静かな、押し殺したように静かな声が耳に届いて、ヴァンツァーは顔を上げた。
宝石のように澄んだ菫色の瞳が、真剣なまなざしでこちらの目を射抜いてくる。
「私の知ってるヴァンツァーは、自分の仕事に誇りを持ってる。歌うことが大好きで、人を楽しませることが大好きで、そのためには妥協なんてしなくて。いつでも上を見て歩いてる」
「……」
「だから、あんなにたくさんのファンが応援してくれるんだよ。次は何をしてくれるんだろう、どうやって楽しませてくれるんだろう、どんな世界を見せてくれるんだろう、って。短い時間夢を見て、元気をもらって、それで『また明日から頑張ろう』って思えるんだよ」
「……」
「私も、いつも元気をもらってます」
ようやく微笑んでくれた恋人に、ヴァンツァーは「ごめん」と頭を下げた。
「俺、また浮かれてた……オルゴール買ったときみたいに、人のこと何も考えないで」
「私も浮かれてるけど? だって、初デートだもん」
うきうき、と頭に花を咲かせている可愛らしい笑顔に、ヴァンツァーは首を振った。
「ダメだな。俺の方が年上なのに」
肩をすくめてため息を零す。
「もっと男を磨かないと、横から出てきた男にシェラを連れて行かれちゃうな」
「んもぅ……皆して私のこと女の子だと思ってる」
「それだけシェラが魅力的ってことだよ」
「ヴァンツァーのファンなんて、何万人もいるじゃない」
「うん。──でもシェラが一番」
ちゅっ、とキスをすれば、ちょっと膨れた赤い顔で、「何が『トークは苦手』だよ」とぼやく。
本人は聞こえているのかいないのか、ごろん、と腹這いになると頬杖をついてにこにこし出した。
「あー、すごい楽しみだなぁ~」
シェラも「早く来ないかな~」、と指折り数えていたその日は、とても、とても楽しかった。
お留守番だったビアンカには申し訳ないけれど、とても楽しくて、幸せだった。
──だから、それが最初で最後のデートだなんて、思ってもみなかった。
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