Dear John Letter

連邦大学惑星にあるリィとルウの屋敷では、その日どんちゃん騒ぎが催されていた。
家の持ち主はむろんのこと、女王に海賊、銀幕の妖怪にレティシアも加わり、ファロット一家の表の支配者と影の支配者を囲んでいた。

「何だ、主賓はまだ来ないのか?」

ジャスミンがぐいぐいミリタリー・オナーズのグラスを空ける横で、ケリーも負けじと杯を重ねる。
しかし、ほとんど酔った様子が見られず、顔にもまったく表れていない。
かれこれ二時間この調子なのだ。
リィとルウもかなり飲むし、レティシアも酒に強い。
ジンジャーはさすがに他の面々ほど飲むわけではないが、嗜む程度にグラスを空けている。
また、ここにいる人たちは皆、よく飲むしよく食べる。
酒のつまみ、というよりも立派な大皿料理の数々がシェラの手によって生み出されていくわけだが、次から次へと作ってもすぐに皿が空くのだ。
キッチンとリビングを絶え間なく往復する間に、彼自身も多少酒を入れていた。
動き回っていることで酒量が把握できなくなり、酔いも回ってしまったようで、現在シェラはジャスミンの膝の上にちょこんと座っている。
常の彼ならばそんな無礼なことは決してしないのだが、大柄な女性の膝の上は──変な意味ではなく、居心地が良かった。
彼女の陽気な雰囲気が酔った身体に馴染むのかも知れない。
とろんとした瞳で頬を染めているシェラは、気持ち良さそうにジャスミンの肩にもたれている。
それでもしっかり白ワインの入ったグラスを握っているところを見ると、まだ飲む気なのかも知れない。
ジャスミンはジャスミンで、まるで肴の代わりだ、とでも言うように指触りの良いシェラの髪を梳いている。
髪に触られると眠くなるシェラは、今にも寝てしまいそうだ。

「──っと。月天使、グラスを落とすぜ」
「あ……すみ、ません……」

手を離れそうになったグラスを取り上げたケリーに、力ない謝罪をする。

「や~ん、シェラ、ちょー可愛いんですけど」

暢気な声で携帯電話を取り出したソナタは、ジャスミンに抱きかかえられ、ケリーに頬を撫でられているシェラを写真に撮った。
密かに「よしっ」とガッツポーズしているところを見ると、かなりイイ画が撮れたらしい。
何と言っても、シェラを気軽に写真に収めるためだけに、連邦大学にわざわざ許可を取って買ったカメラ付き携帯なのだから。
カノンはにこにこ笑って、「あとでメール添付で送ってね」と、自分と妹のグラスにオレンジジュースを注ぎ足した。

「──おや、きみは飲まないのか?」

未成年に酒を勧める女傑もどうかと思うが、カノンは苦笑した。

「……ぼく、お酒全然飲めないんです」
「あら、シェラに似たのね」
「みたいですね。情けないんですが……」

一体何歳なのか、初めて会ったときから外見の変わらないジンジャーは美しい笑みを浮かべた。

「そうね。ジャスミンたちほど飲む必要はないけれど、多少は飲めた方が楽しいし、社会に出てからも役に立つわよ」
「努力します……」

困ったように笑うカノンに、『連邦の財産』と呼ばれる大女優はにっこりと笑って頷いた。

「──まぁ、あなたはお父さんよりも見所があるから大丈夫よ」
「……え?」

非常に美しい笑みを浮かべたまま、何だかさらりと恐ろしいことを言われたような気がする。

「あなた、女の子が可愛い服を着るのは好きでしょう?」
「えぇ、シェラとソナタが買い物している姿はとても可愛くて大好きですよ」

あまりにも自然に、対象がふたりに限定されている。
それが? と目をぱちくりさせるカノンに、ジンジャーはわざとらしくため息を吐いた。

「そこよ。ヴァンツァーったら、全然乙女心を理解していないんですもの」
「……おとめごころ……?」
「少しでも可愛くなりたい、綺麗な姿でいたい、と思うのは、女の本能みたいなものよ」
「分かる~。可愛いお洋服とか、きらきらしたものとか、見てるだけでもわくわくするもの」

賛同したソナタが隣に座れば、「でしょう?」とジンジャー声を大にする。

「あの坊やったら、TPOに合わせて服装を変える女性の気持ちってものを、全然分かっていないのよ」

あれじゃあもてないわよ、という言葉に、レティシアが吹き出した。

「姐さんにかかっちゃ、『専門家』も形無しだな」
「彼はプロのデザイナーだろう?」

ジャスミンが不思議そうに問う。
彼女はヴァンツァーが暗殺を生業としていたことももちろん知っているが、この話題からすると『専門家』とは現在の仕事のことだろうと思ったのだ。

「いやいや、赤い姐さんそうじゃねぇんだ──あいつは『誑し込みの専門家』なんだ」

『元』だけど、と陽気に笑う外科医。

「まぁ、彼の容姿なら女性が放っておかないだろうな」
「違うのよ、ジャスミン!」

ジンジャーの剣幕に、大柄な女性はきょとんとした顔をしている。
それでも、腕の中の銀髪を梳くことはやめない──止められないのかも知れないが。

「人間、みてくれだけ良くてもどうしようもないでしょう?」

ずいっ、と身を乗り出して、かつてとある映画の授賞式に赴こうとした自分に対するヴァンツァーの対応を切々と語って聞かせた。

「でも、あいつデザイナーだぞ?」

着替えるための服を作るのが仕事だろう? と、それまで大人しくしていたリィが口を挟む。
少し考える顔つきをしていたカノンが、ポツリと呟いた。

「──もしかして、父さんそれがトラウマになったんじゃ……」

室内の視線が、一気に銀髪の美少年のもとに集まる。

「たぶん、父さん今までそんなこと言われたことなかったと思うんです。仕事上必要だったことで、うんざりしていたとはいえ、女性から秋波を送られることは当たり前だったはずですから」
「かなりうざったがってたけどな」

レティシアの言葉に頷くカノン。

「うん。でも、きっとそれは父さんの中でひとつの自信にはなっていたと思うんだ。そうでなきゃ、仕事にならないわけだし」
「まぁな」
「だから、ジンジャーさんに──あなたみたいに綺麗で頭の良い女性にそんなことを面と向かって言われて、父さん新鮮だった反面、結構ショックだったと思うんです」

そうしてカノンは結論付けた。

「────それが原因で、シェラに貢ぐようになったんじゃないかな?」

真剣な表情で紡がれた言葉に、一瞬室内は静寂に包まれた。
──そうして、家が揺れるほどの爆笑が沸き起こった。
皆、ひーひー言って腹を抱えている。
カノンひとり、「あれ、これって笑うとこ?」と不思議そうな顔をしている。

「なに、あいつそこで目覚めてデザイナーにまでなっちゃったの?!」

レティシアが涙を拭えば、 「ちょーウケるんですけど!」 とソナタが身悶えている。
いや、馬鹿にしているように聞こえても、皆彼のことは大好きなのだ──おそらく。

「──あ、でも」

静かな声ではあったが、皆がそのジンジャーの漏らした声に笑いを収めた。
さすが大女優のひと言である。
どんな台詞であろうとも、人を惹きつける力を持っている──反対に、綺麗に気配を隠すことも、彼女は大変巧かった。

「よく考えたら、彼は『女の子』にもてる必要はなかったのよね」

一瞬動きを止めた他の面々は、ふとシェラに視線を移した。
銀色の天使は、割合で言えばもう三分の四くらい寝る方向に傾いている。
酒で体温の上がったジャスミンの肩口に頬を摺り寄せる姿は、──全然似ていないが──妹が姉に甘える様子か、娘が母に懐く様子のよう。
さすがに今の状態では、自分に向けられている突き刺さるような好奇の視線も気にならないのかも知れない。

「確かに、シェラだったらどんな姿をしていても美しいもの」
「お前も十分綺麗だよ」
「あら、ありがとう」

ほぅ、とため息を吐いた、いつまでも『往年の』と言われることのない大女優に、ジャスミンはさらりと言葉を掛けた。
掛け値なしの彼女の本心だったが、何とはなし口説き文句のように聞こえるのは、彼女たちの会話の常だ。

「う~ん……でも黒すけ、昔からシェラには貢いでたぞ?」
「あ、金細工の櫛だよね」
「そうそう。あれ、結構な値打ちものだったと思うんだよなぁ」

おれにはよく分からないけど、と呟くリィに、カノンは「シェラは今でも大事にしてるよ」と微笑んだ。

「そういえば、ジンジャーったらヴァンツァーに張り合うみたいに、シェラのこと着替え人形にしていたよね。撮影会まで開いていたし」

ルウがくすくすと笑う。 大女優は「あら」と目を丸くした。

「だって何を着させても似合うんですもの。写真映りもスタイルも良いし、何より身に纏う空気が清冽なのよ。見ているこちらの背筋が伸びるような雰囲気が気持ち良いの」

それに、と続ける。

「──張り合っていたのは、私じゃなくて、彼の方よ?」
「そうなの?」
「そうなの。──だって、あの子おかしいのよ?」

本当に面白かったのだろう、口許を隠して笑っている。

「私がシェラを呼ぶと、当然みたいな顔して送り迎えをするの」
「それが、おかしいの?」

ソナタが「そんなこと?」という顔で隣の美女を見る。
ジンジャーは首を振った。

「いいえ。おかしいのはその後」

茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる。

「送ってきた脚でそのまま撮影会場についてきて、涼しい顔して壁に凭れてるの。で、着替えて出てきたシェラを見ても、まったく表情が動かないのよ」

彼が無表情なのはいつものことだ、と思っている面々だったが、そこは大人しくジンジャーの話に耳を傾ける。

「撮影している間も、終わってからも、ひと言も話さないし、眉ひとつ動かさない。自分はただの運転手です、関係ありません、勝手にやって下さい、興味ありませんから、みたいな顔して……」

やはり、かなりおかしかったのだろう、笑いを堪えるような顔になる。

「それなのに、毎回、必ず二週間以内に、────私やスタイリストが用意した衣装によく似た雰囲気の、それよりも更にシェラに似合うものを着させて、画像を添付したメールを送ってくるの」

もう、おかしくって仕方がない、といった風に腹部を擦るジンジャーに、双子はペチッ、と額を押さえた。
その表情を代弁するならば、『……お忙しい中、父がご迷惑を……』といったところだろうか。

「まぁ、確かに私もそれを見て、『次こそは』と思う部分はあったのだけれど」

なかなか楽しい時間だったわ、と微笑む。

「……まぁ、黒すけなら、それくらいやるよなぁ……?」
「あいつ、興味のないことには本気で指一本動かさないんだけど、スイッチ入っちまうと一直線だからなぁ」
「何にでも一生懸命になれるのは良いことだよ」
「ルウ、それってちょっと、パパに好意的すぎない?」
「そうかな?」
「そうだよ。──父さん、あれで結構な恥知らずだからさ」

にっこりと微笑むカノンの言葉には、もちろん悪意などひと欠片もない。
父を貶めるつもりも、毛頭ない。
彼にとって、それは純然たる事実なのだから。

「────あ……」

それまですっかり眠っていたと思っていたシェラがぴくりと反応し、顔を上げる。
まだ眠そうな顔をしているが、視線は真っ直ぐリビングの入り口に向けられている。

「きた」

口調も覚束ないのだが、それでも一同は視線をドアに向けた。
玄関の開く音も、人間の気配もしなかったというのに、数秒後には長身美貌の男が現れた。
思っていたよりもかなりの大人数が室内にいて、ヴァンツァーは多少面食らったようだった。
そうして、酔っ払ってジャスミンの膝に収まっているシェラを見つけて嘆息した。

「それを、引き取りに来た」

静かな声で告げる男に、双子はこそこそとささやきあった。

「シェラ限定らしいよ」
「ね。分かってはいたけど、嘘でも『家族を迎えに来た』くらいのこと言うよね?」

かなり小声で喋っていたはずなのだが、「カノン、ソナタ」と呼ばれて双子は肩を震わせた。

「──ちょっと話がある」
「「………………はい」」

あまりにも美しい笑みを向けられた双子は、頬を引き攣らせた。
この父が、自分たちにまで甘い美声を聞かせているという現実から目を逸らしたくなった。
それでも、今日のこの企画を立案したのは自分たちだ──さすがに、ここまで怒るとは思っていなかったのだが……。
悄然と項垂れてヴァンツァーについていく双子を見送った面々は、少々眉をひそめた。

「子どもたちは大丈夫か? 彼の怒り方は、お前に似ているな──海賊」
「そうか?」
「そうだとも。静かに、淡々と、面倒くさそうにしながらも邪魔者は完膚なきまでに叩きのめすタイプだ」
「おいおい、女王。それじゃあ、まるで俺が冷たい殺人鬼みたいじゃねぇか」
「殺人鬼ではない。──殺す方が、遥かに楽だからな」
「……あのなぁ」

恐ろしい会話が熟年夫婦の間で繰り広げられているその場所で、

「だいじょーぶですよ?」

という場違いなくらいに明るい笑い声がした。

「シェラ?」

説明を求めるリィの声に、シェラは答えた。

「──あいつは、あれで子どもたちのことをすごく大事にしていますから」

酔っ払って眠りそうになっていたのが嘘のような、しっかりした眼と口調だった。
それでもジャスミンの腕の中なのだから、きちんと覚醒しているのかどうかは怪しいものだが。

「だが、誰だって怒れば我を失うだろう?」

ジャスミンの問い掛けにも、シェラは首を振った。

「……あいつは、怒りませんから……」

どこか、悲しそうな声だった。


屋敷の外へと連れ出された双子は、しっかりと手を握り合っている。
誰よりも近しい人の存在を感じられるという事実は、不安を軽減させる効果がある。
先を歩くヴァンツァーが脚を止めたので、双子も立ち止まった。
そうして、どんな風に怒られるのだろう、と顔を見合わせた。

「──お前たちに、頼みがあるんだ」

振り返った父の言葉に、双子は放心した。
目をぱちくりさせ、一体何を言われたのか理解しようと努めた。 それでも分からず、カノンは「頼み……?」と訊ねた。
すっかり怒られるものだと思っていた双子は、「あぁ」と続けられた言葉に、違う意味で身を震わせた。

「……これ以上、俺からあれを引き離さないでくれないか……?」

秀麗な口許に、薄く微笑を浮かべる。
月明かりに浮かぶ妖艶なその姿に、なぜだかぞくり、と背中が騒いだ。

「今でも、気が狂いそうなくらい遠いんだ」

ごくり、と鳴った喉が、自分のものなのか、隣にいる半身のものなのか、双子には判断がつかなかった。
緩やかに向けられた藍色の視線に、身体が強張る。
とても穏やかに見えるのに、射抜かれたような衝撃。
だがそれは、怒られている、と思ったからではない。
その瞳が、穏やかなのに、どこまでも深い哀しみを湛えているように見えたからだ。
決して癒されることのないそれは、どこか絶望しているようにも感じられて……。

「……これ以上離れたら────また、止まる」

左胸に添えられた手に、光る指輪。
約束の証であるそれが、どういうわけか枷のようだと思った。
彼が、自ら捕らわれることを望んだ、やわらかで甘美な戒め。
かつて逃れたいと足掻いた操り糸ではなく、自分が自分であるために、どうしても必要な鎖。

「だから……頼む」

頭を下げているわけではないが、きっと父はそのためなら土下座でも何でもするだろう。
プライドがないとかいう次元ではない。
彼にとって、『自己』というものそのものが、シェラがいないと成立しないのだ。
自らを尊ぶための『心』が、動かないのだ。

「「……はい」」

双子は、声を揃えた。
そうして、誓った。
父の様子はいつもと変わらずとても穏やかなのに、すべてを破壊し尽くしかねない激情を感じたからだ。

「──ありがとう」

そう、ほっとしたように微笑む父を、『格好悪い』とは決して思わなかった。
ただ、──怖かった。
危害を加えられる恐ろしさとは、まったく違う。
そんな心配はしていない。
むしろ、それだけはないと言い切れる。

──自分たちを傷つければ、シェラが去って行ってしまうから。

それが分かって、余計に怖くなった。
汗ばんだ手を、ぎゅっと握り合わせた。
──と、背後でドアの開く気配。 はっとして振り返れば、そこにはシェラがいた。

「お話、終わった?」

にっこりと機嫌良さそうに笑っているところを見ると、まだ酔っ払っているのかも知れない。
双子は、揃って父の顔を伺った。

「もう、いいよ」

言われ、身体から力が抜けた双子は、頷きを返すと足早に家の中に戻っていった。
それを見送ったシェラは、ドアを閉めてヴァンツァーの元へ向かった。
やはり、その足取りはしっかりとしている。

「怒ったか?」

訊ねるシェラに、ヴァンツァーは微笑を返した。

「なぜ?」

疑問以外の何も読み取れない声音に、シェラは微かに眉宇をひそめた。
そうして、目の前の長身に腕を絡め、引き寄せた。
軽く、唇を啄ばむ。
されるがままになり、自分から口づけを深めようともしない男の眼を正面から見据え、シェラはひと言こう言った。

「──帰ろう」

ゆったりと浮かべられた微笑みに、────視界が滲んだ。   




END.

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