One Night Party

どんちゃん騒ぎをやらかしているだろう室内に入った瞬間、ヴァンツァーの機嫌は垂直急降下した──。

「キング~~~~~! ジャスミンも!! 飲みすぎだよお……」

ルウは大型怪獣夫婦が飲み比べをしているのを、何とか止めようと試みていた。
袖を引いたり、グラスを取り上げたり、ふたりの間に割って入ったりと、考えられる妨害策を講じたのだ──もちろん無駄だった。
グラスを取り上げたら酒瓶に口を付け出したのだ。
事態を悪化させた、と言っても良い。

「いいじゃねえか。飲ませておけば」

適度に気分良く飲んでいるレティシアは、先程からあたふたとしている黒天使の行動が理解できなかった。

「だって、今回のこの企画も、この人たちが大酔っ払いしたのが原因なんだよ? まあ、ぼくは楽しいからいいけどさ」
「だったら何も問題ねえんじゃねえの?」
「大ありだよ!! このままにしておいたら、このふたりぐでんぐでんになっちゃうじゃない!!」

悲鳴にも近い声音である。
レティシアにはさっぱり理解できなかった。

「だってよ。この船、その姉さんが動かしてんだろう? そのでかい兄さんたちが酔っ払ったって、ちゃんと帰れるんじゃねえのか?」
「もちろんよ。責任をもって、送り届けるわ」

レティシアに『姉さん』と呼ばれたダイアナは、自分も画面の中でシャンパンを空けている──何とも凝り性な感応頭脳だった。

「だ、そうだぜ?」

言う間も高い酒を機嫌よさそうに空けていたレティシアだったが、ふとテーブルにうつ伏せている人物に目を遣った。

「──ここにもう、ぐでんぐでんに出来上がってるヤツがいるけど、こっちの介抱した方がいいんじゃねえの?」

ケラケラ笑って銀色の頭を指で突付いた。

「それはぼくの仕事じゃない」

実に真剣な面持ちで、ルウはきっぱりと言い切った。

「誰がやったって変わんねえだろうが」

呆れたように呟くレティシアに、ルウは「とんでもない!!」と声を張り上げた。

「ぼく、絶対嫌だよ!! シェラを抱き起こしているところをヴァンツァーに見咎められて、あらぬ嫌疑をかけられるのなんか!!」

聞いた瞬間、レティシアは弾けるように笑った。
抱腹絶倒というやつだろう。
本当に床を転げまわっている。

「あら、なあに? ヴァンツァーってやきもち妬きなの?」

ダイアナが目をキラキラ輝かせて──そういう映像を作って──乗り出してきた。

「さっき見てたでしょう? 彼、シェラの目に自分以外が映るのも、本当は嫌なんだよ!」
「あらまあ……」

青い目をまん丸にしている。
何とも人間くさい表情だ。
本当に、器用な機械である──当然か……。

「じゃあなんだって、こんな目立つ格好させてるの? これじゃあ人間ホイホイだわ」

この言葉にレティシアは「うまい!!」と言って、また爆笑した。

「だって、こんなに着飾ったシェラの隣に立とうとするような身の程知らず、滅多にいないもの」
「あら。そんなことも分からないお馬鹿さんなら寄って来るんじゃない?」
「だから、彼はここまで着飾ったシェラの隣には、絶対に自分が立つようにしているんだ」
「か、可愛いだろう、あいつ?」

痛む腹を押さえて、レティシアは床に座った状態からダイアナに声をかけた。

「お嬢ちゃんをめちゃくちゃ目立たせて、自分はその横で威嚇のオーラ出すんだよ」
「鼻で笑う感じだよね」
「そうそう。近寄れるもんなら来てみろ、みたいな!! そういう時は、いつも以上にくっついてるしな!!」

自分の言葉に、また腹を抱えて笑う。
大きな声で展開されていた話で覚醒したのか、シェラの頭がピクリと動いた。
ゆっくりと上体ごと頭を起こし、半ば閉じた目で周囲を見回す。

「…………」

焦点が合っていないようだ。
彼の目には、きっとピンボケ映像が映し出されているハズである。
飲み比べをしている怪獣どもに視線を止めると、シェラはふらふらしながらも立ち上がった。
その足元で笑い転げていたレティシアは、当然のように手を貸さない。
貸してやる理由もない。
だから、ただ見送った。
よたよたと歩いていたシェラは、ケリーの前で立ち止まった。

「──……」

当のケリーは、ジャスミンとともにすでに火酒を七本近く空けている。
さすがの彼らも、酔いが回ってきているようだ。

「……みぃつけたぁ」

シェラは舌っ足らずながらもそう言葉を紡ぎ、満面の笑みを浮かべ、かなり長身の男の首に抱きついたのだ。

「シ──シェラ?!!」

顔色を変えたルウが、慌ててシェラの肩を掴んだ。

「やっ!」

短く叫ぶと同時に腕を振り、ルウの手を払いのけて睨みつけた。

「じゃましないでっ!!」

普段の彼ならば、絶対に言わない言葉と、しない対応である。

「シェラ!!」

ほとんど泣きそうな様子でルウは慌てふためいた。
ルウの馬鹿力ならば簡単に引き剥がせるハズなのだが、何とケリーがシェラの腰を抱いてしまっているのだ。
抱き合うような形になったふたりを、さすがのルウも力ずくでは離せない。

「キング!! 正気に戻ってよ!! いくら美人でも、シェラは男の子なんだよ?!」

常ならば、もっとも効果を発揮しただろう言葉だった。

「へえ、そうかい」

それだけ。
それどころか、緩く口端を吊り上げる様子はひどく楽しそうですらある。

「──……キング……」

ルウは絶望的な様子で言葉を失った。

──この人、見た目よりかなり酔ってる……。

「──シェラ! 君! キングとヴァンツァーを間違えてるよ!!」

今度はシェラを説得しようと試みた。

「ふうん……」

こちらも、それだけである。

「……………………」

間違いなく、ふたりとも正気ではなかった。
いや、そんなことは分かっているのだ。
分かっているのだが、解決策がない。

「──ジャスミン!!」

はっと思い至ってルウは大きな女性を振り返った。

「止めて!!」

言われたジャスミンはきょとんとしている。

「理由がないぞ?」
「…………」

この人もダメだ。 夫の浮気に寛大すぎる奥さんは、別に相手が男だろうが何も言わないだろう。

「とうとう男に奔ったか」

と、その程度の認識しかしない。
ルウがケリーとキスをしても、何も言わないのだから。

「──キス、したいな……」

そんなシェラの言葉が耳に入り、ルウは顔色を失くした。

「シ──────?!」
「ああ、いいぜ」
「キ──────?!」

これは深刻にマズイと思い、ルウは持てる力を振り絞ってふたりを引き剥がそうと間に割って入る。

「──シェラ」

静かな──恐ろしいほどに静かな低音が室内に響く。
同時に、その場の空気を支配した。
そのたったひと言に、銀色の頭がピクッと反応した。
今にも触れ合いそうになっていた唇は、互いの寸前で止まった。

「──……ヴァンツァーの、こえ……?」

ケリーの首に腕をかけたまま、シェラは背後に視線を巡らした。
まだ視界がぼやけていてよく見えないのだが、部屋の入り口に佇む影に、何だか妙に視線が惹きつけられた。

「ヴァンツァー……?」

するりとケリーの腕から抜け出したシェラは、やはり覚束ない足取りで気になる影へと向かった。
ヴァンツァーは、部屋の入り口の壁に背をつけたまま、一歩も動かない。
その秀麗な美貌には、何の表情も浮かんではいなかった。
切れ上がった藍色の瞳は、ただ自分に近寄ってくる銀と深紅の動きを追うだけ。
随分長い時間をかけて、シェラはヴァンツァーの元へと辿り着いた。
途中、何度も転びそうになったのだが、ヴァンツァーは眉ひとつ動かさずにその様子を見ていた。

「ヴァンツァーだ……」

にっこりと笑うと、先程の男よりは低いが長身の青年の腰に抱きついた。
胸に顔を埋めるが、ヴァンツァーは指一本動かさない。
壁に背を預けたまま、何の感動もなく銀色の頭を見下ろしている。
それなのにジャスミンとケリーは相変わらず飲み比べを続けている。
彼らにとっては、シェラたちの動向よりも相手に勝つことの方が重要だったのだ。
特にケリーは、ほんの少しの間に女王が酒瓶一本空けていたので、追いつかなければ、と必死だ。
なので、この様子を見ているのはルウとレティシアとダイアナだけである。
リィはまだ戻らない。
放心しているのかも知れなかった。
猫眼の外科医は何だか楽しそうに、黒髪の万年青年はハラハラしてその様子を見守っている。
ダイアナはといえば、彼女は行儀良く顔を手で覆って、指の間から室内の様子を覗いている。

「……ヴァンツァー?」

シェラは不思議そうに藍色の瞳を見つめた。
ゆっくりとちいさく首を傾げる。

「なんだ。おこってるのか?」

本当に不思議そうに、どうしてこの男がこんな顔をしているのか分からない、といった風にシェラは反対に首を傾けた。

「まったく。きょうはパーティなんだぞ?」

きゅっと眉根を寄せ、諭すように言うが、すべての元凶が自分だとは思いもよらないようだ。

「ほら……。きげんをなおせ……」

眼前の男がまったく動こうとしないから、仕方なくシェラは背伸びをして相手の唇を啄ばんだ。
ヴァンツァーは表情を動かさず、瞳も閉じないでそれを受けた。

「……マナーのわるいやつだな。こういうときは、めをつむるものなんだぞ?」

しらないのか? とシェラはヴァンツァーを睨んだ。
酒のせいか、かなり言葉が危うい。

「そんな気分じゃない」
「?」
「その程度では、目を閉じる気にもならん、と言った」
「……? なんだ。まだおこってるのか?」
「別に」

短い受け答えに、シェラはむかっ腹が立った。

「おこってないならわらえ!! おこってるならそういえ!!」

襟を掴み、シェラはヴァンツァーの顔を引き寄せた。
抵抗するでもなく引き寄せられるままにしていたヴァンツァーだが、まだ表情は戻らない。

「分からないのか?」
「なにが!!」
「俺が、何を考えているか」
「わかるわけないだろうが! はっきりいえ!!」

まったく眼光に鋭さがない。
今にも寝入ってしまいそうな目だった。
そんなシェラの瞳を覗いたまま、ヴァンツァーは酔っ払いの顎に手をかけた。

「キスしたいんだろう? やってみろ」

冷笑すら、今のヴァンツァーの顔にはない。
表情、というか、感情そのものが欠落したような顔だ。

「……」

言われたシェラは、何か考える素振りを見せたが、もちろん何も考えていない。
考えられるほど、覚醒していない。
だから、ヴァンツァーの声に逆らうことなく襟を引く手に力を込めた。
今度も、シェラはきちんと瞳を閉じた。
相手の唇を軽く、二度啄ばみ、僅かに顔を離して表情を窺う。
藍色の瞳はきっちりシェラを見据えたままだ。

「……だから、めを──」
「お前も開けてやったらどうだ」
「?」
「俺だけ開けているのが気に入らないんだろう? それならば、お前も閉じなければいい」

めちゃくちゃな理屈だった。

「……」

しかし頭の働かないシェラは、なるほど、とその言葉に納得してしまった。

「わかった……」

ささやくように吐息だけで言葉を紡ぐと、深く澄んだ夜空のような瞳を見つめたまま顔を傾け近づける。
相手も自分の瞳を──よくやるように瞳の奥を覗き込んでいる。
唇が触れ合う直前、シェラは顔を近づけるのを止めた。
動けなくなったのだ──相手の瞳に、自分の顔が映っていたから。
上気した頬に、今にも閉じそうな瞳。
薄く開けられた唇。

──これが、わたし……?

頭の片隅を、そんな考えがよぎる。
ヴァンツァーは、こんな風にいつも自分がどんな顔をして相手を見つめているのかを目にしているのだろうか。

「……」
「ほら、どうした。負けを認めるのか」

その言葉が聞こえてきた瞬間、シェラの瞳に光が宿る。

「──なんだ。まけって……」

それでもやはり、口調は覚束ないけれど。

「俺にできることができないのでは、お前の負けだろう?」

かなり無理のある議論だが、今のシェラにそんなことは分からない。
ただ、「負ける」ということだけが引っかかっていた。

「……まだだ」

言うと、再度顔を近づける。
軽く、唇が触れる。
ヴァンツァーは動かない。
何もしない。
だから、シェラが一方的に口づけていることになる。
目を閉じず、相手の目の奥を覗き、また、そこに映る自分の顔を見つめながら。
それは、誰と口づけを交わしているのか分からなくなる、不思議な感覚だった。
僅かに口を開いて待っていたシェラだったが、相手が何もしないのに痺れを切らし、自分から舌を伸ばした。
絡めようとすると、逃げていく。

「……」

僅かに顔を顰め、それでも睨みつけるように相手の瞳を見つめて口づける角度を変えた。
変えて、舌を伸ばして相手のそれを追った。
また逃げる。

「──……」

また追う。
逃げる。
追う。

「────!」

シェラはいつの間にか、かなりムキになっていた。
襟を掴んでいた手をヴァンツァーの首に回し、互いの胸を合わせるように密着させる。
黒髪に指を梳き入れ、自分の顔に押し付けるようにした──吐息ひとつも、漏らさないように。
それでもヴァンツァーは応えない。
だからシェラは、ヴァンツァーの唇を噛んだ。
犬歯で。
かなり強く。

「……」

さすがに作り物めいた美貌が歪み、久方ぶりに表情が生まれた。

「──まだ、おこってるのか?」

鼻先が触れ合う距離で、シェラはそう訊いた。
切れて血の滲んだ相手の口端を、ぺろりと舐める。

「ごうじょうだなあ……」

また滲み出てきた血液を舐め取る。
二、三度それを繰り返しただろうか。

「──足りない」
「?」

不意に聞こえてきた声に、シェラは僅かに視線を上げる。

「まだ、足りない……」

そう言うと、ヴァンツアーはシェラの顎を持ち上げ、自分から口づけた。
やはり相手と目を合わせたまま。
口腔内に自分のものでない熱を感じたシェラは、今度は自分が逃げてやろうと思い立った。
無駄だった。
どんなに逃がそうとしても、いつの間にか自分から差し出すような形に仕向けられてしまうのだ。
上顎や舌の裏を軽く突付かれるだけなのに、まるでそう調教されたかのように従ってしまうのだ。

「ん……っ」

何だかそれに腹が立ったので離れようと相手の胸を押したのだが、頭と身体をしっかり拘束されてしまっている。

──さっきまで、指一本動かさなかったクセに。

シェラはそう思った。
思ったはいいが、どうすることもできなかった。
だって、どういうわけか、とても気持ちが良かったのだから。
かなり強引な扱われ方をしているハズなのに、身体がとろけそうになるのだ。
足に力が入らなくなってきた。
しかしこの男の前で倒れ込むのは絶対に嫌だったので、仕方なく首に手をまわして灰緑色の夜会服を握り締めた。
途端、何だか、ヴァンツァーが笑った気がした。
瞳が、閉じられたからだろうか。
先に閉じたのだから、この男の負けだ。
シェラはそれに満足して瞳を閉じた。

──酔っ払い天使の記憶は、ここまでしかなかった。


「あちゃー……」

額を叩いたのはルウである。

「だから嫌だったんだよ、ぼく……」
「あのまま放っておいたら、ここで最後までヤりそうだなあ、ヴァッツのやつ」
「レティー!! 冗談に聞こえないよ!!」

音量は抑えて早口に叫ぶ。

「冗談じゃねえもん。社会勉強にちょうどいいんじゃねえか?」

相変わらずケラケラ笑っている。

「君ねえ……。他人の濡れ場なんか見て、何が楽しいの?」
「見なきゃいいじゃない」

呆れたように言うダイアナは、画面の背景を南極に変えている。
ペンギンがちょこまか歩いている様子まで映し出される。
手にはうちわまで握られ、パタパタと扇いでいる。
本当に芸が細かい。

「あたしだって、できることならこの部屋と意識を切り離したいわ」
「切れねえのか?」

相変わらずゆっくりと、しかしかなりの量の酒を飲んでいるレティシアは、画面の中の美人に微笑みかけた。

「できるわよ」
「あ? じゃあ、やりゃあいいじゃねえか」
「あなた、乙女心を全然分かってないわ!」

腰に手を当て、ずいっ、と身を乗り出してきたダイアナは、真剣な面持ちでこう言った。

「怖いもの見たさ、って言葉を知らないの?」

と……。
直後部屋に入ってきたリィのおかげで、ヴァンツァーは仕方なさそうに、それはそれは仕方なさそうに、キスを止めた。
すっかり力の抜けたシェラをしっかりと抱きとめたままではあったが。 その後泥酔した船の所有者をよそに、ルウの指示で《パラス・アテナ》は連邦大学惑星に向かった。

「できるだけ急いで」

というルウの指示の元、実に迅速に。
深紅のドレスに身を包んだシェラは、ヴァンツァーに抱きかかえられてエア・カー駐車場まで連れて行かれた。
彼ら以外の人間は、船を降りなかった。
また、宇宙空間に飛び出して行ったのである。
パーティの続きでもしようというのだろうか。

その船内でどんな会話が展開されたか、ということと、泥酔状態で家に帰ったシェラがどうなったか、ということは……書き手の精神衛生上、見聞きしなかったことにしたい。

だから、一夜限りのパーティは、これにて終焉を迎える──。




END.

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