oneday

「……何だ、これは」

案内された場所に来て、ヴァンツァーは思わず呟いた。

「へへへ。やっぱりね」
「女を押さえればついて来ると思ったぜ」

そこは街外れの空き屋だった。
屋敷には蔦が生えていて、古めかしいその雰囲気とあいまって小中学生には『幽霊屋敷』と呼ばれている。
人が住まなくなって久しいのだろうその屋敷の居間部分に、確かにシェラたちはいた。

「よくやったな、ケビン」
「おう……」
「なんだよ! せっかくうまくいったんだから、もっと喜べよ!!」

そう言って、背は高いが痩せ型のひょろ長い少年は、ヴァンツァーを連れてきたケビンの広い背中を叩いた。

「まったく。無愛想なヴァンツァー・ファロットも、女にはてんで弱いんじゃないか」

この台詞はまた別の少年が発したものだ。
こちらも背は高いが、ケビンよりも更に丸っこい、ゆえに動きも鈍そうな少年だ。

「いい読みしてるぜ、マイケル」

丸っこい少年の肩に腕を乗せ、痩せた少年はにやにや笑った。

「だろう? 僕は天才なんだ」

そう言って「えへん」と胸を張るマイケルは、シェラたち『少女』の方を向いた。

「こんな腑抜けより、僕にしときなよ」

その台詞は主にシェラへと向けられているもののようだった。
シェラの他に四人の少女がいる。
栗色の髪を三つ編みにしたそばかす顔の子。
砂色のくせっ毛を短く切った活発そうな子。
長い黒髪が印象的な、色白の子。
そして、赤みのある金髪を結い上げた利発そうな子だ。
不安そうな顔で自分たちを連れてきた少年を見ていた少女たちだが、今は見たこともないくらい綺麗な少年に釘付けだ。
もちろんシェラだって『見たこともないくらい綺麗な少年』なのだが、清楚可憐なシェラとは違う、妖艶な雰囲気に圧倒されたのだ。

「それにしても、こんな可愛い彼女がいるなんてなあ」

痩せ型の少年がシェラに近寄ってその顎に手をかけた。

「……」

シェラは無言でその無粋な手の持ち主を睨みつけた。
なぜ彼がそんなにおとなしくしているかと言えば、後ろ手に手首を縛られているからだ。
他の少女たちも同様である。
むろんシェラの場合は手を縛られたくらいで抵抗できなくなるようなことはないが、動きづらいことは確かだ。
少年たちを倒し終わる前に他の少女に危害を加えられては困る。

「サム!! それ僕のだよ!!」

マイケルは痩せた少年にドスドス部屋を揺らして詰め寄った。
この台詞にもシェラが天使の顔をしかめたのは言うまでもない。

「ああ? うるせえよ、おデブ」

ついさっき褒めていた相手の身体的特徴を侮蔑するようにそう吐き捨てた。

「なんだってえ?!」

言われた方も喧嘩腰になる。

「止めろ!!」

ケビンが声を張り上げると、ふたりはぐっと詰まった。
どうやら彼がリーダー格のようだ。

「……まさか、これで全部か?」

そのやり取りを無言で見ていたヴァンツァーは、信じられない、といった風にこぼした。
この部屋に入ったときに驚いたのは、何より屋敷の大きさに対して収容人数があまりに少なかったことだ。

「全部だ」

なぜか独り言のようなヴァンツァーの呟きに返答したのはシェラだった。
その天使の美貌に冷たい怒りが宿っている。

「お前、この人数に捕まったのか?」

まさか、というヴァンツァーの口調にシェラは更に紫の視線を鋭くした。

「お前が言うな。どういう人付き合いをしている?」
「顔は知っているが、言葉を交わしたこともない」
「そういう意味じゃない!! 恨みを買うようなことはするな、と言っている!!」
「俺は一般市民を貫いているぞ」

嘆息して肩をすくめる。
怒鳴るシェラに対してヴァンツァーは静かなものだった。

「お前こそ、この程度ならば街中でもどうとでもできただろうが」
「……卵が割れる」
「──……なに?」

ボソッと呟かれた言葉に耳を疑ったヴァンツァーだった。

「なかなか手に入らない貴重品種の鶏の卵を買いに、この大陸まで来たんだ……」
「卵?」
「明日の調理実習で焼きプリンを作る。単純な分、卵が味の命だ」

頭を抱えたくなったヴァンツァーだった。
この銀色は、王妃と料理のこととなると目の色を変えすぎる。
悪いとは言わないが、時と場合を考えて行動してもらいたい── が、やはり自分が原因なので何も言えない。

「この屋敷の中ならば、人目もないだろうが」

繰り返すが、何も言えない。

「こいつらに卵を取られたんだ!! 落とされたらどうする?!」

どうやらこの銀色は、本気で怒っているらしかった。
卵のために。

「……帰るぞ」

どんどんひどくなる頭痛を意識の隅に追いやり、一言そう言って少女たちに目をやった。
彼女たちも、一応自分のせいで連れてこられた被害者だ。
ヴァンツァーと目が会うと、少女たちの頬に一気に朱が上った。
高校生の少年たちに囲まれている不安や恐怖は、綺麗に吹き飛んでしまったようだ。

「言われるまでもない。が、卵の在り処が分からない」

後ろ手に縛られた状態で、器用に肩をすくめて見せるシェラの様子に、少年たちは憤った。

「何ふたりの世界作ってんだよ!!」

叫んで地団太踏んだのは痩せ型サムだった。

「……作っていない」

シェラの顔が苦々しく歪む。

「ヴァンツァー・ファロット! お前なんか、僕たちがけっちょんけっちょんにしてやるからな!!」

マイケルも叫ぶ。
どうやら彼は、少女たちがヴァンツァーを見て熱を上げているのが気に入らないらしい。

「銀色。この場合、俺がこいつらを倒したらどうなる?」

マイケルの台詞に絶望的なため息を吐き、視線を移した。

「どう、とは?」

意味の分からないシェラは可愛らしく小首を傾げた。
実は、ここにいるどの少女よりも可憐な外見を有しているのが彼だ。

「つまり、お前たちはこいつらに脅されてついてきたわけだな」

シェラがひとつ頷く。

「お前のことで話がある、と卵を取られた。大事な荷物がどうなってもいいのか、と言われてな」

また卵だ。

「……つまり、卵を質に脅迫されたわけだ」

こめかみが引きつるようだった。

「そうなる」

これにも生真面目に頷くシェラだ。

「だから、何余裕でくっちゃべってんだよ!!」

怒号とともにサムは背後からヴァンツァーに殴りかかった。
それをギリギリ紙一重でかわし──むろんわざとだ──ヴァンツァーはサムの細い腕を取った。

「──っ?!」

サムの顔が驚愕に彩られた。 さして力を入れているようにも見えないのに、掴まれた腕をまったく動かせなくなったからだ。

「これなら、正当防衛だな」

静かにそう言うと、掴んだサムの腕を引きながら脚を掛けた。

「おわっ──」

必然的にサムは倒れこみ、その反動を利用してヴァンツァーは少年の身体を思い切り床に叩きつけた。

「ぐっ────」

背中をしたたか打ち付けて、サムは息を詰まらせた。

「サム!!」

ケビンとマイケルが同時に叫ぶ。
しかし、仲間を助けようとか、ヴァンツァーに飛び掛ろうとは思っていないようだ。
むしろ後退っていく。
少女たちは少年たちとは逆に歓声を上げている。
妖艶な美貌の少年が、自分たちを助けに来た騎士のように見えているのだろう。

「あとのふたりを始末しても、俺は脅されたお前たちを助けることになるな?」

そんな少女たちの黄色い声を背景に、ヴァンツァーはシェラに問い掛けた。

「……なる」

ようやくヴァンツァーの言いたいことが分かり、シェラは首肯した。

「なるが……」

言いよどんだシェラに、ヴァンツァーは首を傾げた。

「何か問題があるのか?」

もしこれから自分がすることで傷害罪にでも問われることになれば、『一般市民』の生活が一歩遠のく。

「大ありだ」

実に真剣な顔で頷くと、シェラは一言こう言った。

「まずは卵の在り処を吐かせろ」

この台詞には、シェラの周りの少女たちまでもが熱心に頷いたのだった。


卵の在り処を吐かせたヴァンツァーは、何とも慈悲深いことにケビンとマイケルには手を出さなかった。
気絶したサムの隣で、縛り上げるにとどめたのだ。
この屋敷には人は近付かないから、サムが目覚めるまで我慢することにはなるが、大したことではない。
助けられた少女たちはヴァンツァーに熱心かつ丁寧にお礼を言うと、何やら楽しげに四人仲良く帰って行った。
シェラを置いて。
走り去るように、ものすごい勢いで。

「……」

ヴァンツァーとふたりで残されたシェラは、何だか釈然としない思いを抱えていた。

「顔が怖いぞ」

隣に佇む長身美貌の少年を、シェラは軽く睨んだ。

「誰のせいだと思っている……?」

唸るような声に、ヴァンツァーはひとつ息を吐いた。

「卵は無事だったんだろう? まだ何かあるのか?」

サムの様子を見て腰が抜けたらしいマイケルは、訊ねる前に在り処を吐いた。
普通の鶏卵よりも一回り大きな六つの卵は、クッション材とともに袋の中に入れられていてどれも無事だった。

「お前のおかげで私たちがこんなことに巻き込まれたんだという自覚はないのか?」
「俺は学生としての勤めを果たしているだけだ」

これはシェラが訊き出したことだが、少年たちの行動の背景にはヴァンツァーの優秀な成績が気に入らなかったことがあるようだ。
ガラの悪いサムも含め、彼らはプライツィヒ校ではトップクラスの成績を誇っていた。
三人はともに、ヴァンツァーが中途入学してくるまでは羨望の眼差しを受けていたのだ。
それがいきなり主席を奪われるわ、女子の視線は持って行かれるわ、面白くなかったらしい。
陸上部に所属するケビンなど、体育の成績も敵わなくて激昂していたようだ。

「お前はそんな態度だから敵を作るんだ!!」

ふたりは現在、ログ・セールからサンデナンまで行くバス停の椅子に腰を下ろして会話している。
もうそろそろ日が暮れる。
冬だから余計に早い。
太陽は建物の奥に沈んで行き、東の空はすでに夜の帳に覆われ、藍色の天幕に星が瞬いている。

「では俺にどうしろと? 成績を落として、整形でもすればいいのか?」
「そんなこと言ってない!!」

相変わらず、隣にいてもほとんど気配を感じさせない男を見上げて睨みつけた。
静かにこちらを見下ろす相手の瞳は東の空と同じ色彩をしていて、夕焼けで朱金に染まった空に黒い髪が良く映える。

「ただ、巻き込まれるこちらの身にもなれ、と言っているんだ!!」
「この前俺は、お前が王妃とレティーの逢引をつけ回すのに付き合った」

この言葉には、ぐっと詰まりかけたシェラだった。

「……で、でも! その後お前に付き合ったじゃないか!!」
「仕立て屋が怒ったとき、それを止めに行く王妃の後を追うお前に付き合ったこともある」
「……」

これには返す言葉がなかった。
自分は何も返していない。
あの時不思議に思ったのだ。
なぜ、この男が味方をしてくれたのか。

「……なぜ、あの時私に付き合った……?」

俯き、きつく握った手を見つめて訊いた。

「私ひとりではリィを助けられないと思ったからか……?」

リィに足手まといだと言われ、打ちのめされた気分になった。
それでも、自分が迎えに行かなくては、と思った。
この男やレティシアがいなくても、自分ひとりで行く、と。
ついて行かないという選択肢もあったはずなのだ。
それなのに、この男はついてきた。
最終的にはレティシアもだ。

「ひとりで行くよりは、速く片付くだろう?」
「え?」

反射的に男のほうを向いていた。

「翌日に小論文の提出を控えていたからな」

学生の鑑のような台詞を、いつもの無表情で告げる。
そこには何の感情の動きも読み取れない。

「そう、か……」

呟いて、また膝に視線を落とす。

「──それに」

低い声が耳に入った。
その声に、シェラはゆっくりと視線を上げた。

「興味があった」
「興味……?」

少し驚いて目を瞠る。
この男が心を動かすものが、何かあったろうか。

「ああ。俺が死んでから、お前が強くなったかどうか」
「……」

シェラは半ば呆けたように、しかし穴が開くほどヴァンツァーの美貌を凝視した。
沈む夕日を背景にした男の表情は、逆光で見づらかった。

「……私は、強くなっていたか?」

ほとんど意識せずにそう口にしていた。
しかし、その答えを聞きたいような、聞きたくないような気がして、シェラはまた俯きそうになった。
もしかしたら、この男の口から否定的な言葉が出てくるのが怖かったのかもしれない。
ヴァンツァーが口を開かないせいで訪れた沈黙に耐えかねて、視線を逸らそうとした瞬間──。

「強くなった」

静かなその声が、ひどく大きく耳に響いた。

「……」

逆光で見えないその顔に、薄い笑みが浮かんでいるのを見た気がした。
それは嘲るようなものでも、哀れむようなものでももちろんなく──まるで、喜んでいるようなそれで。

「……」

何だか知らないが、胸が締め付けられる想いがした。
何か言いたいのに、喉に詰まったように声が出ない。
だから、ただヴァンツァーの目を見つめた。
きついはずの藍色の瞳がやわらいでいるようで、あまりの驚きに心臓が跳ね上がった。
見慣れない生物を目にしたようで、恐ろしいような気がしたのだ。
そう、 この速い鼓動は、そうした驚きのせいなのだ。
なぜか自分に言い聞かせるように、シェラはそう思った。
しばらく、そうして見つめ合っていた。

「あ──」

シェラがようやく何事かを口にしようとした時だ。

「来たぞ」
「え?」

遠くを見るようなヴァンツァーの視線の先に目をやった。
高速バスの車体が見えた。
随分遠くにあったはずのそれは、すぐに目の前の停留所に着いた。

「……」

シェラはやはり無言でバスに乗り込む。
それでも、何か言わなくては、と車外に佇むヴァンツァーを振り返ろうとした。

「銀色」

そんなシェラの行動を見越したように、低い声が掛けられた。

「……何だ」

振り返ってそれだけ言った。

「──────」

大きなバスの発車ベル音に阻まれて、ヴァンツァーの口にした言葉は聞き取れなかった。

「なん──」

何だって、と言おうとしたシェラの前で、無情にも扉が閉められた。
閉まると同時にバスは高速で発車してしまい、すぐに男の姿は見えなくなった。
それでもバスの後ろの窓から、ちいさくなっていくヴァンツァーをずっと見ていた。

「……」

気のせいだろうか。
ヴァンツァーが見えなくなると、シェラは車内の空席に腰を落ち着けて思案顔になった。
さっきヴァンツァーの声は聞こえなかった。
それでも、唇の動きで何となく言わんとしたことが分かった気がした。
しかし、その言葉がどうしても信じられなくて、シェラは首を捻った。

「まさか……」

あれは自分の見間違い、もしくは考え違いだと、シェラは思おうとした。

「……まさか、な……」

しかし、心のどこかでそれを認める自分がいる気もしていた。
あの男が、確かに言った気がしたのだ。

──すまなかった。

と────。




END.

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