「パパ、ソナタね、ウサギさんのパジャマほしいの!」
「カノンうしさん!」
「……」
可愛い子どもたちにせがまれ、ふたつ返事で頷きたいのはやまやまだったのだが、ヴァンツァーは困ったように首を傾げた。
「……そういうのは、シェラが得意だ」
双子が幼稚園に持っていく布団や枕のカバーはもちろん、手提げ袋だろうと上履き入れだろうとコップやタオルを入れる巾着だろうと、すべてシェラが縫ってやっている。
──これが実に面白いのだが、シェラを衣料品店の服地コーナーに放り込んでおくと、平気で一日出てこない。
むろん、時間の許す限り、という制約はつくのだが、ヴァンツァーのアトリエは言うまでもなく、一般の安価な商品を扱っている店でもあれやこれやと大量に買い付ける。
ヴァンツァーのアトリエで扱う商品と量販店の布地の質を比べることは愚問であったが、幼稚園児向けの小物を作るのには、アトリエの布は質が高すぎ、また良くも悪くも洗練されすぎているのだ。
ひよこがプリントされた布など、当然扱っていない。
『ちょっと可愛らしい』小物を双子に作ってやりたいとき、シェラは量販店へと向かうのである。
──すると、双子を送り出してから迎えの時間になるまで、入り浸っているのだ。
ファロット家の母屋の二階部分はほとんどアトリエで用いる布や仕立てた服で占領されていたのだが、それを隣に倉庫を建てて移動させ、空いた二階はシェラが買ってきた布で満たされることとなった。
家事の合間に二階へ行っては、シェラは鼻歌を歌いながら双子のためにせっせと可愛い小物を作ってやっているのだ。
双子の服はアトリエで作ることが多いのだが、これだけはシェラも譲らない。
──そんなわけで、子どもたちのための可愛い作品は、シェラ担当なのである。
現在双子が着ているパジャマも、シェラお手製である。
ソナタの「おひめさまのパジャマ」という、たっての希望にカノンも便乗し、ふたりともワンピース状のパジャマで寝ている。
だからこそ、ヴァンツァーはシェラに頼んでおいで、と言ったのである。
普段は『シェラ』と聞けば飛びつく双子だったが、今回ばかりはそうもいかなかった。
大きな瞳にぷっくりと涙を溜めたのである。
「ダメ! パパがいいの!」
これはソナタだ。
「こんどのおとまりようちえんは、パパのつくったウサギさんのパジャマきるの!」
幼稚園でのお泊り会のためにシェラは新たに布団や枕のカバーを縫ってやるわけだが、パジャマはヴァンツァーのお手製が良いということなのだろう。
「あのね、カノンね、うしさんのかわいいのがいいの……」
お願い、とヴァンツァーの服の裾を引いて上目遣いに見上げてくる息子。
彼は『可愛い』と言われることが大好きなようで、どちらかといえば活発なソナタよりも女の子の遊びや服装を好む。
「「パパ、おねがい!」」
と、曇りのないきらきら輝く瞳に強請られ、ヴァンツァーはついうっかり「分かった」と言ってしまったのである。
──そして、懸命に自室にこもってデザインを描いていたときのこと。
さすがのシェラも、子どもたちのためならヴァンツァーが家で仕事することを禁じたりしない。
甲斐甲斐しくコーヒーを淹れて、部屋に持っていってやることにしたのである。
静かに扉を開けると、大きなデスクにだけ灯りを燈し、頭を抱えているヴァンツァーの姿があった。
シェラや子どもたちに服を描くときに、こんな男の姿を目にしたことはなく、シェラはそっと忍び寄った。
気配に聡い男にしては珍しく、かなり集中しているようで振り返りもしない。
そして、そっとヴァンツァーの手元を覗き込み──。
「────ぷっ」
……吹き出した。
はっとして顔を上げるヴァンツァーは、コーヒーの乗った盆をデスクに置き腹を抱えて笑っているシェラの姿を目に留めた。
「──……おい」
おかしすぎて声も出ない様子のシェラに、低い声と恨めしげな視線を送る。
シェラの目じりには涙まで浮かんでいて、ヴァンツァーは渋面になるとデスクに肘をついてそこに顎を乗せた。
「……だからお前にしろと言ったんだ」
ぶつぶつちいさな声で呟く様がまた笑いを誘い、シェラは抱腹絶倒したのである。
何をしても品を失わないシェラがこんなにも大笑いしている姿というものは、なかなかお目にかかれるものではない。
レアといえばレアだが、大笑いされているヴァンツァーがおもしろいはずもない。
手元のスケッチブックをデスクの奥へ追いやってふくれていると、ようやくどうにかこうにか笑いをおさめたシェラがヴァンツァーの背後に立った。
「……お、お前、どうしてあんなに綺麗なデザイン画が描けるのに……」
まだ痛むらしい腹を押さえている。
「向き不向きがあるんだ」
この男にしては珍しく機嫌の悪さを前面に出した口調。
「それにしたって、コレは……」
デスクの奥のデザイン画を手に取り、また笑いそうになりどうにか堪える。
形はシャツとズボンに分かれたオーソドックスなパジャマなのだが、描かれている動物がいけない。
写実的な絵ならば得意な男だったが、それをどうにか可愛らしく子ども用にしようとしているのが、どうにもイタい。
「子どもたちといい勝負だな」
「──……」
追い討ちをかけられたヴァンツァーは、愕然とした表情でシェラを見つめた。
ほとんど趣味でやっているとはいえ、彼はプロのデザイナーなのだ。
幼稚園児のお絵描きと一緒にされて、玄人としての矜持が打ち砕かれたらしい。
「絵本でも参考にすれば良かったのに」
「……まったくフォローになっていないぞ」
「──それに、ちょっと違うんだなぁ」
「……?」
含んだ物言いをするシェラに疑問の眼差しを向ける。
「知りたいか……?」
にやり、と口を吊り上げるシェラに、ヴァンツァーはこっくり頷くと身を乗り出したのである。
「パパ~!!」
「パパ~~!!」
お泊り会から帰ってきた日の夜、双子は帰宅した父に飛びついた。
「ただいま」
「「おかえり!!」」
いつもよりも熱烈なキスでの歓迎に、ヴァンツァーはどうやら双子の機嫌が良さそうだと判断して安心した。
「あのね、あのね! みんなソナタのウサギさんほしいって!!」
「カノンのうしさん、かわいいって!!」
「それは良かった」
興奮冷めやらぬ表情のふたりを抱きかかえてダイニングへと向かう。
せっせと料理を作っているシェラをちらっと見て、双子は更に興奮した。
「シェラのおふとんもかわいいの!」
「パジャマとおんなじウサギさんとうしさんなの!」
「お泊り会は、楽しかったみたいだな」
「「すごぉく、たのしかった!!」」
それからお泊り会でどんなことがあったのか話し足りない様子の双子を自室まで連れて行き、着替えながらいつもの倍くらい喋っている子どもたちに耳を傾けた。
楽しかったとはいえ、興奮していた子どもたちは疲れてもいたのだろう。
夕飯を食べて入浴すると、すぐに眠りに就いた。
寝かしつけてきたシェラは、リビングに戻るとソファでコーヒーを飲んでいる男の隣に腰掛けた。
「今もあのパジャマ着て寝ているぞ」
「そうか」
素直に喜べず苦笑しているのは、やはりシェラに笑われたことがショックだからか。
「──しかし、まさか着ぐるみとは……」
ポツリと呟くヴァンツァーに、シェラはくすっと笑った。
「お前は、やることが端整すぎるんだ」
「そうか?」
「私が言っているんだぞ?」
「……」
これには思わず笑みを零したヴァンツァーである。
「感謝してるよ。何とか父親の威厳を保てた」
「な。何十枚描きなおしたんだ、結局?」
「──聞かないのも、やさしさじゃないか?」
「私はやさしくないぞ」
「……」
きょとんとしているシェラに、瞬きを返す。
「いやぁ、見ものだったなぁ。あんなに可愛い、ポップでキュートな着ぐるみパジャマを、どの面下げて描いてたんだか」
これはリィやルウに報告せねば、とふたりをこの家に迎える算段を練っている。
「……」
「あ、お前の『親友』のレティシアにも教えてやらないとな」
「──……」
にっこりと少女のように愛らしい笑みを浮かべたシェラが、不穏な空気を漂わせ始めたヴァンツァーに『お仕置き』されるのも、いつものファロット一家と言えば、言えたのである──。
END.